[財団ブログ ― ハンセン病]
QIAO Won the Grand Prize of Volunteer PR Contest

A non-profit organization of student called “QIAO” has won the grand prize of the 3rd Volunteer PR Contest V-1 2012. Please visit here to see their prize winning short film titled “Bonds between People Can Change People”. http://gkv1.jp/
QIAO is a volunteer group whose members are university and college students and we have been supporting them for quite some time. Their activities are to contribute to the people affected by leprosy in China through work camps together with local Chinese students. They stay in a Chinese leprosy village for some time and work to improve the physical and mental well-being of the people in the village. They pave the roads, fix roofs, construct toilets but in addition to those kinds of physical works, their great contribution is to bring about new winds to the relationships between the villagers and people living nearby. Seeing student volunteers mix easily with the villagers, the long sustained discrimination and stigma toward the villagers in the people living nearby changes gradually. Just as the title of their short film shows, bounds between people do change people.
QIAO is now working on to spread their activities outside China and their next destination is most likely to be Myanmar. They went to Myanmar in August 2012 in order to see if it was possible to hold a work camp there. They are working hard to make it come true.

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QIAOの皆さんがグランプリ受賞!

かねてから私たちが応援してきた、早稲田大学の学生によるハンセン病問題支援NGO QIAO の皆さんが、「創りだせ!ボランティア 第3回PRコンテストV-1 2012」でグランプリを獲得したとのご報告を頂きました。

グランプリ映像『つながりが人を変える』はこちら

彼らの視点で、彼らが出来ることを、彼らの力のかぎり、精一杯やろうとしている様に、大人になって分別や日常という枠の中に納まることに慣れて、忘れてしまった何かを思い出させてもらいました。リアルな人とのつながりをもっと積極的に持ちたくなりました。まずは身近なところから始めよう!と決意した私です。

QIAOの皆さんはワークキャンプの活動の場を、中国からミャンマーに広げるために目下鋭意活動中です。2012年の8月には第一回の下見を敢行し、ワークキャンプ実現に向けて更に準備を続けています。

QIAOに関する過去ログ「学生ボランティア」はこちら

中国とはまた違った環境のミャンマー。ハンセン病やその家族の方々の居住環境も、政府の対応も違い、必ずしも思い通りにはなりませんが、きっとそこでも彼らに出来る何かを、摑み取ってくれるのでしょう。(S)

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希望を編む~インドネシアの写真展

インドネシアの回復者組織「PerMaTa(ペルマータ)」から、初めて開催したドキュメンタリー写真展「Merajut Harapan(希望を編む)」が大成功に終わったとの報告がありました。

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ハンセン病に対する差別や偏見が根強く残るインドネシア。
まだまだ多くの人が、ハンセン病は恐ろしい病だと思いこんでいる現実があります。
もっと多くの人に、ハンセン病や回復者の日常について知ってほしい。
PerMaTaのメンバーやスタッフたちは、常にそう思ってきたそうです。
ハンセン病についてのセミナーを開催したり、街中でパンフレットを配ったり、いろんな活動をしてきました。しかし、どうしても対象が限られてしまったり、人々の関心を引くことが難しいという問題がありました。
そこで。
人がたくさん集まるショッピングモールで、写真展をやってみては!?
プロカメラマン並みの腕を持つスタッフ、ブディ・ユウォノさんのユニークなアイディアにメンバーたちが賛同し、実現したのが今回のイベントでした(笹川記念保健協力財団が支援しました)。ブディさんのライフストーリーについてはこちら→ http://www.smhf.or.jp/blog_smhf/blog_hansen/5330/
東ジャワ州スラバヤ市で多くの買い物客を集めるショッピングモール「ロイヤル・プラザ」で11月末に1週間開催された写真展は、祝日を挟んでいたこともあり、大盛況に終わったそうです。

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ロイヤル・プラザ・ショッピングモール。かなり大型です!

写真は、PerMaTaメンバーの日常生活をとらえたものを中心に選んだそうです。家族とのひとときや、真剣に仕事に取り組む姿、学校で楽しく遊ぶメンバーの子ども達の様子も。どれもシャッター越しにそれぞれの人となりが伝わってくるものばかりで、買い物客の目を引きつけます。

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写真に引き寄せられて足を止めてくれた人には、PerMaTaの活動や、ハンセン病についての基礎知識を簡単に記載したパンフレットを配布。

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真剣な表情でパンフレットを読む来場者

州の保健事務所からかけつけてくれた職員が、集まった学生たちにハンセン病について説明を始める、という一幕も。

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マスコミ4社からの取材も受け、訪問者の声も紹介されました。ある来場者は、「(物乞いをするために)道端にいるのがハンセン病回復者だと思っていたけれど、自分たちの村があり、生活があるのですね」と感想を述べていました。
PerMaTaでは、来年2月にも市内での写真展を企画しているそうです。今回のイベントが好評に終わったため、ジャカルタに拠点を置くドナーからも声がかかっており、首都での開催もありえるとか。常に新しいチャレンジに取り組み続けるPerMaTa。ますますの活躍を期待しています。
(M)

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2012 大韓民国ハンセン病大賞を受賞しました

2012全国ハンセン病回復者大会(第9回)が12月4日、大韓民国SCコンベンション空港センターフェスティバルホール(ソウル)で盛大に開かれました。会場には韓国全土から回復者と家族併せて400人近い人々のほか、主要政党関係者、国会議員、保健福祉部等政府関係者、医療研究者、弁護士などが出席しました。例年、この会で授与される大韓民国ハンセン病大賞(事務局:ハンビット福祉協会)は、韓国においてハンセン病回復者の人権回復と権利保護、福祉増進に卓越した業績を残した人物・団体を医療、福祉、奉仕、人権、言論、学術の6部門から選出・表彰しており、2004年から60名、1企業、1冊の本に賞を授与しています。
今年は初めて海外の人・団体も授賞の対象となり、1974年から1998年まで、韓国ハンセン病対策の拡大期に薬品機材や人材育成などの分野で貢献したほか、近年は国連ハンセン病差別撤廃決議と原則の世界的な啓発運動に、韓国の当事者組織との連携を強めてきたことが評価され、笹川記念保健協力財団が受賞しました。同時に、ノバルティス財団(スイス)にも同賞が送られました。
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(右 ハンビ福祉協会 李会長)

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タイ:ハンセン病コロニーから普通の村へ

微笑みの国タイランドで、現在、ハンセン病コロニーが、村へと変わりつつあります。
前世の報いなどとして、ハンセン病患者が厳しい差別の対象となっていた約50年前、タイ国民が崇敬する国王閣下がこの窮状を救うために立ち上がりました。
故郷で暮らすことができなくなった人たちが、心穏やかに暮らす場所を提供するという目的で、タイ全土に13箇所、ハンセン病コロニーが次々と作られました。
保健省直轄のコロニーの土地は保健省に属し、生活にかかる費用は保健省が負担していました。一定の生活の保障はされていますが、土地活用、近隣コミュニティとの共同活性化などを通して、コロニーが発展することは考えられておらず、コロニーで暮らす人たちもそのまま静かに余生を暮らすことを望んでいました。
変化が訪れたのは約8年前。
もはやコロニーで暮らす回復者の数は限られており、多くはその家族です。
これをハンセン病コロニーとして存続させるのか、または普通の村としての第一歩を踏み出すのか。一般コミュニティへの統合案を出したのは、保健省でした。
保健省がまず第一弾として挙げたのが、スリン県のプラサート ハンセン病コロニーでした。
現在プラサート ハンセン病コロニーには22人の回復者と、回復者の家族を含む200人が暮らしています。周辺コミュニティには約8,000人が暮らしています。
コロニー住人との対話が始まった8年前、もっとも苦労したのは、住人の意識を変えることだったといいます。
「保健省直轄でも生活は保障されている。なぜ今さらそれを変えなくちゃいけないんだ?」
という質問に対する答えが
「次の世代も、その次も、ずっとハンセン病コロニーで暮らしていくのか、またはごく普通の村として、普通の国民と同じように、ハンセン病のレッテルを貼られずに生きていく選択肢を考えるのか。決断はあなたたちが下してください。私たちができるのは、あなたたちが普通の村となることを望むのであれば、それが可能となるようにお手伝いをすることです」
住人との対話を続けると同時に、一般の村となることで予算や業務が増加する県政府、県・市町村保健局、福祉関係者、近隣コミュニティの人たちとの協議も開始しました。
住民の結論は、一般の村になることでした。
関係諸機関の合意が得られ、関係者全員による覚書が結ばれたのが1年前です。
プラサート ハンセン病コロニーは、現在はラジ・プラチャ・ルアンチャイ村と名前を変えました。県政府からの技術指導と支援を受け、土地の一部を利用して、食用ガエルや食用の虫を育てたり、コミュニティの貯水池から水を引いて、野菜などを育てています。収穫されたものは、近隣コミュニティで販売されます。
コミュニティに、旧コロニーでの活動も行うコミュニティボランティアグループが組織され、さまざまな活動が行われるようになり、コミュニティの人たちのハンセン病に対する偏見も激減しました。
また、活動が行われるようになったことで、旧コロニーの人たちは、将来に希望を見出しています。コミュニティと共に生きる道を選んだスリン県プラサート。コミュニティに受け入れられ、共に発展していくことができるかどうか、その答えが出るのはまだ先のことですが、それを可能とする体制を作り、コミュニティの人たちを動かしたプラサートの今後に期待したいと思います。

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新しい風:スンゲイブロー療養所

マレーシアのスンゲイブロー療養所の歴史を語り継ぐために出版された「回家 / The Way Home」の著者の1人であるMr Tan EanNeeは、同著の出版後も、スンゲイブローの入所者と第2世代を結ぶための取り組みを精力的に続けています。自分1人だけではなく、多くの人を巻き込み、スンゲイブローと向き合っていきたいという思いから、彼女はスンゲイブローの問題に取り組むCare and Share Circleを立ち上げました。

スンゲイブローの入所者は、日本の療養所とは違い、子どもを持つことが許されていました。しかし子どもの多くはマレーシア内外の家庭に養子に出されました。近年になり数十年の時を経て、スンゲイブローで暮らす両親と再会を果たした人もいますが、生きているうちに子どもとの再会はできないと諦めている人も多くいます。

2012年11月末にCare and Share Circleは若者たちによるスンゲイブロー療養所での3日間にわたるキャンプを組織しました。入所者との交流を目的としたキャンプを終えた学生リーダーの言葉です。

「私たちは、このキャンプでスンゲイブローに行って、お年寄りを励ますんだと思っていました。でもキャンプが終わって、励ましてもらったのは、自分たちのほうだったことに気が付きました。スンゲイブローのみなさんの話を聞かせてもらい、諦めないこと、闘い続けることを学びました。私たちのこれからの人生をどう生きるべきなのか考えるうえで、得難いものを受け取りました」

このスンゲイブローでのキャンプと似ているのが、これまでにも何回かブログで紹介をしたワークキャンプです。(こちらもご覧ください: http://www.smhf.or.jp/news/news_hansen/776/
2001年に中国の広東省で始まったハンセン病定着村ワークキャンプは、飛び火してインドネシアやベトナムやインドでも始まっています。学生たちが村に泊まり込み、道路の舗装や家の修繕などをしながら、村の人、村の周囲に住む人、働く人の心を変えていくワークキャンプ。スンゲイブローでは「ワーク」の部分はありませんが、高齢の回復者に何かをしてあげたいと思って行ったのに、反対に自分が受け取っているものの豊かさに驚いた、というのは、ワークキャンプに参加する学生からよく聞きます。

その国や場所によって、歴史も環境も文化も違い、一つのアプローチがどこでも有効だとは限りませんが、今またマレーシアという国で、若い世代がハンセン病問題に積極的に取り組んでいこうとする兆しを感じ、大きな刺激を感じます。

Care and Share Circleについては、こちらもご覧下さい。素敵な写真がたくさん載っています。
http://www.facebook.com/pages/%E5%9B%9E%E5%AE%B6/242419369130828?ref=hl

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ネパール出張記~お祭り~

みなさん、この牛さん、なぜピンクになっているかわかりますか?

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私は人からいたずらされて、こんな姿になってしまったのか、と心を痛めて見ていました。すると、驚いたことに、全くの逆で、記念日の到来に伴い、牛を崇めているからだそうです。
ネパールでは、ヒンドゥー教、仏教、ラマ教、キリスト教、イスラム教など、さまざまな宗教の方がいらっしゃいます。その中でも、ヒンドゥー教の方が11/12~15は、記念日のため、牛などの宗教上尊敬の対象となる動物をピンクなどの明るい色で染めて尊敬の念を示すとともにお祝いしているのだそうです。
この3日間は、ヒンドゥー教の方は、家族で集まり、お姉さんから弟さんへ贈り物を贈るのだそうです。現地の方にその由来を尋ねると、その起源となるヒンドゥー教の説話を教えてくれました。― 昔、仲の良い姉と弟の姉弟がいました。姉はのちに遠くの町へ嫁ぎに行きますが、そのすぐ後、弟は体調を崩し危篤状態に陥ってしまいます。姉は心配し弟のところへすぐに戻りました。弟の看病をしていると、弟にとりついていた悪霊が突然目の前に現れました。姉は弟を奪われまいと、弟の寝床の周りに油をかけ火を灯し、火の輪の中に弟を置きました。「この火が消えたら弟を死後の世界に連れていってもいい、しかし、それまでは待ってほしい」と悪霊に訴えたのでした。悪霊は姉の願いを聞き、火が消えるのを待ちました。しかし、油は盛んに燃え、一向に消える気配はありません。しびれをきらした悪霊は、待ち切れず、そのまま退散していきました。こうして、姉の勇敢な行動は、弟を守ったのでした。
このような説話から、結婚後も末長く姉妹と兄弟が仲の良い関係でいることを確認し合い、家族愛を確認する日として、今日まで姉から弟へあるいは妹から兄へ愛情を示しつつ健康と成功を期して花輪や食事などさまざまな贈り物を贈るのだそうです。

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お姉さんから花輪の首飾りをもらい笑顔のラメシュさん

私が協力団体Nepal Leprosy Trustを訪ねた日は、11月15日でちょうどその記念日でした。いつもは真面目で仕事熱心なSER(Socio Economic Rehabilitation)部門のリーダーを務めるラメシュさんも、午前中にお姉さんから花輪の首飾りをもらい、午後には「これから妹に会いにいくのだ」と、少し照れつつも満面の笑みで、話してくれました。
ネパールの姉妹と兄弟の家族愛が、末長く続くように祈りたいと思います。(T)

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日本のハンセン病問題とメディア

日本では1951年に、全国国立癩療養所患者協議会(全癩患協:1953年に全患協と改称)が結成されました。入所者が個人ではなく、団結して待遇改善を求め、交渉力を強めました。長い闘争の歴史の結果、徐々に園内の住環境も整備されるようになりました。
1996年には全国国立ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)と名前が改められましたが、全患協・全療協の歴史を通しての最大の転換が訪れたのは2001年でした。
全療協の会長である神(こう)美知宏さんが、回復者運動とメディアの役割について語ってくれました。
「1998年に熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提訴され、続く1999年には東京地裁と岡山地裁に「らい予防法」人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟が提訴されました。
歴史的な熊本地裁の判決が下りたのが、2001年です。
原告側(回復者)の完全勝訴となりました。
勝訴から2週間の期間を経て、国は控訴を断念しました。
控訴か否かが決定されるまでの2週間、多くの人が厚労省前で控訴反対活動を行いました。
その反対運動に参加してくれたうちの半数近くが、回復者やその家族ではない、社会の市民だったのです。
その方たちに聞いてみると、『隔離政策を推し進めた国の政策もあるが、自分たちの前の世代の人たちがやってきた無らい県運動や、ハンセン病の問題を見ないふりをしてきた私たちにも責任があると思った』という答えが返ってきました。
それまで私たちの活動は、約50年にわたり、待遇改善を求めるものでした。それが2001年の勝訴、控訴反対運動を通して、大きく目指すものが変わったのです。
いわば待遇改善という壁の中での運動から、人間回復・差別の一掃をめざす運動に変わったのでした。
先ほどの、自分たちにも責任があると思ったという意見ですが、これが出てくるようになったのは、メディアが果たした役割が大きかったと思います。
提訴、勝訴、そして控訴断念までの期間、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど多くのメディアがハンセン病の問題を取り上げてくれました。
それによって、それまでハンセン病の問題があるということも知らなかった多くの人たちが、問題を知り、それが自分たちと無関係ではないことを感じてくれたのだと思います。
これによって、私たちの運動は大きく変わることができました。
いま私たちは危機的な状況にいます。
ハンセン病問題基本法で人間らしい人生を送ることが約束されたにもかかわらず、療養所の職員不足のために人間らしい生活を送ることはできていません。そして過去数年間これを改善するよう厚労省に訴えていますが、事態は全く動いていません。
ハンセン病という病気によって、生涯の大半を隔離され、人間らしく生きることも許されなかった私たちが、安心して生活を送ることができるようにするためには、皆さんの力がまだまだ必要です。メディアには積極的にハンセン病問題を取り上げてもらい、一人でも多くの人に私たちの状況を知っていただきたいと思います」
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岡山で回復者など製品

10月27日(土)に岡山で開催された「ハンセン病問題の今後を考える国際シンポジウム」で、フィリピンのマニラ近郊の療養所の女性グループが作る製品と、インドの回復者とその他の障がいを持つ人たちが作る製品を販売させていただきました。
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受付の向かいに場所をいただいたので、受付を終えられた皆さまがたくさん見に来てくださいました。
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フィリピンの製品(詳しくはこちらをどうぞ!http://www.smhf.or.jp/blog_smhf/blog_hansen/5351/)は大好評で、たくさんの方に買っていただきました!
同じく人気だったのが、インドのストール(詳しくは9月28日にアップされたインド製品についてをご覧ください http://www.smhf.or.jp/blog_smhf/blog_hansen/5352/)。
鮮やかな色のものがたくさん売れました。
ずいぶんと涼しくなってきましたが、襟に1枚くるくるっと巻くだけで違います!
それ以外に強力新製品はこれ!
インドのジュートバッグならぬジュートカードです。
しっかりした色とりどりの厚紙で作られたカードに、象、くじゃく、魚などの模様のジュートが貼り付けられていて、とってもキュート。
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多くの人に見て、触れて、買っていただき、感謝感謝でした。
買ってくださった方、どうもありがとうございました。

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ハンセン病問題のこれからを考える国際シンポジウム

10月24日、25日の国立ハンセン病資料館での歴史保存ワークショップに続き、26日は一路岡山へ移動。
朝7時に品川のホテルに集合ですが、朝からテンションの上がるチーム ブラジル。
駅構内をみんなで高らかに歌いながらいざ新幹線に乗車。
楽しそうに歌ったりトランプをしたりするチーム ブラジル。
音楽を聞いたり、寝たり、写真を取ったり、1人の世界に入るフィリピン人。
中国語・マレー語で楽しそうに話をするマレーシア人と台湾人。
それぞれカラーが違います。
27日(土)には岡山市内のホテルで、「ハンセン病問題のこれからを考える国際シンポジウム」が開催されました。国立ハンセン病療養所の長島愛生園歴史館と笹川記念保健協力財団の主催ではありますが、愛生園、自治会、歴史館の皆さまの入念かつきめ細かいご差配のおかげで、素晴らしいシンポジウムになりました。
当初の定員は120名でしたが、それを200名としましたが、席もほぼ埋まり、大盛況。
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長島愛生園の藤田園長の挨拶に引き続き、ハンセン病ボランティアゆいの会の会長である、近藤先生による「日本におけるハンセン病問題の歴史保存とその活用について」の講演と続いたシンポジウムでは、
マレーシア、フィリピン、ブラジルの各国の現状報告と、国境を超えた歴史遺産保存の可能性についての発表もされました。
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疲れ果てて東京へ戻る新幹線の中は静かに就寝
かと思いきや、各地でそれぞれ歴史保存を進める傍ら、国を超えたレベルで何が可能か、と熱い議論が延々と続きました・・・・。


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