[会長ブログ ― ネコの目]
ベルゲンからカービルへ その1

暑い暑い夏もようよう去りました。今年のカレンダーも、月ごとなら後2枚、2カ月ごとなら最後の1枚、木々の色づきとともに、ちょっと感慨にふける時期です。その上、後期高齢者ともなりますと、時の流れの速さは新幹線以上、打ち上げ時の宇宙船のような華々しさはありませんが、常に時間ではなくて、分や秒が豪速で消さっているのです。故に、一瞬一瞬を大事にしなければと云うも、思うも簡単です。が、どうすれば良いのやら、それが判らないから、何も出来ないという弱さを持つのが普通の人間、と一般化はしませんが、自分に関し申すならば、毎夜毎朝反省しきりです。ハンセン病対策が主務の一つである笹川記念保健協力財団に参って早や3年半、自分に残されているであろう時間を思うといささか動悸します。

閑話休題。
ハンセン病という病気、古代エジプトの記録や聖書に記載されている如く、恐らく人類発生時からヒトとともに存在し、人々を悩ましてきたようです。この「疾患」に関する私の知識は、これまでの研究論文のつまみ食い、この「やまい」に苦しまれた人々についての記録や人々が自ら書かれたもの、そして「病気」をめぐって様々な活動に従事してきた関係者の記録のホンの一部を大急ぎで読んだものに過ぎません。幸い、3年半の間にいくつかの国々を訪問し、関係者と面談し、また、色々な状況も見聞させて頂きました。とは申せ、自らが診療したり研究した訳ではなく生半可な知識に過ぎないことは重々承知の上で申します。

この病気は、知れば知るほど、興味がわいてきます。感染症のひとつに過ぎず、今や化学療法は世界のどこでも可能です。なのに、未だに制圧が出来ないし、この病気をめぐる問題は根深く残っています。なぜなのでしょうか?

ハンセン病は、経済発展つまり生活環境改善や向上と密接に関係するともいわれます。確かに、社会開発にともなって、この病気が消退した例は、この疾患の原因であるらい菌が同定されたノルウェーで明らかです(後述)。しかし、天然痘のような根絶は夢かもしれない、と思います。何故なら、らい菌が病気の原因であることは明白なのですが、それが何時、何処で、誰から、あるいは何から、ある人に感染するのか、あるいはしたのかが確実に決められることは極めて困難である上、たかが一つの病原体なのですが、未だに、試験管内で培養することができません。とても弱い細菌なのに、扱いはとても難しい・・・・

滅多に感染せず、また、感染したとしても滅多に発病にいたらない、つまりとても、とても弱い病原体であるらい菌による感染症のひとつ、本当に数多ある感染症のone of themに過ぎまないのに、感染し発病し、放置すれば、身体表面に機能障害(知覚、特に痛覚マヒ)を来すだけでなく、やがては迫害の対象となる厳しい変形を来します。弱いばい菌であるがために経過は緩やか、エボラのように感染!!即発病そして死といった派手な経過を取らないが故に、また、感染症なのに、まるで糖尿病や悪性の高血圧といった手ごわい慢性疾患のように、さらに貧困や低開発といった社会の弱いところに巣くうがために、ひっそりと長い年月を生き延びてきたように思います。さらに、長い病気の歴史に比し、確実な治療法が出てきたのは比較的近年、1940年代です。為すすべなく、病気の進行に任さざるを得なかった発病者や家族への差別阻害、多数者から切り離し、隔離するという手段は、感染防止以上の意味を持っていたようにも思えます。

しかし、時代は変わりました。1940年代、アメリカはルイジアナ州州都バトンルージュの郊外に作られたハンセン病療養所カービルで始まったサルファ剤プロミン(グルコスルフォンナトリウム)による劇的な効果、そしてこれに対する耐性が生まれた後の新しい化学療法の組み合わせがハンセン病治療を激変させました。1980年代には、WHOが三種の薬剤併用を打ち出しました。

さらに、そのいわゆる三種の組み合わせ薬剤を無料で世界中に配布するという画期的対策は、ハンセン病対策のためのWHO大使であられる日本財団笹川陽平会長のイニシアティブで1995年に始まりました。これにより、1980年代には1,800万とも推定されていた年度毎の新しい発病者数は激減過程が確定しました。現在、世界の新患数は毎年20万人強にまで減少しています。が、この状態が過去十年ほど固定しています。つまり一定成果は上げたものの、最後の段階で手詰まりになっているのです。何故、そうなのか・・3年半前、財団理事長に着任した新米ハンセン病対策支援者としての自分の課題でもあります。

実は、私ども笹川記念保健財団は、海外のハンセン病対策のために設立された経緯があります。私自身も、財団がこれまでに支援してきた国々の、いくつものプロジェクトを訪問したり、上記WHOハンセン病制圧大使としての笹川日本財団会長の、なお、ハンセン病「まんえん」地視察に同行させて頂いたりするのもそのためです。が、医科学的また文化社会学的にも、私には、いまいち核心がつかみかねる、複雑怪奇でありながら(オールド元医師としては)何とも魅力的な(不謹慎な言い方ですが、本体を突き止めたいという意味では、とても関心ある)ハンセン病という病気にとりつかれた想いがしています。

10月には、1873年、ハンセン病の名前の由来でもあるドクター ハンセンがこの病原体を同定したノルウェーのベルゲンを訪ね、続いて11月には、プロミンという初めて有効なサルファ剤が使われたアメリカルイジアナのカービル療養所を訪問しました。そのような中で、気付いたことを続けて記載したいと思います。乞うご期待は余計ですが。