[会長ブログ ― ネコの目]
モラルといたわり

私たちが日常使うモラルの英語はMorality道徳性という意味です。
Moraleモラールとカナ表示する場合は、戦いが主務である軍隊がその任務を遂行する際に有用な兵士の心理的積極性・・・戦う勇気でしょうか・・・を云います。同様、集団で行動する際には、関係者の行動意欲が心理的に高いかどうかもモラールであります。昨日発生したアフガンニスタンでの自爆テロへの関与者はごく少数でしたが、(人殺しのそれを云うには、まことに不適切ですが)成果が大きかったから、モラールが高かったというのでしょうか?どうして、こんなことが頻発するのでしょうか?Moralityの問題でしょうか?

過日、通勤時の渋谷駅、階段を下る白い杖の青年をみかけました。私自身、助けを受けねばならないことも増えてきているのですが、大阪DNA保持者の私は、お節介とは思いながらも、中段の狭い踊り場から、さらに下ろうとする彼の腕をそっと取りました。「アッ、どうも・・」と、青年はさわやかでした。「あと3段です!」 トントントン・・・ 「助かりました、アンガトウ!」と、彼は、杖をちょっと上げられました。お目が不自由で幸い、こんなオババに助けられたと判ったら、気分悪かったかも・・・と、ちょっと苦笑しました。

その夜、最近足首を骨折し、松葉杖通勤している、まだ、50代の某市在住の知人との電話。
期待はしていないが、30分ほどの私鉄通勤で、誰一人、席を代わってくれることはないと。そして、その日、下車した途端に、忘れ物に気付いたので、エスカレーターを下って、改札口で次の終点に連絡を依頼したのだがと、その地域では大企業でもある私鉄スタッフの対応をいたく嘆きました。

ジロジロと見ながら、まだ若いとはいえ、松葉杖の顧客に対し、「(次の終点から)電車はすぐ戻ってくるから、もう一度、プラットフォームに上がって、戻ってきた電車に乗リ込んで、自分で車内を探せば・・・」と宣もうたのだそうです。こみ上げたであろう怒りを抑えて、終点への電話をお願いし、とにかく見つかったものを取りに終点まで行ったそうです。が、そこの窓口の若いスタッフの対応も、「ねぇ、そんなモン、あったぁ??」と。弱者の立場にある知人の怒りは三倍五倍に加重されていました。

骨折は、敢えて申せば、個人の不注意であったかもしれません。でも、誰にでも、何時でも起こりうる不時の災害でもあります。そして、社会には多種多様な弱者がいます。妊婦、子連れも、高齢者も、弱者が権利を主張しすぎるのも問題かもしれませんが、私鉄とはいえ、公器でもある公共交通機関のスタッフの顧客接遇教育はどうなっているのでしょうか?

どの交通機関にも、高齢者や障がい者、妊婦や松葉杖姿の優先座席が明示されていますが、滅多にそれが使われていない世の中だとしたら、何のための指示なのでしょうか?

通勤途上の知人周辺には、誰も弱者へのいたわりを示そうとする人がいなかったという事実とともに、当日の対応は、あたかも健常者は大切なお客さまであるが、手間のかかる弱者は余計な邪魔者と云わんばかりに睥睨されたと、怒っておりました。

Morality道徳とは、とても難しい概念ではありますが、いたわりとはとても簡単な行為あるいは、おもいであるように思います。

日本人は、と一括りにすると問題がありましょうが、絆や連帯と云う言葉以前に、もっと人間的ないたわりを共有して生き続けてきたのが、私たち日本のDNAではなかったのでしょうか?

何処で、何が途切れたのか、何処で、誰が何を見失なったのでしょうか・・・