[会長ブログ ― ネコの目]
梅の花

どうでも良いことですが、最低、週一でブログを書くと思いながら、先週、怠けました。
実は、最近、毎日のようにメディアに現れるジカ熱について書こうと思い調べだしたのですが、深みにはまった・・・・・欝々と、文豪のように悩んで書けなかったのではなく、ちょっと集めた資料というか文献を読みこなせなかった、つまり、単に語学力の問題でした。殊に南米関係は、スペイン語やポルトガル語が多く、それを英語変換しても、中々、進まなかったという言い訳で、これは次回に。

閑話休題。

拙宅と申しても、西東京の借家周辺には、まだ、自然が残っています。駅までの数百メートルの道沿いのお宅に梅が咲いていました。
ウメは、英語ではJapanese apricotですが、アプリコットの日本語訳は杏<アンズ>、大いに違います。また、Chinese plumともよばれますが、plumは李<スモモ>で、これまた、ちょっと違う。そして、ドイツ人の友人に教えられたのですが、梅はume<ウメ>で良いというのですが、私は梅の花を説明するときには、Japanese plumと日英中の混成で話していました。尋ねる方も、それほど真剣ではないのか、これが問題になったことはありませんが、英語の先生や植物学者にはお叱りを受けるかもしれません。

この木と申すか花はバラ科サクラ属ですが、バラのような華やかさはなく、木の大きさに比し、花そのものが小さく、しかも、ポツポツと咲いており、桜のような豪奢な感なく、地味。が、むしろ幹、枝のゴツゴツ振りとの対比が愛でられる、詫び寂<サビ>を重んずる日本人にしっくりとくるところがあるのでしょう。

「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ 」

学問の神様として、受験時にお参りした記憶をお持ちの方も多いことかとおもいますが、天神様こと菅原道真<スガワラ ノ ミチザネ>のうたです。東風<コチ>とか、「な…そ」とか、高校時代の古文を思い出します。

この方は、平安時代きっての超秀才、時の天皇に重用され、あれよあれよという間に右大臣という高い位につかれました。が、あまりの賢さと出世栄達を讒訴<ザンソ。貶めるために、あることないことを訴える>され、昌泰4(901)年、福岡の大宰府に左遷されました。その時に詠んだのがこの歌ですが、その梅の木が、一夜にして、道真の新たな屋敷に飛んできたとの話もあります。

日本の各地に、この道真を祭った天満宮が沢山ありますが、そもそも、受験のためでも、学問上達のためでもありませんでした。この方が左遷され、現地で亡くなった後、都の京では権力者一家に不幸事が続き、加えて自然災害が続発しました。まず、道真の政敵が39歳で死亡し、皇太子とその息子(皇太孫)が続けてお亡くなりになり、会議中の宮廷に落雷し、朝廷幹部たちが多数死傷。続いて、天皇までが崩御されたそうです。そして、これらが道真の祟りだとなって、元々無かったのですが、道真の罪を赦し名誉回復したり、同じく流罪となっていた道真の一族を京に呼び戻したりした次第です。

実は、道真が実権を振るったのは平安前期の貞観<ジョウガン>時代です。アッと思われる方もおいでかと思います。間もなく5年になる東日本大震災と同規模の地震が、ほぼ同じ震源地で発生したのは、貞観11年5月26日(グレゴリオ暦869年7月13日)、そして富士山の貞観大噴火は、864(貞観6)~866(貞観8)年ですから、むしろ道真が健在だった頃に大自然災害が発生していたのです。が、今から1200年前の時代、都は京都、東北地方や関東では人口も少なく、大地震や富士山爆発という自然現象よりも、落雷炎上した都の災害の方が重要だったのでしょう。そうです。自然現象による災害は、人が住んでいないと災害になりません。

で、何で、道真が受験の神様…です。

全国に広がった道真信仰は、このような災害忌避、つまり災害が祟りによるので、それを封じることが主眼でした。やがて、各地での祟り封じの天神さまは、いつしか、超優秀だった道真を、優れた学者として崇めるようになり、そして学問の神様になられ、今や受験の守護神です。

梅の種類はとても多いそうですが、私にとって思い出深いplumと申すか、apricotがあります。パキスタンのペシャワールに住んだ1980年代末、存じ上げた地元名士ご一家から、夏の離宮のような村に招いて頂きました。村といっても、ランドクルーザーで、延々1日かけて走ってもご一家の所有地なのですが、あたり一面、白い杏<アンズ>の花が咲き誇り、何とも云えぬ香に包まれていました。「匂い起こせよ」でしたが、気温は35度以上、歌心どころか、冷たい水を飲みたいなぁと、無粋な想いで天国のような杏畑を走り抜けたことでした。

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