[会長ブログ ― ネコの目]
テロと祭

世界各地で「テロ」とよばれる大量殺戮が頻発しています。近年、日本人が直接対象にされたものは、2013年1月のアルジェリアでの日本企業襲撃、そして過日のバングラデシュです。

以前も書きましたが、テロの語源は、1789年のフランス革命の際、30歳にして平民(聖職者は第一身分、貴族は第二身分に対し、第三身分)代表として政治に携わるようになり、斬新な政策によってほどなく全権力を掌握したものの、公安・保安委員会や革命裁判所を作り、それらによって対立者の罪状をあぶり出し、ギロチンにかけて一掃した革命家ロベスピエールのやり方を恐怖政治(Terreurテレール)とよんだことに始まります。したがって、この頃のテロは権力者が対立者を、不謹慎な云い方ですが、殺しまくって自らの権力を保つための手段でした。

その後、テロは意見というか、独善的な主義主張が通らない弱小集団や組織が、国や政府、権力者を威嚇するために、直接関係ない第三者に対して行使されました。そして現在は、権力者を困らせるためと云うよりは、世間を混乱させ、人々の恐怖心をあおり、自分たちの存在を誇示するために、何らかの不平不満をもつ集団や主義主張を誇大にぶち上げた異質な組織が、何ら関係ない多数の人々を標的とする殺戮になっています。

主義主張の是非を問わずに申しますと、かつてのテロは、少なくともそれを起こす側には、それなりの大義名分があったとも思いますが、現在は、まるで殺戮そのものが目的化しているようです。自爆テロの頻発を含め、とても異様な時代だと思います。

テロの元祖ともいうべきロベスピエールはあまりの強硬政治から、反対派クーデターで捕らえられ、自らも活用したギロチンで処刑されています。36歳でした。

上記二つの日本人が標的となった「テロ」や、2001年9月11日、世界を震撼とさせたアメリカの同時多発テロ一昨年11月のパリの同時多発テロは、それでも主義主張を共有する集団、一派の仕業でしたが、先日のフランスニースのトラック暴走による大量殺戮ドイツミュンヘンの銃撃アメリカダラスの警官襲撃、そして今回の日本の障がい者施設は、それぞれ質が異なる個人による「事件」のように見えます。そして、これらの間に、6月に発生したアメリカフロリダ州オーランドのナイトクラブでの銃乱射のような中間の事態、テロ的事件あるいは事件的テロが位置するように思います。原因は何か?なぜ、かくも簡単に多数の生命を奪えるのか?何でもテロ、と声高に叫ぶだけでは、解決しない、何が違うのか、なぜ、こんなことが続くのか・・・です。

かつて紛争地近傍で勤務した折、目前という文字の通り、走行中、一台前の車が爆破されたり、当時の勤務先UNICEFの事務所で、母子保健プロジェクトの打合わせ後、たった数百メートルの時点で同志ともいうべき関係者だったアフガン人産科医が襲撃殺害されたり、また、何ら母性保護の手段のない難民キャンプに産科クリニックともいえない掘っ立て小屋を準備したら、毎夜、「I kill you(殺すぞ)!」と電話がかかったり・・・考えてみれば、身の廻りにはテロもどき状態が常在していました。

この瞬間も、アフガニスタン、イラク、シリア、スーダンと南スーダン、その他にもいくつもの紛争国では、そしてISとかISISと名乗る異様な国家もどきの集団では、日常茶飯事のように人の生命を殺める行為が起こっている…そして、SNSが蔓延した世界では、それらがまるでスポーツをしたり、何らかの集会を開いたりしているように、簡単に、そしてある程度は誇らしげに、伝達されているような気がします。

紛争近傍地で見聞きした限り、実際に紛争で失われる生命よりも、その二次的三次的事態ともいえる保健医療サービスの崩壊、保健センターの閉鎖による感染症のアウトブレークや蔓延、生命の畏敬のないまま育つ子どもたち、否、どうやって対立者を殺すのかを学ぶ子ども、家族を殺された憎しみに凝り固まった青年、相いれない人々を武力で排除することが当たり前になっている集団を産み、そして古来の文化を失い、将来に希望のない社会のなかで武器だけが信頼できるものになっている…そんな若者たちを再生産してきたことが問題だと思いました。

Foreign Affairs誌7月26日に、“The Myth of Lone-Wolf Terrorism(一匹狼テロリズムの謎)”という記事が出ていましたが、紛争地で起こっていることを彼岸の出来事・・・と眺めているいる無関心さが、他人の生命を殺めることに何も感じない・・・そんな一匹狼を育てているいるのかも知れません。

貧しく紛争状態が蔓延しているような地域には、若者が心を躍らせるものがありません。
東北のねぶた、竿灯、七夕、そして博多の祇園山笠、京都の祇園祭、大阪の天神祭り、その他わが国には、若者のエネルギーを発散させる、素晴らしい祭りがいっぱいあります。銃を持っている世界の若者を、日本の祭りめぐりに招待できないものでしょうか?