[財団ブログ ― ハンセン病]
PerMaTa新代表 パウルス・マネクさんインタビュー

前回のブログでご紹介した、インドネシアの回復者団体PerMaTaの新代表、パウルス・マネクさんにお話をうかがってきました。これまでは、PerMaTaの3つの支部の中で最も経済的に厳しいと言われる東ヌサ・トゥンガラ州の州リーダーとして活躍されてきました。32歳と若いながらもメンバーの信頼を集め、新しい「顔」に就任したパウルスさんのインタビューをご紹介します。
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職員M(以下M):まずは就任おめでとうございます。
パウルス(以下P):ありがとうございます。
M:かなりの接戦でしたが、最終的に代表に選ばれた時の気持ちはどうでしたか。
P:任務の重大さを体で感じています。でも、僕を選んでくれたメンバーの信頼を思うと、気持ちが奮い立ち、引き締まります。
M:改めて、新代表としての抱負をお聞かせください。
P:代表として、3つのことを大事にしたいと思っています。まず、憲章と規約に忠実であること。PerMaTaの憲章と規約は、今回集まったメンバーの声を最大限反映させて改訂しました。これがPerMaTaメンバーの理想であり、目指すものなんです。この憲章と規約をバイブルとして、忠実に守っていきたいと思います。次に、高いコミットメント。自分の持てるだけの時間とリソースをこの職務に費やすつもりです。そして、透明性と平等性の確保。自分の地域のことだけでなく、全体のことを考え、メンバーの信頼を損ねないようにしたいと思います。これらをいつも心に留めて職務にあたりたいと思っています。
M:東ヌサトゥンガラ州の州都、クパンご出身だということですが、どのような少年時代を過ごされたのですか。
P:これはよく友人たちにいうことなのですが、「ハンセン病のおかげ」でこれまでの人生があると思っています。生家はとても貧しく、とても高校に通えるような経済的余裕はありませんでしたが、英国ハンセン病協会インドネシア支部(当時)のサポートで高校へ進学することができ、さらにハンセン病問題に取り組んでいらした地元の神父様のおかげで大学にも進むことができたんです。
もちろん辛いこともたくさんありました。14歳のときにハンセン病を発症し、ひどいリアクションも経験しました。家族に受け入れてもらえず、精神的に落ち込んだ時期もありました。でもこうして教育を受け、たくさんの友人ができたのは、ひとえにハンセン病にかかったおかげだと考えています。指の曲がった僕の手を見て、たくさんの人が手術を進めてくれるのですが、僕はこのままでいいと思っているんです。辛いことも楽しいこともあわせて、ハンセン病を経験したことによって今の自分がある。時々啓発活動の時に自分の手を見せて「早く治療しないとこうなるよ」と例を見せるときにも役立っていますし(笑)。
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M:ご職業について伺うのを忘れていました。
P:養鶏業です。そんなにたくさん飼っているわけではないのですが、妻(小学校の教師)も働いていますし、子どももまだ1人しかいないので十分だと思っています。
M:大学は奥様と同じ教職課程だったということですが、教師の道は考えなかったのですか?
P:大学を卒業した時、進路について考えました。14歳で発症して、いろんな人に助けられてここまできた。今度は自分が他の人を助ける番だ。自分のように苦しむ人を増やしたくないと思い、当時の英国ハンセン病協会の活動をはじめ、ハンセン病関連の仕事にできる限りのエネルギーを注ぎたいと思ったのです。2008年にPerMaTaの活動にかかわるようになってからは、ますますその気持ちが強くなりました。養鶏はそれほど時間をとられる仕事ではないので、なるべく多くの時間をハンセン病の啓発活動や、友人たちの話に耳を傾けたりすることに使っています。
M:就任スピーチでもおっしゃっていましたが、これからは東ヌサトゥンガラだけでなく、PerMaTa全体のことを考えていかなくてはなりませんね。
P:その通りです。そのために、自分の持てる限りの時間とリソースを最大限つぎ込む覚悟です。
M:責任重大、コーディネーション力を求められる職務ですが期待しています!ありがとうございました。
P:笹川記念保健協力財団のこれまでの支援に心より感謝します。これからもよきパートナーとなれるよう努力していきます。