[会長ブログ ― ネコの目]
ネルソン・マンデラ大統領の死

南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が12月5日亡くなりました。1918年生まれ、95歳でした。世界のメディアがその死を報じましたが、NHK WEB NEWSにとても判り易い解説があります。
南アフリカを縛っていたアパルトヘイト(人種隔離政策)は、政府が推進した人種差別ですが、第二次世界大戦後の1948年にオランダ系移民からなる政党が政権をとって露骨に強化されたそうです。中世から近世に移行する頃、ヨーロッパから遠く離れたアフリカ南端に進出した人々の気概は多とすべきでも、現地の人々にとっては単なる侵略者。その外来少数白人が得た既得権を守るための政策は、同時に大多数を占めるアフリカ系国民の自由な移動や民族間結婚を禁じるなど、何やら原理主義顔負けの厳しい規制でした。今で云う「人間の安全保障」の否定でした。
70年代には、有名な「ソウェト蜂起」註1など国内抵抗、80年代の国際的経済制裁もあって、1989年に人種融和を訴えて政権についたデ・クラーク大統領が28年も収監されていたANC(アフリカ民族会議)の闘士マンデラ氏を解放し、この国は新しい時代を迎えました。アパルトヘイト排除、初の自由選挙、ANCの勝利、1994年のマンデラ大統領の就任ですが、ノーベル平和賞受賞は1993年。改革を進めたデ・クラーク大統領(当時)と同時受賞でした。1967(昭和42)年には、世界初の心臓移植を行ったこの国は科学的に高い水準にあったにもかかわらず、人道的には時代錯誤といえる乖離があったのですね。
この自然資源の豊富な国は、それが故に外部の関心を引き、複雑な状況を作ってきたのでしょう。サブサハラアフリカ女性として初めてノーベル文学賞を受賞した南アの作家ナディン・ゴーデマーの「バーガーの娘」註2は、アパルトヘイトと戦うアフリカンスと呼ばれる白人一家の物語ですが、読破するに時間がかかりました。小説ではありますが、現実と切り離せない状況を理解できていなかったからでした。
アフリカの紛争地の仕事をしていた頃、例えばコンゴ民主共和国(旧ザイール)で、ネルソン・マンデラ村と名付けられた避難村を見たことがありました。すべてを超越し融合することを唱えたマンデラ氏の名において、平和を願う人々の篤い、いえ、切ない願望を感じました。
南アのズマ大統領は、「われらが愛すべきネルソン・マンデラは旅立ち安らかに眠りについた。自由を求める彼の不断の闘いは世界の尊敬を集めた。いつかはこの日が来ることを分かってはいたが、この大きな喪失感が消えることはない」と述べています。世界は、時に一人の偉大な人格を要しますが、私たち自身が、常に世界の安寧を考えることも必要だと思います。
註1:ソウェト蜂起:ソウェトとは、金鉱発見後、ヨハネスブルグ南西部South Western に出来た街Townshipsのこと。小さな住宅がひしめいていた。ソウェト蜂起は、1976年、学校教育をオランダ系移民の言葉(アフリカンス語)に変更することに反発した学生たちの蜂起。13歳の少年ヘクター・ピーターソンが射殺されたことで激化した。記念館がある。
註2:バーガーの娘 1、2 みすず書房