[会長ブログ ― ネコの目]
住み慣れた住まい

私ども笹川記念保健協力財団は、2014年来、これからの地域での医療保健制度の一角を担うべく「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業を進めております。これまでの3年間に35名が8カ月の研修を終え、28人が全国各地で開業しています。在宅医療/看護の大きな目標は、人々が住み慣れたわが家、地域で療養し健康を回復されること、あるいは尊厳をもって、親しい人々に見守られながら、尊厳をもって一生を全うされるお手伝いでもあります。

住み慣れた家や地域という言葉には、懐かしい故郷とともに親しい人々との親密な関係のある様子を呼び起こします。が、最近、それらを維持すること、あるいはそのような環境の中で病<ヤマイ>を癒す、健康を維持回復する、あるいは穏やかに生を終えることは、それほど簡単でなないと思うことが続きました。

まずは、小欄7月28日に記しました、平成29年7月九州北部豪雨です。(長靴をはいてベッドルームに入る!!)私がお借りしていた古いお宅は、大分県に近い福岡県東端の山間の県道52号線沿いに位置します。5,60年前には400名近い学童がいたとうかがった松末<マスエ>小学校の今年の学童数は20名余、周辺の10軒、あるいは20軒程度の集落の多くが被災しました。既に3,40年前から、過疎化が始まっており、高齢化がそれに追い打ちをかけていました。今回の水害は、住み慣れた家々を終の棲家と思っておられたであろう人々を否応なく、仮設住宅あるいは子どもや姻戚のおられる他の地域へ追い立てました。仮設住宅は、車で15分程度の地ですが、元の集落が昔通りに戻ることはないように思えます。私も、解体やむなしの古い民家から出ざるを得ません。家主様との涙の別れが待っています。

もう一つはウクライナからの便りです。
今年の3月頃、小欄にて取り上げましたが、財団は20数年前、当時のソヴィエトのウクライナ地方で発生した原発事故後の子どもの甲状腺がん対策のお手伝いを致しました。(朽ちてゆく村ウクライナ

今年春、30年を経たその地チェルノブイリを訪問した際、ほとんど無人化している原発に近い地域に、お一人でお住まいになっている女性がおいでだと聞いて、お訪ねしたのでした。いったんは強制的に避難させられたものの、間もなく、住み慣れた家で一生を送りたいと、自分の意志で戻ってこられたKovalenko Valentina Aleksandrovnaさん、しわの多いお年を召した老婦人でしたが、突然の闖入者に嫌な顔もせず、丁寧に、そして暖かく歓迎して下さいました。放射能の危険も知っているけど、私はここで住むの、との固いご意志、狭い、ひしゃげた梁のお宅でしたが、なるほど、ここで住み続けたいと仰せになるだけの、情緒ある温かな雰囲気でした。同じようなことを望まれる方は、あの福島でもおいでかもしれない・・・と、私は思いました。

美しいネコを飼われていたこともあって、帰国後、コバレンコさんとネコちゃんへのお礼をお送りしました。お世話になった通訳イリーナさんがお訪ね下さったところ、少し前に、誰の助けもなく、多分助けを呼べずに・・・亡くなっていた、脳卒中だったそうです。

住み慣れた心地よい家・・・ではあったでしょうが、極寒の時期には外部社会との疎通性は、ほとんど途切れることもあっただろうと思うと、胸が痛みます。

同行下さった福島医大広報コミュニケーション室長松井史郎特命教授と、「周りに住む人もずいぶん減ったけど、それは放射線で死んだわけではなく、高齢になったからよ」とお話しされたことを思い出します。そして「綺麗に撮ってくださいね。私も若い時は綺麗だったのよ」と仰せだったと、お悔やみと共に思い出がまいりました。

住み慣れた家で生をまっとうすること・・・をお手伝いしたい、と私どもの在宅看護センター研修は謳っています。が、難しいことだと、改めて思っています。