[会長ブログ ― ネコの目]
テロ in Paris

新年早々、痛ましい、そしておぞましい事件が起こりました。
卑劣な襲撃の犠牲となられた方々と、そのご家族、同僚、友人そしてフランスの人々に、心から哀悼の意を表します。
2015年1月7日、昼前のパリ、シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)という風刺画を特徴とする週刊新聞社に、覆面した武装二人組が押し入り、編集長ら職員と警官2名を含む12名を射殺しました。犯人らは、翌々日、立てこもり先で射殺されました。結局、この事件で失われた命は17名に上るそうですが、その数ではなく、起こったこと事態が、2001年9月11日の同時多発テロ同様、世界に新たな挑戦を挑んだものと思います。
直後、現場に到着したフランスのオランド大統領は「テロ」だと明言されました。その後、世界各地で、「私はシャルリー!」と書いたプラカードを掲げる追悼が続き、パリでは街全体を埋める連帯の輪が広がりました。イギリスのキャメロン首相、ドイツのメルケル首相、イスラエルのナタニエフ首相もパレスチナのアッバース大統領も、ともにオランド首相と腕を組んで行進されました。
二つのことを思いました。
今回の事件の場は、パリの中部にあるバスティーユ駅の近くだそうです。
テロという言葉の最初は、バスティーユ宮殿襲撃で開始されたフランス革命に始まります。この、史上最大の市民革命-フランス革命を簡単に申すことは不可能ですが、要は、1789年7月14日、それまでの旧体制に不満を持った人々がバスティーユ宮殿を襲撃し、いわゆる第三身分(平民)による国民議会発足に始まる革命の拡大が、王政と封建制度を崩壊させ、自由・平等・博愛を奉じる新生フランス誕生の経過です。実際、国内が落ち着くまでには数十年もかかっていますが、その初期、キリスト教迫害、ルイ16世やマリー・アントワネットらのギロチン処刑、多数の内乱などなど、ロベルピエール率いるジャコバン党恐怖政治が終わる1794年までは、実に血なまぐさい時代だったようです。
テロの語源は、この間、「権力を握った」ジャコバン党が、敵対する人々を次々粛清するためにギロチンにかけたことを恐怖政治La Terreur(仏語)と呼んだことに始まります。つまり、最初のテロとは、「権力者の手段」だったのです。現在のそれは、まったく逆で、「権力を持たないもの」が、権力側に抵抗する手段として乱用されています。
かつて、紛争地勤務の後、テロを少し調べたことがありますが、そもそもの定義すら、何十何百もあって一定しません。当時、「権力を持たないものが、為政者や権力者に抵抗するため、不特定多数への傷害を与え、社会を混乱させること」、つまり、権力者に不満があるものなら誰でもがテロリストになり得るし、また、誰でもがそのターゲットになり得る、究極の人的災害だと私は考えていました。今回、テロと云う言葉の発祥の地で、メディアという民主主義最大の手段である報道/広報=意見を自由に述べる手段の場を襲うという最悪の事態が発生したことは、世界がとても深刻な時代に突入したように思いました。
もう一つは、フランスの国歌La Marseillaiseです。
ご承知のように、この国の国歌は、知らずに歌詞を読みますと、軍歌としか思えません。特に各小節の間に繰り返される部分は、「武器を取れ 市民らよ 隊列を組め、進もう 進もう! 汚れた血が 我らの畑の畝を満たすまで!」と勇ましいのです。
では、何を目指して戦うのか、です。幼時、空襲警報に怯えた私が思ってきたのは、戦争や対立のない平穏で平和な社会を作るためでした。しかし、今回の事件後の彼の国の人々、そして西欧諸国の連帯から思うことは、語弊を恐れずに申しますと、決して単純に平和を求めているのではないのではないかと思いました。モチロン、平和を否定するのではありませんが、フランス革命以来、この国の人々が、命を懸けて求めてきたものこそが「自由」と「平等」と「博愛」であり、今回の事件が、その自由への挑戦と受け止められたのでしょう。そしてその考えは、壮大な連帯の行進に参加しているすべての国々が共有する考えなのでしょう。
しかし、何故、このようなテロリストが生まれるのか、世界全体でみた場合の自由と平等、そして博愛はどうなっているのか。私どもは、どんな立場にあるのか、真剣に考えました。
結論は出ませんが、何と世界は複雑になってしまったのだろうかと思う反面、古来、和をもって貴しとするわが民族の出番があるような気もしています。皆様は、どのようにお考えでしょうか?