[会長ブログ ― ネコの目]
函館

ただ今、ロンドンですが、今日のブログは、先週の北海道の最後、函館についてです。先に記しましたように、同地の高橋病院の院長高橋肇先生からネット関連講義を受け、同病院のcare関連施設との連携を見学させて頂きました。
社会医療法人高橋病院理事長、社会福祉法人函館元町会理事長、一般社団法人元町会代表理事高橋院長を存じ上げたのは、本年8月上旬、東京で開催された日本病院会の院長幹部セミナーでした。高齢化に伴い、cure(病気を治すこと)とcare(健康状態低下を前提に、クライアントの生活をまるごと支えること)の連携はますます重要、などと云うのは机上の空論です。先生は、政策上導入されたcare施設を開拓するとともに、cureの拠点病院とそれらを有機的に統合する手段にシステムを活用していると仰せでした。目からうろこ、いえ、目がくらみました。先生は、地域ぐるみのネット活用実践で、2008年に「地域連携システム 道南MedIka」というシステムを導入し、この分野(u-Japanベストプラクティス2008優秀表彰)最優秀賞の「u-Japan大賞」をも受賞されているパイオニアなのです。

http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/special/it/report/200808/507446.html

ご講演後、進行中の「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業研修生のための見学をお願いして、今回の押しかけが実現しました。4ヵ月の間に、さらに発展させられたお考えとネット網活用の実態を、長時間、面白く、判りやすくお話し下さいました。その後の実践をご指導下さったのは、先生の片腕的存在の滝沢さま、「元」看護師です。医師、それも大きな施設責任者の立場で構築されたネットは、多職間連携とは申せ、看護師が責任を持つ在宅センターのそれとは大いに異なりましょう。しかし、看護師が最大の力を発揮するであろう
careサイドもcureとの連携は必須、時間をかけても、研修生諸氏が良いネットシステムに行き着いて欲しいと思いました。
病院だけでなく、見学させて頂いた関連諸施設のスタッフご一同が、皆、ネット党の様子もむべなるかな、そもそも、循環器内科医であられる院長は、早くも明治27年に、この地に病院開設され、斬新技術活用とともに、社会科学としての医療の実践に邁進されたご先祖さまのDNAをご継承されているのでしょう。病院の理念(写真)も、多くの病院のそれと一味異なりますし、昭和38年の院内保育所開設もかなり早い(私は、昭和40年代の国立病院で、保育所開設交渉に苦労しました)ですが、過去十年余の、老人病棟、老人介護支援センター(函館市より委託)、介護老人保健施設、訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所、訪問介護ステーション、介護病棟、特殊疾患療養病棟、認知症高齢者グループホーム、小規模多機能施設を次々に開設された上、それらの間の連携がなされています。電子カルテ、クライアントが電子ペンで記載すると、瞬時とは申しませんが、数分後には、関係者にそれが伝わる・・・そんなシステムは、人口減と高齢化を先取りした、保健医療による地域安定化とも申せます。
その高橋病院の歴史からは、函館の歴史とともに、高齢社会日本における保健医療の在り方が判る気がしました。病院開設は西暦1894年、日清戦争の年です。日清戦争では、当時の
「朝鮮国」内で発生した農民暴動/戦争をきっかけに、日本と、当時は「清国」であった中国が、あえて申せば、朝鮮半島の支配をめぐって戦いました。わが国は、この戦争に勝ち、一躍、国際社会に足場を築くと共に、中国大陸の遼東半島などを占領しました。明治維新(1868)以来、西欧列強に追い付き追い越すため、富国強兵政策をとってきた東洋の小国日本の政策が成果を上げた・・・と同時に、以後、わが国の侵略姿勢が強まるきっかけにもなったと、私は思います。そしてその頃、北海道では、室蘭や小樽、そして函館港が栄えました。
そう申せば、函館は、戊辰戦争最後の函館戦争(1868-69)の地、明治政府軍が最後の幕府側勢力を制圧し、日本の中世の幕を引いたところでもありました。現在の函館市立病院は、1860(万延元)年、北海道初の西洋式病院ですが、函館戦争当時の院長は、敵味方なく戦傷者を治療し、日本の赤十字活動の魁ともされる高松凌雲(夜明けの雷鳴)、そして高橋病院開設者高橋米冶先生も、その卒業生です。
先日、有名な函館の夜景も人口減のために、灯りのない黒いスポットができているとの新聞記事がありました。でも、マイナス1,2℃の函館山から拝見した景観は冷気の中で輝いていましたし、イルミネーションが見事な函館港は多数の観光客で賑わっていました。
大いに見聞を開かせて頂いた高橋病院への再見学をかねて、また、行ってみたいところが増えました。

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高橋病院理念
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函館の夜景

注:
戊辰戦争:1868(明冶元年) -69(明2)、薩摩、長州藩らによる明治新政府と、旧幕府側および奥羽越列藩同盟が戦った、わが国近代化前の内戦。明治政府の勝利で、国内対抗勢力は消滅し、新政府が国際的に認められるように。
函館戦争:1868-69。府の海軍の指導者榎本武揚らが、幕府の艦船で江戸脱出し、北海道に向い、函館五稜郭を占領、北方防衛開拓を申し出たが、新政府に認可されず、戦争となった。新政府軍と旧幕府の対立の最後。
「夜明けの雷鳴―医師高松凌雲」 吉村 昭 文芸春秋 2000