[会長ブログ ― ネコの目]
二人の八重さん

先週末の国際開発学会春季大会は、京都の同志社大学でした。
昨年のNHK大河ドラマ新島襄のパートナーだった明治のハンサムウーマン八重さんの名残を感じて帰った日曜日、音楽座ミュージカルの「泣かないで」を鑑賞し、もう一人の八重さんのことを知りました。
劇中の数々の曲や科白に明らかな病名はありませんが、このミュージカルは、うすうす、ハンセン病と関係があるらしいとは知っていたのですが・・・・・
原作は、遠藤周作氏の「わたしが・棄てた・女」、学生時代に訪問された「神山復生病院」の一看護師からイメージされたそうですが、その方が、もう一人の八重さんです。
第二次世界大戦後の東京、日本の大半が食うや食わずの時代、小説は、貧しい大学生二人のウジがわきそうな下宿、主人公吉岡努の手記から始まります。時代が変わったと申せばそれまでかもしれませんが、今時、吉岡に「もてあそばれて」、「棄てられた」、素朴で、かくも純粋無垢な人はいないと思える森田ミツのドラマティックな一生ですが、その背後には、キリスト教的愛があると、解説されています。
この森田ミツのモデルが、現実の神山復生病院の看護部長を務められた井深八重さんです。
こちらの八重さんは、新島八重さんにご縁のある同志社女学校専門学部英文科を卒業され、長崎で英語教員時代に縁談が決まりました。しかし、時同じくして現れた皮膚の症状から、神山復生病院に入院されます。当時のハンセン病者の置かれていた立場からは、まさに現世との絶縁だったのでしょう。しかし、1年後に誤診と判り、退院も可能な中、当時の病院長ドルワール・ド・レゼー神父に申し出て、唯一の看護師となられたそうです。その貢献は、後にナイチンゲール記章やヨハネ23世からの聖十字勲章に繋がります。どこで看護を学ばれたかは、まだ、調べ切れていませんが、私には、現在の仕事であるハンセン病との関係、そして以前の職場の赤十字に関係のあるナイチンゲール記章とダブルに因縁を感じました。
ミュージカルは、大学卒業後、勤め先の上司の姪と結婚しながらも、どこかでミツを忘れきれない吉岡の心の闇・・とでも申しましょうか、「棄てた」「女」を忘れきれない葛藤と、あまりにも純粋一途なミツの、幼時に小児麻痺を患った吉村を含め、貧困ややまい、社会からの隔絶など、虐げられたもの、弱きものに対する、意識してはいない、代償を求めない愛が交互に表出されて、終幕に到ります。何度も何度ものカーテンコール、スタンディングオベーションは、観客が皆、ドラマとしてあるいはミュージカルとして深く感動したことを示すものでしょう。
こちらの井深八重さんは、会津九家と称された会津藩名門のお家柄のご出身ですから、もう、お一方の八重さんとも近いとも申せます。そして、そのご先祖には、戊辰戦争時に白虎隊士として自刃された方もおいでなのです。また、ソニーの井深大氏もご一統なのです。
遠藤周作氏の小説には、今は使われなくなった病名や対話もありますが、私自身は、戦後風俗を含め、ミュージカルの表現同様、芸術作品の描写として、違和感なく、感動をもって読めました。