[財団ブログ ― ハンセン病]
追悼 神美知宏さん

神美知宏(こう・みちひろ)さんの急逝(2014年5月9日)は、国の内外を問わず、ハンセン病問題、回復者運動に多少とも関心を持っている人々には大きな衝撃をよびました。多くのメディアがニュースとして伝え、追悼の記事でフォローし、13日多磨全生園の公会堂で執り行われた「お別れの会」では500人近い人々が別れを惜しんだと報道されました。そして会場には、いつもの闘士の容貌とは距離をおいた「男性オシャレ雑誌」のグラビアかと見紛うダンディでリラックスした神さんの写真があったと聞きました。このお別れの写真は、生前ご本人が周到に選んでおかれたのかご親族のチョイスなのか、いずれにしてもなぜか神さんのお人柄をよく表していて、思い出になるにはふさわしいものだと思いました。

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神さんを知ったのは、世界のハンセン病当事者の国際的ネットワーク(IDEA)が立ち上がる1995年前後でした。1996年の「らい予防法廃止」を機に園名であった神崎正雄を捨て神美知宏を取り戻された(朝日『ひと』欄)神さんは、当時全患協から名称をかえて新しく発足した全療協の事務局長でした。IDEAを全療協に紹介し、全療協をIDEAに紹介するなど、何時も神さんに窓口として対応していただきました。
2005年から6年間、神さんには笹川記念保健協力財団の評議員をつとめていただきました。私たちは日本の当事者運動の歴史と現状が、世界各地の当事者運動に多くの示唆を与えるものであると理解しており、日本から海外へ発信の機会を増やしたいと考えていました。
しかしながら、神さんは全エネルギーを全療協の活動に注いでおられ、また日本の療養所の状況もそれを要求したため、神さんに国際的な活動をしていただくことは容易ではありませんでした。それでもいくつか心に残る発言と交流の場面がありました。
1998年6月、2年前のらい予防法廃止という大きな節目の勢いを受けて、「ハンセン病回復者の国際交流会議―人間の尊厳回復と共生を目指して」が、全療協・アイデア(回復者国際ネットワーク)・藤楓協会の共催で、東京の砂防会館で開催されました。海外7か国から9名、国内から回復者を中心とする600名の参加者があり、神さんは全療協事務局長として「東京宣言」を発表されました。

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その晩の懇親会では、他園からの参加者も交えて全療協コーラスが実現し、

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その中に慣れた手つきでキーボードを演奏する神さんの姿がありました。

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また、中国の回復者組織「広東漢達康福協会」(通称ハンダ)の「国際尊厳の日」記念集会に来賓として招請され、全療協からのメッセージを届けられたこともありました。広州市郊外のハンセン病回復者村を訪ねた時には「ちょうど僕たちの50年前をみているような気がするよ」といいつつ村人の手を握る神さんでした。
今一つ、多忙な神さんに海外での発言をお願いしたことがあります。2010年10月フィリピンのマニラで、世界の当事者組織および個人が「ハンセン病対策における当事者参画」に関する見解をまとめる国際会議が開催されました。これはWHO(世界保健機関)がハンセン病対策の戦略作成にあたり、当事者参加の重要性を認識し企画したものでした。神さんはアジア・南北アメリカ・アフリカの12か国から参加した当事者代表と政府代表・専門家等を前に、日本の長年にわたる厳しい隔離政策の結果として、高齢で障がいのある人々が家族の絆を絶たれたまま療養所の中で人生の終末に直面している現状に触れ、苦難を乗り越えて生きた人々の想いは、将来、誰がどのように引き継いでいくのか、当事者を取り巻く多くの個人と集団との連携・連帯の模索の中から答えを見出しつつあることに触れる、印象深いプレゼンテーションをされました。

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(上)WHO会議参加の当事者メンバーと一緒に。(下)全体参加者とWHO専門家等

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2日間ぶっ続けで通訳付きの会議はさぞかし神経の疲れることであったと思います。会議のあと日本語の堪能なWHOのドクター・バルアも交え、マニラ湾に張り出した小さなレストランでビールを手にした神さんのリラックスした笑顔が忘れられません。
Mr. Michihiro Ko, President of Zen Ryo Kyo の名前はWHO「当事者参画強化」ガイドラインにしっかりと残されています。

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神美知宏さん、ありがとうございました。さようなら。
(ヤマグチ)