[会長ブログ ― ネコの目]
「壁」

 「壁に耳あり、障子に目あり」などという諺を聞くことは皆無ですが、街中に治安モニターとか、安心モニターが張り巡らされ、家を一歩出れば「監視」される時代になったとも申せます。文句を申しているのではなく、そのような時代の変化を、ちょっと嘆きたい気持ちなのですが、プライバシーがやかましく云われる一方で、私たちの一挙手一投足がモニター(監視)されなくてはならないのは、どこか矛盾していると思います。さらに、手軽になったSNSでは、いとも簡単に、他人の、そして自分のプライバシーが流れるのですが、ホント、世の中、複雑怪奇でついて行けません。

壁といえば、私には「ベルリンの壁」。実は、そのベルリンの壁が市民の手で崩され始めた1989年11月9日の夜を私はとてもよく覚えています。当時、紛争地勤務第一号で派遣されたパキスタンのペシャワールの拙宅に、ドイツ人夫妻が滞在していました。私が好きなオーストリアの指揮者カール・べームのベルリンフィルハーモニーのCDをかけながら、庭先で、妻のイングリッドと話していた時、TVではなく、ラジオを聴いていた夫のテオが叫びました。「壁で何かが起こっているらしい・・」

それが1961年8月13日着工のベルリンの壁崩壊、そして1990年10月3日の東西ドイツ統一の幕開けでした。

実際に見た壁では、「嘆きの壁」と「万里の長城」があります。

前者は、約30年前に訪れたエルサレムです。今も、世界のホットスポットの彼の地で、紀元前20年頃、ユダヤ王ヘロデが改築した神殿の外壁がそれです。黒い帽子のユダヤ教徒のジェントルメンが、壁に掌と人によっては額を当てて祈りをささげられていました。少し狭い女性パートもありました。嘆き・・・とは、その大昔、神殿が壊されることを嘆いたとか。

後者「万里の長城」は城と書きますが、史上初の中国統一をなした秦の始皇帝(BC259-210、統一は紀元前221年)が、北方異民族の侵攻を防ぐために建設を始めた塀なのです。全長6,300Km弱、札幌-福岡間(2,057Km)の3倍もありますが、実際、完成したのはずっと時代が下がって明代(1368-1644)です。

さて、未完ながら、目下、もっとも深刻な壁は、アメリカ南部とメキシコを隔てるそれ(壁)でしょうか。国の治安に必須と執拗に合意を求める大統領と反対する下院民主党の交渉決裂から、予算が決まらず、政府機関の一部閉鎖延長が続いています。(日経新聞2019.01.12 米政府閉鎖が最長更新 22日目、「壁」対立続く)記事はこちら

壁があれば、悪いものは来ない、壁で不都合なものを遮断する、というのは感染症の隔離の考えでもあります。確かに、隔離は確立した防御手段であり、例えば、今も、感染拡大が収まらないコンゴ民主共和国の東部の紛争地帯でのエボラウイルス病対策は、隔離が重用されています。

全長3,141Kmもあって、毎年3億人以上の人々が往来するというアメリカとメキシコの国境に壁を作るって本気なのかしら?と思いましたが、大統領は真剣そのもの。私は、大昔、アメリカ カリフォルニア州南部のサンディエゴでの学会に参加した折、国境を越え、観光地として有名な隣国メキシコのティワナに参ったことを思い出します。夕日が美しい海辺、高級住宅地、挨拶を返してくれる熊が人気の動物園、学問のメッカでもありましたが、サンディエゴは、また、基地の街でした。そして、カリフォルニアに広がるアボカドやアーティチョーク畑で働く人々は、国境を越えてきた不法労務者が多いとも。ティワナは、そのアメリカからみると、とても南米的で、わずか1泊の旅でも感じさせられる、確かに異なる文化の国でした。

壁、仕切りで遮断するとする考え・・・をどう思われるか。

パンを盗んで、19年間も投獄された、つまり物理的障壁の中に閉じ込められていたジャン・バルジャンの社会全体に対する激しい憎悪は、めぐりあった司教の慈愛により癒され、後世は、愛の具現者として生きます。壁ができることによって、見えなくなったら、かえって見たくなる、越えたくなる・・のではないでしょうか?では、壁をさらに高くする、さらに見るための努力をする・・・。

本当の問題は、なぜ、何かが進入してくること、侵入するものを防がなければならないのかではないでしょうか?その「なぜ」の原因は何でしょうか?

本当に困った壁とは、私たちの心の中にある偏見や差別、何かを排除しなければ・・・とする気持ちに始まるように思います。国と国の間の壁・・・わが国の周りに、そんなものを検討しなければならない日が決して来ませんように!!

私は、日本の各地に、まだのこっている古い白壁の街並みが好きです。

うきは市HPから

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