[会長ブログ ― ネコの目]
ヒガンバナ

シルバーウィークを自然豊富というより、自然だけにちかい朝倉市杷木で過ごしました。
所用もあって出かけた久留米や博多、また、県を超えた佐賀や熊本は、いずれも近郊の都市ですが、どちらに向かっても、筑後川ぞいの田舎道を通ることができます。先日の台風もありましたが、幸い、大きな被害はなかったようで、見渡す限り、刈入れを待つ実った稲穂が、音もなく波打ち、透明の茜色の夕日の中を、羽根の色を少しくすませたサギが舞い上がります。

ちょうど彼岸花(ヒガンバナ)が盛りでした。
一名、曼珠沙華(マンジュシャゲ)とよばれるのは、サンスクリット語では、マンジュシャカとよばれるこの花の本名の当て字とも云われています。サンスクリット、わが国では梵語とも称されるお墓の卒塔婆に書かれている文字は、インドの古い言語のひとつですが、仏教だけでなく、ヒンドゥー教、シーク教、ジャイナ教でも、礼拝時のお経的言葉はサンスクリットだと、先般、訪問したインドで教わりました。

が、この言葉は、古典ではなく、現在インドの20位ある公用語のひとつであり、バスの車体に、行き先がサンスクリットで書かれている場合もあるとか。極楽行きとか地獄行きとか!!それは冗談ですが。

「私ども」と皆さまを引き入れるつもりはありませんが、私は、仏教で申せば、迷い、煩悩だらけの此岸(シガン)に生きています。やがて、皆が往く悟りの世界が彼岸(ヒガン)です。ご先祖様が、皆、悟られたのかどうかは判りませんが、彼岸にお住まいと考えられています。そして此の岸と彼の岸の両世界をつなぐ期間が春と秋のお彼岸というわけです。

ここからは天文学、物理学的ですが、彼岸のお中日はそれぞれ春分、秋分の日です。
この日、太陽は真東から登り真西に沈みます。西にあるとされるかなたの彼岸と、こなた煩悩だらけの私(ども)が住む此岸がもっとも近くなる訳です。物理学的には正しいのでしょうが、どうやって、仏教の先達はそれを知られたのかは、さておいて、だから、この中日をはさむ前後3日ずつの1週間に先祖供養すれば、極楽かどうかは別として、悟りの境地である「彼岸」に達することができる、そのために、この日はご先祖供養して、良い人にならねばならない、と云うわけです。

私自身、田舎に育ったものの、ビルばかりとは申しませんが、建物が密集しているような地域に住む期間が長く、季節の移ろいをあまり感じられなくなっています。が、ある日、当然のように、すっくと整列しているヒガンバナをみると、ああ、お彼岸なのだ・・・と時の流れと自分の年を思います。そして、今ある自分の日々は、長いご先祖さまからの続きなのだと。

本当に、コンピューターで計算したように、枝も葉もない4、50cmの(花)茎がまっすぐに伸び、その先端に、ポチッと小さな赤い膨らみが現れたと思うと、翌日朝には、華やかな簪だらけのような花が、豪華絢爛を競うように広がっています。それが小さな田んぼの畦であれ、棚田のように果てしなく広がる田んぼタンボの畦、あぜであれ、どこかの国の軍隊のように、行儀よく、整然と並んでいるさまは壮観であり、自然の驚異でもあります。昔は赤ばっかりだったように記憶していますが、最近は白も増えましたし、外国には園芸用に黄色もあるそうです。

以前にも書いたような気がしますが、田んぼのあぜ道に群生しているのは理由があります。
そもそもこの花は中国から持ち込まれたものらしく、稲作伝来に混入したとされています。それもあったかと思いますが、私はもう一説の、どなたか賢い人・・・日本のご先祖あるいは中国から渡ってこられた方が、中国で、この花を稲田の畦に植える理由を知った上でのことではないか、と想像したりします。(なぜかは、次回に書きますが。)なぜかと申しますと、この花の球根に毒があります。水稲栽培では、稲が育つ大事な時期に、モグラや野ねずみが田んぼの土手に穴をあけ、ちょうど必要な時期に、田んぼから水が流出してしまうことはとても困ります。根、球根に毒をもつ花を植えておけば、そのような小動物が近づかないことを知っていたからです。

またこの花の球根は、水にさらして(アルカロイド)毒を除去して、非常食にしたとか・・・昔の人の知恵はすごいですね。しかし相当毒性が強く、吐き気や下痢はまぁまぁですが、中枢神経麻痺から死に至るともありますので、絶対に真似てはいけません。最近、ヒガンバナの毒のひとつがアルツハイマー病に有効だとかの情報もありました。

お彼岸につきもののおはぎがきました。秋はおはぎ、春はぼたもちと餡でこてこてのお供え用のお餅は、秋の花「萩」、春の花「牡丹」からきているとか、日本の四季は豊かな文化をもたらしていますね。ごちそうさま。

写真 1

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