[会長ブログ ― ネコの目]
アフリカ横断

只今、WHOハンセン病制圧大使、日本政府ハンセン病人権啓発大使をつとめられている
笹川陽平日本財団会長とともにエチオピア、コンゴ民主共和国(旧ザイール)、コンゴ共和国を訪問中です。

 人類発祥の地、豊富な自然資源の宝庫でもあるこの大陸は、20以上の国が独立した1960年代には希望の10年と呼ばれながら、旱魃飢餓のみならず、頻発する地域武力紛争もあって、停滞の10年、リンボーの10年などとも揶揄された時代もありました。

今回は、アフリカの角とよばれる地域のエチオピアが最初の訪問国。内陸国ながら、アフリカのほぼ東側の端にあるこの国の首都アディスアベバから、この大陸の大西洋側の端ともいえるコンゴ民主共和国の首都キンシャサに飛びました。

十数年前のWHOの緊急人道援助部勤務時代には、GLR(Great Lakes Region大湖沼地域:ブルンジ、コンゴ民主共和国、ケニア、ルワンダ、タンザニア、ウガンダ)で発生したり、激化したりする紛争あるいは紛争下に起こる感染症流行の際にも、何度かこの方面に参りましたが、常に南北のフライト利用するしかなかったこともあって、今回のアフリカ横断飛行は、ちょっとワクワクしました。と申しても、窓席ではなかったので、景色を見たのではありませんが、飛行マップで、どのような地域の上を移動しているのか・・・を眺めた次第です。

飛行マップの最初にみえた地名はジュバ、現在、南スーダンの首都ですが、かつては紛争ではなく飢餓が心配でした。その南のエンテべはウガンダの首都。こちらへは同国滞留の難民支援がありましたが、首都の大きな木の上にペリカンが巣作りしているのに、ちょっとビックリしました。そしてさらに南のブジュンブラ、タンガニィカ湖畔のブルンジの首都です。こちらには一度着たものの、治安不良で飛行機から出ないまま引き返したことがありました。

飛行マップ上、大陸の真ん中あたりで、機は赤道と交差して西南に向います。その赤道の真下あたりにはキサンガニがありました。この街、コンゴ河沿いの街は、工業用ダイアモンドの産地、そして当時カサイオリエンターレ州都(現在はツォポ州州都)でした。州の保健長官から、「ここは自然資源だけでなく、紛争と病気の宝庫なのだ」と、まじめに云われた時、何と答えれば良いのか、つたないフランス語では単語すら思い付きませんでした。そして、間もなくの紛争で、その長官が犠牲になられました。随分、時間もたっていますが、色々、アフリカの状況をご教示頂いた長官を想い、機上からご冥福を祈りました。

そして、赤道を越えると南半球、コンゴ民主国の首都キンシャサは少し南に下っています。この街も何度かまいり、その時々に色々なことが思い出されます。が、今回は、私にとっては、初めてのアフリカ大陸横断の飛行地図の上の思い出話まで。ご退屈様でした。

Flight Map