[会長ブログ ― ネコの目]
スイカ

スイカ(西瓜。学名は Citrullus lanatus))の季節です。
スイカは、果物か野菜か・・・と、小児科医時代に、子どもたちと議論したことがあります。懐かしい言葉ですが、当時、スイカは八百屋さんの店先にも果物屋さんにもありました。

日本では、先般の異例な地震災害の地、熊本が産地の第一です。原産地は、アフリカ砂漠地帯とされていますが、わが国への到来は、16世紀、長崎辺りへ往来していたポルトガル人が持ち込んだそうですが、長い船旅の間、丸々のスイカが無事であったとは思えません。種で持ってきたのでしょうか。そして、また、長崎から、誰が、何時、どうして、砂漠とは最も異なる環境ともいえる緑豊かな熊本に、スイカを持ち込み、熊本の方々が、何故、これを特産品まで育てられたのでしょうか。時折、とびきり美味しい熊本スイカにあたると、そのような先人に感謝しつつ、余計なことを思います。

スイカと云えば、私自身の笑い話・・・
高校時代、もう一つの有名な産地鳥取に、おばばちゃまがお住まいだった同窓生がいました。夏休み、その彼女について鳥取に参りました。しかし、鳥取と申せば、砂丘。ほとんど無人の砂丘で、壮大な夕日を楽しんだ帰路のことでした。歩いても、歩いても、ばば様のお宅は見えません。少々心細くなった頃、通りかったオート三輪を止めて、道を尋ねました。

「まっすぐ行けば良い!!何ほどもなぁよ、遠くはないじゃぁぁ。けど、どこから来ンしゃったじゃ?」

麦わら帽子のオジサンは、親切でした。大阪…と答えたら、「持ってケ~!!」と、荷台のスイカをふたぁつ下さいました。

丸い、重たい、掴みどころのないスイカを抱えて・・・・5分も歩けませんでした。で、二人は考えました。おなかの中に入れたら良い、と。道路脇の石にぶつけて、大きな方を割り、中身を、適当に頂きました。少しぬるい温かなスイカでした。他の一個を、二人で交互に抱えて、帰りました。ウデがしびれました。

後年、スイカを石で割る経験を中国で致しました。
先頃、27周年を迎えた天安門事件より、も少し昔の1986年、外国人は、まだ、かなり行動に制限があった時代の北京で働いていた頃でした。当時、中国政府は、安い給料ながら、住居と食事を提供する形で、多数の外国人専門家を招請していました。そのような外国人を、適宜、あちこち見学に連れ出す専(門)家局というお役所があり、偶然、その行事に加えて頂くチャンスを得ました。その一つが、シルクロードの旅。

北京から蘭州、そこから敦煌へ。世界遺産になる前の年でした。そして、さらに車とマイクロバスを乗り継いで、いわゆるシルクロード天山北路をたどり、中国最西方の新疆省の省都カシュガルまで参りました。

前も後ろも、右も左も、本当に「地」平線という、広大なタクラマカン砂漠の北辺を横断する道をマイクロバスで走破中、私たちの車が続けてパンクしました。それほど沢山の車が走っている時代ではありません。「地面が熱を持ちすぎている時、飛ばし過ぎてはいけない!!のだ、バカモノメが!」と、後から来た年配の運転手サンに、私たちの、ちょっと調子の良い若いオニイサン運転手はこってりとお説教を受けていましたが、炎天下にタイヤを替えるのは本当に大変そう。しかし、車を降りて、燃えるような大地に立ち続けるのも、また、苦行。乾燥し切った土地、ここなら、皆、簡単にミイラになれるね、と冗談が冗談にならない雰囲気でしたが、さすがにタイヤ交換を繰り返した後は、皆、口数が少なくなりました。

やがて、オアシスでしょうか、点在する小さな集落に着きました。路傍で売られていたスイカを買い求め、路傍の石の角に当てて割りました。湯気こそ出ていませんでしたが、ホカホカの、ホットスイカ・・・でも、美味しかったです。

中国と云えば有名なハミ<哈密>ウリがあります。ハミと云う町は、現在は中華人民共和国新疆ウイグル自治区伊州区だそうです。古来、この地名が有名なのは、シルククロードの天山山脈の南北を走る天山南路と北路が合流する点であること、そしてハミウリの産地だからだそうです。

そもそも、その昔のまた昔、はるばるガンダーラやさらに西のペルシャや、もっと西のヨーロッパから、陸路、東を目指した旅人にとっては、この辺りまで到達すると、後は一本道…、文明栄ゆる唐に無事到る可能性が大きくなったのではないでしょうか。同時に、飢えよりも渇きに苦しんだ旅人が、甘くて、水分も、恐らくミネラルも豊富なウリ…ハミウリに生気を取り戻したのではないでしょうか。

いずれにせよ、スイカの学名Citrullusはウリを、ハミウリの学名Cucumis melo var. inodorusは、ウリ科のキュウリ属を示すように、どちらもウリです。スイカは、中国語で西<ニシ>の瓜<ウリ>と書くのは、まさに西の方から伝わったからでしょう。

私自身は、この街を通り過ぎたのは、ウルムチ行の夜行列車でした。砂漠の彼方に沈む夕日を背に、建物の影が次第に色濃くなる中、長い列車の窓から、何時かこの街を歩いてみたいと思ってから30年、その機会はなさそうなので、今夜も熊本産スイカで・・・・。

16-07-05 中国