[会長ブログ ― ネコの目]
8月15日と「はだしのゲン」の閉架措置

私は、当時、小農村であった現宝塚市(兵庫県)で、昭和20(1945)年8月15日を迎えました。
5歳数カ月のことで、正確な記憶ではありませんが、よく晴れた、暑い日だったように思います。自宅近くの古い小学校は、国内に残っていたすべての男性を集めた兵営となっていました。その朝、幼心にも痩せて、ひょろひょろした「ヘイタイサン」たちが、運動場に整列しつつあるのを、私ども餓鬼っ子たちは、小学校に併設されていた幼稚園の瀟洒な柱をつなぐ漆喰の低い壁の上で見ていました。
校舎正面の朝礼台には、古いラジオが置かれ、前方には、抜刀して捧げた士官隊員が整列していました。雑音混じりの放送が始まり、後に知ったことですが、天皇のお言葉が流れました。よく聞き取れない上、当然、子どもには理解できない言葉でしたが、次第に嗚咽が高まり、膝を屈して肩を震わせる兵士たちの姿に、尋常ならざることが起こったとは理解できました。普段は騒ぎたてる子どもたちも、ひとり一人、静かに壁を下りて、そして静かに家に戻りました。地域の世話役をしていた祖父のところに、三々五々、人々が集まり、子どもたちが入る余地のない雰囲気がありました。
当時、毎夜のように、「B29」が襲来し、不気味なサイレンの音、停電、近辺の軍需工場では空爆による火災もありました。眠る時には、枕元に身につける順番に衣類を畳んでおくことは、山に近く、大来な襲撃を受けなった農村でも、そして4、5歳の子どもでも、無事に生きるためのmustでした。小さな防空頭巾が一番下、そしてあるかなきかのビスケットなどを入れた小さな掛け袋を傍に置いていました。今でも、ある種のサイレンで動悸するのは、いわゆるPTSDなのでしょう。
8月16日の報道で、中沢啓治氏の世界的なマンガ「はだしのゲン」を描写が過激として、閲覧には教員の許可を要する閉架措置にしている自治体があることを知りました。 すでに、半年以上も前から行われていることですが、8月という時期の話題として取り上げられたものかと思います。不愉快なものを避ける、子どもたちを過激なものにさらさない、というのは優しさの発現でしょうか。しかし、現実の世界を知ることも、また、厳しい優しさではないかと思います。
地域紛争国に関与した頃の聞き取りですが、ある村の大半の子どもは家族が殺傷されるのを目撃し、さらに衝撃的だったのは、約20%の子どもたちは死体の中に紛れて、自分が殺されるのを免れたとの話でした。お目にかかった方々は、「運良く」生き延びられた方々ですが、暗く物憂い表情を忘れることは出来ません。子どもらしさ・・・ではなく、人間らしさとは何か、と胸が痛みました。過激なことを見聞しないことも大事かもしれませんが、一生避け続けられないし、実社会はそれほど優しくはない・・・とも思います。
残念なことですが、世界の中には、大人になる前に命を失う子どもは、まだ、沢山います。しかし、子ども時代を経験していない大人は一人もいません。いくつかの紛争地で働いた私には、日本の戦争のない70年近い間に育った子どもほど、幸せな子ども時代はないと断言したい想いがありますが、過激な描写を禁じることが子どもの平和を願う気持ちを強化するとは思えません。終戦の日に思った感想です。