[会長ブログ ― ネコの目]
友の死

若い時に経験する親世代のそれとは異なり、高齢者ともなると、同世代の死はまことに身近になります。過日、長年の友のひとりが逝きました。

中学、高校時代を通じて、この友と、もう一人とは特別な関係・・・というと奇妙ですが、クールな親しさをもっていました。私たちは、一見、それほど近くはなく、毎日毎日、おしゃべりするような関係では決してありませんでしたが、どこかで共通する何かがあり、お互いに親しい友人と信じていました。互いの家を訪問したこともありましたが、それぞれ、また、趣味を同じくする別の親しい友人グループもいました。

やがて、それぞれが別の大学に進み、私以外は家庭をもち、子育てなど、長い期間、雨夜の星のように、わずかな便りの年月もありました。彼女たちが、子どもの成長と巣立ちを見守る間、私は海外を転々していたようです。距離は遠くなり、実際、そろって会うことはまったくなかったのですが、繋がりが切れる意識はありませんでした。やがて、互いに親の見送り・・・そしてそれも終わった後、久しぶりに会うことが始まりました。何十年の月日は、それなりに互いを変化させていたはずですが、会えば、60年も昔の日々に戻り、何も変化していない、物理的空白は一瞬にして消えました。

まだ、今ほど物が豊富でなかった時代を懐かしみ、そして、幼かった自分たちを批判的に眺め、越し方を反省し、しかし、今を共に生きていることを感謝する気持ちを共有しました。時代は激変していますが、私たちの関係には何の変化もないといった、不思議な意識も共有しました。

そして、当然ですが、そろって後期高齢者になりました。最後に会ったのは一昨年でした。

先般、私が、少し胸騒ぎのする夢をみて、電話をしたところ、この友が緩和ケア病棟にいることが判りました。背の君、お嬢様方・・・と申しても、皆、それなりのご年齢のご家庭持ちの女性たち・・・に囲まれて、最後の日々を過ごしている様子でした。電話を通じての私の声は聴けても、応答は難しい状態でした。

それから旬日、彼女は去ってしまいました。穏やかな最後の日々、ご家族からのお話もさることながら、そうであったに違いないと信じさせる、この友の人柄でした。

敬虔なクリスチャンの学者一家の四姉妹の長女だった彼女は、およそ宗教に無知だった私に多くのことを教えてくれました。そして、ご両親と同じく音楽を愛した彼女は、自らも美しい声で歌い、高齢になった後もコーラスグループの一員として音楽を楽しんでいました。中学生には高級すぎたのですが、当時の学芸大学付属中学時代に仕込まれた「流浪の民」や「ハレルヤコーラス」の一節は、会えば必ず、思い出とともに、口ずさんだものです。

75歳の死は早すぎる…と思いました。何故、彼女は逝き、私は残るのか・・とも思います。

が、彼女は、ご両親の素晴らしい遺伝子を受け継ぎ、それを4人の子ども、7人の孫に伝えて逝きました。最後の日々を、緩和ケア病棟で過ごす彼女を見舞うことは、もう一人の友と思いとどまりました。美しいままの友の姿を記憶しておきたいとの想いと、業界用語的ですが、ご家族にかこまれたEnd of Lifeを乱してはいけないとの想いもありました。

私の心の友、心友はこうして、爽やかな見事な一生と、私たちへの深い思い出を残して逝ってしまいました。歳を取るということは、このような経験をすることなのです。