[会長ブログ ― ネコの目]
在宅の仲間―番外編

暑中お見舞い申し上げます。

この度の西日本豪雨禍で亡くなられた方に哀悼の意をささげますと共に、まだ行方のわからぬ方々とそのご家族や避難を余儀なくされている多くの方々に、心からお見舞い申しあげます。

先般の大阪の地震に続く広域大災害もあって、ホームページ連載中の「在宅の仲間たち」が足踏みしております。

言い訳がましいのですが、夏休み・・・させて頂きます。

2014年度から始まった笹川記念保健協力財団が実施する「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」の2018年度は、猛暑の中、熱い研修の日々が続いています。この5期生17名を含めますと67名の仲間となります。

が、下の地図をご覧いただきますと、白抜きの、未だ仲間のいない地域も沢山あることは歴然です。各地域の人々に安心を保障できる看護師の拠点を、さらに増やしてまいりたいと思っていますが、開業済の仲間は、今次の災害でも応援体制を考えてくださっています。精神論は好みませんが、日々の緩やか連帯とともに、イザ!!の際の強固な在宅看護師魂をうれしく感じています。

皆様、猛暑の日々、ご自愛下さい。

日本財団在宅看護センター開業地図

日本財団在宅看護センター開業地図

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七夕さまとオウムアムア(初めての遠来の客)

毎年のように七夕<タナバタ>を取り上げてまいりましたが、今年も、懲りずに、天の話を。

6月30日、北海道大樹町(タイキチョウ)拠点のベンチャー企業「インターステラテクノロジズ(IST)」が作った小型観測ロケット「MOMO(モモ)」2号機が、同町の発射場から打ち上げられました。直後に落下し炎上した場面をTVでご覧になった方も多いと思います。幸いというべきでしょうか、人命にはかかわらなかったとは申すものの、その瞬間まで、成功に向けて努力されてこられた方々の無念さ、そして高額であろう投資を想うと、他人事ではなく、穏やかではおれませんでした。

その大樹町は、地図で見ますと十勝の真南の太平洋側に面した町、「宇宙のまちづくり」を標榜し、航空・宇宙分野の実験や飛行試験を積極的に誘致しており、その関係の施設が多いそうです。1970年代に8,800人を超えていた人口は、本年3月31日現在5,641人、面積815.68平方キロメートルなので、人口密度は6.92人/平方キロメートル・・・ちなみにアフリカのガボン7.13、中央アフリカ8.00と同程度、つまり、1辺1キロメートル(歩いて15分程度)の正方形の中に居住する人間の数が約7人です。

高額な資金を投じて、なぜ、人間の関心は宇宙に向かうのでしょうか。未知に対する純粋な科学的興味もありましょう。今や、地球と同じような生物の生存可能性のある天体の発見や資源探索もあるようで、かなり政治的意図も強くなっているように思います。1633年6月22日、地動説をとなえたガリレオ・ガリレイは異端者として有罪となり、終身刑を課せられました。後に「それでも地球は動いている “E pursi mouve”と云ったとか云わなかったとかですが、約500年後の宇宙天文学の進歩をどう見ていることでしょうか?

ところで、昨年10月19日、ハワイ大学の研究員ウェリク氏が、同大学ご自慢の「パンスターズ1(Pan-STARRS, Panoramic Survey Telescope And Rapid Response System)望遠鏡」でとらえた一連の画像の中に、謎の天体が見つかったそうですが、これが何と、太陽系の外から飛来したとされる初の天体だと判りました。

太陽系の外からやってきて、昨年10月頃、地球のそばを通り過ぎたこの物体は、最初、A/2017 U1と呼ばれ、後に、ハワイの現地言葉で「遠方からの最初の使者」を意味する「オウムアムア(Oumuamua)」との名前を与えられました。そして、現在に至るまで興味深い議論をもたらしています。

オウムアムア

一時はUFO、宇宙船!!と期待?もされましたが、オウムアムアは、岩と氷の固まりからなる太陽系外からの初飛来物であることが確立しました。また、オウムアムアは、数時間ごと、正確には7.34時間ごとに明るさが10倍も変化することから、細長い形をしており、幅/直径40メートル、長さ400メートルの物体・・・天体と推測されましたが、塵やガスの尾がないことから、彗星ではなく、どこかの別の恒星の周りで形成された小惑星とみられているのです。そして、通常、太陽の周りの楕円形軌道をまわっている地球などの惑星とことなり、オウムアムアは、太陽の引力を振り切り、時速13万8千キロメートルの速度で地球から遠ざかっていることも判りました。このような所見は、オウムアムアが、地球に近かった数日間になされた世界各地での観測からですが、そもそもは太陽の引力に引かれて、太陽系外から時速9万キロ(秒速25キロ以上)で近づき、太陽と水星の間を通り抜け、発見される5日前、昨年10月14日には、地球から最も近い約2千400万キロを通過していたのです。

謎の天体

また、恐らく、数億年単位で宇宙空間を漂流していていたため、宇宙線にさらされた表面は暗い赤みを帯び、特異な形状をしているのだろうと考えられており、他の彗星とは異なり、太陽に接近した時にもガス噴出がないことから、揮発性の物質などはすべて蒸発してしまっているのだろうと考えられています。

残念ながら、このオウムアムアはどんどん地球から遠ざかっているため、もはや地上からの望遠鏡では観測できなくなっていますが、天文学者たちは、宇宙望遠鏡を追跡しているそうです。このままの旅を続けると、オウムアムアは、2019年1月頃、土星の軌道を越えて太陽系を離れると予測されています。

ウーム、宇宙戦艦ヤマトとか宇宙戦艦テラミスとか、ドラエモンののび太の宇宙漂流 を思い出しますね。と云うのは夢がありましが、現在、宇宙には4,500トンもの宇宙ゴミが、最高時速2万8千キロメートル/時で地球の周りを回っているそうです。大概のものは、大気圏に入って燃え尽きるのですが、そのスピードからは、ホンの小さなゴミでも、宇宙船や人工衛星の表面を傷つけ破壊するに足るそうです。

人工衛星の打ち上げ失敗から、ちょっと夢のない話に終わりましたが、街のあちこちの笹には、何と願いを書きましょうか?

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在宅看護–オーダーメイドのケア

在宅看護を実践されている同輩には、同様のご経験が沢山おありと思いますが、私どもの仲間のホヤホヤ起業家看護師からの便りです。

先般、「日本財団在宅看護センター」の看板を上げたばかりの仲間のところに、ご自宅での「看取り」前提の依頼がありました。在宅医となられた医師ともども、初めて・・・。さぞや緊張の日々だったと思います。しかも、ドクターは、容態からみて、ご自宅での看取りは無理ではないかとのご判断から、緩和病棟を勧められたそうです。が、ご本人もご家族も、「家で逝きたい!」「家で看取りたい!」との強い意志を示されたことで、在宅医と在宅看護師たちは、覚悟を決めざるを得ません。じっくり話し合って、在宅看取り支援体制が出来上がりました。毎日の訪問を要する状態、恐らく、一日に複数回訪問もあったと思います。

決して、ご自宅での長い療養の日々が想定される状況ではなかったのですが、ご家族のお疲れやお気持ちの揺れも想定して、緩和病棟とも連携をとり、(つまり必要に応じて入院出来る)バックベッドを確保しての支援が続きました。

が、ご本人の意思は固かったのです。医学的に妥当であっても余分と思われることは、ご本人の意思で受け入れられなかった・・・「何も(積極的医療を)しないために、家に帰ってきたんだ!!」と明確に意思を表示された上で、余計な・・・ことは断固、拒否されたそうです。そしてご本人のお気持ちをご家族も十分理解納得されていた・・・例えば、点滴はお断り!!ですが、代わりに「私たちが、ちょこちょこ、口から、水分を取らせます!!」とご家族。在宅看護師は、それらのご意向を尊重し、「召し上がれるだけ(をお口から)」「飲めるだけ(をお口から)!」の支援で、穏やかな日々が流れました。

先週のある日のことでした。
「お髭をそりましょう!!」と、お顔に蒸しタオルをあてました。

「気持ちいいなぁー!シャワーも、何時から浴びてないだろう!!」
思わず、云ってしまったのでしょう。「今から浴びますか?」
「ウーム・・・寝る前に浴びたいなぁ」

その日は容体が落ち着いていて、脈や呼吸数、血圧も、お気持ちも安定していました。
『寝る前シャワー大作戦』が決まりました。

私どもの仲間では、ポータブルトイレ、シャワー用の椅子などをはじめ、滅多に使わないけど、時に必要な細々したものを準備している、お亡くなりになった、あるいは全快されて無用になったとご寄贈頂いたものを保存しているところもあります。自宅での療養に必要な色々な道具や機材の大概はレンタル可能ですが、申し込んでから時間がかかることもあります。

その夕方、手持ちの道具を持ち込んでの『寝る前シャワー大作戦』が、無事平穏に実践されました。涙を浮べて、「ありがとう」の言葉。当然、疲れはあったでしょう。けど、ご本人のすっきりした嬉そうなお顔。そして痩せた細い腕をいっぱいに伸ばして握手を求めて下さったとか。在宅看護師冥利に尽きたことでしょう。
私どもの仲間も、ウルウルしたことでしょうが、同時に、ヤッタ!!と快哉を叫びたい気持ちもあったかと思います。事務所に凱旋し、「余計なこと、勝手に暴走すんな!」とのお叱りを覚悟で在宅医に報告したところ、「嬉しいね!ありがとう!」と。チョット舞い上がったかな?

それから1週間、この方は、蒸しタオルでお髭をそった数時間後に、優しい笑顔を浮かべて旅立たれたそうです。本当に「最後のシャワー」・・・在宅医は、いわば共に戦う戦友、穏やかな看取りの後、共にウルウルしながら、ありがとうの握手を交わしたそうです。

療養者が発するちょっとした言葉、訴えの表情、しぐさを聞き取り見分けても、多数病者がいて、時間刻みで行わなければならない仕事が続く病院、医療施設では、ある個人の願いをまっとうしてあげることはとてもとても困難です。多くの看護師や医師が、やってあげたいと思いつつ、押し寄せる仕事、待っている多数者を思えば、手が出せない・・・そのような仕組みになっています。

在宅看護の場だからといって、何でもかんでも可能ではありません。が、とても重篤な状態でも、ある瞬間、ご本人の意思をまっとうできる、何か出来る・・・そのシグナルを見逃さなければ、為せることがあります。エェッ!こんなことがと思うことでも、ご希望が叶えられれば、つかの間であっても満足感が得られます。生活の質(Quality of Life)があがる、つまり、生きている証<アカシ>を感じて頂けることは可能です。

大昔の自分の小児科医としての病院勤務を想い返しますと、施設内医療は、色々な規制や約束事に縛られている「レディーメイド医療」とも申せます。ただ、だからこそできることはいっぱいあります。昨今では、患者中心ではありますが、すべての個々人用には出来ませせん。
一方、個々人が、住み慣れたわが家で家族や親しい人の傍で、時には、大いにわがままを発揮する、そして医療者側がそれに対応する、出来ることだけではありますが、療養者の意志が最初、医療者はそれに対応する・・・それが在宅。それは、いわば別注「オーダーメイドの医療・看護」だと、最近思うようになりました。

新米の起業在宅看護師ドノ、お疲れ様でした。良い経験でした。

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都会と田舎 偏見と思い込み

知人からの伝聞ですが、以下は、偏見なのでしょうか、思い込みなのでしょうか?

週末の地方都市の公共交通機関の出来事です。

知人は、二人掛けのシートがならぶ列車に乗っていました。それ程混んでいなかったこともあって、隣の列の席では、高校生らしい少年 or 青年が二人掛けを独占していました。ある駅から、老齢のご夫婦とおぼしきカップルが乗ってこられました。その高校生は、「どうぞ!!」と、お二人に声をかけて席を譲り、知人の隣に移りました。

くだんのカップルの男性が、その高校生らしき青年にお尋ねになったのです。「君は東京から来たのかね?」と。答えは、「いえ・・・・?」と。

その男性は、続けて、こう仰せになったそうです。「とてもよく気が利くから、東京から来た人かと思った・・・」と。

知人は、その青年に思わず言ったそうです。「失礼しちゃうわね!この地の人間でもちゃんと礼儀をわきまえているわよね!」と。青年は、ニヤリとしました・・・

東京と地方、都会と田舎。

毎度の古い話ですが、医学部での私の恩師は、定年より早く引退され、郷里であった地方・・・明らかに田舎の国立療養所に、ご専門だった血友病の診療拠点を整備するために赴任されました。半世紀も昔の話です。思い返しても懐かしィですが、その療養所には、タイプライターがありませんでした。-そういえば、まだ、愛好家はいらっしゃるそうですが、この一世を風靡した道具?自体、ほとんど見かけなくなりました- 私は、上司にそそのかされて、週末、恩師の特訓個人授業を受けなさいとのお勧めで、毎金曜日、少し早めに勤務を終えて、車に電動式IBMタイプライターを積んで、その田舎に通ったものでした。

恩師は、しばしば、仰せになりました。

「キミィ、田舎に住んでも田舎者になってはいけないよ!」と。「いつも目を外に向けていなさい。病院、大学だけで世の中は成り立っていない。」「日本だけが世界ではないンじゃよ。」とも。

後年、私流に付け加えて若い人に、この話を伝えます。

「質問1 田舎とはどんなところか?」

この問いには、しばしば正解が出ます「自然のあるところでぇーす」。

「質問2 田舎者とはどんな人か?」

これには千差万別の回答が出てきますが、割合、的を得たものがありました。曰く「私のジィちゃんみたいな人! 頑固で、人の云うこと聞かない!!」「私のバァチャンも。自分の思い込みで判断する、50年も昔、自分が若かった時の経験で判断する、私が何をいっても聞こえていない。」

私が恩師から受け止めたことも、それに近いのです。

「田舎者とは、周りが見えない人・・・だから、都会に住んでいても田舎者は居るし、田舎に住んでいても田舎者でない人はいる。」

さて、前述のお年を召した男性が、「礼儀正しき若者は東京人」と思われたことは、地方に対する偏見でしょうか、あるいはその方の東京に対する思い込みなのでしょうか?

東京の、取り分け、夕方以降の混雑した乗り物では、それ程くたびれてはなさそうでも、若者たちはどっかと座って、携帯ゲームに忙しそうですね。時には、もう少し年配の・・・いえ、老若男女ともゲーマーがおいでですが・・・

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新たな脅威 ニパウイルスと・・・・

今週の月曜日の産経ニュースにも出ていましたが、インドの最南部のケララ州で、コウモリが宿主(病原体を持っている生物)とみられるNipah Virus(ニパウイルス)感染が発生しています。ヒトへの感染は、コウモリからブタそしてヒトと考えらえていますが、コウモリからヒトもあるのでしょう。

最初、疑い例報告(発症は19日頃)があたったのは5月21日ですが、翌日には、州保健局がニパウイルス感染と発表し、必要な隔離手段を講じましたから、大きな広がりは防げています。はっきりした感染者数は不明ですが、6月6日には17人が亡くなり、90人が隔離され、18人の血液検査で12人に感染が証明されています。3人が亡くなったご一家の井戸から死んだコウモリが見つかり、ケアにあたった看護師が感染したらしいとか、油断は禁物です。

ニパウイルスは、1998年3月、マレーシアの養豚農家たちに発生した脳炎から確認されました。ニパというのは、最初の感染が起こった村の名前です。

症状は、発熱や頭痛ついでめまい、意識障害、けいれんなど脳炎症状で、死亡率が高いとされています。世界保健機関(WHO)やアメリカの疾病対策・予防センタ―(CDC)によると、多少の差はありますが、感染者の40~75%が亡くなると推定されています。最初のマレーシアでの流行では、300人が感染し100人が亡くなり(致死率33%)ました。そして、流行の広がりを遮断するため、100万頭の豚が殺処分(安楽死)されたそうです。

2001年にはバングラデシュとインドの北東部、シッキムに近いシリグリに発生、その後、大きな流行はありませんが、インドやバングラデシュでパラパラ発生しているそうです。

問題は、このような新興ウイルス感染を防止するワクチンがないことで、必然的に、感染防止は隔離と危険な生物や地域に近づかない、治療は対症療法(熱には解熱剤といった各症状に対する治療)で、(ウイルスを殺す)根本療法はありません。

ブタでは、呼吸器系症状が主体で、中程度から激しい咳を繰り返し、鼻水を垂らし、呼吸困難をきたす、時には、痙攣もあるそうです。【私どもは、ポークと呼び名を変えたブタサンは身近ですが、ピッグ(ブタ)はあまり見慣れない、まして、咳をしているブタは見たことがありません。ニパでは養豚家が、鳥インフルエンザでは養鶏家がご苦労されるのです・・・感謝しなければなりません。】ブタでニパウイルス感染が始まると、広範に広がるそうですが、人間と違って致死率(罹った中で死亡する個体の比率)は低いそうです。が、ヒトへの感染防止で殺処分される・・ブタサン、ごめんなさい。

もう一方の関係生物はコウモリです。わが国にも相当数存在するのですが、めったにお目にかかることはありません。コウモリ研究者が少ないから、実態が判らないとも云われていますが、このニパウイルスだけでなく、先般、再び三度の流行発生が起こっているアフリカ中央のコンゴ民主共和国のエボラウイルス病でも、その宿主はコウモリらしいとされていますし、確か、わが国では、愛玩動物としてのコウモリの輸入は禁じられています。

わが国では、2003年11月に改正された感染症法で、二パウイルス感染は、四類感染症(動物、飲食物などの物件を介してヒトに感染し、国民の健康に影響を与えるおそれがある感染症。媒介動物の輸入規制、消毒、物件の廃棄などの物的措置が必要)に分類され、診察した医師は直ちに届け出る体制になっています。

アフリカでは、まだ、コンゴ民主共和国のエボラ流行が収束していない中、東隣のウガンダで、同様の感染症が発生していると報じられています。あちこちでおこる感染症・・・との戦いは、未来永劫続くような気がします。

わが国でのキチンとした制度、生活環境、特に衛生状態の整備、維持といったことは、私どもには当たり前のようですが、そのことが実は、色々な感染症の広がりを防いでいます。そして、インドの、コンゴの、ウガンダの・・・感染症は、私たちと関係がないのではありません。アフリカからわが国への直行飛行機便はありませんが、インドは近い・・・どこかで感染して、症状が出る前に帰国する、あるいは訪日する人々はいずれ出るでしょう。

人体に潜り込んで、あるいは荷物に潜り込んだ生物にくっついた病原体(ウイルスや細菌、寄生虫)が、こっそりと国境を越えてくることは、十分、予測されます。侵入を防ぐことだけでなく、それらの病原体が存在する他の国の感染症対策も大事です。生活環境整備も他人事ではなく、出来る関与はすべきだ、情けは他人(ヒト)のためならず、と思っています。

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今年も始まりました!!

2018年度の「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」が6月11日に始まりました。今年は男性3名を加えた17名、皆、「看護師が社会を変える!!」に情熱をかけようと意気軒昂です。

開講式には、超ご多忙の中から駆けつけて下さった日本財団笹川陽平会長の、いつもながら的確で暖かく、後でじんわり利いてくるお話、昨年までの日本看護協会会長というご要職時から、本事業をご支援下さっている坂本すが東京医療保健大学副学長の激しくも勇気づけられるご祝辞に加え、既に開業している先輩2期生の直江礼子氏の激励の言葉を頂きました。

駆けつけてくれた先輩の他に、全国の先輩が激励をこめた祝電も送ってくれました。

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看護師というだけでなく、在宅でのケアに目を向け、更に開業というきわめて高いハードルを越えた、あるいは越えようとしている仲間意識が日本中に広がっています。決して、閉鎖的なサークル活動を目指しているのではありません。が、看護、特に在宅/訪問看護という、見える化のしにくい活動を、科学的に適正に評価できる形としたい、看護師なら、誰でも一定研修を終えれば、どこでも一定レベルの在宅でのケアの管理できる・・・それを目指して、日々、切磋琢磨しています。この事業を企画し、お世話させて頂いているものとしては、とても嬉しい、そして勇気づけられることです。開業者が増えるにつれ、看護が、看護師が、在宅の、地域の人々の安心を保証できる可能性が確実に根付いていること実感しています。

開講式の詳細は、日本財団ブログに詳しいので、そちらをご覧ください。

6月12日から講義が始まりました。今年の初日の外部講師は、「全国在宅療養支援診療所連絡会」会長、「NPO在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク」理事として、また、東京都北多摩地区の複数医師会の重鎮として、地域医療を推進されている新田國夫先生でした。「在宅医療と看護」というタイトルの90分2コマの時間が、実に短く感じられました。在宅でのケアの在り方、その背景をなす理念、受講生の姿勢がピッと定まりました。

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 2日目は、東京都豊島区で、「葵の空」訪問看護ステーションを開業し4年目を迎えた1期生入澤亜希氏と、藤沢市で「在宅看護センターLanaケア湘南」を開業している岡本直美氏、ともに、そう甘くはなかった経営の道の失敗を含め、実践的解説をして下さいました。先輩たちには、また、実習でお世話になります。

こうして8ヵ月の長くも短く、難しくも心躍らせる研修を通じて、来年には、さらに17人の新たな在宅/訪問看護センターの管理者が生まれます、17人は目下、新たなご自分形成の旅に出ました。ご支援をお願い致します。

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紫陽花

街のあちこちで、さまざまな色の紫陽花をみます。

なぜ、この漢字でアジサイと読むのでしょうか?語源辞典によりますと、語源は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が変化したものとされるとあります。が、紫陽花は藍色だけではありませんね。

他にもいくつか説があるようですが、紫陽花という漢字を、この花に当てはめたのは、平安時代のプリンセス勤子内親王(904 – 938、醍醐天皇の第5皇女)の命により『和名類聚抄<ワミョウルイジュウショ>』という辞書を編纂した学者 源順<ミナモトノシタゴウ>が、中国の詩人白居易<ハクキョイ>の詩にある紫陽花という別の花の名前を現在の紫陽花に当てはめた・・・勘違いだった・・・ことによるとされています。

では、中国の紫陽花は何?ライラックという説もありますが、確認はしていません。ただ、この花は、日本原産とされますが、なるほど、『万葉集』にも詠われています。調べてみると、「味狭藍」と「安治佐為」が使われているのだそうです。また、源順の編んだ記『和名類聚抄』には、「阿豆佐為」とも記載されているそうですから、何時、ミスター源順が、紫陽花としたのか・・・ですが、きれいな文字、花をイメージさせていますから、これを無理してアジサイと読むことに異論はありません。

さて、花といえば花言葉。

紫陽花にはオールアジサイとしての花言葉以外に、沢山の色があるがゆえにですが、色ごとの花言葉があります。花が咲いている間に、色が変わるがためでしょうか、「移り気」「浮気」「無常」!!

ですが、色別には、青は辛抱強い愛、ピンクは元気な女性、白は寛容と、いい言葉が並びます。紫陽花の学名は、Hydrangea macrophyllaですが、江戸時代の長崎に鳴滝塾と云う蘭学(西洋医学)の研修所を作ったフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(1796.2.17  – 1866.10.18 神聖ローマ帝国、現在のドイツバイエルン州生、医師、博物学者、一家が植物学に強かった)は、新しい種を見つけたとして、妻となった楠本滝の名前「おタキさん」からのオタキサン → o・ta・ki・san → otaksaを挿入した Hydrangea otaksaと命名したのですが、実際はHydrangea macrophyllaと同じものであったので、学問的には認知されてはいません。が、花の学問的命名に、妻の名前をつけるって発想は素晴らしいと、私は思います。

長崎には、欧風銘菓「おたくさ」がありますが、シーボルトとお滝さんの間の娘楠本イネ(1827.5.31  – 1903.8.26)は、日本人女性として初の西洋医学としての産科学を学んだ通称「オランダおいね」さんです。

紫陽花から、色々連想しますが、梅雨の期間を彩る美しい紫陽花を堪能致しましょう。毎年、あちこちの紫陽花寺に参りますが、今年はいずこに・・・

アジサイ

 

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60、81、1173、240万

タイトルの数字は、240万人の赤ん坊を救った60年にわたる1,173回の献血を行った81才のミスター ジェームス・ハリソン氏のお話です。Final donation for man whose blood helped save 2.4 million babies.

偶然、目に留まったメイルジャーナルの写真に、赤ちゃんを抱いた5人の女性に囲まれて献血している老紳士の写真がありました。ムムム!と思って、本体を読んでみました。

写真

抗D(抗体を持った)ベビーとそのママたちに囲まれ
最後の献血をするジェームス・ハリソン氏(81才)
Photo:Steven Siewert

元記事はThe Sydney Morning Herald(シドニー・モーニング・ヘラルド)なるオーストラリアの新聞でした。

血液型は、良く知られているA、B、O型とRh型のほか、MNSs型とか、P型とか、何百種以上もあり、それらの組み合わせを考えると、すべての血液型がまったく同じという人は、いないといわれるほど複雑なのです。その中でABO<エービーオー>とRh<アールエイチ>型だけが注目されてきたのは、輸血をめぐって致命的な問題が生じるからですが、輸血ではありませんが、血液成分の交流の特殊な場合が妊娠です。この場合の問題のほとんどはRh型です。で、ややこしい話をふたつ、みっつ。

まずRh血液型です。血液型とはある形質<遺伝などで伝えられる性質>があるかないかで決まるのですが、細かくは色々なRh型の中の重要なひとつが“D”という形質です。通称Rh+<プラス>とかRh-<マイナス>とよぶのは、赤血球の表面にDという形質物質があるかないかを云います。

次に妊娠です。ヒトでの妊娠とは、女性の子宮の中で次世代のヒトが形成成長する過程です。生物学的には、一つの精子が一つの卵子と合体(=受精)し、その受精卵が子宮内のちょっと厚くなった内膜に定着(着床)し、それを護り育てるための胎盤(母体-胎児の連絡「器官」)が形成され、受精卵は胎芽(妊娠10週未満、骨形成はない)から胎児になって出生を待つ期間と申せます。この間、特殊な医療的操作を除けば、外からは何一つ胎児をかまってはいないのに、形だけでなく機能的に、両親からの形質を受け継いでゆきます。ホント、毎日毎日奇跡の発育成長を遂げて、私たちは私たちになっているのです。

脱線しましたが、胎盤という特殊な器官は複雑精密な装置で、母親の血液と胎児の血液は入り混じらないのに、栄養分や酸素はちゃんと胎児側に移送され、また、胎児からの老廃物は受け取っているのです。胎児は、空気中に居ないのに、ちゃんと酸素を補給されていますし、オシメも当てていないのに、ちゃんと老廃物を処理できているのです。

さて81才のハリソン氏が、60年間にわたり、1,173回も献血されたのは、氏の血液型がRhDに対する強い抗体を持っておられたからです。なぜ、そのような血液が必要だったのでしょうか?

ややこしい最後の話。私たちには、抗原<ある人にとって異物となるもの>をやっつけようとする物質=抗体を作る能力があります。例えば、昨今、流行が心配された麻疹<ハシカ>では、一度麻疹に罹ると、抗原である麻疹ウイルスに対抗する抗体とよばれるガンマグロブリン(タンパク質の一種)を作る能力を得ます。再度、麻疹が侵入した場合、それを自分でやっつける力(免疫力)を獲ているので、二度目の発病はありません。予防接種は人工的にその力=抗体産生能力をつけることです。

ややこしい話の三つをつなぎます。Rh-<マイナス>の女性が妊娠したら、必ず問題が起こるのではありません。しかし最初の赤ちゃんがRh+<プラス>で、妊娠あるいは分娩中に、赤ちゃんのRh+血液がRh-のママの血流に紛れ込むと、ママはRh抗体を作る能力を得ます。

二人目の赤ちゃんもRh+なら、どうなるでしょうか? Rh形質は赤血球上にありますから、Rh+赤血球を攻撃する能力を得たママの血液は、赤ちゃんのRh+赤血球を攻撃する抗体を産生します。妊娠中は、直接の接触はありませんが、抗体はタンパク質なので、胎盤通過して、胎児の中に入り込み、胎児の赤血球を攻撃します。最初の妊娠でなく、Rh-女性の2回目以降の妊娠が問題なのは、このような「感作<反応の場>」が済んでいるからなのです。胎児が重い貧血状態になったり、生まれてからも重症の黄疸になったりする機序はこのような次第です。

ところが、Rh-女性の妊娠中の適切な時期に、ハリソン氏のような強烈なRh抗体を持った血液から精製した含Rh抗体製剤をほんの少し投与することで、その後の免疫反応を防ぐことが可能なのです。ハリソン氏は、ご自分の血液の特異さを認識した上、60年にわたり、1,173回年平均約20回も献血されたことで、240万人の赤ちゃんが重篤な状況を避けられたのです。

追記しますと、日本ではRh-は人口の0.5%という僅かさ、オーストラリアは15%だそうですから、問題が生じる頻度は高いのですね。私も、約50年昔、Rh-のママからの赤ちゃんの治療に、夜を徹して交換輸血などしたことを懐かしく思い出しました。

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老いを生きる ~『昏い水(The Dark Flood Rises)』を読んで

街を歩くと年寄りがあふれていると云うと、いささか偏見っぽい言い方に聞こえます。が、れっきとした後期高齢者である私自身が、自らの存在を含めて、日々、実感しています。そして、周りからは、あなたも一員だよとみなされていることも十分認識しています。

しかし、同世代と思われる方々でも、背筋をピンと伸ばして、さっそうと、とはいえなくともスタスタと歩まれる姿も少なくはありません。よほど突発的でないかぎり、死ぬ時には、必ずどなたかのお世話になることも判っていますし、若くみえてほしいのではありませんが、暦年齢にこだわらず自らの実働年齢をいささかでも壮健に維持し、なるべく余計なお世話はお掛けしないようにとは心がけています。

さてさて、しかし、わが国の真の問題は、超高齢化ではなく少子化です。社会の活性を担う若者層が少なくなっていることからすると、年寄りだといって、年齢をダシにしてのほほんとしておれる時代ではないですね。

そんな中で、なかなかに面白い、読み応えある本に行き当たりました。連休はじめに立ち寄った書店で、本の帯にあった「わたしは死ぬのは怖くない。いつだって心配なのは生きること」・・・に目が止まりました。著者マーガレット・ドラブルの名前は一瞬「??」

この高名な英国女性作家は、私と同年生まれでした。そして、私が医学部を卒業した頃、『碾臼<ヒキウス>』という、たしか「未婚の母」-今となっては懐かしい言葉ですが-になった若い優秀な研究者を主人公にした小説を発表し、一世を風靡しました。が、その本のこともドラブルの名前も、すっかりわすれていましたが・・・

今回の『昏い水』は、とっくに引退世代に達しながら、福祉関係の半分ボランティア的仕事を活発に続けているフランという女性とやり手の外科医だった最初の夫、この二人と、その後の再婚離婚をふくむ人間関係にかかわる人々、そして二人の間の、現代風で型にはまらぬ生き方をしている二人の子どもをめぐるフィクションですが、まるでドキュメンターのように読めました。つまり、実感できるのです。が、小説の中の人々は、大体金持ち、そしてインテリで、悠々自適風の生活を送っている、いわゆる名士的な方々のやや怠惰な暮らし・・・高級マンションやカナリア諸島の高級別荘住まいと云った点は、やはり小説です。

二組のいずれも若い男性に世話を焼かれている、死に近いゲイの老人たちの死ねない生活の一方、あっという間になくなってしまった若い女性のジャーナリストの話。生と死の物語でもありますが、主題は、いくつかの死への道をたどりつつも、なかなか死ねない高齢者の生きざるを得ないEnd of Life物語りです。

だからといって、暗い話ではなく、とにかくヨーロッパのインテリたちの話でもあり、チョーサー、シェークスピア、イェーツ、コンラッド、トルストイ、チェホフ、T.・ハーディなどなどや、ヨーロッパ全体とスペインの歴史、特にいくつもの小説の材料になっているスペイン内乱とカナリア諸島をめぐる世界史的エピソードや火山爆発、津波などの災害・・・と盛りだくさんの話題が、これでもか、これでもかというほど続きます。ちょっと、高校時代の世界史と英語の時間を思い出させました。

タイトルの『昏い水(Dark Flood)』は、主人公のフランが、福祉の仕事で訪れようとした低地の住宅地で遭遇した洪水被害からのようですが、実は、私自身、ジワジワと迫りくる昏い水を感じている日々でもあり、この邦訳タイトルにはちょっとドキドキしました。

読み切るには時間がかかりますが、退屈しない本でした。

昏い水_20180510 (2)

[会長ブログ ― ネコの目]
被ばく医療の研修

先日、原子力規制委員会が、原発などの事故時の対応の中心となる「原子力災害拠点病院」の医師らを対象とした新たな研修制度を平成31(2019)年度に導入するとのニュース産経毎日がありました。【なお、平成は30年で終わるのですが・・・・】

また、その計画では、放射線医学総合研究所(千葉市)を「基幹高度被曝医療支援センター」に指定し、人材育成や内部被曝対応の中心的役割を担わせるとあります。当然、これらの計画は、先の東北大震災時に生じた東京電力福島第1原発の事故で、いわゆる被曝医療が十分機能しなかったからですが、すでに2015(平27)年に、原発関連施設の30Km圏内にある24道府県には、原子力災害拠点病院を指定することを義務化しています。が、なお8府県が未指定だそうで、しかも原子炉施設等を立地しているにもかかわらず、指定していない自治体が、神奈川、新潟、石川、静岡、岡山の各県と大阪府だそうです。ただし、各自治体が指定している原子力災害時の拠点病院や原子力災害医療協力機関は258もありました。

災害とは、人智を尽くして備えていた対策を凌駕するから災害なのです。どれほどの対策を講じていても、必ず、それでは間に合わないというか、想定外の事態がおこります。東北大震災以来、堤防や耐震免震対策は進みました。が、物理的構造的対策ができたからと云って、ノホホンとしていても良いということではありますまい。同様、指定された施設があるから良い訳でも、専門家がいるから良いのでもありません。

私たち住民自身が、海に近い、火山がある、峻険な崩れやすい山の傍だとか、何度も氾濫した河川に近いなどなど、それぞれの地域の特性を知っておく必要がありましょう。最近では、各地でそれぞれのハザードマップ(危険地図)が用意されています。

いずれにせよ、放射線災害は、きわめて稀である一方、生じた時の対応はとても困難を伴います。その意味では、いくら準備しても十分ではないとも申せますが、他の自然災害に比べて、全国的な統一された対策、一定規格の研修を繰り返し行う意味は大きいと思います。

遅きに失することはない、是非にと思いつつニュースを読みながら、私ども笹川記念保健協力財団が行ってきた学生研修へ思いを馳せました。私どもは、2014年から、福島医大、長崎大学の協力を得て、福島県で保健医療系および工学系の大学・院生対象の、1週間の研修を行っています。東京電力福島第二原発発電所の見学(事故があったのは第一)他、川内村、富岡町、飯館村の被災地実習をはじめ、それぞれの専門家のコンパクトな講義からなります。詳しくは、私どものホームページをご覧頂きたいのですが、4年間で78名の学生諸氏が、基本的実習を含め、放射線災害対策に触れてくれました。その多くは、既に大学を卒業して、実社会で専門家の道を歩んでいます。彼らの得た知識が役に立つ日が無いことを願いますが・・・今年は8月6日からです。ご関心の向きは是非ご参加を。

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