[会長ブログ ― ネコの目]
人は生まれる場所を選べない ー ネパールの地震の跡

熊本、大分で、今までに例のない災害が起こっています。

犠牲になられた方のご冥福を祈り、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

この地震は、私にとって、二つの意味で特別です。

まず、熊本、大分は、12年間暮らした福岡のお隣、しばしば車を運転して往来していた地域、また、そこにお住まいの知人も多く、他人事ではありません。二つ目は、地震が起こった時、約1年前、ヒマラヤ地帯で雪崩が生じたネパールの巨大地震時に行った緊急支援のフォローアップに、現地入りし、まさに山崩れの後などを見ていた時に発生した、いわば馴染みの地に起こった同様の事態であることです。

20年前の阪神淡路大震災頃から、地球は何だか、地震活動期のごとく揺れ続けています。その地球は、プレートとよばれる十数枚の厚さ100Kmほどの岩盤でおおわれているそうですが、わが国は、その3枚が接する地帯に位置するため、世界でも有数の地震国です。が、また、わが国の耐震、免震の技術や広がりも世界の中では評価されていますし、毎年行われる防災活動、災害関係の広報、訓練も、他の地震国に比し、特記すべきだと思います。

昔、国際保健に従事していた頃、天水(雨水)以外、利用する水のないところや、絶えず洪水におそわれる地域にある小さな集落を訪問したり、通り過ぎたりする時、もう少し、住むところを移動すれば、もう少し楽なのにと、数キロか数十キロの移動を薦めたくなったものでした。が、人々は、古来の居住地を愛し、そこで苦労しながらも世代を経ておられるのです。他人が口を差し挟む問題ではないのです。

今回、訪問したネパールの、一年前に被災した村々もそうでした。カトマンズから、車で2、3時間。耕して天に至るとの表現がありますが、拓いて天に至ると云いたいような峰々の、どちらかと云えば、高いところに転々とある集落。そしてその中に、ハンセン病で障害を来した方々も住まっておられます。幸いなことに、いわゆる差別や偏見がなく、近隣の人々、子どもたちが当たり前のように手を差し伸べているのには、ホッとさせられました。

でも、やはり水にはご苦労されており、点々とある家々の前には、どこも大きなプラスチックのタンクが置かれていました。そして、毎年の雨季6,7,8月に、出来るだけたくさんの水を集めたいと、村の世話役がおっしゃいます。どうするのですか?と、うかがうと、大きなタンクに天水をためる!!とのこと。

地震直後に提供した資金は、一軒一軒に数万円でしたが、それで購入した波板トタン屋根を使えば、可能だと。天水だけでは、1年は無理でしょうと申しますと、数キロ下ったところに水源があり、そこへ水くみに行くことはあるとも。今は、乾季の最後で、最も水不足の時期ですが、障がい者の家にも水はありましたので、どなたかが汲んで下さっているのでしょう。

村は、カトマンズから2,3時間。左右上下に激しく振動しながらのノロノロ運転ですから、直線距離にすれば本当に首都の傍なのですが、人々はここが好きなのです。先祖代々住んでおられたこの地を、巨大地震が襲った後も、離れない。離れられない愛着があるのでしょう。

可愛い赤ん坊を抱いた若い夫婦、

タイヤを外した自転車の車輪を細い棒で転がして遊ぶ男の子、

僅かの水で洗濯する母を手伝う女の子。

そんな村落でも子どもの声が響くのは素晴らしいと思いました。

そして、その昔、「人は生まれる場所を選べない」と思ったことを、久しぶりに思い出しました。当時は、紛争地で勤務していましたが、その地の子どもたちが、もし、紛争のない地に生まれていたら、少年兵になることもないであろうに、と思ったものでした。

ネパールの山岳地の、この子どもたちが日本に生まれていたら、どんな一生を送ったでしょうか、いえ、僅か数十キロのカトマンズに生まれたら、どんな一生があっただろうかと、帰路、ガンガンガクガク激しく揺れながら思っていました

 

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