[会長ブログ ― ネコの目]
ハンセン病の記録という歴史

先週から、ヨーロッパを転々としています。バルカン半島、つまりヨーロッパ最南東部のルーマニアから、北西部のノルウェーに飛びました。ご承知のことですが、ハンセン病の病原体Mycobacterium leprae(らい菌)を発見、同定したアルマウェル・ハンセン博士に因む施設や、UNESCO世界記憶遺産でもある、最古は18世紀・・・1700年代にさかのぼる、この病気に罹患した人々の膨大な記録を、完璧にという以上に徹底的に保存している公文書館を訪問し、本当に圧倒されました。

ベルゲンという街の現在の人口は26万人強に過ぎません。尤も、ノルウェーという国そのものの人口が523万(2016年7月1日時点)なので、この規模でも、ベルゲンはノルウェー第二の大都市です。

世界史で、ハンザ同盟などという歴史的な連合体について学ばれた方もあるかと思いますが、ベルゲンという、この北海に面した港町は、11世紀から交易が始まっていたそうです。1000年以上の歴史です。そして1217年から1299年(日本では鎌倉時代、源頼朝と義経、弁慶。承久<ジョウキュウ>の乱の後鳥羽天皇・・・)は、ノルウェーの首都であったそうです。京都のような位置づけでしょうか。現在は、海産物の養殖、海運、そして北海での海底石油、さらに海底に関する技術関連の工業地でもあります。たったと云うのは失礼ですが、人口たった523万人のノルウェーの一人当たりGDPは74,598米ドル(2016 IMF)で、世界3位の富裕国(ちなみに日本は、国としては世界第3位ですが、一人当たりGDPは26位デス!)であることを思えば、しっかりとした環境対策を行った工業化がなされているに違いないと思います。国の産業は、石油、ガス、アルミニウム・シリコン・化学肥料などの加工業、そしてイメージしやすい水産業です。そういえば、観光地でもあるベルゲンの港では、魚市がならび、世界遺産でもあるブリッゲンとよばれる旧市街の木造建造物の辺りはにぎわっていました。そして、私が北海のフィヨルドかオーロラ観光船?などと不埒な思いをもった、やや異な形の展望台的構造を持った大型船が停泊していました。それは海底油田のためのものでした。

さて、ベルゲンのハンセン博士に由来する歴史、歴史には、もちろん感動を致しました。
が、私には、沢山の疑問が生まれました。何故、この北海沿岸の港町に、1800年代に多数(と云っても実は数百名)のハンセン病者が滞留したのでしょうか?そして最後に発病した人々は1950年前後なのですが、それ以前の、まだ、いわゆる化学療法が完成していない時代に、どうして感染、発病がなくなったのか?当然、結核、梅毒、その他諸々の病気があったはずなのに、なぜ、ハンセン病だけを詳細に記録したのか??もちろん現在でも試験管内培養が出来ないという弱くて、しかしやっかいなハンセン病の原因である細菌は、突然、ハンセン博士が現れて、見つかった・・のではありません。この国の最初の医療の責任者になったOve Gueldberg Hoegh(発音不明デス)博士が、すべての患者の記録を取ることを1854年に命じ、さらにハンセン博士の義父でもあった、高名なダニエル コルネリウス ダニエルセン博士の膨大な研究や、当時、進みつつあった顕微鏡、細菌培養と染色法などの近代医学の発展が、ハンセン博士の偉業につながっています。とまれ、ハンセン関連に従事している身として、忘れられない日でありました。

ノルディックモデルなどというと、スキー??と思いますが、この国は、スウェーデンなどと並んで、この名前で総称される高福祉高負担の福祉国家でもあり、人生満足度(Life Satisfaction)では、スイスに次いで世界第2位(2014 OECD)でもあります。ハンセン病に立ち向かった人々の熱意が、そのような現在を作っているのでしょうか。この国への関心も高まりました。

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1790年代の記録、日本は寛政の改革の頃!!