[会長ブログ ― ネコの目]
ゴジラ

その昔から名所だった歌舞伎町の一角にコマ劇場がありました。
お正月に回すコマといってもピンとこない人々が人口の大半を占める時代ではありますが、コママークの劇場(当時はスタディアムと呼んでいたと記憶します)は、大阪の梅田にもありました。グループサウンズと云う言葉も古いのですが、それよりもはるか昔、ジャズのライブなどがあって、私自身、ちょっと熱を上げた時期もありました。梅田コマに先立つこと2カ月、新宿のコマは、1956(昭和31)年2月に落成しています。その新宿コマの跡地にできた高層ホテルにゴジラの部屋があると聞いていましたが、たまたま、所用ための上京で、同ホテルに宿泊した知人をダシに、8階フロントロビー階の屋上庭園にあるゴジラに面会してまいりました。

ゴジラはコマ劇場と同時期といえる1954(昭29)年生まれです。かつて現国立国際医療研究センター国際協力局(以下医療センター)に奉職した頃、ゴジラと同年生まれのスタッフが数名いました。

日本が連合国支配を脱し、独立国として国際社会に復帰したのは1951(昭26)年でした。その後1954(昭29)年には、第二次世界大戦後のアジア太平洋地区諸国の経済・社会開発の促進と人々の生活水準の向上のために創設されたコロンボ・プランに加盟し、またビルマ(現ミヤンマー)と交わした「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」に基づき、数千万円が戦後賠償の一環として支払われた、つまり日本のODAの最初も同年、さらに、現在、日本の安全保障問題の中での立場が論じられている自衛隊が、前身の警察の保管組織的位置づけの警察予備隊から、国防を意識した組織に生まれ変わったのも1954年です。

1990年前半、わが国の輝ける10年の後半でしたが、当時の医療センターの新進気鋭の国際協力エキスパートたちは、何かというと「コロンボ計画加盟、ミヤンマーへ支援開始、自衛隊創設、ゴジラ誕生、そして私たちが生まれたのが1954年!!」と唱えては、ゴジラのように辺りを睥睨しつつ、好き勝手な企画を喧々諤々議論していました。しかし、ゴジラは身長が当初の50mから100mに変わったものの、機能は不変のようですが、彼らは、早、還暦を迎え、皆、老眼鏡が似合う世代、後期高齢者の私との距離は相当縮まったと思っています。

ゴジラは、ご承知のように、これも1954年に発生したビキニ環礁の核実験から生まれたとされています。
水爆のために、居住場所を失った怪獣が人間社会を襲うという着想は、自由と市場経済主義の蔓延する世界の中で、居場所を失った人々が非定型的戦力を行使して近隣地域を襲うことへの連想につながります。

ゴジラは映画だけで20数編が作られているようですが、私自身は、最初の「ゴジラ」と「ゴジラとモスラ」、そして「ゴジラとキングコング」しか見ていません。

ホテル屋上のゴジラは、なかなかに迫力がありました。身長が伸びたのは、数十年の内に高層ビルができたからだそうですが、最近の頻発地震は、さらに巨大化したゴジラが、地底で怒っているのでしょうか。

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