[財団ブログ ― ハンセン病]
悲しい知らせ

今朝机に座ると、同僚から「バーナードが危篤」という悲しい知らせを聞いた。
週のはじめから容体が悪化し、2~3日だという。
彼と会ったことを思い出しながら仕事をしていると、「亡くなった」という知らせ
が耳に入った。
彼はアメリカ人、6歳の時にハンセン病にかかり、アメリカ政府の隔離政策によって家族から引き離さホノルル郊外のカリヒ病院で過ごすことになった。
当時、子供はモロカイ島の療養所に収容せず、カリヒ病院で治療を受けることになっていたが、病院が真珠湾に近く、1941年の真珠湾攻撃で彼の運命は大きく変わってしまった。
その後、モロカイ島カラウパパ療養所で今日まで(ハワイ時間2/25 15:37)過ごしてきた。
詳しい背景や状況はモグネットに書きものが掲載されているので、ぜひご覧ください。
個人的には、1996年東京での会議に来日した際、浅草観光などを楽しみ彼のギターで数曲楽しませてもらった記憶が今でも鮮明に残っている。
カラうパパには2006年、オハナの会(家族の会)に招待された方の同行として訪問する機会を得た。
当時、カラうパパに住んでいた回復者の方も高齢で20名くらい。
病状の急変に備えホノルル市内の病院に移る人が多い中、バーナードは自分の故郷であるカラうパパでの最期をと、ナーシング病棟に入っていた。
少し記憶が薄れていた時期だったが、日本から見舞ってくれたことを喜び一緒に「銀座カンカン娘」繰り返し口ずさんだ。
笑顔が素敵でユーモアーがあり、みんなの気持を心地よくさせてくれた。仕事を通じて知り合ったが、「回復者」としてではなく「一人の友、人生の先輩」として尊敬している。
今も私たちの心に彼の笑顔、歌声が響いている。