[会長ブログ ― ネコの目]
橋を架ける

「橋をかける」 突然、皇后陛下のお著書・・・ご講演を本にされた際の題名・・・が思い浮かびました。

二つのハンセン病療養所があるが故に、長らく「離島」状態だった岡山県瀬戸内市の長島と本州を結ぶ橋が架けられたのは1988(昭63)でした。「人間回復の橋」とも呼ばれる邑久<オク>長島大橋の開通30周年を迎え、かつて、島に強制的に隔離された人びとからお話をうかがい、隔離政策とは何だったのかを考え、架橋によって象徴される解放への思いを共有するために、2018年9月1日、瀬戸内市保健福祉センター ゆめトピア長船で開催されたシンポジウムに参加しました。

シンポジウムは、野の花診療所院長 徳永進先生の基調講演と、邑久光明園 青木美憲園長司会のリレートークからなりました。どちらも興味深く、胸にズシンと響くものでした。ここでは、なぜ、皇后陛下のご著書を思い出したかを記します。

リレートークは、司会者の淡々とした歴史事実の説明後、登壇者が、それぞれ発言を繰り返すやり方でした。島側の長島愛生園から石田雅男氏、邑久光明園からは山本英郎氏が、おそらく、何十度も何百度も繰り返されたであろう当時の状況や困難、そして想いを語られました。

実際の橋の長さは185m、島と本土の間の海峡はたった30m、ひと泳ぎ・・・もないほどなのですが、越えねばならない空間は何と長く広かったのかとの思いが、両サイドのお話で痛感されました。

本土側からは、瀬戸内市裳掛地区コミュニティ協議会の服部靖会長と、NPO法人むすびの家 柳川義雄副理事長がコメントされました。そして、その後、当日の司会進行も担当された岡山県立邑久高等学校の佐藤朱里さんが、前の世代の想いを、どう受け止めるかを、若々しいハリのあるお声で話されました。それをうかがっている時、突然、私は皇后陛下の「橋をかける」を思い浮かべたのです。

「橋をかける」は、1998(平成10)年、第26回IBBYニューデリー大会(The 26th Congress of The International Board on Books for Young People New Delhi, 1998)においての皇后陛下の基調講演の書籍化の際のお題です。この「子供の本を通しての平和--子供時代の読書の思い出(Peace Through Children’s books ― Reminiscences of Childhood Readings―Keynote Speech by Her Majesty Empress Michiko of Japan)」基調講演の全文は、宮内庁のホームページに、日本語英語があるので、ぜひ、拝読下さい。

以前にも書いたのですが、私は、このビデオ講演を南米のボリビアのホテルの、少し寒い部屋で拝聴しました。WHO本部勤務時に出張した際のことでした。部屋に入ってTVをつけたら、柔らかい日本語が流れたのです。ボリビアなど南米では、日系人が多く、日本語放送が多いのですが、アレッ、皇后陛下のお声?と思った時、画面が現れました。コートも脱がないまま、長いご講演をうかがいました。日英二か国語なので、何人もの外国の友人にも進呈しましたが、皆、異口同音に感動を伝えます。

若い高校生佐藤さんの、この地に起こった歴史を受け止める責任を担って生きる!との、凛としたご発声を聞きながら、私は「橋をかける」の中で、陛下がかかれていたケストナーの「絶望」という詩の節を思い出しました。貧しい一家の少年が1マルクを持ってパンとベーコンを買いに行く、気が付くとお金がない、・・・いつまでも帰らぬ少年を心配して探しにきた母親に、少年は激しく泣く・・「彼の苦しみは、母親の愛より大きかった・・・」

 隔離された人々の世代には、隔離した側の人間も存在したはずです。あるいはシンポジウムの参加者の中に、そのような記憶のある人もおいでかもしれないとも思いました。そして、物理的に橋が架けられて30年を経た2018年のシンポジウムが、それらの人々の間にも、さらに、それらのすべてを含め、過去の世代と今、未来を生きる若者の間に大きな橋が架けられた・・・そう思いました。

当日の参加者は、登壇者や主催者同様、この一帯の歴史的存在と、シンポジウムの副題でもある~過去、現在そして世界遺産へ~の想いを共有されているのでしょう。

美智子皇后の「橋をかける」  すえもりブックス、文春文庫など。

美智子皇后の「橋をかける」 
すえもりブックス、文春文庫など。

 

シンポジウム・壇上の様子

シンポジウム・壇上の様子