[会長ブログ ― ネコの目]
不顕性の感染症

“Latent Mycobacterium tuberculosis Infection”という興味深い論文が、New England Journal of Medicineに載っています。

Latentという単語は、ラテン語のlatēns(<latēre>=隠れて横たわる+<-ēns>現在分詞の語尾。つまり、隠れて横たわっている様子)と教わりました。逆はopenです。

医学的には病気が「潜伏している」時期とか、明らかに病原体が侵入しているにも関わらず病原性を発現していない・・・つまり病原体が体内に潜んでいる時期、症状が表に出ていない状態で、あまり良い意味ではないのですが、一方、何となく、等閑にされている感もあります。心理学などでは「見えない」感情と、やや不穏な状況を示しているようにもとれますが、「潜在する」能力と申せば、スゴイ!!という感じ、良い意味にも聞こえます。

さて論文では、結核という病気は、私たちが(経気道的に)結核菌を吸い込むことで始まるが、生体内で、結核菌が増え、個体つまり私どもの免疫力が反応している、初期の間はその症状は出ない、つまり不顕性(latent)としています。

この間、直接(結核の)診断はできないので、間接的生体的検査であるツベルクリン皮ふ反応や、最近では、試験管的検査であるinterferon-γ分析(IGRAs)を行っている、そして実際には、結核菌を吸い込んで感染した人の5~15%の人だけが、はっきりと結核という病気になる、ただし、(例えば、免疫系が侵されるHIV/AIDSなど)免疫力が落ちている人々の場合では、顕かに発病の頻度は高い、と説明しています。

なぜ、こんなことをきちんと把握することが重要かと云えば・・・です。
私どもの名誉会長日野原重明先生が私淑されるオスラー博士の言が引用されています。
「不顕性(latent)の感染症を持っている人は、地域社会の中の結核の温床になる」からです。

この最新の論文は、結核という古い病気の不顕性(latent)の時期に注目し、(結核菌の)病原性、疫学、診断、治療を述べつつ、実践と研究の間にはいささかギャップがあることについて、改めて留意が必要と呼びかけています。

ご承知のように、ハンセン病は不顕性(latent)の時期がきわめて長いというか、ほとんどの場合、感染しても不顕性のまま終わるという感染症です。

西アフリカで、一昨年から猛威を振るったエボラウイルス病の対極とも申せます。ハンセン病は、実際、何時、何処で、誰から感染したかはまったくと云ってよいほど把握できません。一方、エボラウイルス病は、何時、何処で、誰から、どうして感染したかが、ほぼ明確であり、そして感染者のほとんどは発症し、治療をしなければ、大多数が死に至るウイルスの感染症です。ハンセン病は、病原菌の感染力も発病させる病原性も極めて弱い細菌の感染症です。結核と同じように、呼吸器系を通じて感染しますが、ほとんどは不顕性(latent)のまま終わっているようです。

では、大した問題はないのでは?ではないのです。
長く不顕性であることは、オスラーの言うように、地域社会の中で、次の感染の原因になることはもちろん、派手派手しく、短期間に次から次に発病者が続くといった(感染症としての)派手さがないことで、注目を浴びにくい・・・つまり対策が立てにくいことにつながります。そして、私個人が思っていることですが、ハンセン病の最大の問題は、とても弱い病原性ながら、この病気が末梢神経を侵すことから、痛いとか熱いとか冷たいとか・・という感覚を失することです。

痛い病気に罹れば、人々は治療を受けようとし、医師や病院を探します。また、子どもだけでなく、大人でも転げまわるほど痛がっておれば、周囲は治療を受けさせようとします。が、ハンセン病は、熱いものを触っても知覚がない、厳寒の時期に、冷水で拭き掃除(この言葉も死語でしょうか)をしても冷たくないので、ほめられたとか・・・
結果として、気が付いたころには障害や表面的な変形が残っていたのです。

現在では、結核と同じように、数種の薬剤をきちんと服用することで完治します。この多剤併用療法は、1980年代に確立されたものの、世界的に実践されるきっかけは、1995年、日本財団現会長笹川陽平WHOハンセン病制圧大使の無料配布支援宣言に始まります。この支援は5年間継続され、2000年からは、ノバルティス社に引き継がれました。かつて千数百万を数えた世界の新患数が、現在、20万強になったのは、このイニシアティブのおかげと思います。

不顕性が多い、この病気の感染を断ち切るためには、やはり感染者を早く見つけ、きちんと治療を受けられる体制を確立すること、そして、その意味をきちんと伝えることだと、論文を読んで、改めて思いました。