[会長ブログ ― ネコの目]
先週は、燃えました!

先週は、日本財団の燃立つような、多様にして、奥深く、しかし時代を斬り裂き、まるで異次元を経験させられるような、とにかく斬新だけれども、こころに突き刺さる催し「群」に逆上<ノボ>せておりました。また、その余韻から抜け出せていませんが、アポリネールの詩のように、そんな私を残して時は流れ去ります。

さてと、それぞれの催し!モヨオシの私風サワリを。

まず、ParaFes 11月15日、両国国技館でパラリンピックを盛り上げる・・・という目的があるとすれば、どんな方が、どんなパフォーマンスをなさるのか、と思いますが、まぁ、舞台装置?でしょうか、まるでニューヨークのブロンクスとか、ロンドン郊外のヒップホップの聖地・・・行ったことはありませんが・・・みたいな、私みたいな後期高齢者には、場違いな雰囲気を感じておりました。が、驚きは続々です。最初の口上が、今をときめく歌舞伎役者 中村壱太郎(なかむらかずたろう)。

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中村壱太郎氏

きれいですねぇ、張りのある鍛えたお声で、催しをご披露、パラリンピックを解説されました。から始まりこちらも今をときめく俳優 斎藤工と共にパラリンピック代表選手による競技内容と用具の紹介、盲目のピアニスト木下航志と両腕のないピアニスト兼ギタリストジョナタ・バストスの共演、身近な音を使ってのパフォーマンスが独特だったHIFANA、そしてこの度紅白歌合戦に出場が決まったWANIMA(ワニマ)のライブと続き、大盛況でした。(ParaFes 2017

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斎藤工氏

週末は、日本財団ソーシャルイノベーションフォーラムSIF。

昨年からのプロジェクトで、今年も開会式典は笹川会長と、こちらも、今をときめく小泉進次郎代議士、そして長谷部健渋谷区長。それぞれお三方の面白く、イノベーティブなお話にはまりました。

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小泉進次郎代議士

面白い・・・はゲラゲラ笑うというのではありません。それぞれの事象には多様な切り口があり、多様な人々の多様な考えや取り組みで、世の中に変化を起こすというヒント満載の、興味深い発表が同時並行、どっちを選ぶか、迷った人も多いと思いました。来年は、プログラムの組み方を考えて欲しいですね、などと贅沢を言ってはいけませんね。(日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2017

二日目は、私どもがお世話している日本財団在宅看護センター起業家育成事業の研修生4人と、救護室ボランティア。何事もなく、無事に。

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私は、子ども・教育をキーワードに幾つかの発表をマーチさせて頂き、まだ、頭の中はパンパンです。しっかり咀嚼吸収せねばなりません。とっておきの写真も是非ご覧ください。

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「知ろう、考えよう、伝えよう」ハンセン病の歴史から学ぶ人権

この素晴らしいタイトルは、遺憾ながらハンセン病対策を行っている私ども笹川記念保健協力財団の催しのそれではなく、昨日2017年11月12日、長崎大学文教キャンパス中部講堂で開催された『文部科学省未来医療研究人材養成拠点形成事業「リサーチマインドを持った総合診療医の養成」』の一環として開催された『長崎大学「夢への架橋」チャレンジ・プロジェクト 学生企画』の市民公開講座のものです。

もひとつの感動は、まるでわがハンセン病対策プロ(と自称?の)財団主催のような会を企画運営してくださったのが、長崎の二つの大学の学生諸氏だったことです。

もちろん、長崎大学は、長崎大学大学院医歯薬学総合研究科 地域包括ケア教育センター長永田康浩先生、長崎純心大学は医療・福祉連携センター長潮谷有二先生が関与しておいでではあるのですが、お二方とも、要所要所のお気配りはみえましたが、学生諸氏のお邪魔にならないように、ちょっと控え目すぎるくらいに紛れておいでであり、それも新鮮な感動でした。で学生諸氏とは、長大の医学部医学科、保健学科、教育学部、純心は地域包括支援学科という2大学各専門分野からの男女が混在する長崎多職種連携・たまごの会のメンバーです。

タイトルの、知るの「知」、考えるの「考」、伝えようの「伝」の文字を入れたパワーポイント発表も、素直で、しかし深い洞察のある、学ぶこと多い発表でした。

ハンセン病は、確かに数十年前に比べて新患の数は減りました。が、この病気をめぐる問題は、まだまだ、奥深く、解決には長い道程があります。忘れられた熱帯病と呼ばれる一群の疾患の中でも、さらに忘れられがちとされるが故に、日本財団笹川陽平会長は、WHOハンセン病制圧大使として、今日も明日も、世界をめぐって啓発活動されているのです。が、ここ長崎で、日本の若者が、自ら立ち上がって、問題の本質に取り組んで下さっていることを目の当たりにして、本当にうれしく、誇らしく思いました。

数十年前の、世界の新患が毎年何百万の時代からみると、多剤併用療法によって、また、多様な啓発活動の成果もあって、現在の世界のハンセン病新患数は、毎年20数万に激減しています。しかし、この病気をめぐる生物医学問題もハンセン病問題という社会倫理的問題も、まだ、解決には長い道程があります。が、日本の若者は、それに立ち向かっているのです。

混とんとする世界の中で、人権や平等、また民主主義は公正と云った、みえないものの価値を追及する若者がいる国、日本を改めて誇らしく思いました。
皆さまありがとう。

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お風呂-在宅看護と入浴介助

今日は立冬です。立春、立夏、立秋もありますが、冬の入口を示す立冬こそ、私にはピンと来る季節の区切り目です。と申すは、冬は鍋料理のシーズン到来を歓迎する気持もあります。そして、もう一つの冬好き理由はお風呂、そして温泉です。

海外勤務時、また、短期でも、いわゆる途上国の、それもかなり田舎的地域を訪問しますと、バスタブ湯船はまずない、そして毎日キチンとお湯が出ることはまずないのです。食べ物、習慣その他治安も含め色々ありましたが、それらに文句は申しません。が、ゆっくり湯船につかりたい・・・温泉にゆきたなぁと思ったことは何度もあります。左様、ワタクシは遊女ならぬ湯女です。

ある国のある地方で、お風呂と云うより、入浴と云う習慣がないと聞きました。皆様、一見、こぎれいな民族衣装ではありましたが、そこはかない独特のカオリであったことは事実、ここに生まれていたら、私も一生お風呂に入らなかったのだろうか・・・ちょっと想像を超えていました。

さて、私どもが行っている「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」は4年目の後期講義が昨日から始まりました。2カ月の講義、3カ月の実習を終えた研修生諸氏は、一段と起業家マインドを固めて下さった様子、きりりと引き締まったお顔がそろいました。

そんな中、先輩からお風呂がらみのメイルがまいりました。

『認知症で、一年以上も前から、入浴なさらない方がおいでだったと思召せ。

理由は、入浴したお積りになられているため、どんな看護師が訪問し、どんなにあの手この手を尽くしてもだめ。「オ風呂?ハイッテイルワヨ!!」とおっしゃり、お風呂場までお連れすることも叶わなかったそうな。看護師たちは、足浴をし、お化けの指先(見た事あるのでしょうか?)のようにひどい形に固まったままの足のユビの爪を整え、出来る限りのケアをしつつ、疎通性をつける努力も続けました。当然、頭髪はドレッドヘア(細かいカールやウェーブをいっぱいかけたチリチリの縮れ毛を三つ編みにしたスタイル、アフリカ系の人々やレゲエミュージシャンに多い個性的へアスタイル)様で、何とかかんとか、なだめすかしてドライシャンプーを行うのが精いっぱいであったそうな。

私どもの研修修了生が運営する在宅看護センターのスタッフたちは、1年間、心を込めたケアと共に話しかけ続けました。

終に大きな変化が起きました。なんと、その方がデイサービスにいくことを了承し、そして1年ぶりに入浴されたそうな、勝利の入浴介助の栄誉を得たのは、スタッフのどなたかは書いてありませんでしたが、うれしい涙の報告が参ったのです。たかがオフロ、されどオフロです。

背後には、看護師の訪問なンぞ不要!と仰せだったご主人さまが、看護の威力に目覚められ、看護師の行うケアに納得、理解を示されるようになったこともあるそうですが、1年かかりましたが、デイサービスとともに、今では看護師たちの訪問を楽しみに待たれるところまでこぎつけたと。他人の手を借りることも悪いものではないとの認識から、やっとその方らしい生活が戻ってきたらしいところです』と、報告してくれました。

誰でも年をとることは止められません。誰も認知症になりたいと思ってなるのではありません。誰も頑なな老人になろうとも思ってはいません、少なくとも私は。けれども、徐々に、私たちは厄介な年寄りになってしまいます。さらに、そうなったら、それを解決するすべはないのでは・・・

この女性、頭髪がドレッドヘアからストレートに戻ったように、意思疎通の覚束ない頑固一徹の、少し困りもの生活から脱して、静かな最後の人生が始まっているのではないかと思います。看護の勝利!ですね。

日本財団在宅看護センターの一つを経営する、まだ、若きセンター長は、「在宅看護で出来ることはほんの小さなことごとで、多職種連携なくしては、このような方を支えられません」ともメイルに記載しています。そして、「自分たち看護師だけで、すべてのことをやろうと思うのは無理だとの前提で、他のサービスとうまくコーディネートできれば・・・」とメイルは結ばれていました。

冬至には、ゆず入りのお風呂に入ろう、差別用語ですが、<ボケ>封じと云われました。では、そうなっている人には、どんな効果があるのか、メイルの続きを待ちましょう。

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帯広の紅葉、紅葉の帯広

2017年度の日本財団ホスピスナースネットワークの地方研修会は、北海道帯広です。日本財団ホスピスナースネットワークには、既に3,900名余のメンバーが登録されています。そして、最近では、春の東京での集りとともに、秋の地方での研修会も例年行事となり、大阪、宮城、熊本、神奈川/静岡に続き、今年は5回目、初めて北海道にまいりました。

昨日午後から今朝にかけて、三々五々、メンバーが集まっていますが、皆、やはり北海道のピリッとした寒さに、一瞬、ビクッとして、そして「アア気持ち良い!!」と感じている様子です。梅雨のない北海道、最近の雨、台風続きの後ですから、このカラッとしたさわやかさは感動的です。

本日午後から、研修が始まります。せっかくの北海道なので、十勝平野の広さを経験するために、十勝障がい者総合相談支援センター、名産ブドウ酒研究所と移動し、見学します。

そしていよいよ研修。その一番手、先ずは、これも財団の看護関連プロジェクトである日本財団在宅看護センター起業家育成事業の研修修了生による開業報告です。1期生からは、福島県福島市で、看護小規模多機能型居宅介護施設 在宅看護センター結の学校を開業している沼崎美津子氏が、2期生は、神奈川県藤沢市在宅看護センターLanaケア湘南の岡本直美氏と、福岡県宗像市在宅看護センターミモザの長澤祐子氏、そして最後は、ご当地ここ帯広近郊の音更町で在宅看護センターちせ訪問看護ステーションを開業した3期生片岡順子氏の発表です。

続いて、広大な北海道十勝平野のど真ん中での地域医療の実践家 山田康介先生のご講演では、そのような地域の医療のなかでの看護師の役割です。初日の最後は、懇親会です。北海道の珍味名産が楽しみ・・・はナイショ、内緒で。

二日目は、これも私どもの事業のひとつであるホスピス緩和ケアドクター研修の修了生であり、スピリチュアルケアのプロ、北海道は洞爺湖近くで活動中の岡本拓也先生のご講演「医療者のためのスピリチュアル・コミュニケーション」です。

ボチボチ、出かけますが、まずは、ホテル前の素晴らしい紅葉をご照覧下さい。

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Monkeypox サル痘 と云う病気で思うこと

最近、アフリカ中央部のナイジェリアでmonkey(モンキー:サル)のpox(ポックス:痘=天然痘、水痘ミズボウソウなどのプツプツをいう)が広がっていると報じられています(Monkeypox: Suspected cases in Nigeria spread to 11 states – Minister Times)。

モンキーポックスという「病気」を初めて耳にし、実際に見たのは、1998年、WHO本部の緊急人道援助部勤務時です。毎週とは云わないまでも、月に2、3度はアフリカに出張していた頃のコンゴ民主共和国でした。この国は、1997年に就任したローラン・カピラ大統領によって新たな国名を名乗ってはいたのですが、それまでの30年以上、権力を掌握していたモブツ前大統領(本名モブツ・セセ・セコ・クク・ンベンドゥ・ワ・ザ・バンガ 覚えるのに苦労しました)による国名ザイールが行き渡っていた上、アフリカ随一の大河コンゴ川西側にはコンゴ共和国が存在することもあって、しばしば混乱をきたしていました。「前のザイール」とか、首都名をつけて「キンシャサコンゴ」とか、新国名の頭文字をとって「DRコンゴ(ディ・アール・コンゴ Democratic Republic of the Congo)」とか、公的な書類でもさまざまな名前がありました。

写真は、当時のWHOのDRコンゴ事務所長Dr.ムディから頂いたものですが、そもそも、poxとはpockプツプツの複数形ですから、・・・poxという病気では、プツプツは複数あるはずですね。最も有名なpox病はsmallpox天然痘です。Small小さいがあるのなら、large大きいpoxもありそうですが、それはないようです。いずれにせよ、天然痘は地球上で人類が制圧した唯一の感染症です。ついでに少し解説しますと、1955年のWHO総会が「世界天然痘根絶決議」を合意、地球上の全人類に種痘を行う方針でした。が、今から60年も昔、まだ、日本も、第二次世界大戦後の復興途上時代です。世界の多くの途上国では、保健医療設備も交通網も発達しておらず、予防接種の考えも行き渡っていない時代に、あまりにも野望的な計画であり、非現実的でした。後に、患者を見つけ、その周囲の患者接触から感染の危険があると思われる人々だけに徹底的に種痘する、「封じ込め作戦」とよばれた方法に切り替えられました。当時1,000万とも1,500万人とも云われた患者は、10年、20年の間に激減し、地球上の最後の患者とみなされるソマリア(エチオピアとも云われますが、地続きのお国柄で血続きの人々も多い)の青年を最後に、3年間、新たな発症がなかったことから、1980年に、WHOから天然痘という病気は地球上から撲滅されたと発表されました(注)。

さて、私の経験したサル痘は、一見も二見も天然痘のように見えました。と申しても、私は天然痘のプツプツの実物はみたことがありません。教科書で見たのと同じ!!と思ったのです。
Dr.ムディも、エボラで有名なDRコンゴの国立生物医学研究所所長のDr.ムエンベも、二つの「疾患」は、「見かけは似ているが原因のウイルスは異なるから、違う病気だ」と断言されていました。ちなみに、天然痘は、感受性を持っている人が感染すると致死率(ある病気に罹っている人の中で、その病気によって亡くなる人の割合。死亡率は、人口に対する死亡者の割合)は50%以上なので、感染者の半分は亡くなるとされていますが、サル痘は、2、3%程度、つまり100人の感染者で一人か二人が死亡する危険があると聞きました。最近のサル痘流行に関して、実際に死者は出ていませんが、より高い致死率を唱えている人もいます。

それらアフリカからの報告では、ナイジェリアの11州で74人の感染者が見つかった、つまり同時に違う地域で数名以上が感染していること、セネガルの首都ダカールに設置されたWHOの研究センターでの検査では、その中のたった3例しか、サル痘と診断されていないなど、見かけは今までどおりのサル痘で、根本的治療法はないものの、きちんと治療を受けた人々は誰も命を失ってはいない。けれども都市開発のために、より多くの人々が熱帯雨林近くに居住するようになった現在、自然界あるいはサルから人へのウイルス感染の際に、何か異変が起こってはいないかとの議論もあるようです。

一方の大陸アメリカでは、10日間以上も続いているカリフォルニアの山火事では、40人以上の命が失われ、約8万人が避難しています。そして、ワインで有名なナパ・バレ一帯を含め88,000ヘクタール(東京ドーム18,000個分以上)が焼失していますが、大半は森林地ですから、野生動物や色々な微生物の移動が起こっているはずです。

生き物の仲間であるウイルスも、生き延び、変異し、他の生物に悪さを仕掛けます。色々な生活環境の変化が、人間を変え、ウイルスを変性させ、新しい病気を作る・・・それが自然界であるのだと、改めて認識しておかねばならないように思いました。

(注)天然痘ウイルス:天然痘という病気は撲滅されたが、その原因ウイルスはまだ存在する。この病気はヒトーヒト以外に感染しないので、人での病気がなくなればウイルスも消滅するはず。が、撲滅宣言後の1984年、WHOでの合意に基づき、米ソ(現ロシア)2ヵ国の最高管理レベルの研究施設(アメリカ疾病予防管理センター:CDCロシア国立ウイルス学・生物工学研究センター:VECTOR)だけが天然痘ウイルスを保存している。実は、2施設のウイルスも破壊することと一旦合意されたが、諸般の事情!!で実施されていない中、2001年同時多発テロ後、テロでの生物化学兵器使用の危惧から、アメリカが廃棄反対を強調し、保存継続されている。
わが国も一定量の天然痘ワクチンが製造保存され必要に応じ使用できる体制にあるとされています。

サル痘

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地名 八戸の巻

先の3連休、青森県八戸市で開催された特定非営利活動法人在宅ケアを支える診療所市民全国ネットワーク 第23回全国の集い in はちのへ2017に参加いたしました。

私どもが行っている在宅看護センターを起業しようとする看護師の支援事業は、まだ、4歳の幼児ですが、こちらは23歳の大人、私が参加するのは2回目ですが、しっかり後を追いたいと思いました。それはおいて・・・

 八戸という地名です。八があるなら、一、二、三・・・はどう、と思いませんか?東京から三沢空港に飛び、バスで八戸に向かう道中にも〇戸方面の道路指示がありました。

便利になったものですね。一戸と入れてググってみますと、何と「一戸から九戸まで「へ」を全て巡る」というサイトがありました。サイト主は、無職と名乗るのを避けて、「桶とタオル」・・・温泉案内?と思わせるフリーペーパーをお作りになり編集長を名乗っておいでです。そして、私が作ろうと思った各「戸」の市町村の位置をグーグルマップに載せて下さっています。が、ショウもないこと考える輩<ヤカラ>は思考あるいは嗜好が似るのでしょうか、ね。編集長どの、ごめんなさい。

 でも、負けじ!と「戸」を調べました。まず、一、二、九戸は岩手県、三、五、六、七、八戸が青森県、二と八は市、九は村で、残り一、三、五、六、七は町でした。読み方は、イチのヘ、ニのヘ、サンのへ、ゴのへ、ロクのヘ、シチのヘ、ハチのヘ、クのへ、です。で、四が抜けている・・・ホテルや病院などで、「死」と発音の「四」を嫌うからなのかと思いましたが、その昔は、四戸はあって、むしろ二、六、九は新しいとか。岩手県立図書館のレファレンス事例詳細(Detail of reference example)に質問に答える形で「戸<ヘ>」の付く地名の解説がありました。色々、興味深い解説がありますので、ご高覧下さい。

 上記 在宅ケアを支える診療所市民全国ネットワーク第23回全国の集い in はちのへ2017

では、当然ですが、地域の在宅ケアに関する議論が主でした。で、余計なお節介ですが、一から九の「戸」の市町村の人口関連を調べてみました。

いずこも、1960、70年頃に比べると、相当数の人口が減少し、そして高齢化しています。が、それはこれらの市町村だけでなく、日本全体の状態でもあります。ついでに、学校の数も調べましたが、小学校の廃校数がかなりありました。若者がいない村、町、市・・・そして国で良い訳はありません。リプロダクティブ世代である20、30代の人々が、地域に定着するには、小学校ではなく、職場が必要です。

 2016年版 中小企業白書 によりますと、大企業とよばれるレベルは11,000社ですが、中企業は50万社もあります。それぞれが、営利を基にする企業であることは承知しても、日本と云う国が壊れては基も子もありません。地方の自治体とタイアップして、製造工場と支社または出張所なりを置いて頂けないものでしょうか。田舎・・・自然のある美しい日本をまもるために、何らかの行動が必要だと、在宅の集会でも思いました。

一から九戸の市町村の人口ほか

人口 人

人口密度人/Km2

高齢化率 %

教育施設・・小/中/高校数

//専修/養護他*大/高専

一戸町

12,420

41.4

38.4

7/3/1  /養2

二戸市

26,760

63.7

34.3

8/4/2  看専/特支

三戸町

9,708

64.0

37.3

3/2/1 小中一貫1

五戸町

16,936

95.3

35.5

4/3/1 専1

六戸町

10,423

125

31.0

3/2/1

七戸町

15,265

45.3

36.2

4/2養護学校

八戸市

228,100

747

27.5

43/25特支5/13+定3

*3/高専1

九戸村

5,699

42.5

40.1

5/1/1

岩手県資料 / 青森県資料 / その他各市町村ホームページ

[会長ブログ ― ネコの目]
もう一週、宗像大社

先々週のつたないブログを読んで、宗像大社の秋のお祭りの最後、高宮神奈備祭に参列した仲間がいます。

「おっちょこちょい」という言葉があります。他人の言動にあおられて、深く考えずに行動してしまうこと、軽佻浮薄な・・・と云った意味でもありますが、憎々しい批判ではありません。愛情をこめて、ちょっと照れ気味に、そして少したしなめ的言い方であると、私は思っています。行ってごらんとは云ったけど、そんなに、真面目に行動しなくても・・・と。

10月3日の夕刻、宗像大社の後の祭りに行った二人の仲間に、おっちょこちょいメ!!と云いたい気持ち、無きにしもあらずでしたが、期せずして二人から送られてきたメイルと写真は、ほとんど同文同光景だったので、出かかった言葉を呑みました。そう、二人は神様をみたのです。少なくとも女神さまがおわすことを感じられたのです。

今年は、巫女舞う間の撮影は禁じられていたそうですので、送られてきた写真は、その前後で、しかも人工の明るい照明はないので、ご覧のようにややぼんやりです。が、私は、二人に何が見えたのか、何を感じたのか・・・何年か前の自分の経験から、良かったね、と云いたくなりました。二人は、近いところで、在宅看護センターを起業している、そして近い将来開業する仲間です。

祝詞をあげられた神主さまが、厳かに幣<ヌサ>を振って邪気を払われます。
斎場は無風なのに、二人は、ざわっと・・・いえ、正に空気が動いたことを感じたそうです。女神様が、改めて降臨された・・・あるいは、皆に挨拶を賜って、天に帰られた・・・のかも知れません。
幾百年もの間、観る人舞う人は違えども、三柱の女神さまは、毎年毎年、みあれ祭の終わりに、一年の恙なきと、そしてこの国の安寧を護って下さっているのですね。

お二人の写真と、2社のTV局のビデオをご覧下さい。また、お祭りの最初、勇壮なみあれ祭から最後の高宮神奈備祭までは、少し古く、そして長いですが、youtubeにございます。是非一見を、ただし、現場での幻想感は・・・

RKB毎日放送

NHK

youtube

宗像

[会長ブログ ― ネコの目]
宗像大社と・・・烏賊<イカ>

先日、かつての職場の所在地でもある宗像市にまいりました。今年7月、『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』がユネスコ世界文化遺産に登録決定されたこともあるのか、久しぶりにお参りした宗像大社辺津宮<ヘツグウ>はとても賑やかでした。

宗像大社と申せば、毎年11月に開催される菊花展も見事ですが、何と云ってもここの飛び切りの行事は、10月初旬の「みあれ祭」です。

宗像大社の所以は色々なことが「伝承によれば…」と記載されていますので、神話と歴史の間に位置するようです。が、それ故に想像してよいことがいっぱいあって、何度お参りしても、ワクワク勝手な物語が出来ます。

まず、伝承によりますと、伊邪那岐命<男神イザナギノミコト>と伊邪那美命<女神イザナミノミコト>の子どもである天照<アマテラス>、月読<ツキヨミ>、蛯児<ヒルコ>の弟神の素戔嗚尊<スサノオノミコト>は、今風にはツッパリの問題児でした。父イザナギから、海原をおさめよと命じられたのに「イヤダ!!」と断り、母イザナミのおわす根之堅洲国<ネノカタスノクニ。黄泉<ヨミ>の国の隣>に行きたいと駄々をこねます。怒った父イザナギに追放されたスサノオは、ネノカタスノクニに向かう前に、姉神天照大神<アマテラスオオミカミ>に挨拶するため、高天原<タカマガハラ>に向かいます。

アマテラスは、荒ぶる神の弟が攻めて来たのかと武装して会いますと、スサノオは邪心がないことを証明するために誓約<ウケヒ。互いの物を交換し誠意を示すこと>を申し出ます。まず、アマテラスがスサノオの剣を口に含み吹き出すと、三柱の女神が生まれました。この方々が、現在の宗像大社の沖津宮(オキツグウ、沖ノ島にあり、田心姫神<タゴリヒメノカミ>をまつる)、中津宮(ナカツグウ、大島にあり、湍津姫神<タギツヒメノカミ>をまつる)と、辺津宮(ヘツグウ、宗像市田島にあり、市杵島姫神<イチキシマヒメノカミ>をまつる)におわすのです。なお、スサノオは、アマテラスの「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」をもらい、噛み砕き吹き出しますと五柱の男神が生まれたので、自分の勝ちを宣言したとか、神話時代にもジェンダー問題あり、ですね。

さて、アマテラスの息女である三女神は、九州と朝鮮半島を結ぶ海路の守護神として、玄界灘の島々に降られた・・・これが宗像大社の起源ですが、日本最古の歴史書でもある古事記や日本書記によれば(ですから、神話!!)、「天から地に降られた神々」には、アマテラスの孫にあたる邇邇芸命<ニニギノミコト>以前は、宗像三女神だけということになっています。

さらにヨミノクニ、ネノカタスノクニ、タカマガハラが実際にどこなのか確定されていない中、三女神は明確に宗像(当時は胸形あるいは胸肩、宗形)に降臨されたとされていますので、神話が歴史になった曲り角のような気がします。往時、海の交通の神様であられた三女神は、現在、陸上つまり車交通の安全の神様としても私どもをまもって下さっています。
ユネスコ登録の中心の沖ノ島は、4世紀後半から10世紀前まで続いた大規模な(といっても沖ノ島は無人の小島です)祭祀が、わが国の形成時期の宗教的祭祀の変遷過程を示す唯一の遺産であるとか。宗像大社の神宝館は、沖ノ島から出土収集された8万点もの銅鏡、装身具(金の指輪!!)、武器、馬具、工具、土器、貝製品などなど、すべて国宝を保持しています。

前置きが長くなりましたが、宗像大社最大のお祭り「みあれ祭」は10月1日です。一見、勇壮な船のお祭りですが、実は、宗像大社辺津宮のイチキシマヒメノカミが、沖ノ島(宗像市海岸から60Km)と大島(同5Km)におられる姉神様をお迎えされる神事です。一見ではなく、百見の価値ありです。全国放送・・・今年は世界遺産登録決定後なので、チャンスと思います。

おすすめは10月3日。後の祭りという言葉がありますが、みあれ祭に始まる宗像大社秋季大祭の最後のお祭り「高宮神奈備祭」です。はじめに船で辺津宮にこられた女神さまら3姉妹が天にお帰になる、それをお見送りする神事です。何度見ても感動します。人工の明かりを排、かがり火の中で、巫女たちが舞う。それだけと云えばそれだけ。古式豊か、厳かというだけでなない、本当に、目の前から女神さまが天に昇られるのが見える・・・感じられます。

チョット連想が過ぎますが、サモトラケのニケに勝るとも劣らないリアルです。

と、スピリチュアルなお話の後は、このあたりの名物烏賊の活造り!
当地に勤務していた際、時折お邪魔した「はなわらび」で、本当に、本当に久しぶりの烏賊の生け造りを頂戴しました。この地に勤務するまで、烏賊とは透明の食べ物とは知らなかった・・・のですが、写真で実物とご覧下さい。
今年はご無理でも、ぜひ、宗像大社ご参詣と烏賊の活造りご賞味のほどを。

アッ忘れるところでした。日々の業務の恙なきを祈って引いたお御籤は大吉でした。

おみくじ

イカ

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在宅医療と在宅看護師

「うかうか、のうのうと暮らしてきたのではないけど、気が付いたら後期高齢者って、あまり自慢にならないわね」と、中学時代の友だちが電話で申しました。彼女は、一人娘に孫二人ですが、独り身の私はその上に独居老人・・・と云う称号もあります。彼女は、更に申しました。「仕方ないけど、高齢社会だ、超高齢社会だと云われると、何だか身をちぢめて暮らさねばならないような気がする、ネ」と。
お互いに毎回、「元気ィ?」と電話をはじめますが、元気でいることが段々難しくなってくる年齢で、ちょっと溜め息も出ます。ま、二人合わせて1世紀半も生きたことになりますので、多々経験はあるのですが、話題は健康に偏りがち。

医師むけITに二つの記事がありました。ひとつは、

在宅医療、小学区単位で綿密に 静岡市、19年度までに全域拡大 2017.9.19静岡新聞

これによりますと、静岡市は在宅医療推進のために、小学校区単位で医療介護職や地域住民の連携を進めておられるそうです。今では、周知のこととも云えますが、住み慣れた地域で人生の終焉を迎えたいのが高齢者ならずともほとんどの人が希望するところです。

国、厚生労働省が進めている「地域包括ケアシステム」は、体調低下が当たり前もあって、医療保険も介護保険もやや濫用しがちな高齢者の健康関連経費を増やし過ぎず、今までの国民皆保険を継続することも目的のひとつです。が、住み慣れた地域で人生を終えるためには、地域の人々を中心にした生活支援体制が必須です。

私ども笹川記念保健協力財団は、その中心となりうる在宅ケア/看護をしっかり担い、地域の多様な保健専門家たちの協働を調整できる看護師集団を作る支援を、2014年から始めています。過去3年間に8ヵ月の過酷!!かつ興味深い研修を終えた35名中28名が、北海道から福岡で開業済です。まだ、たった28ですし、なかなか、理想通りには拡張発展はしていませんが、今までの医療制度の限界を超え、自立した新しいケアの専門家、地域を支える看護実践家たちです。

静岡市はその地域包括医療を市内全89小学校区で取り組まれるというのです。8月下旬には市内8小学校区で「認知症の人と家族を支えるまちづくり」第1回を開催されました。在宅療養とその支援は、ご家族、地域の人々のご理解ご協力が基本です。取り組みには、保健・医療・看護・介護の関係者以外に、自治会や民生委員など住民代表も参加されています。高齢者が、何ヵ所も病院や開業医さんをめぐり、飲めないほど薬を処方されることを省いたり、入院先から施設に直行し、地域では居場所不明となることを防いだり、地域内の連携連帯は個々人ではできません。人生の最期を何処でどのように過ごすかは重要な保健福祉策です。こんな中で、在宅の療養者をケアする看護師が、地域ぐるみの健康維持にも、その知識や技術を活用して欲しいと思います。
も一つは島根県松江市島根町で、住民有志が在宅医療ハンドブックを作成されたという山陰中央新報のニュースです。

 

島根町の住民有志 安心して在宅医療を ハンドブック作製

松江市島根町の住民有志が中心となって製作を進めていた、在宅医療の利用方法や終末期の過ごし方をまとめたハンドブックが完成した。町内に全戸配布し、関係者は「住み慣れた地域で安心して暮らすための手引にしてほしい」と活用に期待している。

ハンドブックはA4判、21ページ。町民から「いざという時に参考にできる冊子がほしい」などの声を受け、健康まつえ21島根地区推進隊と島根地区社協連合会が1,400部作った。
通院が難しい場合には、歯科医による訪問診療や薬剤師の訪問指導が受けられることを紹介したほか、さまざまな在宅サービスの利用法を記載。終末期の過ごし方を決める参考にと、終末期を自宅と病院で迎える利点も示した。
作製に関わった松江市島根支所の高野美智子保健師(45)は「日頃から手元に置いてもらい、救急時や地域での暮らし方の指針にしてほしい」と話した。
完成した島根町版のハンドブックを参考に、松江市は市全域版のハンドブックを作製している。年内には、市内29公民館や地域包括支援センターなど関係機関に3,000部を配布する。

2017.5.12山陰中央新報

 

町の有志の方々が在宅医療の利用法や終末期の過ごし方をまとめたハンドブックを完成されたという素晴らしいニュースです。

上述、私どもは、今後の地域の保健医療体制を支えられる起業家マインドをもった看護師グループを広げたいと願って研修を始めました。経験10年以上の看護実践者たちは、この研修が始まると、その間も開業予定地の状況を調べ、関係者と連携し、8ヵ月の研修の最後には、開業資金のあれこれから借金返済計画を含めた、立派な開業計画を発表します。それが無ければ、研修修了証書は出しません。が、いざ開業してみると、意外なほど、在宅看護の良さどころか、それが今後必須の地域保健医療サービスであろうことが知られていないというのです。顧客獲得の苦労が始まります。

松江市島根町では、このハンドブックを町内全戸に配布し、「住み慣れた地域で安心して暮らすための手引」にして頂く、そのためには在宅看護デスヨ!!と呼びかけて下さる・・・のです。

A4判、21ページだそうですが、町の人々から「いざという時に参考にできる冊子がほしい」との声を受けて、健康まつえ21島根地区推進隊と島根地区社協連合会が1,400部を作成されたとか、すごいです。

通院困難な場合、歯科医の訪問診療や薬剤師の訪問指導もあること、さまざまな在宅サービスの利用法も記載されており、終末期の過ごし方を決める参考にと・・・。

作製に関与された松江市島根支所の高野美智子保健師は「日頃から手元に置いてもらい、救急時や地域での暮らし方の指針にしてほしい」と話されています。なお、松江市は、この島根町版を参考に、市全域版ハンドブックも作製され、年内に、市内29公民館や地域包括支援センターで関係機関に3,000部配布されるそうです。意識高ぁ~ィですね。ご発展を祈ります。

[会長ブログ ― ネコの目]
健康と命をまもる仕事

上空800Kmとはいえ、また、日本の上空をミサイルが飛びました。

原始的な武器が工夫発明されて、いくさの歴史は変わりました。どんどん、武力が過激に発展した結果、わが国だけが経験した原爆や水爆に行き着いたとも申せます。

世界各地では、今も大小さまざまな規模の紛争が続いています。このような地域では巨大な、もちろん、原子力を用いるレベルの闘争はありませんが、小型化された武器が出回る中に、何が混じるか、予測はつきません。そもそも、現在の紛争地、紛争国には、使われている武器すら産生する能力がないところが多いのに、武器が出回っている・・・おかしなことだと、紛争地勤務中も思っていました。誰が、どんな意図で武器を、武器を求める資金を提供しているのでしょうか?

何より、武力をもって武力を制することの愚かしさを、長い戦争の歴史から、まだ、人類は学んでいない・・・学問は何をしているのでしょうか?

先日、最近出版された『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(青山透子著、宝島社)を読みました。1985年(昭和60年)8月12日の夕刻、日本航空123便が群馬県御巣鷹山尾根に墜落した事故は、実は事件ではなかったのか・・・という衝撃的なノンフィクションで、この著者の2冊目です。過去、同様のノンフィクションが数冊出版されていますが、私が、この「事故」に執着しているのは、当日の個人的な対話の記憶からです。

1985年、今から32年も前の対話を何故記憶しているのか、です。
人々の健康、命をまもる仕事と云えば、直ちに医師や看護師と云った保健関連の仕事がでてまいります。

その日、当時勤務していた奈良医大では、後に国立循環器病センターの総長になられた北村総一郎第三外科学教授による心臓手術が行われていました。人工心肺を用いた大掛かりな手術では、出血管理も重要で、中央検査室で血液を担当していた私と止血検査チームは、朝早い手術前から、患者の凝固(血が固まる能力)止血(固まった血液が溶解する能力)検査を担当し、出血や血液の固まり過ぎをコントロールする薬剤の使用量をアドバイスしていました。
夕方、手術室のラウンジのTVでは、既に日航ジャンボが行方不明になっていることを報じていました。手術を終えた後、緑色の手術着のまま、ラウンジに現れた北村教授との対話です。

しばらくTVをみてから、仰せになりました。
「なぁ、キタさん!!ワシらは、朝から、延べ何十人もかかって、たった一人の病人のいのちを救うのに苦闘しているンじゃけど、ジャンボが一機墜ちたら、500人も亡くなるんヤなぁ・・・」
「・・・まだ、墜ちたとは決まってないけど・・・」

人々のいのちをまもる・・・とはどういうことなのか?
後に、集団の健康をまもるPublic Health(公衆衛生)に従事することになりましたが、この日の、この対話は、その後、現在に至るまで、しばしば、頭の中でエコーしています。

飛行機、JRや私鉄、地下鉄の列車、バス、乗用車・・・毎日頂いている食べ物、飲料、住んでいる家、働いている建物、すべて安全が当たり前と思っていますが、それをまもるためには、医師でも看護師でもない、他のさまざまな方々が関与されていますね。改めて、そう思います。


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