[理事長ブログ ― ネコの目]
緩和ケアの医師たち

笹川記念保健協力財団は、43年前、世界のハンセン病対策のために設立されました。財団企画の催しにご参加下さったか、ホームページをご高覧頂いたなら、ご承知のことであり、複数回同じ話を聞いて下さった方もおありでしょう。つまり、常にその前口上を述べるほど、私どもにとってのハンセン病対策は、重要なraison d’être(存在意義)であり、今もそれは替わりません。

先週、私どものもう一つの重要なプロジェクトに関する集まりを持ちました。
私どもは、2001年以来、ホスピス緩和ケアに従事する医師の養成を支援しています。(財団HP: ホスピスドクター研修ネットワーク
養成支援・・・とは大げさな云い方ですが、当時、まだ、耳新しかったこの分野の数少ない先達にお願いして、当該分野を専門的に学ぼうとされる医師のご指導を委ねる、いわばマッチング役を始めたのは、名誉会長日野原重明のイニシアティブでした。同様に、緩和ケア、ホスピスケアを学ぶ看護師たちのネットワークも2002年以来です。医師は、2017年1月現在94名が、看護師は3,800余名が登録されています。

医師に関して、私どものプログラムにより緩和ケアを研修された医師が20名に到った2005年から、年に1度の交流会を開催しています。(財団HP: ドクターネットワーク情報交換会
毎回、平均20名前後のお集まりですが、形式ばった会でなく、また学会のような決まりがある訳でなく、世話役をお引き受け下さるメンバーの企画で、毎回、新たな試みがあります。

今回は、初めて現場見学を加えることが企画され、現在の世話役でもある相河 明規先生(ケアタウン小平クリニック)他、これまでたくさんの医師の研修を受け入れてくださった聖ヨハネ会桜町病院のホスピスが会場となりました。

午前午後には、それぞれ現在研修中の医師と、今や各地の第一線で活躍中のかつての研修生の発表、そして意見交換、昼食時には二組に分かれて、ホスピスの見学、最後は場所を変えての懇親会・・・9時半から19時半の長丁場でしたが、退屈するどころか、どのご発表もご意見も時間不足、経験の長さは異なりますが、一言で申せば、緩和ケアが果てしなく幅広く奥深いものであることへの想いと、そのための実践の奥義が論じられたと思いました。

「ひとが生まれる時と死ぬ時は神様の領域」なのに医者が入っておかしくしている、とのコメントを読んだこともありました。進行した認知症や回復見込みのない終末期病者への胃ろう、止められないまま継続される点滴、呑めもしない膨大な投薬・・・などなどが過剰医療ともみなされ、高齢者医療費抑制もあって、それこそやや過剰に議論もされています。
終末期が神の領域とは、言い得て妙であり、ある意味で真実だと思いたいですが、今は21世紀、やはり科学の力を活用することを放棄すべきではないと、私は思います。
いずれにせよ、どんな人も、ヒトが生物である以上、生存の長さが如何に伸びようとも、有限であることは事実。その中、終末期問題がにぎやかになっていること自体、高齢社会であり、多死社会を示しているのかもしれません。

が、どこで、どのように生を終えるかの議論が喧しい割には、一体、それをどのように実践するのか、誰がそれをどのように担い、経費はどうするのか・・・あまり具体的な議論は少ないように思います。

いつもの年寄りの繰り言をお許し頂きたいのですが、私が小児科医だった1960, 70年代は、わが国の出生率ははるかに高く、今もそうですが、こどもは死すべきではなく、当然、長い一生をまっとうすることが前提でした。つまり、当時の小児科医は病気を治すこと=治療cureが至上の使命でありました。

過日の「緩和ケア医」の集まりに陪席してオールド元小児科は思いました。確かに、ひとが生を終える時は、身体的だけではなく精神的あるいは流行りの言葉ですが、スピリチュアルなケア=careが必要な時期なのだと。そして、生の終焉とは、実は年齢に関係なく、幼子にも青年にも壮年期にもあるのだ、と。

緩和ケアは終末期ケアそのものではなく、適切な緩和技術を行使することで、積極的な治療cureが可能なこともあるのですが、過日、お集まりくださった医師たちは、誰にも訪れる生の終末期を扱う際には、文字通り、神の域に近づきながら、持てる科学の知識を行使しておられると思いました。当日、ご参加下さった山崎章郎先生(ケアタウン小平)と川越厚先生(クリニック川越)は、そう思って拝見すると、何だか神様のようなお顔に見えました。

集まったメンバーとの記念撮影

集まったメンバーとの記念撮影

聖ヨハネホスピスラウンジ