[会長ブログ ― ネコの目]
富士山

久し振りに、午後早い時間帯に名古屋から東京に向かう新幹線に乗りました。しばらく雪・雪・雪の日本列島は、天候も曇りがちでしたが、絵に描いたように美しい富士山(写真3)でした。

日本財団笹川陽平会長の2018年1月10日ブログ「元旦の富士山と家族」では、別荘から雪を戴かない・・・たしかに、変な表現ですが、雪が無いがために却って寒々しい・・富士山の写真とともに、天変地変の前触れでないようにとのお言葉がありました。

先日、ロンドンからの帰国時、日本海から羽田を目指す飛行機からの富士山(写真1、2)には、雪があって、アア良かったなどと思ったのですが、本日は、真っ青の空を背景に、本当に凛として聳えている日本一の富士山を見ることが出来ました。いくら見ても見飽きない美しい山です。

富士川に差し掛かる頃、何だか、周囲がちょっとざわついた感じ・・、読んでいた本から目をあげると、何人かが写真を撮ろうとなさっていました。オオそうだ、富士山だ!と、私も慌てて携帯を取り出した次第です。一点の雲もない・・・と云いたいところですが、最後の噴火で生まれた宝永火口のあたりには、雲がたなびいていますが、それはそれでまた美しいと思います。

最近、世界的に地震と火山爆発が続いていますが、富士山もれっきとして活火山、間もなく7年となる東北大震災や、南海トラフによる巨大地震との関連が云われています。

かつて、災害救援に関与していた頃、日本の110ある火山の経過を調べたことがありました。あまり良く覚えていませんが、富士山が、もっとも活発に噴火したのは1万1千年前から8千年前、その後も4千5百年前から1,300年間も噴火し続けていたとか。といっても、この国にどれほどの人が住んでいて、どの程度の被災であったかの記録がきちんと残されているのではなく、地質学者の世界・・・でしょうか。しかし、西暦800年頃、延暦年間に数年間の噴火、また、東北大震災の震源地が、ほぼ、一致していた貞観大地震の起こった頃、864年には、現在の青木ヶ原が形成され、まだ、それ程開発はされていなかったでしょうが、お江戸に4cmもの火山灰が積もったと記録されています。そして最後の比較的新しいのが宝永の大噴火、1707(宝永4)年です。

宝永年間とは1704年からたったの7年間しかありません。が、この期間は、日本は地震と火山爆発だらけでした。まず、宝永の最初の年(1704年)の4月には、羽後(現在の秋田県辺り)・陸奥(現在の福島・宮城・岩手・青森・秋田を含む一帯)での地震、12月には、九州霧島連山高千穂峰御鉢と桜島の噴火。宝永3(1706)年には浅間山が噴火、翌宝永4(1707)年10月には、わが国災害史上最大とも云われる宝永地震…南海トラフを震源とするマグニチュード8.7の大地震、そしてその49日後に富士山が噴火したとされます。さらに、自然災害ではありませんが、翌年1708(宝永5)年には、京都で1万戸以上が消失する火災、その11月には浅間山が再度噴火し、翌年迄続いたそうです。さらにさらに、翌年には、九州のど真ん中、世界最大のカルデラ火山阿蘇山が噴火する一方、青森県の岩木山と太平洋の三宅島が同日に噴火しています。何とも、不気味な時代でした。

それにしても、1万年前の話は、フンフンと聞けても、18世紀の江戸時代、時は生類憐みの令を発した徳川綱吉の施政下となると、割合身近に感じます。

美しい富士山にうっとりしている間に、列車は東京に近づきました。最近目についた報道では、直下型地震の最大死者数は16,000~23,000名との数字も出ています。毎日1千万以上の人間が活動している、世界最大と云っても良いほどのこの都市、日本の防災体制は、進んではいますが、災害はそれ以上の規模で発生します。

では、どうすれば良いの??ですが、これも笹川会長の1月26日のブログに引用されていましたが、昨年11月30日付け産経新聞に自助の重要性を述べておられます。そうです。災害時のイロハは、自助・互助・共助そして公助です。

富士山は、美しいけれども、ちょっと恐ろしいほどのエネルギーを秘めていることを忘れてはならないのですね。

富士山20180205

富士山220180205

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旅立ち 2017年度「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」研修修了式を終えて

1月19日、日本財団笹川陽平会長のご臨席の下、日本財団在宅看護センター起業家育成事業の4年目の研修修了式を挙行させて頂きました。

会長からの激励、心の迫るお祝いの言葉、

日本看護協会福井トシ子会長(代読 日本看護協会荒木暁子常任理事)、

日本訪問看護財団清水嘉代子理事長、そして

東京大学高齢社会総合研究機構特任教授、元厚生次官辻哲夫先生のご祝辞を頂き、15名は、晴れて、飛翔の時を迎えました。

多数のご来賓とともに、今年は、1、2、3期生で開業済の先輩21名が駆けつけてくれましたので、華やかな集まりとなりましたが、既に地盤を固めた実績ある先輩との交流からは、この事業が、今までとは違う位相に入ったことを実感しました。

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そうです。

4年しか経ってないのですが、すでに30名近い修了生が、日本各地で、それぞれの地域の人々に、適切なケアを、365日24時間、提供し続けています。2015年の1期生の開業以来、すでに総計1万訪問を超えてる在宅/訪問看護の実績が積みあがっています。先輩が積み立ててきた実績の影響もあるのでしょうか、何と、4期生15人は、2月を皮切りに、今のところ、10月までに、全員が開業の予定という超スピード振りです。

皆のさらなる発展を心から祈念すると共に、8カ月の長きをご支援下さった

講師各位、

実習を受けて下さった各施設、

研修生のご家族、そしてこの壮大な事業を見守って下さっている

日本財団に深甚の謝意を申し上げます。

ありがとうございました。

懇親会では多くの先輩が4期生を激励しました

懇親会では多くの先輩が4期生を激励しました

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「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業 起業計画発表会

昨年のNHK大河ドラマは、『おんな城主 直虎』(井伊直虎)でした。日本の中世、戦国時代に、女性が一国一城のあるじであったことが、もし、真実なら、ヨーロッパ中世の女王たちに匹敵する話だと思いました。が、武力社会であるなしにかかわらず、女性がある地域を治めるということは、その人の持つ武力故ではなく、対外的な政治的決断や駆け引き、そして城下の生業を繁盛させ、人々を幸せに治められたかどうかであろうと思いながら、拝見致しました。

毎年のことですが、私の新年初の大仕事は、8カ月の厳しい研修を終え、間もなく一国一城の主<アルジ>になる表記研修生の起業計画発表会です。

2017年6月に始まった4期生15名はすべて女性です。優しげで、過去の医療現場では、さぞや患者ドノやご家族に慕われていだだろうと思われる方々ですが、起業計画発表時には、皆さま、ちょっと目が三角にもなりかねません。それもそのはず、早い方は2月、大半は夏まで、遅くとも10月には、皆、直虎的城主になられるのです。イザ、戦場!!のお覚悟が、今までとは異なるお顔付き、雰囲気となるのでしょう。

発表者も聞き手も、真剣そのものです

発表者も聞き手も、真剣そのものです

15名の看護師が、それぞれ70分をかけて起業計画を発表します。が、質疑応答は、ほとんど看護カンゴしていません。開業地域の人口構成、医療資源としての病院や同業在宅/訪問看護センターやステーションの数、規模、スタッフの資質、そして資本金から経営の在り方・・・喧々諤々、これが看護師の集まり?と思う異質な検討会です。しかし、何故、それまでの立場をなげうって、開業に挑戦するのか、そこには長いあるいは短い看護実践の中で味わった辛い想い、それが故に抱いてきた篤い思いが煮えたぎっています。毎年、ジーンとくる話が続きます。

2014年に始まった本研修の1~3期生の先輩は、男性2名を含め、すでに29名が、北は北海道帯広郊外の音更<オトフケ>から、南は福岡県の3ヵ所まで活動中です。年末年始もなく、日々看護に励み、そしてお看取りもあったとの報告も受けています。

その先輩諸氏の城は、地域社会にあって、医、歯、薬、栄養、リハビリ、介護、その他諸々の保健関連専門家が、どのように、その地域の病める人々や高齢者、障がいのある方を、連帯して支えられるのかを検討すべき「看」護師の城であり、ところによっては、地域の人々の憩いの場になっています。

発表者にとっても8ヵ月の集大成、緊張感が漂います

発表者にとっても8ヵ月の集大成、緊張感が漂います

ところで、ギャラップ調査と云うのを耳にされたことがあるでしょうか?1935年と云いますから、今から80年以上も昔に、ミスタージョージ・ギャップという方が設立された世論調査の研究所(アメリカ世論研究所 American Institute of Public Opinion)が基だといいます。Public opinionと云う言葉も今でこそ、人口に膾炙していますが、この辺り、やはり民主主義が基本にあるアメリカの公開性といった風潮には感心します。民間の一企業の調査でありながら、とても高い信頼を得ているのですが、そのギャラップ調査の2017年の最後の報告です。

看護師が、最も正直で倫理的専門家として、悠々トップの地位をまもった(Nurses Keep Healthy Lead as Most Honest, Ethical Profession)と報じています。

看護師に次ぐのは、軍の将校、小学校の先生、医師・・・と21の職業の中のトップです。トップだから良いのではなく、看護師の仕事振り、態度、役割が良いからトップなのです。

さって、本日も今から起業計画の発表会です。私もイザ戦場へ!!

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新年のご挨拶

明けまして おめでとう ございます。

本年、仕事始めが本日になりました。少々、遅めのご挨拶ご海容を。

 

新しい年、財団創設の所以であるハンセン病については、日本財団と連携のもと、世界のどこにあっても、新たな発病者、感染者が一人でも減ること、この病気をめぐる偏見や差別、貧困との関連といった社会的問題が少しでも軽減すること、そしてこの病気をめぐる歴史を顕彰し、地球上の人間が等しく生命と健康およびそれを護る保健手段を享受できることを目指します。

次に、ますます厳しさを増してきたわが国の保健体制への関与では、国内のケア人材育成です。日本財団在宅看護センターも、お蔭様で、30カ所(内 看護小規模多機能型居宅介護事業所<看多機>2)ですが、2018年中には50カ所が見えてきました。365日24時間、いつも何処かの地域、ご家庭で、仲間がケアを行っている・・・

今年は、それを海外に発信したいと思っています。

 

2018年も、鋭気と英気を養った財団一同、新たな挑戦を行います。

引き続きのご支援を、切にお願い致します。

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年末のご挨拶

年がかわったって、どうってことない・・・などと、シラケ世代もあるやもしれませんが、年がかわることや、季節のそれぞれに応じた行事や催しが、安定した地域社会にとても重要なものだと思うようになったのは、紛争地で勤務した頃です。地域紛争が長引いている、殊に貧しい国の、更に貧しい地域では、日本なら、どこにでもあるような、お祭りや近隣の人々の集会が根付いていないように思いました。

初詣、節分、雛祭り、お花見、衣更え、お盆、そして盆踊りや花火大会、秋祭りが、地域の安定に如何に大事なものかは、それがない地域で、初めて判りました。それらの思い出が、その地の歴史、風習と個々人の思い出と連帯をつくるのです。

米大統領が、やや唐突に、「エルサレムをイスラエルの首都とする」と一方的に宣言しましたが、この地はユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教という3大一神教のいずれにとっても聖地です。今のところ、この宣言に続く大きな紛争は発生していませんが、それぞれの宗教を信じる人々にとっては、有史以来の心の聖地にかかわる問題ですから、この政治的決定が、すんなり収まるとは思えません。

 

色々なことがあった2017年も終わります。

弊公益財団法人笹川記念保健協力財団は、本年、財団機構改革と新人事、事務所の一部改築がございました。が、財団設立の所以である世界のハンセン病制圧とその歴史を顕彰する事業および在宅/訪問看護センター起業家育成プログラムを加えたケア人材の育成他、諸所のニーズに呼応した国内外への公衆衛生的関与に関しては、日本財団様のご支援とご協力を仰ぎつつ、粛々としかし熱意を込めて行ってまいりました。

年がかわっても、その態度と努力は変化致しません。

 

ここに、皆さまからの本年中のご支援ご指導に感謝いたしますと共に、

皆々様各位におかれましても、本年の良き思い出とともに、恙なき2018年をお迎えになられますよう、財団一同、こころから祈念致します。

 

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仲間の「看多機」が兵庫県知事賞受賞!!!嬉しい日々・・・

先週、日本看護協会福井トシ子会長の、豊富な情報量と受講生を鼓舞するに余りある講義をもって、年内の「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」の予定は恙なく終わりました。新年の数日の講義後、起業計画を発表して4期生たちは、看護力をもって社会を変えうる起業家に、めでたく変身致します。志を等しくし、8カ月の長丁場を切磋琢磨し、同じシンボルを掲げる在宅/訪問看護の拠点が、後1年以内に50カ所に近づきます。嬉しいことです。

その中で、ビッグニュースが飛び込みました。
兵庫県の、「こうのとり」で有名な豊岡市で開業後、ユニークで活発な活動を続けている「一般社団法人ソーシャルデザインリガレッセ(代表理事一期生大槻恭子氏)」が、兵庫県知事賞を受けました。ブラボーです。

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今回の受賞は、「先進的な福祉の形!! 看護も提供できる」と、看護の力が認められたことを、大変うれしく、また光栄に受け止めました。写真のように、リガレッセのもつ看護小規模多機能型居宅介護(以下、看多機)サービスは、本物の古民家を再生しています。ただ、建物の修復だけでなく、そこに新しい取り組みが落とし込まれている・・・つまり、古民家再生が単なる物的再生、飾りものではなく、地域で営々と続いている生活と結びついている、たとえそれが生の終焉への道であろうとも、そこに人々の生きてこられた証と想いがあり、そして看護がある、ということです。嬉しいことに、「大槻さんならではの取り組みである」とのお言葉も頂けたそうですが、この様な古民家再生+看護力による地域の生活支援的取り組みがさらに増える事を期待しての賞だとも言われたそうです。

建物の審査・・・これは建築家の仕事でもありますが、看多機すなわち、地域の人々が尊厳をもって人生を締めくくられる場としての構想は、大槻さんのお考えですから、両者の連携です。現場としてのリガレッセでは、建物の審査だけでなく、1時間以上のインタビューと調査があったとか、大槻さん本当におめでとう!!

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さて、「リガレッセ」とは、リガーレ(rigare 繋がる、紡ぐ)とエッセ(esse 存在)というラテン語2つの合成語だそうです。そして、丸ァルいシンボルマークは、ボタンボウフウをデザインしたもの。大槻さんによれは、その花弁が細かく繋がり紡ぐ様をデザインしてあるそうです。そのボタンボウフウの花言葉は 「長い時間のつながり」であり、大槻さんは、1人1人の存在と生命<イノチ>を尊重し、この花のように、人と人、場と場を繋げ、紡いでいく存在でありたいとの想いをこめてデザインされました。

看多機は、現在、日本で300を超えていますが、端的に申せば、医師のいない診療所(ベッド数20床以下が診療所、20以上は病院)とも申せます。経験を積み、それなりの研修を終えた看護師が、外部の医師や医療施設との連携のもと、専門的な「看護/ケア」を行います。高度で侵襲度の高い医療行為はありませんが、穏やかに、個々人の生命力回復力を尊重した医療が行われるところです。大槻氏は、在宅/訪問看護センター開業後、早い時点で看多機を立ち上げられました。といっても、看多機は、地方自治体の指定が必要なので、実際には、開業準備中から、看多機をも想定した行動をとっておられました。

約8カ月経ったリガレッセで、最期をお迎えになられた方は早5名だそうです。そして、そのすべての方々が、特に幼少期をリガレッセ辺りですごし、遊び場としてこられ方などは、他所の施設は拒否されても、懐かしい思い出のある故郷の古民家での療養を受け入れられ、それをとても誇らしげに話されたそうです。中には相当頑固親父であった方もおいででしたが、誰かれなく面会者に、「ここの、この木は素晴らしい」とか、思い出の様々な人生物語を紡がれ、眠るように逝かれ、ご家族からは大満足の最期だったとのお言葉があったとか・・・築150年、旧家の止まっていた時が、また流れ出したことに、にんまりとされる地域の、かつての腕白たちの笑みが感じられるとは、スタッフご一同の感想です。地域社会に、地域の個々の人々に看護が役立っていることを実感します。

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2017年も、色々なことがありました。そして、国際的にも、不穏な様子は改善していません。しかし、私たちは生きて行かねばなりません。生きている限り、人として、他の人、社会との関わりは止められません。そんな中で、医療施設で、街の中で、地域社会の中で、看護師諸氏が、活動の場を広げて下さっていることを嬉しく実感できる日々です。来年も頑張ろう!!

 

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「在宅」看護と「訪問」看護師

私ども笹川記念保健協力財団は、2014年から、日本財団の支援を得て、「在宅看護センター」を安定的に継続運営できる起業家看護師の研修事業を始めています。HP(http://www.smhf.or.jp/hospice/zaitaku/)に記載していますように、今までに35名が研修を修了し、29名が開業しています。

事業タイトルを「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」と銘うった理由です。まず、大きなアンブレラ(傘)としての私どもの親財団日本財団からは、資金的またさまざまな便宜とモラル支援を頂いていますので、それを頭においた「在宅」看護センターネットワークの構築を目指す意向を示しています。ただし、ネットワークは排他的なものではなく、また、何ら各センターの活動を規制するものでもなく、同じ釜の飯を食べた仲間の、緩やかな連携体です。将来の発展を共に意図し、また、当財団としても、日本財団とともに、出来る支援を行うための、超緩やか連帯です。

ついで、「訪問看護」ではなく「在宅看護」を使った理由。これは多少の検討を致しました。診療の一線では、訪問看護、訪問看護師という言葉を耳にすることも多かったのですが、教育施設、大学では「在宅」看護を標榜しているところが多いというよりほとんどでした。

次いで学会です。医療に深くかかわる医師と看護師の学術分野には、それぞれ同様の学会があります。小児科学会と小児看護学会の類いです。在宅を標榜する学会には、日本在宅医療学会、日本在宅ケア学会、日本在宅医学会そして日本在宅看護学会がありました。在宅関連分野だけでなく、緩和医療・ケア関連の学会では、多職種が混然一体で、関心がなければ、また、必要でなければ、自発的に会費を払ってまで、侵入することはありませんが、今や、医師のみとか、看護師以外は排除するといった差別的なことは無視して良いと思います。そして、これらの分野は、狭く深い専門性とは異なる広い範囲に関わる学際的な専門分野と考えられます。もちろん、一方には医学や看護学のそれぞれの特性を顕著に示す分野もあり得ます。迷いました。実践の場では、訪問看護という言葉が広いし、教育や学術的集会では在宅・・・どちらを使うか、ホント迷いました。

次に外国、英語はどうか、です。色々ありましたが、結論的に申しますと、Home Care NursingつまりHome家庭におけるCareケアのためのNursing看護が一般に広く使われ、ここではHomeがキーワードと判断しました。つまり在宅での看護です。

最後に、患者中心の医療/看護です。訪問看護といった場合は、看護師が訪問するイメージに対し、在宅看護といった場合は、家にいる病者、つまり患者中心のイメージにつながる・・・と、大いに苦しい言い訳的理解を加えて、「在宅」看護のための拠点センターという命名に致しました。在宅で療養する人々の許に、訪問看護師が訪れて行う看護・・・という訳です。

今頃、なぜ、こんなことを取り上げたかと申しますと、目下、標記研修の4期生15名は、数日を残すだけの講義を終えますと、1月中旬、起業計画の発表に入ります。いわば卒業研究の発表です。めでたくクリアした後、1月19日には、日本財団笹川陽平会長のご臨席を賜り、修了証書が授与されます。そこからは一人の起業家として、社会と対峙します。

手前味噌ですが、この研修では、錚々たる、実に素晴らしい講師方から、長年のご研鑽の成果とご経験に裏打ちされた英知を、惜しみなく頂けます。

・・・のに、まだ知られていないのは、広報が下手だとご指摘を受けました。その一つに在宅看護よりも、訪問看護のほうがネット上では行き渡っているのではないか、HPなどに、是非、訪問看護の文字を散りばめるべきだとの忠告もありました。

そのご提言を受けて、HPにはこれから、在宅看護と訪問看護を併記するように致します、という次第です。実態は同じなので、どうでも良いように思いますが、新規事業のブランド名は、名は体を表しますので、重要だと思って、真剣に考えた結果・・・ですが、より多くの方々にご関心を持って頂くためには、広報に力を入れるべき、ここは素直に修正致します。

ただ、「在宅」看護を標榜していますが、「訪問」看護を名乗っておいでの方々、施設を排除したり、対抗したりする意図は毛頭ありません。一緒に、今後の日本の地域社会を支え、人々のニーズに応え、安心と安全を保障できる看護師が増えて欲しいと願っていることに変わりはありません。

目下。次年度5期生募集中です。広報よろしくお願い致します。

[会長ブログ ― ネコの目]
ロンドン その3 ロンドンの三線<サンシン>

今回のロンドンは、2日間のCTB会議後の週末も滞在しました。直後、ニューデリーでの会議に立ち寄ったためですが、その間、博物館と古書店をめぐり、ハンセン病の歴史情報を探したいと思ったのです。かつて、「ロンドンの失われた病院:ハンセン病療養所(The Lost Hospitals of London:Leprosaria)」という講演がロンドン市立博物館で行われたこともあって、3つの博物館を訪ねましたが、「病気」関連の展示はあっても、ハンセン病はなし。ちなみに、同博物館では、中世、猛威を振るったペストに関しては興味深いビデオや資料がありましたが、ハンセン病はなく、この病気がforgotten<忘れ去られた>と云われる所以を垣間見ました。

さて、ロンドン報告最後は、旧職看護大学卒業生の久代さん・・・現地ではSayoサンご一家との対面です。

2001年開設の大学一期生、つまり18年前に初対面したSayoサンは、イギリス人のMark氏と結婚して以来、ロンドン在住です。こちらで会うのも2回目ですが、前回は、まだ赤ちゃんだった嬢ちゃんが5歳、そして2歳の坊やも増えて、二人の雰囲気は何となくロンドンっ子風、イギリスでは5歳から小学校が始まるので、その影響もあるのでしょうか。とは申せ、二人の間に、常に和平があるわけではありません。Sayoサンは、日本語と英語でほめたり叱ったり・・・といっても、頭ごなしにではなく、きちんと話して納得させる姿は、これは万国に通じて欲しい立派なママさんでした。

さて、パートナーのMark氏は、公立学校で英語を教えるプログラムで来日、2006年にSayoサンの郷里熊本の小中学校で教鞭をとられました。英語弁論大会に出場する生徒の指導をなさる間、単に表面的な発音や訳でなく、言語を通して子どもたちと協働すること、言葉を手段に子どもの才能を発展させることに興味を覚えられたそうです。3年後、イギリスに帰国しSpeech and Language Therapyの修士コースに進み、日本式には言語聴覚療法士に類する修士号を獲得された後、国家保健制度NHS(National Health System 日本の国民皆保険制度と同様の仕組み)に就職され、以後、自閉症や言語障害を持つ子どものコミュニケーション能力を高める専門家として働いておられます。

今回、直々にうかがったところ、その活動範囲と程度は、日本の言語聴覚療法士に比し、はるかに広く深いようで、言語を手段に積極的に子どもの才能を開発する、特殊な教育家の仕事と理解しました。

閑話休題。

実は、Mark氏が、三線<サンシン>が上手だということは知っていましたが、上手とか下手といった趣味の段階ではなく、恐らく、現在のイギリス国内では第一級の演奏家だと判りました。

沖縄の三線<サンシン>は、三味線の先代?ですが、15世紀頃に中国福建省から当時の琉球にもたらされたとされています。動物愛護者、特に愛猫家の私は聞きたくない話ですが、三味線の胴部分は猫・・・最近では犬も使われているそうです・・・に対し、三線は蛇の皮なので、蛇三線<ジャミセン>とも呼ばれます。いずれも、撥<バチ>で弦を弾いて音を出す、いわゆるリュート楽器に属します。わが国では、例えば源氏物語の中に楽器を奏でている姿が描写されていますが、これは弦の数が多い琵琶です。これも同様の楽器です。琵琶は、ややおっとりした感じ、あるいは平家物語の語りなど、悲壮感を醸すのに対し、三線はポップな楽器だと私は思っていますが、その昔の琉球王朝では、教養ある男性の嗜みの一つが三線を奏でることであったとか。

さて、Mark氏は、熊本ご勤務時代に、三線を弾く日本人にあったと思召せ。それが沖縄への興味に繋がり、持ち歌三線練習を始められた・・・多分、ある時期、わが国のどこかでは、「変な外国人」だったのかもしれませんが、現在、ロンドン沖縄三線会の紛れもない立派なリーダーです。と、ここまでは、個人レベルの嬉しいビックリでした。

もっとびっくりは、日本語が堪能なMark氏が、「ワタシィ、ササカワにご縁がありまして・・・」とおっしゃる。笹川記念保健協力財団は、生憎、三線にも言語学にもご縁がありませんので、当然、私は「??」

が、お話をうかがって納得。ササカワはササカワでも、彼のおっしゃるササカワは、グレートブリテン笹川財団(The Great Britain SASAKAWA FOUNDATION, GBSF)でした。

実際に、申請書も見せて頂きましたが、2009~2013年の間、Markが指導的立場を務めるロンドン沖縄三線会、英国沖縄県人会が毎年6月に主催する「沖縄day in London」の資金の一部がグレートブリテン笹川財団からだったという次第です。なるほど、YouTubeのLondon Okinawa dayを検索しますと、懐かしい沖縄民謡が流れています。

私のお願いに応え、Mark氏が三線を弾き謡い、Sayoサンが手踊りを、5歳と2歳のジュニアが小さな太鼓と手拍子をあわせてくれました。音楽・・・芸術に国境はないと、実感しました。

お手製の夕食は、とても美味しいイギリス伝統料理シェパードケーキでしたが、Sayoサンご一家には、こうしてロンドンっ子部分と、Mark氏のご両親のルーツの一方であるスウェーデン部分と、熊本と沖縄が混在した多文化が心地よく調和していました。

日本の看護師助産師資格を持っているSayoサンは、いずれ、この国でその専門性を活用するでしょうが、ご夫婦の多文化が適切に混和されつつ継続し、新たな文化を生み出すこと、そのような変容が民族の和、そして世界の平和を強化することになるのだろうと、スーパームーンの道をMark氏の車に送られながら、とても幸福感に満ちた一夜でした。

※)とても「美味しいイギリス伝統料理シェパードケーキ」について、Sayoさんから注意がありました。ケーキではなく、シェパードパイですよっと。料理下手で知識もない・・・私のミスです、失礼しましたとお詫びしました。

サンシン

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ロンドン その2 チャリング・クロス街84番地

タイトルに番地がつく書籍や映画は沢山あるように思いますが、とっさに思い出すのは、「チュウチュウ通り何番地」は、ネコイラン町(つまり猫不要町)のハツカネズミの童話で、何番もありました(アマゾンを確認しましたら1~10番)。「9番地のチャールズのおはなし」は犬。ネコの番地付きは思い出せませんが、「夜廻り猫」は、ちょっと訛り言葉をはきながら、庶民の街に出没する平蔵、重郎ネコの人情噺、癒されます。ボチボチ思い出しました。ジェフリー・アーチャー「めざせダウニング街10番地」は、ビビッドな政治スリラー、街では「モルグ街の殺人事件」、広場では「メイフェア・スクエア7番地」は幽霊の話、都市では「二都物語」は、もちろんディケンズ。道では司馬遼太郎の膨大な「街道をゆく」、「2丁目3番地」は倉本聰・・・

「チャリング・クロス街84番地」という本があります。
1969年、初めてロンドンに来た折、チャリング・クロス街はまだ観光案内書にかかれていた古本屋街でした。確かに、本屋さんが並び、時代がかかった金文字題名の全集が並ぶ店もありましたが、まだ、駆出しの医師で1ドル360円の時代・・・買ったのは衛兵の絵葉書だけでした。

江藤淳訳「チャリング・クロス街84番地」を古本で見つけ、読みました。
ニューヨーク在住の脚本家で、仕事上もありましょうが、まことに重症の読書中毒症であるらしいへレーン・ハンフと云う女性が、『サタデー・レビュー』で見た絶版本を扱うロンドンの古書店街チャリング・クロス街84番地のマークス社に、欲しい書籍のリストを送るところから始まる往復書簡を翻訳したものです。

これに対応した、とても律儀な(古い言葉ですね!)マークス社のフランク・ドエルの返信は、「マダム・・・」とはじまります。第二次世界大戦後の20年間、正確には1949年10月5日から1969年1月8日の間の往復書簡です。

今年のチェルノブイリ会議(前回参照下さい)時に、チャリング・クロス街に行こうと思った理由が三つあります。まずは、弊財団に職を得たことで、ハンセン病対策にたずさわる機会を得たが、財団活動のひとつである歴史をたどっている内に、中世ヨーロッパのハンセン病の状況、就中、当時の療養所はどんなだったのかを少し詳しく知りたくなり、ヨーロッパの古本・・・チャリング・クロス街を連想したこと、たまたま今年のCTB会議後、ニューデリーに立ち寄るため、別件を含め、週末のロンドン滞在が可能になったこと、さらに、観光案内からチャリング・クロス街がもはや古本街でなくなったことが分かったので、その代りともされるCecil Courtという地域を探検したいことでした。

昭和59(1984)年翻訳の「チャリング・クロス街84番地」は、訳者江藤淳の言葉づかいの所為かもあって、とてもクラシックな時代を感じさせます。それ以上に、第二次世界大戦勝利国アメリカのやや繁栄ぶりがしのばれる状況と、後の首相チャーチル以下、欧州戦線を戦い疲弊しつくして、食糧は配給制であったらしいイギリスの比較、そして、まだ、往時の世界最大の混乱が収まっていない時代にあっても、書簡を交わしている2人(マークス社の方は徐々に多数者が関与しますが)のような教養と知性を備えたが人々が確として存在していたことなど、とても興味深い小冊子です。

まず、口火を切ったへレーンは、仕事柄もあるのでしょうが、生活費以外の収入のすべては本につぎ込むような読書家であるだけでなく書籍そのものに愛着がある、そして優しい女性です。1949年12月8日(たまたまですが、真珠湾の日!)、最初の注文書発送からたった2ヵ月、ほんの2、3通の注文書や発送連絡、支払やり取りしかない頃に、また、まだ、相手がどんな人が判らないFPD(フランク・P・ドエル)という頭文字のマークス社スタッフに、クリスマス用にハム3kgその他を送ります。その、やや押しつけがましい贈り物の言い訳に、ニューヨーク在住イギリス人の情報として、「お国では食糧が配給制で、肉は一週に一世帯当たり60g、卵は1ヵ月に一人1個・・・」だから、ささやかながらプレゼントすると理由を書いています。

配給・・・などという言葉も懐かしい古語ですが、私は、子どもの頃、配給切符をもって小麦を受け取りに行った記憶がありますので、イギリスもそうだったのか、と感慨を新たにしました。このようなとても優しく、困っている人がいると何かしたくなる・・・ちょっと浪速のオバサン的お節介屋サンのようなへレーンの書籍に対するズケズケした批判やハム効果もあったのか、真面目な応答に終始していたFPDだけでなく、他のスタッフも手紙を交わすようになります。

この当時の古書の代金が、また、1ドル80セントとか、1ドル15セントとか・・・世界がバブルを経験した現在と異なる貨幣価値が偲ばれます。次第に、顧客の好みに合いそうな稀覯本を送るようになったドエル、女性スタッフにナイロンのストッキングを送るへレーン、両者の関係性は仕事を離れたレベルに到り、何時かお金をためてイギリスに行きたいというヘレーンに対し、自宅を提供するという古書店のスタッフ。しかし、両者の関係は、ドエルが1968年12月15日、盲腸が破裂し、腹膜炎を起こして急死することで終わります。昭和43年(1968年)、小児科医になった頃、日本でも盲腸炎から腹膜炎はあった・・・と思い出しました。大西洋をまたいでへレーンとフランクたちの手紙が往来した20年は日本の昭和24~44年、私は小学生から医学部を卒業し、新米小児科になった間に当たります。

私が、チャリング・クロス街に行った頃、この本のエピローグが書かれています。
歴史・・・は、時代がかった政治家や将軍だけがつくるのではなく、どの街にも生きた人々の証があり、それが歴史なのだと思います。

さて2017年12月のチャリング・クロス街は、残念ながら、観光客がうろつく繁華街、予測通り、古本稀覯本にはめぐりあえませんでしたが、それもまた歴史ですね。

プレートドア

[会長ブログ ― ネコの目]
ロンドン その1 CTB(チェルノブイリ 甲状腺組織バンク)会議

私ども笹川記念保健協力財団が、1986年4月、旧ソビエト連邦ウクライナ地方で発生したチェルノブイリ原子力発電所の事故後、飛散した放射性物質に汚染された人々、とりわけ子どもたちの健康状態、ことに甲状腺がんの発生状況を調査する支援に従事致しました。その後、ソビエト社会主義共和国連邦は解体し、構成国15カ国中の12の国はゆるやかな国家連合体Commonwealth of Independent Statesを形成し、ソ連は国そのものが消滅してしまいました。が、チェルノブイリ事故のフォローアップは必要です。現地の医療支援だけでなく、学問的にも多国籍の多様な関係者の努力が現在まで続いています。

財団は、イギリスのImperial College Londonの病理学教室ジェリー・トーマス教授が主宰されてきたがん化した甲状腺組織と、その情報を管理するチェルノブイリ・ティッシュ・バンク(チェルノブイリ<甲状腺>組織銀行)プロジェクトを支援させて頂いてきました。甲状腺組織のバンク=銀行は、血液バンクと同じ云い方、Chernobyl Tissue Bankの頭文字をとって、通称CTBと呼んでいます。ここでは、チェルノブイリ原発事故に起因すると思われる甲状腺がんの組織、それに関連する世界最大にして唯一の情報があります。そしてそれらの甲状腺組織や情報は、ロンドンの大学にある、小さなCTBの部屋から世界の学者に共有し、研究する資材として提供されています。

毎年、初冬の頃、現場で被災者対策にも従事されたロシアとウクライナ(以前はベラルーシも参加していましたが、今は中断!)の学者と、このプロジェクトの大口ドナーであるアメリカ国立がん研究所の研究者と、それよりは少額ですが、かつてのチェルノブイリ現場支援に続き、長年の支援をしているわが笹川記念保健協力財団が集まって、1年間の経過報告、次年度計画を審議します。などと、偉そうに申していますが、甲状腺という内分泌器官に関しても、放射線医学に関しても、ほとんど関与した経験のなかった私なので、全容を把握するのは、とても大変でした。1、2年は会議が近づくと、ちょっと頭痛、腹痛気味で、登校拒否したい小学生みたいな気持ちもありましたが、そこは、財団で長年チェルノブイリを担当してきた顧問に助けて頂きました。

ただ、原発は相当数あるけれども、日本であんなことは起こるまいと思っていた・・・ことが、残念なことに、東北大震災時、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起こりました。そんなこともあって、このプロジェクトに関与させて頂けることは、私にとっては、とても大事な責務となっています。

また、プロジェクトの責任者であるジェリー教授や関係者は、福島原発事故後、何度も訪日され、チェルノブイリ原発事故から得られている事実を、科学的に、判りやすく(と云っても英語ですが)、繰り返し、解説して下さっています。それは、単なる「心配ない!!」ではなく、何故、心配しなくてもよいのか、また、今後も何に留意していくべきかという、エビデンス(証拠)に基づいた丁寧な説明を関係者やメディア、時には住民にも行って下さっています。もちろん、このような関係が成り立っているのは、長年のわが国の関係者との連携、信頼、友情があるからだと申せます。

昨日、まず、アメリカ国立がんセンターと私どもという資金援助を行っているドナーと、プロジェクトの責任者であるImperial College London教授の3人で、予算額、その執行状況と成果、今後についての会議を持ちました。本日は、ロシア、ウクライナの研究者を含む全体会議です。

一日、緊張の中ですが、また、新しいことを知る機会・・・ちょっと楽しみな気持ちが沸いてくるのは、少しゆとりが出てきた・・・と自負していますが・・・・

CTBドナー会議 ゲイリー・トーマス教授と 

CTBドナー会議
ジェリー・トーマス教授と

Imperial College Londonの象徴 イルミネーションされた女王

Imperial College Londonの象徴
イルミネーションされた女王様の塔

 


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