[会長ブログ ― ネコの目]
コートジボワール

FFIFA(Fédération Internationale de Football Association)こと国際サッカー連盟のWorld Cup 2014がはじまりました。
日本の緒戦はアフリカの強豪コートジボアール。スポーツ音痴の私でも、何だか日本は押され気味に見えた前半、ゴールしないものの何度もシュートする相手選手に、ハラハラドキドキしました。しかし、鮮やかな本田のゴール!! このままと願いましたが、後半、わずかな間にまさかの2失点。溜息です。
コートジボアールのサッカー選手・・・、私は苦笑ものの経験があります。
2002年の秋、ジンバブエへの道中、飛行機乗り換えのため、南アフリカのヨハネスブルグ空港で時間待ちをしていた時のことです。資料に目を通していたのですが、ちょっと飲み物でもと思った瞬間、本当に待っていましたとばかりに、隣の精悍な若者がコーラを差し出して、「ドウゾ・・・・」と勧めてくれました。でも、このような状況では、私はとても用心深いので、「ゴメンナサイ、私、コーラはノマナイノ」と、持参のペットボトルのミネラルウォーターを見せました。一口喉を潤した後、資料に目を落とそうとすると、その青年が、「アナタハ、日本人?」と尋ねました。
「ソウダケド・・・何カ?」  
「私、フットボールノ選手ナノデス。」
「?」  
「日本チームデ、プレイシタイノデ、紹介シテホシイ」
「・・・・ゴメンナサイ。私、フットボール関係者ニ知リアイハイナイノ」
「デモ、アナタノ一族ヲ探セバ、ダレカ知リアイガミツカルダロウ。ゼヒ、サガシテ!私ハ自国チーム***デモ、PP国ノQQチーム、XX国のYYチームニモヤトワレタ。日本ニイッテモ、十分、カツヤクデキル!」
「!」
コートジボワールがフランスから独立したのは1960年8月7日。この年、1月1日のカメルーンに始まり、11月28日のモーリタニアまで、アフリカでは18もの地域が独立(その後統一したので現在は14)しました。イギリスから2、ベルギーとイタリアからは各1でしたが、フランスの植民地からは14の新興国が生まれ、そのため、60年代はアフリカ希望の10年と呼ばれました。しかし、宗主国支配者が去り、補給が絶たれた後、十分育っていない人材による形ばかりの西欧式体制は短期間に機能不全に陥り、行政も保健や教育、運輸などのインフラも立ち行かなくなり、加えて領地や水、資源争いが続発しました。その中には、何十年も経った現在まで遷延しているものもあります。
ところで、コートジボワールはフェリックス・ウフェ=ボワニ初代大統領が親仏政権を樹立、貧しいながらも比較的安定し発展してきました。そして、西アフリカの奇跡ともよばれたこの国も、1990年代に入って、33年の長期政権だったボワニ大統領の死や冷戦構造終結後の国際バランスの変化から、遅ればせの紛争状態となりました。しかし、2011年、アフリカ連合の介入もあって、現在は小康状態と云えるかと思います。現在、人口約2000万弱で、GDPは1,700ドル弱、平均寿命55歳ですから、まだ、いわゆる途上国状態を抜け出してはいません。
ゲームの後半、少し年をとったアフリカきっての知的プレーヤー ドロクバが投入され、そして日本は緒戦を失いました。歓声をあげるコートジボアール勢の中に、よもやあの青年はいないだろうとは思いながら、目を凝らし続けてしまいました。