[会長ブログ ― ネコの目]
長靴をはいてベッドルームに入る!!

何のこと?と思われるかもしれないことを、10日前と昨日に行いました。写真をご覧下さい。

IMG_1274ベッドルームの私、長靴の足元は固まった泥

7月5日の豪雨は、穏やかな里山に想像を絶する災禍をもたらしました。7月19日、気象庁が平成29年7月九州北部豪雨と命名した福岡県と大分県での雨災害で、時折、ご紹介する私のお気に入りの朝倉市杷木の寓居が被災しました。

当日、私はインドから帰国してしばらく事務所で仕事をした後、帰宅した直後の知人からの電話であわててTVを見た次第です。2012年にも近くで、小さな川の氾濫があったことで、近隣の人々は、雨には割合敏感に対応なさる感じのある地区でもありました。

が、降り始めの数時間で300ミリメートルの降雨量、野も山も田も畑も、家の屋根にも川にも一様に、30センチメートルの水が灌ぐ降り方、近くには筑紫次郎と別称される大河筑後川もあります。ハラハラしました。13時14分大雨洪水警報、14時10分に土砂災害警戒情報、5分後に避難準備情報、10分後には市内全域に避難勧告、約一時間後15時30分に5地区に避難指示・・・3時間で、災害が確立したのです。

東京から電話した現地の知人は、車で2,30分のところに出かけたが、道が冠水して帰れないと。他の方は、向こうが見えない降り方、厚い水の壁が家の周りにできている…、電話の間に雷鳴がとどろいていました。

結果として、いくつかの地域が壊滅的な破壊を受け、30数名の死者行方不明者をきたし、広大な野菜畑や水田、また、名産のぶどうや柿の果樹園そして森林を破壊しました。

拙宅は、朝倉市杷木の松末<マスエとよみます>小学校の傍の20軒ほどの集落にあります。大分自動車道杷木インターを出て、拙宅までは国道52号線で4キロメートルですが、その道路が寸断されました。かつて・・・といっても5,60年前には、400名に近い児童が学んだ鉄筋3階建の松末小学校に避難した人々は、校庭を埋め尽くし、さらに一階に侵入した想像を絶する量の土砂流のため、3階に避難し、一夜を明かした後、ヘリコプターなどでの脱出を余儀なくされました。

災害から10日目の7月15日、主に自衛隊の車両が並ぶ補修された道路を歩いて、松末に参りました。どこもかしこも泥と流木の山、報道に現れる破壊された道や、家々はなじみあるところばかりでした。胸が痛い…そして、かつての小川ともいえないほどの小さな川は広大な幅となり、その中を、自衛隊、消防、警察の方々が、手に棒をもって、行方不明者を探しておられました。

最低50センチメートル程度の土砂で道路はすべての家より高くなっています。拙宅は、古い民家ですが、土間は50センチ程度、家の真ん中の廊下は10センチの泥、台所や浴室、トイレそして寝室も一様に泥水…いわゆる床上浸水でした。

それから10日目の26日、地域に重機が入れるようになったからと、災害直後から現地で活動されていた日本財団救援チームのお声がけで、日本財団から6名と私の所属する笹川記念保健協力財団から3名が東京から現地入りし、拙宅付近の復旧を行ってくださいました。
重機の力は偉大です。人力なら数時間を要する土砂を数分で排除して下さいます。そして、その後を人力で片付けて頂き、わが家の輪郭は現れました。が、濁流の向きに、はがれた壁、流失したお風呂用ボイラーの石油タンクやプロパンボンベ・・・

畳の下は泥の海のまま・・・
かつて何度も救援チームを企画派遣し、後方支援もしましたが、今回は現地で被災者の挫折と救援者への感謝を実感しました。これから復旧、引越しですが、皆さま、ありがとうございました。

20170727_3日本財団の重機チームの雄姿!

20170727_2今回のお助けチームさま