[財団ブログ ― ハンセン病]
ハンセン病対策活動ブログをリニューアルしました。

各事業のブログ(ハンセン病/ホスピス緩和ケア/公衆衛生の向上)がひとつになり、財団ブログとしてリニューアルいたしました。
過去のブログ記事も引き続きご覧いただけます。

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〈ご案内〉「世界の島は語る」パネル展の開催!!

今月初めより月末まで、日本財団ビル1階フロア(バウルーム)にて、国立療養所長島愛生園歴史館制作(協力: 笹川記念保健協力財団)の「世界の島は語る」パネル展を開催しています!
「海・・・ それは島の療養所に隔離された者にとって、社会や家族との「壁」そのものでした。療養所の入所者たちはこの海を眺め、故郷を想い、家族を想いました。」
岡山県にある長島愛生園は、日本で島に所在のあるハンセン病療養所の一つです。その療養所の歴史館で学芸員をつとめる田村さんの言葉です。
世界には、日本と同じように隔離政策を行い、隔離施設としての療養所を島に開設した国がいくつもあります。本パネル展では、世界各地のそうした島の歴史と今日の姿をわかりやすく紹介し、今に至るまで続いてるハンセン病問題とその将来について考察を深める機会を提供するものです。
みなさんのお越しを心よりお待ちしております!
会場: 日本財団ビル1階 (東京都港区赤坂1-2-2)
  (地図 → http://www.smhf.or.jp/about/access/
開館時間: 平日9:00~17:00
※ 入場無料

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会場の様子
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フィリピン・クリオン島についてのパネル

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「アイデア・IDEA」そして、その先へ

§始まりは1993年10月フロリダ州オーランド 国際ハンセン病学会に当事者が参加§
1993年10月アメリカ南部フロリダ州のオーランド市で開かれた第13回国際ハンセン病学会は一つの歴史を刻んだ。1897年の第一回ベルリン会議からほぼ100年、医師、研究者の学会に「当事者」たちのセッションが出来た。「患者たちが学会に?」に近い声が学会主流にあったことは言うまでもない。当事者たちの参加を想定して作られた特別セッションは「ハンセン病サービスの提供者と消費者=コンシューマー」という奇妙なタイトルだった。つまり「提供側」と「受け手」という図式の中で、「受け手」の当事者の発言の場を確保したものだった。
§個性豊かな活動家たちが顔を合わせた§
このセッションに参加した「消費者」側は多彩だった。ハワイ モロカイのバーナード・プニカイア、ブラジルのバクラウ、韓国の鄭相権、そしてインドのゴパール。それぞれ自分の地元でハンセン病回復者の生きる道を探って努力を続けて来た人たちだった。日本からただ一人参加した奄美の佐々木氏は、会場で会ったプニカイアに「貴方は7才の時に母親のもとから引き離されてカラウパパに送られましたね、、、、」と語り掛け、佐々木氏に同行した私はただただ驚きを隠せなかった。インターネットもない時代に、日本の南の島でモロカイに生きる同病者の動きを把握している。その鋭さに圧倒された。
§アイディア(国際組織)設立へ§
フロリダでの学会の翌年、ブラジルの当事者組織MORHAN(モーハン=ハンセン病者の社会統合運動)の努力で、リオデジャネイロ州ペトロポリス市でアイデア設立集会が開かれた。アイデアの第一期は、世界の各地で個々に声をあげていた当事者リーダーたちが国際的な舞台を得て連帯を築くことが中心となった。アイデア創設とその後の牽引車の役割を担ったアメリカの活動家、アンウェイ・ローさんの「本来(このような国際的な発言の場は)もっと早くできて当然だった」という言葉を裏書きするかのように、ハンセン病回復者自身による国際ネットワークの設立は世界各地で熱く受け止められ、急速にその波紋が広がって行った。
§アイディアのビジョンが日本に伝えられる§
それから2年後の1996年、アイデアが中国でも設立されることになり、設立集会に参加するインドのゴパール氏とアメリカのアンウェイ・ローさんが東京に立ち寄った。日本の回復者とアイデアの出会いであった。ちょうど「ハンセン病廃止の歴史」の校了間際であった故大谷藤郎氏は、アイデアの中心理念である共生・尊厳・経済向上に触れて、校了間際であった著作に書き足した。「人間の権利を侵害されて苦しんだ人間こそが『共に生きる社会』を真剣に考え先頭に立つことができる」「国会がらい予防法廃止を議決する同じ時期に、アイデアのゴパール会長とアンウェイ・ラウ夫人が日本を訪問してアイデア精神を説かれたのは『天からの使者』のように私には思える。」
§1998年 初の国際交流集会§
1998年6月には、全療協・アイデア・藤楓協会の共催で「人間の尊厳回復と共生をめざして-ハンセン病回復者の国際交流集会」が開催され、海外7か国から9名の回復者が来日した。
§アイデア ジャパンの設立§
こうして日本に撒かれたアイデアの種は2004年、森元美代治さんを中心としたアイデア・ジャパンに結実した。当事者が世界各地の当事者と連帯して共通の問題に発言し、相互に支援する運動は、全国の療養所の入所者の方々の支援も受けた。当初は個人的に参加する方も何人もあり、全療協も賛助会員として支援していただいた。
§アイデアの第二期は、、§ 
それぞれのリーダーたちが自らの足元の問題に注目し、組織を強化し活動を拡げていく過程であった。インドでは全国的なハンセン病コロニーの調査を行い、コロニーをベースにした州レベルの組織化に努力が傾けられ、その後の全国組織、「ナショナル・フォーラム」に発展していく。エチオピアでも全国の支部をつなぐ組織「エナパル」の強化が進んだ。フィリピンでは、長い隔離の歴史のなかで、全国8か所の療養所を中心に生まれていた多数の草の根グループの調査が始まっていた。中国のハンダ(漢達康福協会)は全国600余りのハンセン村のうち、南部を中心に回復者村民のリハビリテーションに取り組み始めていた。ブラジルではモーハンの主導で、厳しい隔離の歴史を持つ30余か所の療養所入所者の生活向を課題として、隔離政策の被害を問う国家賠償の要求運動が展開された。
§記憶を継ぐもの、、、、新しい担い手の出現§
そして今、厳しい隔離と差別の人生を生きた第一世代は高齢となり、去りつつある。ハンセン病は治る病気となり、第一世代が体験したような逃れようのない烙印を残すことは比較的少なくなり、各地でハンセン病の足跡が消され始めている。その一方で、隔離と差別の中を不屈の精神で生き抜いた第一世代の人々の人間像に、現代社会が見失いつつある原石のような力を発見し、人としての強さ優しさのメッセージを受け継ぎ、その記憶を後世に引き継ごうという活動が生まれている。それは同時に、外の社会にハンセン病を生きた人々の姿がとどくことであり、見えない「壁」を取り払う動きとなり、アイデアの今一つのコンセプトであるインテグレーション、つまり社会への統合に至る道に他ならない。
社会の排除と闘って自分たちを育ててくれたことに感謝と誇りをもち、第一世代である父母の世代に発足した組織を継承する第二、第三世代がいる。第一世代の当事者と深く心を通わせ、第一世代に「自分たちの跡を引き継いで、ハンセン病問題を解決して欲しい」と委託された個人・団体もある。苦しく辛い人生を生きた第一世代のイメージがを記憶している第2第3世代がいる場合は、当事者組織の理念や方針は来通り維持されると予想される。一方、第2世代の居ない環境ではどうだろうか。そこには、高齢の当時者と20代前半の若者といった新しい支援環境が生まれている。若者たちには、ハンセン病を生きた人々との交わりを経て、よりはるかな人間の地平線が見えて来るのかもしれない。ハンセン病問題は病気を超えた様々なテーマを提供しsて、我々一人一人に迫り、育ててくれる。 (ヤマグチ)

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年の瀬

年の「瀬」の瀬はどんな意味なのか、何となく判りますが、出典などがあるのでしょうか。また、「年の瀬」とは何時から何時までをいうのでしょうか?
「瀬」は、広辞苑では、[湍]とともに、①川などの浅くて徒歩で渡れるところ。②水流の急なところ、③(渡るための狭い所の意から)㋑事に出会うとき。おり。場合。㋺その場所。立場。㋩点。ふし。とあります。広辞林でも同様ですが、なぜ、これが「年の暮れ」を意味するのでしょうか・・・その昔、特に、しっかり支払を済まさねばならない節季(セッキ。季節の終わり、盆と暮れの支払いは特に大事)の辛い時期を示したらしい、ようです。そう申せば、思い出があります。若かりし頃、無理して買いこんだ医学書や購読していた洋雑誌の支払いを溜め込んで、12月のボーナスで支払いました。代わりに、書店のカレンダーや手帳を頂いて今年も終わったなぁ・・・と思いました。私の年の瀬だったのですね。懐かしいです。今は、無理して本を買うという意欲がなくなっているのですが、この「年の瀬」ですが、ぜひ、読みたい数冊があり、早々と買い込みました。
年の瀬の一日、12月23日は天皇誕生日でした。
陛下は、お言葉の中で、「昨日(22日)は冬至でしたが、これから、段々、日が長くなる」と仰せでした。「今年も、さまざまな自然災害が日本をおそい、決して安泰であったとはいえない」とも仰せでしたが、日が長くなる・・・と希望を述べられたことに勇気付けられました。
そして、今年は、太陽歴では、その起点とされる冬至と、欠けていちど姿を消す月が復活する新月が重なる朔旦冬至という稀な現象の年でした。朔旦冬至って、産経新聞のマンガ「ひなちゃんの日常」で、ひなちゃんがたくあんポリポリ・・・と、取り上げられていましたが、難しい言葉です。この現象は、地球が太陽の周りを一巡する1年と、月の満ち欠けの約1カ月の微妙な時間差から、おおよそ19年に一度発生するそうです。ただし、次回は暦上の齟齬から、38年後になるそうです。後期高齢者に足を踏み入れた私には、残念ながら、もう一度、この稀な事象を経験することは無理ですが、そんな風に考えると、日々、折々の暦、自然の移ろいも、二度とめぐりあわない貴重な一瞬と思います。
冬至には、かぼちゃを頂くと、いわゆる中風にならず長生きするとか、小豆粥を食べると病気しないとか、お風呂に柚子を浮かべるとか・・・優雅な習慣を実践しようとすると忙しいですが、関西地方では、ちょっと周りの移り変わりに疎い方に、少々嫌味をこめて、こんな風に申します。「冬至、十日経てば、馬鹿でも(日が長くなったことは)わかる」
さて、太陽が新たに蘇るこの日、月が再び満ちてゆくこの日を期して、新年を待たずに、新たな計画を立てては如何でしょうか?

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SPP – 当事者参加型ハンセン病対策

SPP-チームカラーはミドリ色!
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インドネシア 南スラベシ州のSPPグループ
SPPはStrengthening Participation of People affected by leprosy in leprosy services 「ハンセン病対策への当事者の参加を強化」の頭文字。
世界的にハンセン病の新規患者数は年間23万人レベルで停滞していて、なかなか減少が進みません。治療可能な病気にもかかわらず、診断が手遅れになり後遺障がいを残してしまう患者さんも10%前後。ハンセン病の後遺障がいが偏見と差別の対象となる構図も依然として世界の各地で見られます。何よりも早期に発見し治療につなげることが障がいなく治癒することにつながり、また感染の可能性を減少させ、ハンセン病制圧の鍵です。
「早期発見は我々の手で」。世界の各地の当事者組織は従来から家族やコミュニティで、ごく早期の症状に注意を払ってきました。ブラジルのMORHANは無料電話相談-TELEHANSENを長年運営しています。ネパールでもエチオピアでもグループで早期症状のある人を診断に繋げる活動をしています。フィリピンでは保健省のハンセン病対策の一環として取り組む仕組みができつつあります。
インドネシアではオランダ救らい協会と当事者を含むボランティア組織でSPPを地域啓発活動として展開し始めています。SPPのシンボルカラー「明るいミドリ色」のユニフォーム姿のSPPチームの活動は、近い将来世界的に展開するでしょう。
笹川記念保健協力財団は、2009年からSPPコンセプトを提唱し、各地のSPP活動を支援しています。

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第二世代の「宣言」ジョイス・ウォンさん

スンゲイブロー療養所の第2世代の宣言
ジョイス・ウォンさんの宣言(フェイスブック投稿から。)

ジョイス・ウォンさんは、スンゲイブロー療養所を逃れて、農業で生計を立てつつジョイスさんを育てた両親を誇りとし、入所者たちの聞き書きをもとにスンゲイブロー療養所の歴史を「希望の谷」として出版(2006年)。2010年には「第一世代に感謝する第2世代の会」を開催。療養所の外部との交流を実現。2014年には、療養所入所者評議会の議員に外部から初めて選出され、2015年に創立85周年となり、入所者数も200人余りとなったスンゲイブロー療養所の将来構想と記憶の継承を担う。

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             (真ん中 ジョイス・ウォンさん)
『生後間もなくハンセン病患者の親から引き離されて養女として育てられたある女性が、大きなパーティを開いて、養父母の家族や親族一同に実の母親を紹介したという新聞記事を読んだ。生みの母と娘がほぼ半世紀ぶりに再会したという。皮肉なことに、自分が実はハンセン病患者の子どもであることを世間に知られることを恐れている人がまだまだいる。
社会一般がまだハンセン病について無知だった頃、われわれ(第2世代)を差別から護るために秘密を護る必要があったことは理解している。でも、今はもう21世紀。もう庇ってもらう必要はない。なのになぜ、あなた方はまだ隠れているの?
もちろん、あまりにも長い間隠し続けて来た自分自身の一部を突然さらけ出すのは、はじめは違和感を覚えることがあるかもしれない。だからといって、まるでそれ自体なかったというようなふりをし続ける理由にはならない。それは、自分自身が誰なのか、あなたの両親が誰なのか、そして両親たちがどんな人生を生き抜いて来たのかを否定することになると思う。
人は一般に無知故に恐れる。われわれが沈黙し続けることで無知を持続させるべきだろうか?それとも、誤解をただすために明らかにして、歴史が繰り返すことのないようにすべきだろうか?
われわれ自身がやらなくて、誰にこれが出来るだろうか? われわれの親たちは失った尊厳を取り戻して当然だと思う。隠していては尊厳を取り戻すことはできない。自分の親を公然と認めることが出来ないなんて悲しいじゃないですか。親たちは一体何をしたというの? もしも友だちが知ったらどう見られるか心配なの? 私たち、もう人生の半ばを生きたわ。なのに、まだそんなことが問題? Come on! 自分を見下すのは、自分自身以外にはありえない。』

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(新評議員に選出されたジョイス・ウォンさん(左)とイーニータンさん)

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WHOの最新ハンセン病統計から

WHO(世界保健機関)は年に一回、最新のハンセン病関連データを公表します。今年の分が9月5日発行の『WHO週間疫学レコード』(Weekly Epidemiological Record – WER)第8936号)で公表されました。公開されたハンセン病関連データは、世界103か国から集められた2013年の数値です。

http://www.who.int/wer/2014/wer8936.pdf?ua=1

★ 最新統計(2013年)で全世界の新患者数は  215,656人
2012年は  232,857人、 2011年は  226,626人。その内訳は:-
★ 患者数上位3か国:
 インド ―       126,913人(2012年 134,752人、2011年 127,295人)
 ブラジル―        31,044人 (2012年 33,303人、2011年 33,955人)
 インドネシア―     16,856人 (2012年 18,994人、2011年 20,023人)
★ この3か国で、全世界の新患数の81%を占めています。
★ その他の患者数の多い国11か国:
コートジボアール(1,169人)、コンゴ民主共和国(3,744人)、エチオピア(4,374人)、マダガスカル(1,569人)、ナイジェリア(3,385人)、タンザニア(2,005人)バングラデシュ(3,141人)、ミャンマー(2,950人)、ネパール(3,225人)、フィリピン(1,729人)、スリランカ(1,990人)
★ 全世界の新患者の96%は、以上の14か国から発見されています。
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マクロの保健対策としてハンセン病を考えるとき、全世界の新患数の96%を占める14か国が中心となります。
しかし、ハンセン病は治療が遅れると後遺障がいにつながる病気です。今後、国際的な関与や国内の保健対策としても軽視されがちな国々で、早期の診断と治療につながる対策と末端での保健サービスをどう確保し続けるのか、ミクロの問題にも深い関心を抱いていきたいと思います。
                                       (ヤマグチ)

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フィリピン歴史保存 その2

フィリピン歴史保存 その2
フィリピンの『ハンセン病歴史ウィーク』第2幕の舞台はクリオン島でした。
クリオン総合病院・療養所に国立歴史委員会から「歴史的史跡」の認証授与
7月26日(土)9時30分。夏の太陽が照りつける中、クリオン総合病院・療養所が、フィリピン国立歴史委員会による「歴史的建造物」として認証され、調印と記念石碑の除幕式が執り行われました。1906年アメリカ植民統治下のフィリピンで初の隔離療養所として開設されてからの108年の歴史は苦難に満ちたものであったと想像されますが、
http://www.smhf.or.jp/hansen/report/as12_philippines2/
この日の式典で「美しいパラワンのクリオン」を合唱した制服姿の小学生たちは、全てを乗り越えて来るべき未来が見ていたことでしょう。クリオンの人口構成は若者が沢山。成長が楽しみです。この日のためにクリオンの人々が選んだ言葉は「We Overcome」(私たちは乗り越える)。この言葉がプリントされた白いポロシャツ姿があちこちに見えました。

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引き続いて、昨年の台風で屋根や窓に大きな被害を受け、閉館を余儀なくされていたクリオンハンセン病資料館が修復を終えて再オープンしました。再開を祝って飾られている色とりどりの旗にも「We Overcome」。

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資料館は展示や施設整備にまだまだ改善の余地があります。しかし来館者にはまず映像でクリオンの歴史を説明するほか、「語り部」としてみずからの人生を伝えようとする方々が少しづつ増えているのは興味ある展開でした。観光でこの島を訪れる人も増え、資料館も必ずルートに入っている、ということもありますが、3世代4世代が育っているクリオンには、自らの言葉でクリオンで生きた・生きることを伝えてくれる人の存在は大きいものがあります。今後、専門的で組織的な語りの蒐集が必要だと思いました。

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この日のランチは台風からの復興のお祝いもかねての豪華版でした。

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雨期のフィリピンは天候が不安定。突然の黒い雲と大粒の雨にたたられましたが、この日の最後は、これまた台風で破損した「クリオン療養所発祥の地」記念碑の修復完了の再除幕式でした。1906年5月27日午後4時、セブ島から370人の患者たちが沖合に停泊した船から小型船に乗換て、上陸したのがこの地でした。歴史を忘れず、未来に向かう、を象徴するかのように、碑の前には小学校の運動場が広がっています。

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クリオン資料館、上陸地点記念碑の修復は、日本の療養所入所者、モーターボート選手会、その他有志の方々のご寄付により実現しました。ご理解とご支援ありがとうございました。
(ヤマグチ)

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フィリピン歴史保存、進んでいます その1

去る7月24日から8月1日まで、フィリピンの「ハンセン病歴史保存」に関連して、いくつかの記念すべき進展がありましたので、順次ブログでお知らせします。

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その1 「フィリピン ハンセン病史」の編纂にむけて
2013年8月フィリピン国立歴史委員会(National Historical Commission of the Philippines NHCR)のプロジェクトとして始まったこの企画は、去る7月24、25日の両日、北パラワン地方のコロン島で、一年目の進捗状況の報告を研究ドラフトの提出と報告という形で行いました。

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項目別の執筆予定者13名中10名の研究者からフィリピンのハンセン病をめぐり、歴史的・時系列的、宗教・文化・空間的視点、心理・女性・語り、国際保健をテーマに報告がありました。研究執筆者はいずれもファーイースタン大学、フィリピン大学(マニラ/ディリマン)、デラサール大学、アテネオ デ マニラ大学、国立歴史委員会の現役の教授・研究者たち。

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各報告に対してケンブリッジ大学(英国)のジョン マントンとクウィーンズランド大学(オーストラリア)のジョー ロバートソン両教授がコメントをするという形式でおこなわれました。総合司会は国立歴史委員会理事長のマリス セレナ ディオクノ氏(元フィリピン大学歴史学部長)という豪華メンバー。

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報告者の一人は、自国のテーマを自国の視点で追及するのは極めて重要。それに対して国際的な視点からのコメントが加わるというのはプロダクティヴだというコメントがありました。2015年5月の完成が待たれます。
笹川記念保健協力財団は、世界の各地でハンセン病の歴史を残そうというこころみを支援しています。フィリピンの企画は、国立歴史委員会の主導で研究者のネットワークが生まれ、ハンセン病というテーマをとおして自国の歴史を描くという試みです。一つのモデルとして注目し、期待していきたいと思います。
(註:コロン島は首都マニラから飛行機で約一時間の距離にある。クリオン島にわたるにはコロン市の港から約90分の船旅が通例。近年コロン島はリゾート観光地として開発が進んでいる。)
(ヤマグチ)

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入所者協議会に新しい力(マレーシア)

マレーシア最大のハンセン病療養所スンガイブロー。

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創立80年を超えるスンガイブロー療養所には、1950年代から入所者による自治組織、スンガイブロー評議会(カウンシル)がありました。評議会は、日本でいえば各療養所自治会に相当します。いま、この7月19日(土)に、設立以来初めて、非入所者を評議会に受け入れる規約改正が成立し、これまで入所者に限定されていた指導部に「外部」から新しいメンバーを迎えることとなりました。

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選出された新指導部メンバーの記念写真

新しく評議員に選出されたのは、若い女性2人-ジョイス ウオン(Joyce Wong: 後列右から2番目)さんとイーニー タン(Eannee Tan: 後列右端)さん。
ジョイス ウォンさんは​、​会計士の資格を持ち、​​クアラルンプールで働いてい​ます​​​。ジョイスのルーツは、スンガイブロー療養所からほんの少し外側の村。療養所の中では子どもを産み育てることが叶わないことを知っていた両親が、脱走して、家庭を持ったからでした。今は、両親は療養所に戻り、生活を続けています。2007年、スンガイブロー縮小問題が社会問題となった頃、ジョイスは友人たちと一緒に、スンガイブローとそこに生きた人々を取材して、Valley of Hope (Book review- See pg. 4)という書籍にまとめて出版しました。しかし、ジョイスの活動は、それだけでは終わりませんでした。2010年 第二世代が、『スンガイブローの第一世代に感謝する第二世代の会』を開き、広く世間にハンセン病を生き抜いた人々の強さと優しさを公開しました。『今さら何故?』『そっとして置いて』との声が、第二世代の仲間からも起こりましたが、ジョイスがこうした活動を続けた背景には、両親やその仲間たちが〈ハンセン病患者〉というレッテルをはられて一生を終えてはならないという強い思いがあったのではないでしょうか。
もう一人の新評議員イーニー タンさんは、もともとマレーシアの中国系報道機関の記者でキャスター。スンガイブローの縮小問題をニュースとして取材する中で、ハンセン病問題の深さと人々の生きざまに触れました。入所者たちに身近に接するうちに、残された問題、特に家族の絆の回復の重要性と緊急性に気づき、キャスターの職を投げ打って、小さなNGOを立ち上げ、エネルギッシュに活動を続けています。(参考:家族再会のための活動)イーニー タンさんは、すでに中国語、英語、マレー語で、マレーシアのハンセン病問題と家族の絆を求める第一世代と第二世代の姿を描いた本を出版し、この問題をインターネット上のミュージーアムで公開するだけでなく、全国各地の中学、高校でも対話集会を開いたり、学生たちと入所者の交流の機会も提供しています。何よりも、こうした彼女の熱心な活動が入所者たちに支持されて、今回の評議員選出につながったと思います。
回復者の高齢化が進む中で、ハンセン病問題の命題を未来に引き継ぐことは、世界のどの国も直面している課題です。マレーシアは、この問題に自らの答えを出したのでしょうか。私たちはこうした歩みを期待を持って見守っていきたいと思います。


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