[会長ブログ ― ネコの目]
歴史の重み

笹川記念保健協力財団は、先の40周年記念講演会(2014年10月17日)でも申しましたが、世界のハンセン病制圧という壮大な目標のもとに設立されました。1985年から始まった統計データによると、当時、世界では毎年数百万を超える患者が報告されていました。
繰り返します。ハンセン病は、らい菌による感染症です。しかしこの菌は、感染しても病原性(感染した人が症状を示す力)がきわめて弱くめったに発病しません。ただ、潜伏期(菌が体内に入ってから症状を示すまでの期間)は最低数年と著しく長く、何時どこで感染したのか判りません。その点、現在、西アフリカで猖獗を極めているエボラウイルス病(出血熱)は、潜伏期間は2~3週間、感染するとほぼ発症し、治療しなければ旬日で死に至るという急激さとはまるで正反対、また、ウイルスを原因とするエボラは有効な治療薬がないのに対し、ハンセン病は3種の薬剤を組み合わせ服用すれば完璧に治ることも違います。
らい菌は皮膚や、皮膚に分布する末梢神経を侵します。初期には、皮膚に斑紋が生じ、その部の知覚がなくなります。痛くない・・・というのは、良いようでとても困った症状です。痛みが強ければ、誰でも医療を求めますが、痛くないと放ったらかし、怪我しても痛くない・・・ために傷が化膿したり、手遅れになり、神経のマヒとあいまって障害をのこします。外見が侵され、手足が変形し、機能喪失が生じて始めて病気と気づく・・・弱い病原性のために、遺伝と間違われたり、長い期間をかけて生じた見掛けの問題がこの病気を社会から遠ざけたりしました。
実際、骨の化石から、有史以前にも、この病気の存在が判っていたのに、1940代まで治療法がなく、さらに感染症だと判ったことが理由で、厳しい隔離政策がとられました。
この病気、等しく世界のどこにでも発生し、どの国でも、似たり寄ったりの経過をたどっていますが・・・・わが国の厳しい隔離政策の基であった「らい予防法」はやっと1996年に廃止され、それを受けて1998年に熊本地裁に提訴された「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が2001年に原告側の勝訴、同年6月の衆参両院で、「ハンセン病問題に関する決議」が採択されました。遅きに失したとも申せます。が、国は回復者となっているかつての患者さんたちに謝罪しました。
笹川記念保健協力財団は、元々、海外活動が主でしたが、今までの歴史をきちんと検証する必要性を認識し、2004年から歴史保存のための活動を先導し、また支援しています。
一昨年の第1回歴史保存のためのワークショップに続き、2014年10月31日、11月1日、タイ、コロンビア、マレーシア、ネパール、フィリピンの関係者をお招きしての第2回ワークショップを国立ハンセン病資料館で開催、2日には、草津温泉の近く栗生楽生園を訪問、そして4日には、日本財団ビルで第5回世界ハンセン病セミナーを開催しました。今回は、かつて世界的な「隔離の島/市」であった、フィリピンのクリオン療養所と、南米コロンビアのアグア・デ・ディオス(神の水)の歴史を語って頂きました。
ワークショップは、タイ、コロンビア、マレーシア、ネパールで歴史保存に取り組む関係者のためのものでしたが、セミナーには、沢山の参加者が、時間後も、コロンビアとフィリピンの発表者を取り囲んでいました。
フランスの文筆家ゴンクール兄弟の言葉に「小説は過去にあったかもしれない歴史であり、歴史は過去にあった小説である」という言葉があります。私が回復者の方々とお話する機会は、まだ、きわめて限られたものですが、皆様のお話は、どんな歴史よりも、そして小説よりも劇的です。
国の歴史、地域や組織の歴史・・・・それはその構成単位である個々の人々の歴史の集約であることを強く想い、個々人を大事にする社会の重要さを改め痛感しました。
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学芸員の方の説明を聞きながらハンセン病資料館を見学する各国の参加者たち
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財団内で行われたセミナーでのコロンビアからの参加者のプレゼンの様子

過日設立40周年を期しての催しをさせて頂きましたが、この3連休は、続けて、歴史の重みを考える機会となりました。