[会長ブログ ― ネコの目]
私のニッポン前書き

先日、10日ほど遅れた米大統領の一般教書演説~2020年への道~ がありました。ほとんど毎日のように、国のトップが、問題の種を作っておられるような気もしますが、それでも民主的に選出されたことによって、その地位についておられるのですから、やはりこの国の民主主義は、国民が一致してまっとうしているのだと、感心します。教書の中身はさておいて、今迄対立をあおることばかりなさってきて、おっしゃってこられたように私には思える大統領が、共和党のためでもなく、民主党のためでもなく、アメリカのためと、国、国民が一丸となろう!!と、仰せになった、、のは、ちょっと新鮮でした。が、この方、かつては、某国トップを、小さなロケットマンと揶揄しておられたのに、今は、一転、恋焦がれているとおっしゃっているとか・・・気持ちの持続性がないのでしょうか?

このかつてはゆるぎない大国であったアメリカの知人たちは、今の状態はとても異常だと申しています。国のトップには、高潔な人格者でないとなれないとは云わないまでも、都合が悪ければ、すべて偽ニュースfake newsとして打ち捨てることを、リーダーがやっていては、子どもたちに言うセリフがない・・・成績が悪くても、“それはfakeだよオバーチャン!!“と孫が云うとよ、と憤慨していました。

今、私のニッポンでも、国会が始まっています。政治だけでなく、大人の世界は、すべてがきれいばかりとは思いませんが、云い繕いあうばかりが国のトップの仕事では、何だかむなしすぎまますね。しばらく、ブログ怠けていましたが、日本について思うことを、これから書きたいと思います。

今日は、永井隆平和記念・長崎賞を受賞のウクライナ国立医療アカデミーのタチアナ・ボグダノワ教授の授賞式・祝賀会にランタン祭りの長崎に来ております。

長崎の

ランタンフェスティバルです。

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ハーシーのチョコレート

第二次世界大戦以降の世界に、良きにつけ悪しきにつけ、大きな影響を及ぼしてきたアメリカですが、昨今、とても混乱しているように見えます。異質な大統領が現れたことが大きなきっかけかもしれませんが、話題性には事欠かかないものの、多くの人々が溜め息をつかざるを得ないような事態が続いています。でも、民主主義で選ばれたこと、国としての経済状況が良いこともあって、丸2年が終わりました。

そのアメリカの親しいご知人ファイン夫妻からの贈り物の中に、HERSHEY’S/ハーシーのチョコレートがありました。ご夫妻は、新婚時代を日本で過ごし、二人の子どもは、ともに日本生まれです。Mr.ファインは、日本文化に造詣が深い医師で、公衆衛生専門家としてボルティモア郡の保健局の要職をつとめました。教育学修士のMrs.ファインは、長年、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院同窓会事務局長として、私を含め、沢山の日本人留学生がお世話になっています。

さて、70代の最後に引っかかっている私の世代にとってのアメリカは、幼児期の空襲警報と不気味なB29爆撃機の飛来音、見えないもののアメリカというモノは恐怖に始まりました。それがどんなものかも知らないまま、悪戯をすると「B29が来るよ!!」と脅されたものでした。現実に見えたアメリカは、1945年8月15日の終戦後の駐留軍兵士です。ジープに乗ったカーキ色の制服、長い脚、大きな靴、格好良く見えました。さまざまな髪の色や水色に見える瞳もモノ珍しく、ガムやキャンディ、時にはチョコレートをくれることもあって、敗戦国の空腹にさいなまれていた子ともたちは、愛想のよい、かつての「敵国」の若者に群がりました。ただ、時折、ケバケバしい化粧と衣装をまとった同胞日本人のお姐さんたちを引き連れての傍若無人ぶりには、子ども心にも、ある種、やりきれない想いがしたものです。後に、高級将校でしょうか、ご家族連れの方々を見た時には、その後、親しんだアメリカ英語のような感じもしました。

当時、ほとんどの日本の子どもたちのお腹には回虫がいましたし、シラミやノミも、どこにでもいる状態でしたが、小学校の校庭に並んだ私たちの頭に、白い粉を散布されたこともありました。DDTです。後に、途上国の保健関連事業に従事した際、いつも思い出すのは、駐留軍保健士官の指示は。敗戦国の子どもの健康をまもる国際保健だっただろうが、DDTまみれになった私にとっては、国内保健!!であったとの想いです。

数年後、私は大阪学芸大学(現大阪教育大学)附属中学校に進学しました。恐らく、試験的な英語教育だったのでしょうが、私のクラスに、アメリカ人が英語を教えに来られることになりました。子どもがもつ印象って変ですが、先生は、とても立派な体格で、GIカットで、明るく、何もかもが豪快でしたが、私が思い出すのは、その当時、身の回りではみたことがなかったきれいな明るい茶色の、ピカピカの特大の靴です。多分、30センチはあろうかという巨大な靴とともに、私が、その後、曲りなりにも英語に親しめたのは、このペーダー先生のチョコレートのおかげだということを、私は、ファイン夫妻に話したことがあります。

中身は良く覚えていないのですが、先生は、英語の詩や文章を暗唱させられました。そして、上手に暗唱できたら、つまり発音が良かったら、板チョコを下さいました。それがハーシーの板チョコとのめぐりあい、私の第二のアメリカの思い出です。

ハーシーズは、アメリカ最大のチョコレート製造会社ですが、元はキャラメルを作った会社から独立し、1894(明治27)年に独立したそうです。本部があるペンシルバニア州ハーシーの街にはココアの香りがあふれているそうです。スイスやベルギーのチョコレートの有名な街でもそうですが、おいしそうな香りの街で、24時間365日暮らすのは良いのか悪いのか…

ともあれ、今日は、皆と一緒にハーシーを頂きます。

巨大なサイズのハーシーのチョコレート

巨大なサイズのハーシーのチョコレート

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「壁」

 「壁に耳あり、障子に目あり」などという諺を聞くことは皆無ですが、街中に治安モニターとか、安心モニターが張り巡らされ、家を一歩出れば「監視」される時代になったとも申せます。文句を申しているのではなく、そのような時代の変化を、ちょっと嘆きたい気持ちなのですが、プライバシーがやかましく云われる一方で、私たちの一挙手一投足がモニター(監視)されなくてはならないのは、どこか矛盾していると思います。さらに、手軽になったSNSでは、いとも簡単に、他人の、そして自分のプライバシーが流れるのですが、ホント、世の中、複雑怪奇でついて行けません。

壁といえば、私には「ベルリンの壁」。実は、そのベルリンの壁が市民の手で崩され始めた1989年11月9日の夜を私はとてもよく覚えています。当時、紛争地勤務第一号で派遣されたパキスタンのペシャワールの拙宅に、ドイツ人夫妻が滞在していました。私が好きなオーストリアの指揮者カール・べームのベルリンフィルハーモニーのCDをかけながら、庭先で、妻のイングリッドと話していた時、TVではなく、ラジオを聴いていた夫のテオが叫びました。「壁で何かが起こっているらしい・・」

それが1961年8月13日着工のベルリンの壁崩壊、そして1990年10月3日の東西ドイツ統一の幕開けでした。

実際に見た壁では、「嘆きの壁」と「万里の長城」があります。

前者は、約30年前に訪れたエルサレムです。今も、世界のホットスポットの彼の地で、紀元前20年頃、ユダヤ王ヘロデが改築した神殿の外壁がそれです。黒い帽子のユダヤ教徒のジェントルメンが、壁に掌と人によっては額を当てて祈りをささげられていました。少し狭い女性パートもありました。嘆き・・・とは、その大昔、神殿が壊されることを嘆いたとか。

後者「万里の長城」は城と書きますが、史上初の中国統一をなした秦の始皇帝(BC259-210、統一は紀元前221年)が、北方異民族の侵攻を防ぐために建設を始めた塀なのです。全長6,300Km弱、札幌-福岡間(2,057Km)の3倍もありますが、実際、完成したのはずっと時代が下がって明代(1368-1644)です。

さて、未完ながら、目下、もっとも深刻な壁は、アメリカ南部とメキシコを隔てるそれ(壁)でしょうか。国の治安に必須と執拗に合意を求める大統領と反対する下院民主党の交渉決裂から、予算が決まらず、政府機関の一部閉鎖延長が続いています。(日経新聞2019.01.12 米政府閉鎖が最長更新 22日目、「壁」対立続く)記事はこちら

壁があれば、悪いものは来ない、壁で不都合なものを遮断する、というのは感染症の隔離の考えでもあります。確かに、隔離は確立した防御手段であり、例えば、今も、感染拡大が収まらないコンゴ民主共和国の東部の紛争地帯でのエボラウイルス病対策は、隔離が重用されています。

全長3,141Kmもあって、毎年3億人以上の人々が往来するというアメリカとメキシコの国境に壁を作るって本気なのかしら?と思いましたが、大統領は真剣そのもの。私は、大昔、アメリカ カリフォルニア州南部のサンディエゴでの学会に参加した折、国境を越え、観光地として有名な隣国メキシコのティワナに参ったことを思い出します。夕日が美しい海辺、高級住宅地、挨拶を返してくれる熊が人気の動物園、学問のメッカでもありましたが、サンディエゴは、また、基地の街でした。そして、カリフォルニアに広がるアボカドやアーティチョーク畑で働く人々は、国境を越えてきた不法労務者が多いとも。ティワナは、そのアメリカからみると、とても南米的で、わずか1泊の旅でも感じさせられる、確かに異なる文化の国でした。

壁、仕切りで遮断するとする考え・・・をどう思われるか。

パンを盗んで、19年間も投獄された、つまり物理的障壁の中に閉じ込められていたジャン・バルジャンの社会全体に対する激しい憎悪は、めぐりあった司教の慈愛により癒され、後世は、愛の具現者として生きます。壁ができることによって、見えなくなったら、かえって見たくなる、越えたくなる・・のではないでしょうか?では、壁をさらに高くする、さらに見るための努力をする・・・。

本当の問題は、なぜ、何かが進入してくること、侵入するものを防がなければならないのかではないでしょうか?その「なぜ」の原因は何でしょうか?

本当に困った壁とは、私たちの心の中にある偏見や差別、何かを排除しなければ・・・とする気持ちに始まるように思います。国と国の間の壁・・・わが国の周りに、そんなものを検討しなければならない日が決して来ませんように!!

私は、日本の各地に、まだのこっている古い白壁の街並みが好きです。

うきは市HPから

うきは市HPから

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新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。

 

笹川記念保健協力財団一同は、気持ちは新たに、しかし、今までの経過、特に失敗や困難を糧として、今年もさらに努力致します。

皆さまからのご支援、ご指導、ご叱責を、本年も、何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

あちらこちらで、水仙が咲き、梅が蕾み、春遠からじを感じさせますが、北海道の大雪、各地の寒さ、そして地震・・・今年の安寧を祈りつつ・・・。

水仙が咲き

梅が蕾み

 

喜多 悦子

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さよなら2018 年末のご挨拶。

あっという間に、今年もおしまいになった、と先が短い年になると実感します。

 

本年のご交誼、ご指導、ご協力、そしてご叱正も、ありがとうございました。

 

来る年も、何卒、いっそうのご協力、ご鞭撻を願いますとともに、

皆様のご健勝とご発展を、心から祈念致します。

 

笹川記念保健協力財団 会長 喜多 悦子

 

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やっと念願かないました!!

2013年に笹川記念保健協力財団に参りました後、念願のモーターボートに乗せて頂いたのは、その年の8月でした。詳細はこちら

実のところ、ホントに、ホントに、怖かった・・のですが、「70才を超えたオンナでは、いない!!」とモーターボート選手会上瀧和則会長におほめ頂きました。あッ!!、今考えるとあきれられたのかな?

 

私ども、笹川記念保健協力財団は、その多くの資金を、親財団である日本財団から支援をうけますが、その原資はモーターボートレース収益金であることはよく知られています。その上、私どもは、毎年、個々のレーサー各位から、「**GSグランプリ」など、冠がついたレースの優勝に際して、多額のご芳志を頂戴してまいりました。

 

渡邉直美写真それで、個々のレーサーにお礼を申し上げたいという理由をつけて、昨日、『ボートレース平和島クイーンズクライマックス2018』の開催される大田区のボートレース平和島にまいりました。実は、女性レーサーなどというと、どんな方が…と思いますが、どちらかと申せば、小柄で楚々とした風情の方が多く、さらに、皆さま、人懐っこい感じが致します。もちろん、こちらがレーサー!! ? !!と構えすぎているのでしょうが、ホント、優しげな笑顔を見ていると、水上の勇壮な走りと一致しないのです。ただ、レース前のボートの部品?を調整されている姿は、真剣そのもの、外から、安易に声をかけられる雰囲気ではありませんでした。ホント…命がけだと思いました。

水上の勇壮な走り

一斉にスタート

 

さて、昨日は、何と、財団内で、人気随一の渡辺千草選手にご挨拶するだけでなく、2ショットさせて頂くという栄を頂きました。ルンルンしている後期高齢者のうれしそうな顔をご覧ください。こうして、私の2018年は、ハッピーにエンディングしつつあります。

 

人気随一の渡辺千草選手と 2ショット

人気随一の渡辺千草選手と
2ショット

皆さまもお風邪など、召しませぬように。

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年末おすすめ2冊の本

最近、著者からご恵贈頂いた2冊の本、ともに、判りやすい文章なので、簡単に読めるのですが、内容をキチンと読めたというには、ちょっと時間がかかりました。

 

1冊目の題名は『生きる。』です。が、その上に「息子とともに」があります。『息子とともに 生きる。』

 

息子とともに 生きる。

息子とともに
生きる。

私は、題名の「生きる」の後ろの「」に、著者本間りえ氏の、きっぱりとした決意を感じるとともに、その昔、駆け出しの小児科医だった頃の、色々な・・つらい思い出がフラッシュバックするのを抑えられませんでした。それに地震のあった日にお生まれになったご令息光太郎さん。ある日突然ではなく、時間をかけて本体をあらわしてきたのは副腎白質ジストロフィー(ADL)という難病でした。この病気、100年以上も前に最初の報告があったのですが、多くの難病がそうであるように、原因や治療法はなかなか見つかりませんでした。現在では、神経細胞の膜に作用するタンパク質のひとつが変性して、さまざまな症状を引き起こすこと、そしてそれは、生物学的な性を決めるX染色体の上にあるABCD1遺伝子の変化によること、うまく早期に診断がつけば、白血病の治療に使われる造血細胞移植(骨髄<人間の体の中で血液を作る臓器>や<若い血液細胞が豊富な>臍帯血の移植)が症状の進行を抑えることもあるなどが解っています。けれども、相当症状が進展してからでないと診断がつかず、つまり、ほとんどの罹患者は、それほど長くない年月の間に、ほぼ、寝たきりになります。

 

すくすくと育っていたのに、何やら様子がおかしい・・・と思った息子が難病だった・・・。

 

「難病の息子とともに生きる」ことを決められる前も、その後も、そして現在も、これからも様々な葛藤と悩みがあろうと拝察します。が、先般、私どもの「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」5期研修生にお話し下さった著者本間りえ氏は、優雅な、さわやかなレディでした。そして、ご著書を拝読したあと、私のような年寄りにも、新たに「生きる」意味が生まれました。

本の後半は詩ですが、全編、流れるような文章です。是非、ご一読をお勧めします。

 

2冊目は、『穏やかな死 のために』です。著者は、『平穏死』という概念を提唱され、それに関連する著書を次々に発表されている石飛幸三氏です。かつて、ドクター石飛は、急性期医療の最たるものである血管外科のバリバリのエキスパートであられました。2010年の最初の「平穏死」本以来、先生が発信しつけておられるのは、高い専門性の難しい論文ではありません。

 

穏やかな死のために

穏やかな死
のために

この本も、本当は重い話題ですが、さわやかな読後感を得られます。こんな風に死にたいと思います。センセイの現在の職場は、芦花<ロカ>ホームという特別養護老人ホームです。かつての古典的なケアは、死に逝くヒトも、ケアをする人々も苦しめていた・・・、

 

僭越な言い方ですが、ドクター石飛は、職場の同僚である看護師、介護士、栄養士ら諸々のお仲間の意識変容を起こされたと思います。あるいは、お仲間が、先生の意識変容をもたらされたのかもしれません。そして、そのいずれにしても、ここで看取られた方々が、ケアを担う人々を導いたのでしょう。私たちは誰一人、死を免れません。避けられない死、それが確実になったら、「過剰すぎる」医療、ノルマを果たすためと云わんばかりに与え続けられる食べ物や水分は、経口であれ、胃ろうであれ、はたまた点滴であれ、まったくもって、余計なお節介であることを、繰り返し述べてあります。「説いてある」とは申しません。淡々と記載されている事実を、読む側がどう理解するかです。

 

三宅島では、水分だけを与えることが人々の穏やかで平穏な死につながっていることを、伝承されているのだそうです。それは医療が行き届いていないからではありません。私も学んだはずの、世界的な「ハリソン内科学」教科書に記載されている、過剰な医学介入をしないという死へのケアなのです。三宅島型看取りなのです。「人は食べないから死ぬのではなく、死ぬから食べない」と申しますが、その通りを、現在の、芦花ホームが普通になさっているのですね。

 

このことは、医療者側だけが知っていても実践できかねます。経験の有るの方もおいでかと思いますが、突然、現れた親戚が、「医者をよべぇ!!」とか、こんなに死にそうなのに、「なぜ、病院に連れて行かないのかぁ!!」とがなりたてること・・・つまり、周囲の家族も理解すべきなのです。題名が「穏やかな死」で行が変わり、「のために」が下についているのは、この本の読者に、「みなさまのためですよ!!」と呼びかけているように見えます。

 

本当は、重い話題ですが、ほんわかムードで、すらりと読み進められます。そして、皆さま、多分、私の最後はこのように、何もしないでね、・・・穏やかに逝きますよ!!という気になられると思います。3連休、そして年末年始のお休み、是非、2冊をお読み下さい。

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「看護師が社会を変える」笹川記念保健協力財団 看護研修 in 福岡

2018年11月30日と12月1日、私どもは、以前の日本財団ホスピスナースネットワーク研修を発展させた笹川記念保健協力財団看護研修の地方開催を、今年は福岡で開催しました。研修会詳細はこちら

超豪華にして稀有な組み合わせの講師陣と自負していましたが、ホント、素晴らしいご講演満載でした。

初日は純粋看護エキスパートお二方でした。

会社形式のユニークな地域基幹病院である飯塚病院を含む麻生グループの中の看護人材育成を担ってこられた百瀬栄美子先生は、これからの地域医療の中核を担うべき看護師養成には、どのような基礎教育が必要かを、既存システムの工夫に加え、今後の改革の方向をご解説下さいました。昨年まで日本看護協会を率いられた坂本すが先生は、そのものずばり「看護師が社会を変える」ための愛情あふれるものの激しい檄を頂きました。お二方の実績に基づく具体的なお話の一言一言が、聴衆の脳ミソと心にジンジンしみ込んでいると実感しました。

百瀬栄美子先生

坂本すが先生

懇親会では、当財団の紀伊國献三最高顧問の財団来歴を含む挨拶の後、二日目の講師でもある麻生グループ総帥にして九州経済連合会会長麻生泰氏から、何とも稀有な乾杯のお言葉を頂きました。

「今は変革の時代だから、ワクワクする」のだと。

大いに盛り上がらないわけにはまいりませんね、こんなお言葉に「カンパイ!!」と声をあわせた参加者ご一同ですから・・・

懇親会

集合写真

二日目の最初は、日本医師会長にして第68代世界医師会長でもある横倉義武先生です。

日本医師会長が、民間一団体の看護研修会で、世界の保健医療を鳥瞰しながら、わが国の近未来の地域医療を解説される中で、看護の役割を考える機会、随分と視野が広がり、責任が重くなったように感じました。そして最後は、前述の麻生泰会長の、ビジネスマインドというだけではなく、医の原点でもあるすべての人々を護るべき医療・保健の在り方、そして看護師が実践すべき役割を格調高く、しかしユーモアを加えて判りやすくお話し下さいました。

横倉義武先生

麻生泰氏

看護師は、医療の場における患者を看る役割とともに、社会における人々の生活を観る役割があるが故に、生活の背景にある社会を見、それを改革する責務があると私は考えています。両日あわせて総数400名以上のご参加者、そのほとんどは看護職ですが、皆さまが、身近なところから住民の意識改革、そして社会改革を始めて下さることを大いに期待します。

この研修会は当財団が企画致しましたが、会場では、目下進行中の「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」の5期研修生が働いてくれました。

ご参加下さいました方々に併せて、会場を整備してくれた5期の仲間にもお礼申します。

準備を手伝ってくれた5期生

受付でも5期生が活躍

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結婚式!!

久しぶりの海外出張からの帰国日が、かつての職場日本赤十字九州国際看護大学の卒業生の結婚式と重なることが判明しました。公務ですから、出張はやめられません、けど、卒業後も交流しつづけてくれている若い仲間の晴れの日をパスすることもできない・・・などと、勝手な理由づけをして、空港でシャワーを浴びたのち、ご披露宴に直行しました。

2日たった今日、「先日はお忙しい中、私たち2人のためにお時間を使っていただきありがとうございました。大切な人に囲まれて過ごした時間、本当に幸せで忘れられない1日になりました。」とお礼のメール。

実は、このお二人とは、数年前にお目にかかったことがあります。直感的に、結婚する!!ではなく、結婚すべき!!!と思いました。故に、それから数年、便りごとに、「はやく結婚しなさい!!」とか、「何時なの?」云い続けました。が、お二人はお二人のそれぞれを固めて、今日の日を迎えられました。老婆心という言葉もありますが、まぁ、余計なお節介であったことと、ご招待状を頂いて嬉しくもあり、ちょっと赤面したものです。

古い言葉ですが、美男美女・・・今風には、美女美男でした。

かつて教師と学生の関係の頃も、彼女は、十分、美しい娘でした。それが、社会経験と以前からの好奇心を高めたのでしょう、会うたびに、知性と教養を身にまとって成熟し続けていました。ふさわしい相手は、この美しいレディをきちんと認めて下さったのでしょう。お二人は、良いパートナーに変身していました。

さらにうれしいことは、テーブルを共にしてくれたのが、かつての同窓生たち。皆、社会経験数年にふさわしく、洗練され、知性的なナース、ピカピカのレディズに変身していました。が、ボチボチ、あれこれ話していると、かつての幼さの残る面影がよみがえりました。実は、このクラスは、私が学長二期目を終えて引退した年の卒業生、ある種の同期意識もよみがえりました。

「先生や大学の仲間、参加して下さった皆様ともっと直接喋って、ありがとうを伝えたかったのですが・・・。これからの長い時間をかけてこれまでの感謝の気持ちをお返しできたらと思います。」とお礼の最後の段落。

齢70数年ともなりますと、大概のことには耐性ができますが、ちょっとウルウルさせられた晴れの日、そしてお礼のメール。

お二人の末永いお幸せと、テーブルを共にした同窓生の活躍と発展を願います。

末永くお幸せに。

末永くお幸せに。

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「ネコ」の狂「犬」病 

私ども、笹川記念保健協力財団は、1986年4月に発生したチェルノブイリ原発事故(現ウクライナ)に対し、膨大な医療的かつ人道的支援を行いました。現在も、放射能の影響で発生した甲状腺がんの資料を管理し、世界の研究者が活用できるチェルノブイリ組織バンク (Chernobyl Tissue Bank)という稀有な学術機構を支援しています。毎年、年一度の会議に今年もロンドンに参りました。

キャサリン妃が第三子であるルイ王子をご出産、ハリー王子とメ―ガン妃やユージェニー王女の結婚とお目出度続きの王室でしたが、目下のTVや新聞では、BREXIT(英国のEU離脱)のニュースが目立ちます。その中で、おやまぁと思ったのが、モロッコに旅行し「ネコ」に咬まれた後、狂「犬」病を発症して亡くなったイギリス人の報道です。

英語ではRabiesと呼ばれるこの病気を、わが国で狂「犬」病と呼ぶようになったのは、異様な様相の犬がうろついてことからでしょうか? 人と動物の共通感染症研究会のホームページ に詳しい記載があります。

かつて住んでいたアメリカのノースカロライナ州では、タヌキ、アライグマが危ないとか、こうもりも・・・とか、大自然に囲まれた小さな住宅地では、みだりに自然の中の動物をさわらないようにと、子どもに注意していました。

この病気、ラブドウイルス科リッサウイルス属狂犬病ウイルス(Rabies virus)の感染症、そして人間や多種の動物に発症する人獣共通感染症です。感染した動物が水を怖がるので、恐水病とも呼ばれましたが、音や光、風にも敏感になる、つまり感覚が超々敏感になり、それらが引き金で痙攣が起こる・・・発症者を見たことはありませんが、破傷風では、光で激しい痙攣が誘発されるのを、ある国でみたことがあります・・・そのようなものかと想像します。

この病気は、未だに毎年、世界で何万人もの死者を出しています。わが国など、いわゆる先進国では、ほとんどが輸入例(この病気が多く残っている国での動物咬傷後、帰国して発症する)です。わが国でも、2006年に二人がフィリピンで犬に咬まれ、帰国後、発病して亡くなっています。ヒトからヒトへの感染はありませんが、もし、発症している人が他人に咬みついたらどうなるのでしょうか?

いずれにせよ、犬だけでなくネコもタヌキも、アライ熊もキツネも、多くの動物が感染すること、今、アフリカのコンゴ民主共和国で広がっているエボラウイルス病は、その広がり方と高い致死率(かかった人の内、どれくらいの比率で死亡するか)が問題ですが、狂犬病では、明らかに感染し、未治療では100%の致死率という危険さです。

が、この病気は、かのパスツゥールのお陰で、とても有効なワクチンがあります。

予防注射がとても有効、ほぼ発症を防げます。が、万一、動物に咬まれた際には、通常、短くても1,2週間という発症までの時間がありますので、出来るだけ早く、抗ウイルス抗体(治療薬)をうけることで発病を免れます。

滅多にないことなので、新聞記事になったのですが、The Timesの記事も・・・

Times の記事

Times の記事


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