[会長ブログ ― ネコの目]
神谷美恵子生誕100周年記念の集い

2014年1月11日、岡山市民会館での「ハンセン病者の心に寄り添い生きた医師-神谷美恵子生誕100周年記念の集い」に参加しました。国立療養所長島愛生園ならびに長濤会主催、長島愛生園入所者自治会、長島愛生園歴史館、あ岡山県、岡山市と瀬戸内市に私ども笹川記念保健協力財団が共催、さらにハンセンボランティア「ゆいの会」他7諸団体が後援した本集いには1600名がご参加、ロビーの長島愛生園歴史資料展示や神谷先生そしてハンセン病関連書籍の売り場も人の山でした。
山陽高校放送部の2女生徒の司会、藤田愛生園園長の挨拶の後、昨年、102歳をお迎えになられた弊財団名誉会長日野原重明先生の「人生の生き方の選択」と題する講演がありました。神谷、日野原両先生は同世代人ですが、直接のご面識はなく、結びつきは、一冊の哲学書でした。英仏語は申すまでもなく、ラテン、ギリシャ語に通暁され、若くして原語で古典に親しまれていた神谷先生のご翻訳にマルクス・アウレリウス・アントニヌスの「自省録」があります。ストア派哲学者でもあったこのローマ5賢帝のひとりがギリシャ語で書き遺した内省の書は、日野原先生が敬愛される近代臨床医学の先達ウイリアム・オスラーが、医学を学ぶものは日々眠る前に読むべき書があるとしてあげており、日野原先生は神谷訳を読まれたそうです。
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講演中の日野原名誉会長
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自省録
その神谷先生は、1930年代の津田英学塾在学中に訪問した多摩全生園で、ハンセン病者をケアする若いナースに感動されたこともあって医療を志し、後にこの病気に侵された人々のために働くことを天命と感じられたことは良く知られています。医学を目指された時、文部大臣を歴任した父前田多門に反対されたそうですが、それでも初志貫徹して女子医大をご卒業になられ、1957~72年の間、長島愛生園に勤務されました。
日野原先生のご講演後は、愛生園で「神谷美恵子記念がん哲学外来カフェin長島愛生園(略称愛カフェ)」を開催されている樋野興夫順天堂大学教授、長島愛生園入所者自治会石田雅男副会長と神谷先生ご令息神谷徹氏の鼎談でした。医師としての神谷先生について、石田氏は、苦脳から自殺を企てた後、「死ななかったことで、あなたは生きなければならない」と諭された。「今、こうして生きていて良かったと思うと生き方こそ、あの世の先生に一番喜んでもらえることではないか」と仰せでした。また、ご令息さまは、「母が神谷美恵子と意識したのは、ずいぶん後」とされ、ご家庭では、決して偉い人ではなく、優しい母であったとされました。どちらのお言葉からも、在りし日の先生のお姿が彷彿されました。岡山も厳しい寒さでしたが、暖かい気持ちで会館を後にしました。