[会長ブログ ― ネコの目]
老いを生きる ~『昏い水(The Dark Flood Rises)』を読んで

街を歩くと年寄りがあふれていると云うと、いささか偏見っぽい言い方に聞こえます。が、れっきとした後期高齢者である私自身が、自らの存在を含めて、日々、実感しています。そして、周りからは、あなたも一員だよとみなされていることも十分認識しています。

しかし、同世代と思われる方々でも、背筋をピンと伸ばして、さっそうと、とはいえなくともスタスタと歩まれる姿も少なくはありません。よほど突発的でないかぎり、死ぬ時には、必ずどなたかのお世話になることも判っていますし、若くみえてほしいのではありませんが、暦年齢にこだわらず自らの実働年齢をいささかでも壮健に維持し、なるべく余計なお世話はお掛けしないようにとは心がけています。

さてさて、しかし、わが国の真の問題は、超高齢化ではなく少子化です。社会の活性を担う若者層が少なくなっていることからすると、年寄りだといって、年齢をダシにしてのほほんとしておれる時代ではないですね。

そんな中で、なかなかに面白い、読み応えある本に行き当たりました。連休はじめに立ち寄った書店で、本の帯にあった「わたしは死ぬのは怖くない。いつだって心配なのは生きること」・・・に目が止まりました。著者マーガレット・ドラブルの名前は一瞬「??」

この高名な英国女性作家は、私と同年生まれでした。そして、私が医学部を卒業した頃、『碾臼<ヒキウス>』という、たしか「未婚の母」-今となっては懐かしい言葉ですが-になった若い優秀な研究者を主人公にした小説を発表し、一世を風靡しました。が、その本のこともドラブルの名前も、すっかりわすれていましたが・・・

今回の『昏い水』は、とっくに引退世代に達しながら、福祉関係の半分ボランティア的仕事を活発に続けているフランという女性とやり手の外科医だった最初の夫、この二人と、その後の再婚離婚をふくむ人間関係にかかわる人々、そして二人の間の、現代風で型にはまらぬ生き方をしている二人の子どもをめぐるフィクションですが、まるでドキュメンターのように読めました。つまり、実感できるのです。が、小説の中の人々は、大体金持ち、そしてインテリで、悠々自適風の生活を送っている、いわゆる名士的な方々のやや怠惰な暮らし・・・高級マンションやカナリア諸島の高級別荘住まいと云った点は、やはり小説です。

二組のいずれも若い男性に世話を焼かれている、死に近いゲイの老人たちの死ねない生活の一方、あっという間になくなってしまった若い女性のジャーナリストの話。生と死の物語でもありますが、主題は、いくつかの死への道をたどりつつも、なかなか死ねない高齢者の生きざるを得ないEnd of Life物語りです。

だからといって、暗い話ではなく、とにかくヨーロッパのインテリたちの話でもあり、チョーサー、シェークスピア、イェーツ、コンラッド、トルストイ、チェホフ、T.・ハーディなどなどや、ヨーロッパ全体とスペインの歴史、特にいくつもの小説の材料になっているスペイン内乱とカナリア諸島をめぐる世界史的エピソードや火山爆発、津波などの災害・・・と盛りだくさんの話題が、これでもか、これでもかというほど続きます。ちょっと、高校時代の世界史と英語の時間を思い出させました。

タイトルの『昏い水(Dark Flood)』は、主人公のフランが、福祉の仕事で訪れようとした低地の住宅地で遭遇した洪水被害からのようですが、実は、私自身、ジワジワと迫りくる昏い水を感じている日々でもあり、この邦訳タイトルにはちょっとドキドキしました。

読み切るには時間がかかりますが、退屈しない本でした。

昏い水_20180510 (2)