[財団ブログ ― ハンセン病]
草津・湯之沢/御座の湯・コンウォール・リー

「日本のライ受難史あるいは救ライ史の一頁に、湯の沢の歴史が誰かの手によって残されなければならないと思いはじめるようになった。」(『御座の湯口碑』最終回 加藤三郎・山本よ志郎)

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国立療養所栗生楽泉園のある日本有数の温泉町草津。この町は次の2つの点でお日本のハンセン病の歴史に重要な足跡を残しています。
第一は、硫黄分を含む強い酸性の湯が皮膚病に効くとされ、全国から集まってきたハンセン病の患者を中心とする集落が形成されていたことです。それは草津町の東側、下町とよばれた低地に1887年から1942年頃まで存在した湯之沢集落。1930年には草津町全戸数の40%を占めるまでになり、その中心には「御座乃湯」がありました。湯之沢の「御座乃湯」の写真は『風雪の紋』(栗生楽泉園患者50年史1982年)に納められています。

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第二に、湯之沢集落は1916年から1936年まで、英国国教会のコンウォール・リー女史が病者に寄り添い「かあさま」と親しみを込めてよばれて尽くされた土地でもあります。リー女史が精魂を傾けた聖バルナバミッションは湯之沢の内外に30近くの施設(男子・女子・夫婦・児童などのホーム)を開設して病者と家族を支え続けたのです。(中村茂「草津『喜びの谷』の物語」)

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今回、その跡を訪ねようと試みましたが、湯之沢集落はもはや草津町にその跡をとどめていないことに驚きを禁じ得ませんでした。湯畑や白旗の湯がある草津温泉の中心から、湯之沢集落や「かつての御座の湯」があった下町に至る坂には境界を示す門柱があったとされますが、その跡を探すすべもありません。なにより「かつての御座の湯」のあたりは「大滝の湯」となり、「御座の湯」は2013年4月、坂の上の湯畑の近くに檜造りの豪華な湯殿として再登場していました。
聖バルナバミッションの沢山の施設が並んでいた町並みはすっかり様を変え、唯一残るのは丘の上の頌徳公園(正式にはコンウォール・リー頌徳公園)にある聖マーガレット館だけでした。

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この公園はかつてリー女史の住まいもあったところで、今は草津聖バルナバ教会とそれに隣接して先年開設された「リーかあさま記念館」があります。

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記念館はコンウォール・リー女史顕彰会のご努力と有志の解説者により維持され、学ぶことの多い場となっています。願わくは聖バルナバミッションと湯之沢集落の全貌を視覚的にも理解しやすく展示する工夫など、今後に期待したいと思います。

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草津町が湯之沢集落の記憶を消し去って、温泉リゾートとして発展しようという選択が正しいのかどうか大いに疑問が残ります。湯之沢集落の60年は、日本ばかりでなく世界のハンセン病の歴史の中でも特異な歴史です。この地を、病む人々の「喜びの谷」としたコンウォール・リー女史の20年。さらに湯之沢集落を撤収して生まれた国立療養所栗生楽泉園の80余年。これらすべてをとおした130年近い時の流れは、この地の遺産として生かしていって欲しいと切に思います。
昨年、中村茂先生他の手になる絵本がポプラ社より出版されました。

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「むかし、湯の沢とよばれたところが、いま、草津の湯をたのしむ人たちで、にぎわっています。けれども、70年ほどまえまで、ここに、病気と差別にくるしむ人びとがすむ集落があったこと、リーかあさまという人が、人びとによりそいながらはたらいていたことを知っている人は、ほとんどおりません。」
(ヤマグチ)