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福島放射線災害研修

5回目の福島放射線災害研修は、8月6日ヒロシマの日に始まりました。福島医大と長崎大学のご協力を得て、福島医大での講義と東京電力福島第二原子力発電所の見学、そして川内村、富岡町、飯館村 に分かれてのフィールド研修からなります。

今年は、全国各地の看護大学/学部、医学部から16名の学生院生が参加、そして昨年来、かつて参加し、今は社会人となっている先輩がチューターとして、数名加わって下さいます。

初日、アイスブレーキングのグループワークから、それなりに意見はでるのですが、皆、物静か、、、私は、イントロの災害概論を話させていただき、質問を受けましたが、やはり、お上品?

さて、フィールド研修が終わった昨日は8月9日、ナガサキの日に、反省会的かつ懇親の場として、夕食をともにしました。

たった3日の間に何があったのか、というほど、皆の中で生じたケミストリーの成果に圧倒させられました。賑やかななかにも、学生院生らしい真摯さを秘めた意見交換に圧倒されました。

こうして今年の研修も良い成果を出すことができました。ご協力いただいた関係者の方々、滞在させていただいた各地の皆さまに、こころからお礼申し上げます。

昨日、初めて長崎の式典に参加されたグテーレス国連事務総長のスピーチに、世界の軍備費は1兆7000億ドルを超えるとありました。イギリス、フランスそして日本の歳入(日本の歳出は2兆ドル超で赤字!)と等しいのです。なんてことでしょうか!

その昔、アフリカのアンゴラで交わした同僚との対話を思い出しました。

今日は、研修最終日。平和を願う、平和をつくり護ること、明日を担う若者にも、お願いしたいと思います。

少し静かなアイスブレーキング

少し静かなアイスブレーキング

盛り上がりました!反省会

盛り上がりました!反省会

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暑さに耐えて・・・

TVや携帯ニュースでは、「熱中症に注意」とか「熱中症に厳重注意」の文字が現れます。
ここしばらくの日本では、35度以上が普通になっているように思えます。CNNやBBCの気象情報でも、世界中が似たり寄ったりの異常気温のようで、各地で山火事が頻発していますが、「熱中症に気をつけましょう・・・」には気が付きません。

かつて勤務したパキスタンのペシャワールで、二夏<フタナツ>、53℃を経験しました。
持参の気温計の最高温度が53℃まででしたが、新聞報道も53℃、そのような日には、二桁の人々が亡くなる報道が常でした。が、一緒に勤務していた現地の人々は、本当の気温はもっと高く、亡くなる人はもっと多いが、皆がショックを受るから、この程度の報道だとか、真偽は判りません。

彼の地、4月末から11月頃まで、日中は40℃を超えることが多く、6~10月は最低でも35℃、最高が50℃以上で、しかも湿度も高い、一日中、お風呂場にいるような日もありました。さらに、4月や11月の夜明けは10度以下という日内差も厳しいものでした。

まず、どれくらい暑い・・・熱いかの私の限られた経験です。実際に、自動車のボンネットで目玉焼きが作れました(そんな愚かなことをする人はいません、もちろん。使用人に呆れられながら、試しました)。ここ数日は、東京でもそうですが、水道からは熱湯に近いお湯が出ました。コンクリートに水を打っても、瞬時に乾き、裸足で水撒きをすると足の裏を火傷<ヤケド>する・・・植木に水を撒くと、水滴が煮えて、葉に水滴状の火傷後が残る。30年も前のことですが、ほとんど毎日数時間以上の停電。

途上国での予防接種事業に従事した経験から、今でも冷蔵庫は素早く開け閉めする習慣が身についています。熱帯での予防接種では、それぞれ保存温度が決まっているワクチンを、如何に現場まで、高温にさらさずに運ぶかが一大事です。1980年代、WHOやUNICEFが協力してCold Chain(コールド・チェーン。ワクチンを、先進国の製造工場から、途上国の田舎の予防接種現場まで一定温度で運べるシステム)を作りました。それでも、本当の末端まで一定低温を維持するのは至難でした。日本で、クロネコヤマトさんのクール宅急便が始まったのは1988年、私はロバの背中に、アイスボックスを括り付けて、道なき道を歩いていました。

さて、停電が長いと、冷蔵庫を開け閉めする度に熱気が入り、保存している筈のものが腐ります。ですから、どの位置に、何が入っているかを覚えて置き、間髪を入れず、必要なものを取り出す。また、無駄に冷蔵庫を開け閉めしないことは鉄則でした。

昨今の日本のように、とても暑い休日のこと。ペシャワールは、家具の名産地で、どのお宅にもチーク材などの立派なテーブルが置かれており、拙宅にも大きな食卓がありました。朝昼兼用の食事後、テーブルの上にマヨネーズのチューブを置いたまま、ほんの少し、別室に参りました。戻ってみたら、マヨネーズのチューブの中でブツブツと泡!! 煮だっているとは申せませんが・・・テーブルは、確かに、暖かよりは少し熱いと感じるほどにヒートアップしてはいましたが、ホント、ビックリしました。

ただ、郷に入っては郷に従え。彼の地の人々は、夜明け前から3,4時間働き、日中は、厚い土の壁の家の中で、静かに休んでいる、そして夕方、また2,3時間働く・・・のが普通のようでした。拙宅は煉瓦造りでしたが、それはモダンだが一番「熱い」建物で、日干し煉瓦造りや厚く土を塗り固め、小さな窓と入口には厚い毛布の熱気除けを吊るした現地風の家は、意外に涼しく、居心地は悪くありません。また、土甕の水もひんやりしていました。衛生上の問題を解決すれば、古来の暮らし方は妥当なのだと思ったものです。

人が住んでいるところで一番暑かった記録は、非公式にはイラクのバスラの58.8℃(1921)、公式にはカリフォルニアのDeath Valley(死の谷)の56.7℃(1913)が知られていますが、その他リビアのアジジヤの58℃(1922)、いずれも100年ほど前ですね。

現在の熱波が、大宇宙の自然のサイクルの一環なのか、地球にはびこった人類という生物の営みのなせるわざか・・・いずれにせよ、プラスチックだけでなくいろいろなものを消耗し過ぎないことを、皆が再認識し、少しでも良い環境、麗しい自然を次世代に保障できるよう、生活を慎みたいものです。

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岡山と広島

先の豪雨、異様な進路をたどった台風12号が信じられないようなさわやかに晴れ上がった青空の倉敷で目覚めました。

私ども笹川記念保健協力財団が「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」を始めて5年目、先日、茨城県で40人目の開業を祝い、5期生17名が、前期最終研修中です。

最も長い開業歴をもっている仲間といっても、研修以前から開業していたお二人を除くと、精々4年なのですが、日々、日本各地で、数千人の在宅療養者の看護を行っています。「看護師が社会を変える」には、まだ至っていないかも知れませんが、各地での足場を固めてくれています。

さて、先の西日本豪雨では、仲間に直接の被災はなかったのは幸運でしたが、岡山の1期生赤瀬氏、そして現在研修中の広島の武田氏、野田氏の仲間が、被災されたことが判りました。

昨年来、今後の災害時の在宅看護センターの人的応援を予期して、災害看護の講義を追加していましたが、緊急時の在宅/訪問看護センター支援では、むしろ、喪失した看護物品や車などの足、そして緊急資金が必要なことが、先日訪問した岡山現地調査で分かりました。

泥縄式のそしりは覚悟してなのですが、急遽、緊急支援金を集めることを企画し、今回、岡山、広島にお届けに参りました。

在宅/訪問看護センターは、そもそもが小ぶりです。緊急時の支援体制は、弱体というより、ほとんど無いに等しい・・・

私どもは、ほんの小さな一歩ですが、その体制を作りたいと行動しました。

災害大国日本の在宅/訪問看護体制において、今後どんなことが必要か、ご意見を頂きたいと思います。

いずれ、きちんと報告致しますが、ご芳志を頂いた皆さま、ありがとうございました。

晴れ上がった倉敷

晴れ上がった倉敷

岡山 左から、岡山訪問看護センター協議会江田会長  喜多、被災した在宅センター「そーる」片岡所長  一期生 在宅看護センター「晴」代表赤瀬氏

左から、岡山訪問看護ステーション連絡協議会江田会長、
喜多、
被災した在宅センター「そーる訪問看護ステーション」片岡代表
一期生 在宅看護センター「岡山訪問看護センター 晴」赤瀬代表

 

広島訪問看護ステーションタ協議会会長 公立みつぎ総合病院名誉院長・特別顧問山口昇先生と

広島訪問看護ステーション協議会会長
公立みつぎ総合病院名誉院長・特別顧問山口昇先生と

 

 

 

 

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災害、被災、瓦礫

またもや!!の災害

亡くなられた方々のご冥福を祈ります。そして被災された方、避難を余儀なくされている方々に、心からのお見舞いを申し上げます。さらに、酷暑の中、黙々と救援、復旧にあたられている方々、ボランティアの皆様に感謝申し上げます。

Dictionary of Disaster Medicine and Humanitarian Relief(災害医学と人道援助の辞書)の編著者で、災害医学の大家であるS. William A. Gunn先生は、「災害とは、自然現象もしくは人為的原因によって生じる人とその生活環境に及ぶ破壊的影響で、しばしば外部支援を要する、緊急の事態」と定義されています。また、自然災害救援のエキスパートである私の友人Claude de Ville博士は、自然災害の場合、地震や火山爆発の発生を防止することはできないが、耐震・免震構造を施し、火山爆発で火砕流や噴石が及ぶ区域に住まないことで、被災(人とその生活環境が被る破壊力の影響)は小さく出来ると述べています。

1923(大正12)年9月1日に発生したマグニチュード7.9の関東大震災で、東京ほか関東一円が被災し、木造家屋が多かったこと、昼食準備時であったことから、各所で火災が発生し、21万戸以上が焼失しました。死者行方不明者が10万5千人にのぼったほか、現在とは異なり、正確な情報がない上、デマが広がり、いくつかの社会不安を惹起しています。1960(昭和35)年以降、この日を防災の日として、全国各地で訓練が行われます。

世界各地を見るまでもなく、わが国でも、毎年、大小さまざまな災害が発生します。防災訓練や耐震免震装置などの予防措置と、DMAT(ディーマット:Disaster Medical Assistance Team/災害派遣医療チーム。医師、看護師、その他の医療職と事務職員で構成。大規模災害や多傷病者発生事故などの現場に、通常48時間以内に到着活動できる機動性を持つ専門的チーム)やDHEAT(ディーヒート:Disaster Health Emergency Assistance Team/災害時健康危機管理支援チーム。保健所職員、公衆衛生医、保健師、管理栄養士、衛生課職員などで構成。大規模災害発生時、速に被災地入りし、被災者の飲料水や食料、生活環境の衛生状態、感染症発生などを把握、被災地で必要な人的物的支援や供給体制を確保する公衆衛生チーム。DMATが治療的であるに対しこちらは公衆衛生的活動を対象)の仕組みもありますが、毎年・・・残念ながら、犠牲者が出ます。

先週末、被災地のひとつ岡山に参りました。色々な情報や各地状況は、たくさん報道されていますが、被災地の在宅看護がどうなっているのかを知るためです。日本財団在宅看護センター起業家育成事業の一期生で、「岡山在宅看護センター晴」を開業している赤瀬佳代氏を頼りに、現地関係者のお話をうかがいました。【同じく被災地広島は、現在進行中の「2018年度日本財団在宅看護センター起業家育成事業」の研修生お二人の郷里(お一人の自宅は一階が泥流流入で壊滅!!)であり調査をお願いし、また、四国は開業済仲間に情報収集をお願いしました。】

在宅療養者は、看護師らが訪問しなければケアが止まります。岡山では、県内150在宅/訪問看護センターの中、被災されたのは3事務所、既に関係医師や仲間の自宅を借りて、訪問を再開して下さっていました。が、事務所も自宅も被災、移動手段も看護活動資材も流失し、酷暑の中・・・何時まで、緊急体制を続けるのか、精神論では解決しないと思いました。各地の情報を集積し、何らかの支援につなげたいと思っています。

そのような被災地で思い出すことがあります。「がれきの山・・・」です。

がれきは瓦・礫、つまりカワラと小石あるいは取るに足りない、つまらないもの・・・です。今回も、各被災地では、家具やほんの数日まで使われていた、あるいは飾られていたはずの様々な道具、飾り、寝具や衣類が水に濡れ、泥にまみれて運ばれ、山積みされています。

先年の東北大震災の際に訪れた宮城県、岩手県でも、愛用品だったらしいスポーツ道具、衣類、自転車そしてご家族の写真などが土に埋もれていました。当時の職場だった日本赤十字九州国際看護大学の教員が、ふと申しました。「これを瓦礫と云うのはつらい・・・ほんの昨日まで、使っていたのに・・・」と。その若い看護教員は、こうも申しました。「外国の災害地で瓦礫といっても何も思わなかったのに、日本で、馴染みあるものを目の前にした時にだけ、イラっとするのは、私の偏見でしょうね・・・」とも。

同大学は、2005年から、未曽有の洪水災害といわれたインドネシアのバンダアチェの4つの看護専門学校への災害看護教育導入をお手伝いしましたが、その際、多数教員が現地に参りました。彼の地では「がれき」でしたが、日本では「思い出の品」・・・

たかが瓦礫、されどガレキ、です。私自身、2011年4月末、初めて宮城県南三陸町の、跡形もなく流れ去った町役場の後のシンボリックな防災センターの前で、泥の中からご家族の写真を拾った時、とても瓦礫とは思えず、2011年8月、学生ら80名とボランティアした海辺の、元住宅地で聞いた、この教員の言葉に深く、深くうなずくばかりでした。

今回の西日本豪雨禍の被災地の一日も早い復旧を祈ります。

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在宅の仲間―番外編

暑中お見舞い申し上げます。

この度の西日本豪雨禍で亡くなられた方に哀悼の意をささげますと共に、まだ行方のわからぬ方々とそのご家族や避難を余儀なくされている多くの方々に、心からお見舞い申しあげます。

先般の大阪の地震に続く広域大災害もあって、ホームページ連載中の「在宅の仲間たち」が足踏みしております。

言い訳がましいのですが、夏休み・・・させて頂きます。

2014年度から始まった笹川記念保健協力財団が実施する「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」の2018年度は、猛暑の中、熱い研修の日々が続いています。この5期生17名を含めますと67名の仲間となります。

が、下の地図をご覧いただきますと、白抜きの、未だ仲間のいない地域も沢山あることは歴然です。各地域の人々に安心を保障できる看護師の拠点を、さらに増やしてまいりたいと思っていますが、開業済の仲間は、今次の災害でも応援体制を考えてくださっています。精神論は好みませんが、日々の緩やか連帯とともに、イザ!!の際の強固な在宅看護師魂をうれしく感じています。

皆様、猛暑の日々、ご自愛下さい。

日本財団在宅看護センター開業地図

日本財団在宅看護センター開業地図

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七夕さまとオウムアムア(初めての遠来の客)

毎年のように七夕<タナバタ>を取り上げてまいりましたが、今年も、懲りずに、天の話を。

6月30日、北海道大樹町(タイキチョウ)拠点のベンチャー企業「インターステラテクノロジズ(IST)」が作った小型観測ロケット「MOMO(モモ)」2号機が、同町の発射場から打ち上げられました。直後に落下し炎上した場面をTVでご覧になった方も多いと思います。幸いというべきでしょうか、人命にはかかわらなかったとは申すものの、その瞬間まで、成功に向けて努力されてこられた方々の無念さ、そして高額であろう投資を想うと、他人事ではなく、穏やかではおれませんでした。

その大樹町は、地図で見ますと十勝の真南の太平洋側に面した町、「宇宙のまちづくり」を標榜し、航空・宇宙分野の実験や飛行試験を積極的に誘致しており、その関係の施設が多いそうです。1970年代に8,800人を超えていた人口は、本年3月31日現在5,641人、面積815.68平方キロメートルなので、人口密度は6.92人/平方キロメートル・・・ちなみにアフリカのガボン7.13、中央アフリカ8.00と同程度、つまり、1辺1キロメートル(歩いて15分程度)の正方形の中に居住する人間の数が約7人です。

高額な資金を投じて、なぜ、人間の関心は宇宙に向かうのでしょうか。未知に対する純粋な科学的興味もありましょう。今や、地球と同じような生物の生存可能性のある天体の発見や資源探索もあるようで、かなり政治的意図も強くなっているように思います。1633年6月22日、地動説をとなえたガリレオ・ガリレイは異端者として有罪となり、終身刑を課せられました。後に「それでも地球は動いている “E pursi mouve”と云ったとか云わなかったとかですが、約500年後の宇宙天文学の進歩をどう見ていることでしょうか?

ところで、昨年10月19日、ハワイ大学の研究員ウェリク氏が、同大学ご自慢の「パンスターズ1(Pan-STARRS, Panoramic Survey Telescope And Rapid Response System)望遠鏡」でとらえた一連の画像の中に、謎の天体が見つかったそうですが、これが何と、太陽系の外から飛来したとされる初の天体だと判りました。

太陽系の外からやってきて、昨年10月頃、地球のそばを通り過ぎたこの物体は、最初、A/2017 U1と呼ばれ、後に、ハワイの現地言葉で「遠方からの最初の使者」を意味する「オウムアムア(Oumuamua)」との名前を与えられました。そして、現在に至るまで興味深い議論をもたらしています。

オウムアムア

一時はUFO、宇宙船!!と期待?もされましたが、オウムアムアは、岩と氷の固まりからなる太陽系外からの初飛来物であることが確立しました。また、オウムアムアは、数時間ごと、正確には7.34時間ごとに明るさが10倍も変化することから、細長い形をしており、幅/直径40メートル、長さ400メートルの物体・・・天体と推測されましたが、塵やガスの尾がないことから、彗星ではなく、どこかの別の恒星の周りで形成された小惑星とみられているのです。そして、通常、太陽の周りの楕円形軌道をまわっている地球などの惑星とことなり、オウムアムアは、太陽の引力を振り切り、時速13万8千キロメートルの速度で地球から遠ざかっていることも判りました。このような所見は、オウムアムアが、地球に近かった数日間になされた世界各地での観測からですが、そもそもは太陽の引力に引かれて、太陽系外から時速9万キロ(秒速25キロ以上)で近づき、太陽と水星の間を通り抜け、発見される5日前、昨年10月14日には、地球から最も近い約2千400万キロを通過していたのです。

謎の天体

また、恐らく、数億年単位で宇宙空間を漂流していていたため、宇宙線にさらされた表面は暗い赤みを帯び、特異な形状をしているのだろうと考えられており、他の彗星とは異なり、太陽に接近した時にもガス噴出がないことから、揮発性の物質などはすべて蒸発してしまっているのだろうと考えられています。

残念ながら、このオウムアムアはどんどん地球から遠ざかっているため、もはや地上からの望遠鏡では観測できなくなっていますが、天文学者たちは、宇宙望遠鏡を追跡しているそうです。このままの旅を続けると、オウムアムアは、2019年1月頃、土星の軌道を越えて太陽系を離れると予測されています。

ウーム、宇宙戦艦ヤマトとか宇宙戦艦テラミスとか、ドラエモンののび太の宇宙漂流 を思い出しますね。と云うのは夢がありましが、現在、宇宙には4,500トンもの宇宙ゴミが、最高時速2万8千キロメートル/時で地球の周りを回っているそうです。大概のものは、大気圏に入って燃え尽きるのですが、そのスピードからは、ホンの小さなゴミでも、宇宙船や人工衛星の表面を傷つけ破壊するに足るそうです。

人工衛星の打ち上げ失敗から、ちょっと夢のない話に終わりましたが、街のあちこちの笹には、何と願いを書きましょうか?

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在宅看護–オーダーメイドのケア

在宅看護を実践されている同輩には、同様のご経験が沢山おありと思いますが、私どもの仲間のホヤホヤ起業家看護師からの便りです。

先般、「日本財団在宅看護センター」の看板を上げたばかりの仲間のところに、ご自宅での「看取り」前提の依頼がありました。在宅医となられた医師ともども、初めて・・・。さぞや緊張の日々だったと思います。しかも、ドクターは、容態からみて、ご自宅での看取りは無理ではないかとのご判断から、緩和病棟を勧められたそうです。が、ご本人もご家族も、「家で逝きたい!」「家で看取りたい!」との強い意志を示されたことで、在宅医と在宅看護師たちは、覚悟を決めざるを得ません。じっくり話し合って、在宅看取り支援体制が出来上がりました。毎日の訪問を要する状態、恐らく、一日に複数回訪問もあったと思います。

決して、ご自宅での長い療養の日々が想定される状況ではなかったのですが、ご家族のお疲れやお気持ちの揺れも想定して、緩和病棟とも連携をとり、(つまり必要に応じて入院出来る)バックベッドを確保しての支援が続きました。

が、ご本人の意思は固かったのです。医学的に妥当であっても余分と思われることは、ご本人の意思で受け入れられなかった・・・「何も(積極的医療を)しないために、家に帰ってきたんだ!!」と明確に意思を表示された上で、余計な・・・ことは断固、拒否されたそうです。そしてご本人のお気持ちをご家族も十分理解納得されていた・・・例えば、点滴はお断り!!ですが、代わりに「私たちが、ちょこちょこ、口から、水分を取らせます!!」とご家族。在宅看護師は、それらのご意向を尊重し、「召し上がれるだけ(をお口から)」「飲めるだけ(をお口から)!」の支援で、穏やかな日々が流れました。

先週のある日のことでした。
「お髭をそりましょう!!」と、お顔に蒸しタオルをあてました。

「気持ちいいなぁー!シャワーも、何時から浴びてないだろう!!」
思わず、云ってしまったのでしょう。「今から浴びますか?」
「ウーム・・・寝る前に浴びたいなぁ」

その日は容体が落ち着いていて、脈や呼吸数、血圧も、お気持ちも安定していました。
『寝る前シャワー大作戦』が決まりました。

私どもの仲間では、ポータブルトイレ、シャワー用の椅子などをはじめ、滅多に使わないけど、時に必要な細々したものを準備している、お亡くなりになった、あるいは全快されて無用になったとご寄贈頂いたものを保存しているところもあります。自宅での療養に必要な色々な道具や機材の大概はレンタル可能ですが、申し込んでから時間がかかることもあります。

その夕方、手持ちの道具を持ち込んでの『寝る前シャワー大作戦』が、無事平穏に実践されました。涙を浮べて、「ありがとう」の言葉。当然、疲れはあったでしょう。けど、ご本人のすっきりした嬉そうなお顔。そして痩せた細い腕をいっぱいに伸ばして握手を求めて下さったとか。在宅看護師冥利に尽きたことでしょう。
私どもの仲間も、ウルウルしたことでしょうが、同時に、ヤッタ!!と快哉を叫びたい気持ちもあったかと思います。事務所に凱旋し、「余計なこと、勝手に暴走すんな!」とのお叱りを覚悟で在宅医に報告したところ、「嬉しいね!ありがとう!」と。チョット舞い上がったかな?

それから1週間、この方は、蒸しタオルでお髭をそった数時間後に、優しい笑顔を浮かべて旅立たれたそうです。本当に「最後のシャワー」・・・在宅医は、いわば共に戦う戦友、穏やかな看取りの後、共にウルウルしながら、ありがとうの握手を交わしたそうです。

療養者が発するちょっとした言葉、訴えの表情、しぐさを聞き取り見分けても、多数病者がいて、時間刻みで行わなければならない仕事が続く病院、医療施設では、ある個人の願いをまっとうしてあげることはとてもとても困難です。多くの看護師や医師が、やってあげたいと思いつつ、押し寄せる仕事、待っている多数者を思えば、手が出せない・・・そのような仕組みになっています。

在宅看護の場だからといって、何でもかんでも可能ではありません。が、とても重篤な状態でも、ある瞬間、ご本人の意思をまっとうできる、何か出来る・・・そのシグナルを見逃さなければ、為せることがあります。エェッ!こんなことがと思うことでも、ご希望が叶えられれば、つかの間であっても満足感が得られます。生活の質(Quality of Life)があがる、つまり、生きている証<アカシ>を感じて頂けることは可能です。

大昔の自分の小児科医としての病院勤務を想い返しますと、施設内医療は、色々な規制や約束事に縛られている「レディーメイド医療」とも申せます。ただ、だからこそできることはいっぱいあります。昨今では、患者中心ではありますが、すべての個々人用には出来ませせん。
一方、個々人が、住み慣れたわが家で家族や親しい人の傍で、時には、大いにわがままを発揮する、そして医療者側がそれに対応する、出来ることだけではありますが、療養者の意志が最初、医療者はそれに対応する・・・それが在宅。それは、いわば別注「オーダーメイドの医療・看護」だと、最近思うようになりました。

新米の起業在宅看護師ドノ、お疲れ様でした。良い経験でした。

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都会と田舎 偏見と思い込み

知人からの伝聞ですが、以下は、偏見なのでしょうか、思い込みなのでしょうか?

週末の地方都市の公共交通機関の出来事です。

知人は、二人掛けのシートがならぶ列車に乗っていました。それ程混んでいなかったこともあって、隣の列の席では、高校生らしい少年 or 青年が二人掛けを独占していました。ある駅から、老齢のご夫婦とおぼしきカップルが乗ってこられました。その高校生は、「どうぞ!!」と、お二人に声をかけて席を譲り、知人の隣に移りました。

くだんのカップルの男性が、その高校生らしき青年にお尋ねになったのです。「君は東京から来たのかね?」と。答えは、「いえ・・・・?」と。

その男性は、続けて、こう仰せになったそうです。「とてもよく気が利くから、東京から来た人かと思った・・・」と。

知人は、その青年に思わず言ったそうです。「失礼しちゃうわね!この地の人間でもちゃんと礼儀をわきまえているわよね!」と。青年は、ニヤリとしました・・・

東京と地方、都会と田舎。

毎度の古い話ですが、医学部での私の恩師は、定年より早く引退され、郷里であった地方・・・明らかに田舎の国立療養所に、ご専門だった血友病の診療拠点を整備するために赴任されました。半世紀も昔の話です。思い返しても懐かしィですが、その療養所には、タイプライターがありませんでした。-そういえば、まだ、愛好家はいらっしゃるそうですが、この一世を風靡した道具?自体、ほとんど見かけなくなりました- 私は、上司にそそのかされて、週末、恩師の特訓個人授業を受けなさいとのお勧めで、毎金曜日、少し早めに勤務を終えて、車に電動式IBMタイプライターを積んで、その田舎に通ったものでした。

恩師は、しばしば、仰せになりました。

「キミィ、田舎に住んでも田舎者になってはいけないよ!」と。「いつも目を外に向けていなさい。病院、大学だけで世の中は成り立っていない。」「日本だけが世界ではないンじゃよ。」とも。

後年、私流に付け加えて若い人に、この話を伝えます。

「質問1 田舎とはどんなところか?」

この問いには、しばしば正解が出ます「自然のあるところでぇーす」。

「質問2 田舎者とはどんな人か?」

これには千差万別の回答が出てきますが、割合、的を得たものがありました。曰く「私のジィちゃんみたいな人! 頑固で、人の云うこと聞かない!!」「私のバァチャンも。自分の思い込みで判断する、50年も昔、自分が若かった時の経験で判断する、私が何をいっても聞こえていない。」

私が恩師から受け止めたことも、それに近いのです。

「田舎者とは、周りが見えない人・・・だから、都会に住んでいても田舎者は居るし、田舎に住んでいても田舎者でない人はいる。」

さて、前述のお年を召した男性が、「礼儀正しき若者は東京人」と思われたことは、地方に対する偏見でしょうか、あるいはその方の東京に対する思い込みなのでしょうか?

東京の、取り分け、夕方以降の混雑した乗り物では、それ程くたびれてはなさそうでも、若者たちはどっかと座って、携帯ゲームに忙しそうですね。時には、もう少し年配の・・・いえ、老若男女ともゲーマーがおいでですが・・・

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新たな脅威 ニパウイルスと・・・・

今週の月曜日の産経ニュースにも出ていましたが、インドの最南部のケララ州で、コウモリが宿主(病原体を持っている生物)とみられるNipah Virus(ニパウイルス)感染が発生しています。ヒトへの感染は、コウモリからブタそしてヒトと考えらえていますが、コウモリからヒトもあるのでしょう。

最初、疑い例報告(発症は19日頃)があたったのは5月21日ですが、翌日には、州保健局がニパウイルス感染と発表し、必要な隔離手段を講じましたから、大きな広がりは防げています。はっきりした感染者数は不明ですが、6月6日には17人が亡くなり、90人が隔離され、18人の血液検査で12人に感染が証明されています。3人が亡くなったご一家の井戸から死んだコウモリが見つかり、ケアにあたった看護師が感染したらしいとか、油断は禁物です。

ニパウイルスは、1998年3月、マレーシアの養豚農家たちに発生した脳炎から確認されました。ニパというのは、最初の感染が起こった村の名前です。

症状は、発熱や頭痛ついでめまい、意識障害、けいれんなど脳炎症状で、死亡率が高いとされています。世界保健機関(WHO)やアメリカの疾病対策・予防センタ―(CDC)によると、多少の差はありますが、感染者の40~75%が亡くなると推定されています。最初のマレーシアでの流行では、300人が感染し100人が亡くなり(致死率33%)ました。そして、流行の広がりを遮断するため、100万頭の豚が殺処分(安楽死)されたそうです。

2001年にはバングラデシュとインドの北東部、シッキムに近いシリグリに発生、その後、大きな流行はありませんが、インドやバングラデシュでパラパラ発生しているそうです。

問題は、このような新興ウイルス感染を防止するワクチンがないことで、必然的に、感染防止は隔離と危険な生物や地域に近づかない、治療は対症療法(熱には解熱剤といった各症状に対する治療)で、(ウイルスを殺す)根本療法はありません。

ブタでは、呼吸器系症状が主体で、中程度から激しい咳を繰り返し、鼻水を垂らし、呼吸困難をきたす、時には、痙攣もあるそうです。【私どもは、ポークと呼び名を変えたブタサンは身近ですが、ピッグ(ブタ)はあまり見慣れない、まして、咳をしているブタは見たことがありません。ニパでは養豚家が、鳥インフルエンザでは養鶏家がご苦労されるのです・・・感謝しなければなりません。】ブタでニパウイルス感染が始まると、広範に広がるそうですが、人間と違って致死率(罹った中で死亡する個体の比率)は低いそうです。が、ヒトへの感染防止で殺処分される・・ブタサン、ごめんなさい。

もう一方の関係生物はコウモリです。わが国にも相当数存在するのですが、めったにお目にかかることはありません。コウモリ研究者が少ないから、実態が判らないとも云われていますが、このニパウイルスだけでなく、先般、再び三度の流行発生が起こっているアフリカ中央のコンゴ民主共和国のエボラウイルス病でも、その宿主はコウモリらしいとされていますし、確か、わが国では、愛玩動物としてのコウモリの輸入は禁じられています。

わが国では、2003年11月に改正された感染症法で、二パウイルス感染は、四類感染症(動物、飲食物などの物件を介してヒトに感染し、国民の健康に影響を与えるおそれがある感染症。媒介動物の輸入規制、消毒、物件の廃棄などの物的措置が必要)に分類され、診察した医師は直ちに届け出る体制になっています。

アフリカでは、まだ、コンゴ民主共和国のエボラ流行が収束していない中、東隣のウガンダで、同様の感染症が発生していると報じられています。あちこちでおこる感染症・・・との戦いは、未来永劫続くような気がします。

わが国でのキチンとした制度、生活環境、特に衛生状態の整備、維持といったことは、私どもには当たり前のようですが、そのことが実は、色々な感染症の広がりを防いでいます。そして、インドの、コンゴの、ウガンダの・・・感染症は、私たちと関係がないのではありません。アフリカからわが国への直行飛行機便はありませんが、インドは近い・・・どこかで感染して、症状が出る前に帰国する、あるいは訪日する人々はいずれ出るでしょう。

人体に潜り込んで、あるいは荷物に潜り込んだ生物にくっついた病原体(ウイルスや細菌、寄生虫)が、こっそりと国境を越えてくることは、十分、予測されます。侵入を防ぐことだけでなく、それらの病原体が存在する他の国の感染症対策も大事です。生活環境整備も他人事ではなく、出来る関与はすべきだ、情けは他人(ヒト)のためならず、と思っています。

[会長ブログ ― ネコの目]
今年も始まりました!!

2018年度の「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」が6月11日に始まりました。今年は男性3名を加えた17名、皆、「看護師が社会を変える!!」に情熱をかけようと意気軒昂です。

開講式には、超ご多忙の中から駆けつけて下さった日本財団笹川陽平会長の、いつもながら的確で暖かく、後でじんわり利いてくるお話、昨年までの日本看護協会会長というご要職時から、本事業をご支援下さっている坂本すが東京医療保健大学副学長の激しくも勇気づけられるご祝辞に加え、既に開業している先輩2期生の直江礼子氏の激励の言葉を頂きました。

駆けつけてくれた先輩の他に、全国の先輩が激励をこめた祝電も送ってくれました。

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看護師というだけでなく、在宅でのケアに目を向け、更に開業というきわめて高いハードルを越えた、あるいは越えようとしている仲間意識が日本中に広がっています。決して、閉鎖的なサークル活動を目指しているのではありません。が、看護、特に在宅/訪問看護という、見える化のしにくい活動を、科学的に適正に評価できる形としたい、看護師なら、誰でも一定研修を終えれば、どこでも一定レベルの在宅でのケアの管理できる・・・それを目指して、日々、切磋琢磨しています。この事業を企画し、お世話させて頂いているものとしては、とても嬉しい、そして勇気づけられることです。開業者が増えるにつれ、看護が、看護師が、在宅の、地域の人々の安心を保証できる可能性が確実に根付いていること実感しています。

開講式の詳細は、日本財団ブログに詳しいので、そちらをご覧ください。

6月12日から講義が始まりました。今年の初日の外部講師は、「全国在宅療養支援診療所連絡会」会長、「NPO在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク」理事として、また、東京都北多摩地区の複数医師会の重鎮として、地域医療を推進されている新田國夫先生でした。「在宅医療と看護」というタイトルの90分2コマの時間が、実に短く感じられました。在宅でのケアの在り方、その背景をなす理念、受講生の姿勢がピッと定まりました。

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 2日目は、東京都豊島区で、「葵の空」訪問看護ステーションを開業し4年目を迎えた1期生入澤亜希氏と、藤沢市で「在宅看護センターLanaケア湘南」を開業している岡本直美氏、ともに、そう甘くはなかった経営の道の失敗を含め、実践的解説をして下さいました。先輩たちには、また、実習でお世話になります。

こうして8ヵ月の長くも短く、難しくも心躍らせる研修を通じて、来年には、さらに17人の新たな在宅/訪問看護センターの管理者が生まれます、17人は目下、新たなご自分形成の旅に出ました。ご支援をお願い致します。


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