[財団ブログ ― ハンセン病]
Renewing Commitment to a World without Leprosy

As 2013 draws to a close, we’d like to recall an important event that took place in July. That month, a three-day International Leprosy Summit was held in Bangkok, Thailand.
Jointly sponsored by the WHO and The Nippon Foundation, the summit brought together health ministers and health ministry officials from 17 countries that report more than 1,000 new cases of leprosy each year, as well as representatives of the WHO, NGOs and people affected by leprosy. The goal of the summit was to secure renewed political commitment to leprosy control at a time when efforts to tackle the disease appear to have lost momentum.
Thanks to the widespread implementation of multidrug therapy and other leprosy prevention and control approaches implemented over the past 25 years, great strides have been made in reducing the global burden of leprosy in the world. Yet the ongoing occurrence of new cases and the continued existence of hyper-endemic areas of the disease within countries has contributed to the stagnation of leprosy control in recent years.
Added to this has been a growing sense of complacency that comes from seeing leprosy problems as relatively small, resulting in reduced political commitment and relegated priority for leprosy control, as well as decreased resources for dealing effectively with the disease.
These and other points were noted by the ministers of health in the “Bangkok Declaration towards a Leprosy-free World,” which they endorsed with relevant stakeholders and the WHO on July 24, 2013.
In reaffirming their commitment to achieve a leprosy-free world, the participants urged governments to take various actions and pursue specific goals. These include:
- apply special focus on high-endemic geographic areas within countries through vigorous and innovative approaches towards timely case detection and treatment completion aiming to achieve leprosy elimination as a public health problem (a prevalence rate of less than 1 case per 10,000 population) at sub-national levels;
- achieve the global target of reducing the occurrence of new cases with visible deformity (grade 2 disability) to less than one case per million population by the year 2020;
- prevent occurrence of disability through early detection as well as limiting disabilities among already disabled persons;
- involve communities and forums of persons affected by leprosy in the process of strategy formulation and implementation of leprosy care, including physical, social and economic rehabilitation and social integration, as per WHO guidelines; and
- monitor the progress toward attainment of targets through a mechanism at the national level with technical support from the WHO and other relevant partners.
The Bangkok Declaration is a clear statement of intent. In years to come, we hope to look back on it as representing an important milestone on the road to a world without leprosy and its consequences.
See the full text of the Bangkok Declaration here.

[会長ブログ ― ネコの目]
さよなら2013

また、1年が去ってゆきます。私事、
東京に戻り、新しい職場笹川記念保健協力財団の新しい仲間とともに、これまでの財団活動とさらに新しい取り組みに追われた9カ月が済みました。
責任ある仕事は楽しいというよりは、むしろ苦しく気が重いことも多いものです。ただ、仕事を通じての人々と社会と繋がっていること、仕事の向こうに見える成果や学びから、充実感を得ること、それが仕事甲斐であり生甲斐であるのだと、少々遅ればせながら、やっと判ったような気がする年でした。
皆様のご交誼を心から感謝し、来る年が、
皆様にとって、健やかで、穏やかで、生甲斐のあるものでありますように、そして
次世代に、少しでもよい未来を贈れますように念じて、この年の最後のブログとさせて頂きます。ありがとうございました。

[財団ブログ ― ハンセン病]
フィリピン クリオン島の復興活動状況~家屋修繕計画

クリオンには現在600名のハンセン病の回復者とハンセン病患者の方がいますが、中でも、現在も治療中、または、補助を受けている方々は160名です。台風で家屋に被害を受けた72家族の内、21戸が特に深刻な被害を受けており、まずは、この21戸の修繕から、修繕用の資材の確保を始めています。
ただし、この21戸の住民のうち、たとえ資材があっても、障がいがあったり、修繕をしてくれる家族がいなかったりと、自力での修繕が難しい方々もおり、そのための人力の確保も必要となっています。

被災した家屋

屋根が吹き飛ばされてしまった
一戸の家屋の修繕にかかる費用は、その家屋によって大体5万円~15万円です。
年内にも、まずはこの21戸の家屋の修繕を完成させられればというところです。
ある女性はこう語りました。”The moon is now our light. Having no roof over our heads, we see the moon and stars when we go to sleep, and the sun when we wake up.” ~今は月が私たちの電燈の代わり。屋根がないので、夜、休む時には月と星を見て、朝、目覚めると太陽が見える~
“Many stories, many tears but big hope.” ~それぞれの物語り、たくさんの涙、でも希望がある~
雨が降らないことを祈りつつ生活する人々の姿があります。

[財団ブログ ― ハンセン病]
コロンビア アグア・デ・ディオスの歴史を語る

南米コロンビアにある2つの療養所の1つであるアグア・デ・ディオスの滞在も
いよいよ明日までとなりました。
クリスマスの9日前から始まるそうですが、毎朝5時と7時にそれぞれ15分から30分
教会から恐ろしい音量でクリスマスキャロルが流れてきます。
クリスマスキャロルも陽気で南米的です。
また昨日、コロンビアを代表する非常に有名な歌手が急死したということで
町中をこの歌手の歌う陽気な音楽が流れています。
さてこのアグア・デ・ディオス、人口は約13,000人の小さな市ですが、
実は市の中心地に4つもミュージアムがあります。
一つは回復者のハイメ・モリーナ・ギャルソンさんを中心としてハンセン病啓発活動や
回復者の支援などを行う団体Corsohansen(コルソハンセン)ミュージアム。
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もう一つは療養所の中にあるハンセン病医療ミュージアム。
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もう一つはアグア・デ・ディオスで住民のための活動を続け、カソリックの「福者」と認められた、修道院の中にあるルイス・ヴァリアラ神父ミュージアム。
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最後はコロンビアの著名な作曲家でアグア・デ・ディオスに入所したルイス・L. A. カルヴォ ミュージアム。
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それぞれのミュージアムが、この歴史を大切に思う人たちによって作られたことが
よく分かる、温かみのあるミュージアムです。
4つもミュージアムがあることからも分かるとおり、この町には、
歴史を残していかなくてはならない、それもただ悲惨な歴史ではなく、
その中にきらめくものがあったこと、そしてそれが現在につながっていることを
残したいと思っている人が何人もいます。
その中の一人、両親がハンセン病にかかっていた第2世代の
アンヘル・マリア・ククニャメ。エチェヴェリさんの言葉です。
「ハンセン病の問題はなくなったか?とんでもありません。
今でもアグア・デ・ディオスに住んでいるというだけで、白い目で見られることも
あります。
でも、ハンセン病が今よりももっと恐ろしい病気だと思われていた時代がありました。
その時代には、私たち、一人ひとりが罪を犯していたと思うのです。
医療従事者は、患者を使って人体実験に近いことをやった。
宗教関係者は、乳児院や幼児院で養育する子供の数で、政府からの補助金が出るため
家の中を捜索して無理矢理に乳児を親から引き離して連れ去ることもした。
警察は、医師がハンセン病と診断した人を、そのまま家族のもとから引き離し
療養所に収容するなど、人権を踏みにじった。
そして社会は、これが起こることを容認していた。
私はそのことを忘れたくないのです。
でもそれだけではありません。
罪をとがめるだけでは、前には進めません。
この歴史から何を学んだのか。そしてこの歴史から何を作るあげられるのか。
それは私たちにかかっていると思いませんか?
私は長い歴史を持つアグア・デ・ディオスが、ハンセン病の町として覚えられるのではなく
ハンセン病の歴史も持つ町として生まれ変わることを夢見ています」
(星野)

[財団ブログ ― ハンセン病]
コロンビア ハンセン病の歴史

コロンビアで最初のハンセン病特別病院であるサン・ラザロ病院ができたのは1608年のことです。
場所はカルタヘナ。
1790年に、南米初のハンセン病療養所であるカニョ・デル・オロが同じくカルタヘナにできると
サン・ラザロ病院に入院していた人たちは、カニョ・デル・オロに移されました。
カルタヘナはカリブ海沿岸に位置するボリーバル県の首府であり、コロンビアで最も観光客の多い観光都市です。
一大観光都市にハンセン病療養所があるのはいかがなものか、と考えた政府は
カニョ・デル・オロを閉鎖することにしました。
時は1950年。
1790年にはサン・ラザロからカニョ・デル・オロへ、
そして1950年にはカニョ・デル・オロから
現在も残るコロンビアの療養所であるコントラタシオンとアグア・デ・ディオスへと
入所者は移送されました。
カニョ・デル・オロは閉鎖直後、「汚染」を避けるために、爆撃されました。
現在でも旧療養所には、爆撃され、崩れ落ちた建物の残骸が放置されたままです。
カニョ・デル・オロからアグア・デ・ディオスに移り住んだ人たちはすでに亡くなったそうですが、その子孫から話を聞いたものがいくつか残されているそうです。
ここコロンビアには、胸のざわめくような記録や記憶が多く残されています。
が、多くは外に開かれていません。
これをどうやって外の世界からアクセスできるようにするのか、
大きなチャレンジです。
(星野)

[財団ブログ ― ハンセン病]
コロンビア アグア・デ・ディオスより

コロンビアには現在2つのハンセン病療養所があります。
1つはコントラタシオン、もう1つはアグア・デ・ディオス。
コントラタシオンの開設は1860年、アグア・デ・ディオスはその10年後の1870年です。
この2つの療養所の前に、カニョ・デル・オロという療養所もありましたが、
1790年に開設、1950年に閉鎖されています。閉鎖にあたって、入所者は
コントラタシオンとアグア・デ・ディオスへと移送されました。
さて、アグア・デ・ディオスです。
1864年に各県にハンセン病療養所を作ることを決定する法令が出されました。
当時、コロンビアにはハンセン病患者が多く、各地で偏見や差別のために故郷で暮らすことができなくなった人たちがいたのです。
クンディナマルカ県では、アグア・デ・ディオスをハンセン病患者のための土地とするとして、政府が土地を用意するということになりました。
天候もよく、ボゴタからもアクセスのいいクンディナマルカ県には温泉がありますが、
そこから遠くない中都市であるトカイマを避寒地とし、富裕層の多くが別荘を持っていました。この富裕層やその親族など、皮膚病のある約70人はここに逗留し、湯治をしていました。
1864年の法令の後、ボゴタからトカイマに100人を超えるハンセン病患者が連れ込まれる、という噂が立ち、これを恐れたトカイマの住民は、もともといた約70人を一挙にまとめて
アグア・デ・ディオスに強制的に連れて行ったのが始まりでした。
そこにあるハンセン病を治すと言われる「アグア・デ・ディオス=神の水」を求め、また安住の地を求めて、約70人がトカイマからアグア・デ・ディオスに着くころには、約40人になっていたといいます。
政府は土地を用意しましたが、その主目的は、ハンセン病患者の隔離。
そこには何もありませんでした。
約40人の人たちは、自分たちの力で土地を切り開き、小屋を建て、なんとか生活を始めました。
1864年の法令の発令後、政府は予算確保に努め、
1870年の入植後、県政府の予算で少しずつ住居などが整えられるようになりました。
しかし最初の病院であるサン・ラファエロ病院が建てられたのは、1880年ごろ。
入植から10年以上がたってのことでした。
1872年には現在、コロンビアの国家遺産になっている「嘆きの橋」ができました。
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この橋ができるまでは、アグア・デ・ディオスへの道の途中に走るボゴタ川は
両岸にわたされたロープにつるされたカゴでわたっていました。
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「嘆きの橋」の名前の由来は、この橋を境に、家族とハンセン病にかかった人たちが別れを告げ、ハンセン病にかかった人たちだけがこの橋を渡り、アグア・デ・ディオスへと向かうからでした。
実際にはこの橋は、隣のトカイマという市の中に位置しており、アグア・デ・ディオスまでは
この川を越えて、さらに林や藪の中をかき分け約3日かかったといいます。
さて、アグア・デ・ディオス。神の水とはなんだったのか、というと、先ほど出てきた
日本でもおなじみの温泉でした。
日本の温泉とは違い、生ぬるい、というくらいの温度ですが、かすかな硫黄のにおい。
うっそうとした木々に囲まれたその場所は、空気も爽やかですが、湿度が高く
ハンセン病にかかった人たちが暮らすには難しいということで、ここからは少し離れた
町に暮らしながら、湯治を続けたそうです。
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現在はいくつかのシャワーブースと、ジャクジーがあります。
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コロンビアで1873年に制定されたハンセン病隔離法は、1961年に廃止されました。
アグア・デ・ディオスは1963年に地方自治体として登録され、
1966年には初代市長が就任しました。
1963年頃には、約8000人の回復者が暮らしていましたが、解放令の発令と共に
多くがアグア・デ・ディオスを去り、現在では回復者の数は約600人。
市の人口の約13,000人のうち、ハンセン病と関係のない人たちもずいぶんと増えました。
緑の多い美しいアグア・デ・ディオス。
歴史を残し、いかに発展していくかが協議されています。
(星野)

[財団ブログ ― ホスピス緩和ケア]
「下町(浅草)がん哲学外来」シンポジウムのご案内

 当財団の地域活動支援助成で活動をされている「浅草かんわネットワーク研究会」様より、シンポジウムのご案内をいただきました。
「下町(浅草)がん哲学外来」シンポジウム
日時 2013年12月21日(土)13:30~16:45
場所 浅草三業会館
詳細は添付のファイルをご覧ください。
“がん”とともに生きている方・家族の皆様、医療従事者、行政担当者、その他がん哲学外来に興味のある方、ぜひご参加ください。
20131221_がん哲.pdf

[財団ブログ ― ハンセン病]
フィリピン クリオン島の復興活動状況~沿岸部への支援

12月8日のクリオン総合病院での救援物資に続き、遠隔地での緊急支援物資の配布作業と医療巡回が行われ、沿岸部にある4つの村で260家族へ支援活動を行うことが出来ました。地理的に距離があるにもかかわらず支援の手が差し伸べられたということに村人は非常に喜び、復興への励みとなったとのことです。
沿岸部への支援はボートで行われました。浅瀬への移動にはさらにバンカ(banca)と呼ばれるフィリピンの伝統的な舟に乗り換えなければなりません。
沿岸部の多くの住民は漁業で生計を立てていますが、今回の台風で家屋のみではなく、生計を立てるためのボートも失ってしまいました。
救援物資の配布にあたっては、沿岸部の住民自ら、数少ないボートを提供してくれたり、積み荷を降ろしたりと、進んで協力してくれました。
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下の文章はクナナン先生から頂いた報告書の抜粋です。
“At the end of the day, as the sunset set in, the team and the people visited were all happy, that we have provided them a little help and comfort and they have given us profound spirit of humanity.” ~一日が終わって日が暮れる頃、支援チームも支援を受けた村人も皆とても幸せな気持ちでした。我々は少しの物資と癒しを提供し、彼らから深い思いやりや助け合う精神をもらったんです~
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[会長ブログ ― ネコの目]
21世紀は看護師の時代

笹川記念保健協力財団の活動の柱の一つとして、1998年より15年にわたり緩和ケアに携わる看護師育成を行ってまいりました。医師対象の研修支援は、2001年に開始し、現在も実施しております。
私事、古い話で恐縮ですが、岸本英夫先生の「死を見つめる心」は学生時代に、キューブラ・ロスの「死の瞬間」は駆け出し小児科医時代を終わる頃に読みました。少し重いところでは、澤瀉久敬先生の「医学概論シリーズ」は学生時代から新米医師の頃、先生に直接お目にかかってご指導を受けた時期もありました。そして70年代末、留学先のアメリカノースカロライナで、現地初のホスピス開設時にボランティアもさせて頂きました。が、緩和ケアが活発になる頃には、国際保健専業で、紛争地めぐりが多く、以来、この分野の知識が乏しいまま、現職に就きましたので、目下、知識は獲得中とは申せ、実践はかなわない身と申さざるを得ません。
その長い「ホスピス緩和ケア研修」に続いて、弊財団では、来年度、在宅看護施設を運営できる、ちょっとシニアーな人材の育成を始める予定で、鋭意、準備をつとめています。
一方には、先進工業国日本に発生した東日本大震災-地震、津波そして原子力発電所の問題もありますが、世界的高齢化とともに、高度先端技術の行使ばかりを求めてきたかのような治療優先の保健医療サービスを考え直さねばならない機運も生まれています。数日前に出た、アメリカ Nurse.Comには、看護実業家でもあるDonna Cardillo氏の、エエッ!!と思う予測が記されています。
そもそもが高額医療であったがためかもしれませんが、アメリカでは、2020年までに、現在の病院の1/3が閉鎖されるだろう、そして看護師は新しい分野に転進するだろうとあります。病院は、とてもとても重症者に限り、一方、リハビリやホスピスを行うところが出てくる、そして学際的チームによって運営される患者中心のメディカルホームや、健康に関する諸々を行う施設、看護師が運営するヘルスセンター、リテイルクリニック(小売り屋診療所、日本式にはコンビニ診療所?)、そしてホームヘルス(在宅ヘルスケア)などなどの可能性を挙げられ、看護師は、マネージメント、コーディネーションに廻ればよいとされています。しかし、嬉しい情報も記載されています。Donnaさんは、世論調査で有名なギャラップ社が、1999年調査から看護師を含めるようになって、常に高い評価を受けているのだから、看護師の時代だ!!と述べておられ、常々、21世紀は看護師の時代と吠えてまいりました私としては、わが意を得たりとの思いで、この記事をご紹介します。
岸本英夫 「死を見つめる心」講談社文庫
澤瀉久敬 「医学概論」 誠信書房
E・キューブラ・ロス  「死の瞬間」「続 死の瞬間」読売新聞

[財団ブログ ― ハンセン病]
Reconnecting Families Affected by Leprosy

Care and Share Circle is a group of volunteers that is recording the life stories of people affected by leprosy in Malaysia and helping to restore family ties that were severed by the disease. Led by journalist and author Eannee Tan, the group’s activities center on the former Sungai Buloh leprosy settlement outside Kuala Lumpur.
Sungai Buloh was officially established in 1930 during British colonial times, becoming the second largest colony in the world. With new cases of the disease no longer quarantined from 1969, Sungai Buloh today is lived in by an aging and fast-declining population of around 200 people affected by leprosy who have long called the settlement home.
In times past, married couples who gave birth at Sungai Buloh were not allowed to keep their baby. If they were unable to find relatives or friends willing to care for the child, then the authorities would search for a suitable home. When an adoptive family was found, the biological parents were asked to sign a letter of consent giving up custody.
For many elderly residents of the settlement today, their greatest sorrow as they draw near the end of their lives is not being able to see their children. Equally, among the children given up for adoption, there are those who are eager to trace their roots and be reunited with their biological parents.
Eannee and the other volunteers help parents and children reconnect by combing the archives for birth certificates and other records. They also arrange for DNA tests when they suspect a family connection but the paperwork that would confirm this is incomplete or missing.
A record of their endeavors – and some of the moving stories that have resulted – can be seen on a website called The Way Home (http://www.thewayhome.my/) Begun by the Care and Share Circle, it tells the history of the Sungai Buloh lleprosy settlement, documents the life stories of residents and features accounts of the emotional reunions of parents and long-separated children. It also features an online museum of photos, artifacts, documents and more.
Eannee and the volunteers say they hope the website will encourage the “second generation” to get to know the emotional world of their parents and prompt more to come back and trace their roots while their parents are still alive. “In the end, we hope to empower them with knowledge and courage to preserve their own family history.”
The Way Home is a journey, and the journey continues.
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This is a picture Noraeni. Born of ethnic Chinese parents at Sungai Buloh leprosarium, she was adopted soon after birth by a Malay family. Her reunion with her biological mother could only come at her mother’s graveside. “I want to tell the entire world that there are many residents in Sungai Buloh who are waiting for their children’s return,” she says. “Even if they are unable to live together, they just want to see their children’s faces. We need help from all quarters to fulfill the dreams of these people.”


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