[会長ブログ ― ネコの目]
国際看護師

弊財団のかつての大事業にチェルノブイリ・プロジェクトがあります。
同プロジェクトを引き継いで、今も支援を続けさせて頂いているCTB(Chernobyl Tissue Bank)の年次会議参加のため、ロンドンに参りました。CTBとは、チェルノブイリ原発周辺で、事故後、被ばくした子どもたちで、後に発病した際の甲状腺組織を収集保存し、必要に応じて、世界の研究者に提供している国際協力計画です。たまたま、ロンドン到着日に財団メイルで送られてきた、高山文彦氏による週刊ポスト連載「宿命の子」第71回は、1990年9月、当時日本財団理事長であった笹川陽平現会長が、ゴルバチョフソビエト連邦大統領(当時)と面談された際の要請が、既に始まっていたチェルノブイリへの支援を一大プロジェクトした経緯のさわりの部分でした。23年目、例年の、そして1日半ではありましたが、新米理事長には、緊張を強いられる、しかし収穫の多い会議でした。
さて、会議終了後の嬉しい邂逅です。
かつて勤務の看護大学一期生・・卒業後9年目・・・なので、花の20代は終えた辺りですが、ロンドン在住のHISAYOサンと逢えました。看護師助産師保健師の資格を得て、国際志向もあったのですが、人生は思うように参りません。現在は、ロンドンで保健分野の専門職にあるパートナーと日本でめぐり逢ったことで、私的な国際化がすすみました。学生時代の面影も残しつつ、少し和風度が上がったようなHISAYOサンでしたが、既に数年のLondoner生活のせいでしょうか、カジュアルながらシックな装い、そしてママのもつ日本人遺伝子とパパのもつ数カ国のそれらを受け継いだ、お人形のようなお嬢チャンと現れました。
時折、facebookのやり取りがあり、妊娠出産時のイギリスの保健制度NHS(National Health Service、世界で最も古い公的保健サービス制度)の様子も教えてもらったりしていましたが、たまたま、1カ月ほど前、メディアのインタビューで、「国際を冠した看護大学だったので、国際保健/看護の教育には意を用いたが、私生活の国際化は勧めなかったにもかかわらず、既に数名以上の国際結婚組がいて・・・」と申した後、「そうです。それは学生の責任です!」との便りを貰っていました。
多民族共存の地を人類の坩堝などと申しますが、いわゆるLondonerの比率が45%程度の当地も、行きかう人々を見ているだけでは、何処の国かと思います。また、人口維持に移民は必要としながら、数年前からは、やや、受入制限が始まっている(英国議会)この国ですが、HISAYOサンは、適当な時期には、こちらの資格も獲得し、専門性を生かして働きたいとの意欲を述べてくれました。いつか、本当の国際看護師振りを拝見したいものです。