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ネパールのハンセン病スクリーニングキャンペーン

今週は、昨年4月に続いて、ネパールに参っています。と申して、今夕帰国しますが。
2年前、2015年4月25日にマグニチュード7.8の大地震がネパールを襲いました。お隣のインド、チベット、バングラディシュにも被災が出たほか、ヒマラヤトレッキング中の観光客ら15カ国の犠牲者を含む各国の100名以上を合わせ、総計9,000名近くの命が失われました。直後、私どもは、被災地の中で、かつてのハンセン病罹患のために障害を残しておられる方々が複数おられる地域への緊急支援を致しました。昨年4月は、そのフォローアップに参った間、日本では熊本に前震などと云う言葉が生まれる原因となった強烈なシリーズ地震が発生しましたので、印象は特別です。

緊急支援フォローアップと同時に、なお、ハンセン病が多く残る世界16カ国中第8位のネパールの関係者とも意見交換した結果、比較的、ハンセン病者が多いことが判っている15地域中、インド国境地帯から、短期集中スクリーニングの実践が浮かび上がりました。そこで、ネパール政府保健省が中心となり、WHOネパール事務所、ハンセン病対策に関与するNGO/NPOらが協力する地域限定集中スクリーニング計画が提案され、私どもも支援することを決めました。今回、その2地域での成果を確認するために参りました。

初日は、首都カトマンズで保健次官、大臣を表敬しました。いささか失礼な言い方ですが、この国には、まだまだ、対策不十分な感染症が沢山あります。その中で、ハンセン病対策を第一にお考え頂くことの困難さは百も承知ですが、しっかりしっかりお願いと申すか、確認をさせて頂きました。ハンセン病の原因のらい菌は、とても弱い菌で、滅多なことでは感染しない、発病までの、いわゆる潜伏期も何年もという長期、そして困ったことに、痛くも痒くもないどころか、痛みを感じなくさせてしまうのです。熱も出ないし、やせもしない・・初期に、病気という認識は持ちがたい、ホントに厄介な病気なのです。大概の場合、初期は皮膚斑紋、それだけといえばそれだけ。見かけでは、何処が病気?という時期も長く、直ぐには生命に危機をもたらさない。しかし、放っておくと四肢末端や顔面という、見えるところに障がいを来すために、差別偏見の対象にされてきた・・・

さて、昨年10月頃から始まったバルギラとネパールグンジュというネパールの南西部の2地域の短期集中スクリーニングの経過を拝見しました。沢山の地域ボランティア・・ヘルスワーカー/保健作業者に初期症状などの見分け方を伝授し、1週間という限られた期間に、一斉に地域内を歩く、疑わしい人が見つかったら、簡単な診断治療を行える保健専門家が常駐する保健ポストで確認し、さらに地域病院やハンセン専門家がいる施設で確定診断と進み、ある地域では住民の85%程度に当たる323,758名を調べ、1,754名の疑い者をみつけ、内145名が感染者と確定診断され、直ちに無料の多剤併用療法をうけておられます。お訪ねした一軒では、7名家族中3名が感染者でしたが、どなたも、ご自分が病気という意識はお持ちでなかった・・・幸いなことに、これらの人々は、重篤な障がいを示しておらず、治療によって、根治出来るレベルでした。メディアを動員し、学校検診を活用したことなど、新たな取り組みも拝見しました。報告会では、地域の保健局長らも出て下さり、関心の高さがしのばれましたが、この一大キャンペーンは、日本の長崎大学での研修経験を持つ、保健省のハンセン担当局次長パンディ医師の貢献大であります。(Meeting Nepal’s Challenges)

ネパールは、ご承知のようにヒマラヤ山脈の傍、大国インドと中国に挟まれた内陸国です。かつて、国立国際医療センター(当時)勤務時にも、この国最初の医学部が開設されたトリプバン大学など、いくつかのJICAプロジェクトに関与させて頂き、何度も訪問しています。それから25年、昨年の地震被災地の山岳地帯もそうでしたが、今回の南西部のかなり辺鄙な村落でも、ほぼ電気が通り、プロパンガスコンロが設置されています。また、大通りはほぼ舗装されており、かつての低開発国色は相当消えています。何よりも、首都カトマンズだけでなく、南西部のネパールグンジュでも、多数の黄色いスクールバスが走っています。そして、高校生でしょう、見かけは大人と同じの体格の男女から、教材が入っているのでしょうか、背にしているナップザックが地面に届きそうな小さな子どもまで、制服姿を各所に眺められました。

まだ、裸足で牛を追っている子どもがゼロではありませんし、中年以降の、特に女性たちの識字率が十分上がっているとは思えませんが、この国は、今、変化の途上にあると思いました。かつて、この国に関与した仲間からは、最後の王政の頃の政治的混乱、いわゆるマオイスト(共産主義者)の跋扈が、特に地方への関与を難しくさせていたことを憂いる便りも受けましたが、今は、明らかに変化の途上にあると確信しました。

ある国が、どのようであるか・・を短時間の訪問で評価はできませんが、感じることはあります。
ヒマラヤを抱くこの国は、やっと平静さを取り戻したのでしょう。インドのカレー料理とは、ちょっと味が違いますが、数日間、カレーに浸った胃は、少し、良い意味のヒリヒリを感じています。ほどほどの開発の中で、ハンセン病のスクリーニングが、他の疾患対策への活用を前提に、しっかりと根付いて欲しいと願いました。

スクールバス_ネパール

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緩和ケアの医師たち

笹川記念保健協力財団は、43年前、世界のハンセン病対策のために設立されました。財団企画の催しにご参加下さったか、ホームページをご高覧頂いたなら、ご承知のことであり、複数回同じ話を聞いて下さった方もおありでしょう。つまり、常にその前口上を述べるほど、私どもにとってのハンセン病対策は、重要なraison d’être(存在意義)であり、今もそれは替わりません。

先週、私どものもう一つの重要なプロジェクトに関する集まりを持ちました。
私どもは、2001年以来、ホスピス緩和ケアに従事する医師の養成を支援しています。(財団HP: ホスピスドクター研修ネットワーク
養成支援・・・とは大げさな云い方ですが、当時、まだ、耳新しかったこの分野の数少ない先達にお願いして、当該分野を専門的に学ぼうとされる医師のご指導を委ねる、いわばマッチング役を始めたのは、名誉会長日野原重明のイニシアティブでした。同様に、緩和ケア、ホスピスケアを学ぶ看護師たちのネットワークも2002年以来です。医師は、2017年1月現在94名が、看護師は3,800余名が登録されています。

医師に関して、私どものプログラムにより緩和ケアを研修された医師が20名に到った2005年から、年に1度の交流会を開催しています。(財団HP: ドクターネットワーク情報交換会
毎回、平均20名前後のお集まりですが、形式ばった会でなく、また学会のような決まりがある訳でなく、世話役をお引き受け下さるメンバーの企画で、毎回、新たな試みがあります。

今回は、初めて現場見学を加えることが企画され、現在の世話役でもある相河 明規先生(ケアタウン小平クリニック)他、これまでたくさんの医師の研修を受け入れてくださった聖ヨハネ会桜町病院のホスピスが会場となりました。

午前午後には、それぞれ現在研修中の医師と、今や各地の第一線で活躍中のかつての研修生の発表、そして意見交換、昼食時には二組に分かれて、ホスピスの見学、最後は場所を変えての懇親会・・・9時半から19時半の長丁場でしたが、退屈するどころか、どのご発表もご意見も時間不足、経験の長さは異なりますが、一言で申せば、緩和ケアが果てしなく幅広く奥深いものであることへの想いと、そのための実践の奥義が論じられたと思いました。

「ひとが生まれる時と死ぬ時は神様の領域」なのに医者が入っておかしくしている、とのコメントを読んだこともありました。進行した認知症や回復見込みのない終末期病者への胃ろう、止められないまま継続される点滴、呑めもしない膨大な投薬・・・などなどが過剰医療ともみなされ、高齢者医療費抑制もあって、それこそやや過剰に議論もされています。
終末期が神の領域とは、言い得て妙であり、ある意味で真実だと思いたいですが、今は21世紀、やはり科学の力を活用することを放棄すべきではないと、私は思います。
いずれにせよ、どんな人も、ヒトが生物である以上、生存の長さが如何に伸びようとも、有限であることは事実。その中、終末期問題がにぎやかになっていること自体、高齢社会であり、多死社会を示しているのかもしれません。

が、どこで、どのように生を終えるかの議論が喧しい割には、一体、それをどのように実践するのか、誰がそれをどのように担い、経費はどうするのか・・・あまり具体的な議論は少ないように思います。

いつもの年寄りの繰り言をお許し頂きたいのですが、私が小児科医だった1960, 70年代は、わが国の出生率ははるかに高く、今もそうですが、こどもは死すべきではなく、当然、長い一生をまっとうすることが前提でした。つまり、当時の小児科医は病気を治すこと=治療cureが至上の使命でありました。

過日の「緩和ケア医」の集まりに陪席してオールド元小児科は思いました。確かに、ひとが生を終える時は、身体的だけではなく精神的あるいは流行りの言葉ですが、スピリチュアルなケア=careが必要な時期なのだと。そして、生の終焉とは、実は年齢に関係なく、幼子にも青年にも壮年期にもあるのだ、と。

緩和ケアは終末期ケアそのものではなく、適切な緩和技術を行使することで、積極的な治療cureが可能なこともあるのですが、過日、お集まりくださった医師たちは、誰にも訪れる生の終末期を扱う際には、文字通り、神の域に近づきながら、持てる科学の知識を行使しておられると思いました。当日、ご参加下さった山崎章郎先生(ケアタウン小平)と川越厚先生(クリニック川越)は、そう思って拝見すると、何だか神様のようなお顔に見えました。

集まったメンバーとの記念撮影

集まったメンバーとの記念撮影

聖ヨハネホスピスラウンジ

 

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山笑う

俳句の季語に「山笑う」というのがあります。何時の季節かお判りでしょうか?

昨年来、二度目となる全国のハンセン病療養所への表敬を致しています。
3年前には、南から順番にお訪ねさせて頂きましたが、今回は、岡山県の長島愛生園と邑久光明園から始め、東京都の多磨全生園を終えて年末。年が明けて宮城県東北新生園と青森県の松丘保養園、先週は鹿児島県と熊本県でした。

2月2日に鹿児島県に飛び、星塚敬愛園を訪問しました。東京からはかなり暖かに感じた鹿児島で1泊し、壮大な桜島、そしてはるかに開聞岳を眺めました。次いで、新幹線で熊本へ。九州新幹線の南半分はとても沢山のトンネンル続きです。つまり、列車は、山のお腹の中を疾走しますが、合間合間には、濃い緑が美しく眺められます。そして、時には遠方に海もみえます。

菊池恵楓園は、熊本市の北東部に位置する合志市にあります。災害で馴染みのなかった地名を覚えることが増えましたが、町の大半が被災した益城町のほぼ北に位置します。熊本は、周辺で修復工事が始まっていますが、無残な姿が目につく熊本城あたりを含め、昨年4月の地震の名残であろうブルーシートも残っています。世界最大のカルデラ火山阿蘇は、熊本からは見えません。

菊池恵楓園訪問の夜は、福岡県朝倉市杷木に借りている古民家に1泊しましたが、周りは山また山・・・翌日は、その山家の拙宅を出て、有名なクルーズトレイン「ななつ星」も走る九大線の無人駅筑後大石駅から一両だけの列車に乗って、久留米で開催された「日本ホスピス在宅ケア研究会in久留米」に参加しました。列車は、筑紫次郎ともよばれる筑後川の南側を走ります。車窓の南には、まだ、寒いながら、うらうらとした日差しの中で、鷹取山、発心山、耳納山がかすんで見えます。

久留米で一泊後、翌日は再び熊本へ。前熊本県知事で、現在日本社会事業大学理事長であられる潮谷義子先生のお招きで、県の男女共同参画事業の大会でお話しさせて頂きました。その夜は、熊本大学、県看護協会、その他地元のご関係の方々との懇親会を楽しみ、翌朝は新幹線で博多、つまり福岡県へ。久留米、博多と都市圏に近くなりますと、ビルの波ですが、やはりもやっとした山が眺められました。

弊財団の事業である「日本財団在宅看護センター」を企業運営するための看護師研修を終えて、既に開業している仲間と関係者への支援お願い。そして、博多から高速バスで、再び、朝倉市の杷木へ。

突然、思い出したのが「山笑う」、
正岡子規の句の「ふるさとや どちらをみても 山笑う」

です。子規が見た笑っていた山は、どの山なのか・・・ですが、山が笑うのは春なのです。

まだ、寒いです。けど高齢化の視力低下では決してありませんよ。何となく遠くの山がかすんで見える季節になっています。

そして東京に向かう前に買ったのは、福岡拠点の西日本新聞です。このローカルながら、とても興味深い記事が沢山載る新聞の、さらに興味深い聞き書きシリーズは、現在、前述潮谷先生の「命を愛する」です。それを読もうと開いたページは、投書欄なのですが、そのテーマが「山眠る」でした。山が眠るのは・・・冬、山も冬眠するのですね。で、「山滴る」のは夏で、「山粧う<ヨソオウ>」は当然秋ですね。

「山笑う」春は、もうすぐです。

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看護師が社会を変える

私ども公益財団法人笹川記念保健協力財団が、親財団である日本財団の強大な協力を基に、高齢化がすすむ地域の保健医療サービスを支える「日本財団在宅看護センター」を企画運営できるように、看護師サンたちの経営者への変身を支援する研修事業を開始して3年経ちました。過日、この研修からみの公開講座の第4回を開催しました。

初日Part 1は、8カ月の研修を終えて、既に各地で開業している仲間の内から以下の5名が経過と現状を発表しました。

横浜市 株式会社日本財団在宅看護センター横浜 代表取締役社長
兵庫県豊岡市 一般社団法人ソーシャルデザインリガレッセ 代表理事
東茨城郡 一般社団法人ハーモニーナース 代表理事
岡山市 合同会社岡山在宅看護センター晴 代表社員
福岡県宗像市 一般社団法人ミモザ 代表理事

3年または2年前には、優しい、しかしオーソドックスでどちらかと云えば受け身の姿勢だったナース、その5人が、今や地域の保健医療体制の一角を担う経営者の、ちょっと厳し気な雰囲気を備えたナイスミディに、ものの見事に変身しています。同じ時期、共に学んだ仲間、そしてこの分野に関心を持つ数十名が、熱心に聴講下さいました。看護師諸氏が、社会を変えようとする姿勢を強く感じました。嬉しい限りです。

二日目のPart 2は、各地で365日24時間、地域の健康を支えておられる以下の4名の在宅医療の先達医師のお話しでした。

渡邉淳子先生(東京都葛飾区 医療法人 淳友会 わたクリニック 院長)
川越厚先生(東京都墨田区 医療法人社団パリアン クリニック川越 院長)
二ノ坂保喜先生(福岡県福岡市 医療法人にのさかクリニック 院長)
船戸崇史先生(岐阜県養老郡 医療法人社団崇仁会 船戸クリニック 院長)

期せずして、すべての先生方が述べられたことは、人々が生をまっとうする際へのかかわりは、科学的技術的かつ医学的技術のみならず、その人が如何に生きてこられたか、ある人の人生を総括できる対応であり、故にそれを可能ならしめ、人を丸ごと包み込むケアができる医療者が必要なこと、そして地域医療の中心は在宅看護師/訪問看護師だとのこと。深く心にしみわたるお話の数々、聴講者一同ともども、身が引き締まる思いでした。

走りながら考える、という言葉がありますが、社会の変化とそのニーズに応じるべく始めたこの事業は、走ってから考えたことも事実、その意味では、過去3年間の研修生1、2、3期生は事業の仲間であり、壮大なプロジェクトの同志でもあります。

Part 1で、にこやかに講演している裏には、涙の物語や失敗談もあったのでしょうが、それを乗り越え、社会を変えつつある新しい看護師の姿を、私は少しうっとりと、そして敬意を表しながら眺めました。

斯く斯様に申している間にも、世界の、そして日本の社会は激しい変化を求められています。伝統はまもりつつも、新たな挑戦が必要な時代です。ご関心の向きは、財団ホームページをお訪ね下さい。

>>日本財団在宅看護センター起業家育成事業のページ

>>2017年度 第4期生の募集要項のページ

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民主主義-Democracyデモクラシィ

アメリカ大統領が替わりました。民主的な制度で選ばれたはずなのに、世界中で反対デモが広がっています。が、それも民主的な行動です。

1月20日夕刻、港区赤坂の職場の前で、手に手にプラカードを掲げたデモ行進がありました。何の?と思いましたら、反トランプのそれ、やや外国人が多いようでした(「トランプ次期大統領に対し 東京で女性の権利訴えるデモ」)

高校時代、医学部に行くか歴史を勉強するか迷ったほど、歴史には関心がありましたが、世界史とは、さまざまな対立の記録のように思います。領地や資源をめぐる、今から申せば侵略戦争も沢山あり、武力武器行使によって生命が失われ続けてきました。宗教や思想、民族の違いがきっかけとなって始まった闘争も多数ありました。戦争の世紀とも云われる20世紀の二つの世界大戦は、それまでの戦争の規模を変えると同時に、戦争を憎む風潮も高めたと思います。昨年のオバマ前アメリカ大統領の広島訪問、そして先日の安倍首相のパール・ハーバー訪問は、憎しみから和解へが如実に示されたものと理解できます。

第二次世界大戦の終結は、いわゆる武器行使を伴う熱いhotな大規模戦争の終焉・・・と思われました。戦争を起こさないことを目的とする新たな国際連合も創設されましたが、間もなく、西側自由主義と東側社会主義の思想対立が45年間の冷戦cold war状態を作りました。

1980年代末、一方の雄ソビエト連邦が自壊し、その傘下にあった東ヨーロッパ諸国にも民主化が続きました。世界は、平和で自由主義市場経済が栄えるとの幻想が生まれました。が、間もなく、東西の大国に支配されていた多数の中小国の中で、民族や宗教などの違いがきっかけとなる権力闘争が始まりました。現在に続く地域武力紛争(国際分野では、CHE<complex humanitarian emergency複雑な人道的危機>)の幕開けでもありました。その過程で生まれたのがアル・カイーダであり、タリバンであり、ボコ・ハラムであり、そしてイスラム国でもあると申せます。

東西冷戦の最後の戦線だったアフガニスタンからの難民支援に従事したのは、もう30年近く前になりますが、武器を身近に、ある種権力闘争に明け暮れている人々(必ずしも男性だけではありませんでした)の意識は、とても20世紀のそれとは思えない、民族の独自制とは異なる独特の、あえて申せば勝手な独善性があったように思います。勿論、会ったことはありませんが、15世紀の織田信長もこんな考えではなかったのかナと思うようなゲリラのボスもおいででした。彼らは、近代科学の中から、都合の良い武器と自動車・・・ほとんどはトヨタでしたが・・・だけを取り入れ、考え方は伝統的なまま、と申すより、都合よくそれを利用しているように思えました。不都合は、伝統や民族性、時には神様の所為にして、武力を振りかざすして勢力を維持しようとしているように見えました。ですが、武力に頼るものは、武力で倒れることも事実です。

ご承知のように、民主主義democracyの語源は、古代ギリシャ語にルーツがあります。民衆を意味するdemosと支配権力を意味するkratos=cracyの合成語で、民衆による支配、人民が持つ権力を意味します。

この度の大統領選挙では、基本的には民主的ではありましたが、大国アメリカにしては見苦しいゴタゴタが多くあり、一方に、経済格差の拡大が争点であったことから、アメリカの民主主義と市場経済主義が失敗だったとの意見を持った国もありました。でも、世界の歴史をみても、真に国が安定するに、民主主義に替わる理念や思想あるいはそれに基づく制度以上のものは、まだ、生まれていない・・・とされていますし、事実もそうではないでしょうか。民主主義が機能しないとすれば、それは民である私たちの勉強不足、民力の行使が不足しているからだと、私は思っています。今、世界が変わろうとしている、いえ、世界は変わらなくては存続できない事態に差し掛かっているのかも知れません。民主主義をどう活用するべきでしょうか?

アメリカは、自由と民主主義を旗印に建国された国であり、世界の民主主義の旗頭でもあるべき国でしょう。「すべての人間は平等につくられ、創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含む侵すべからざる権利を与えられている。」と独立宣言にはあります。そして「これらの権利を確保するために、人は政府という機関をつくり、その正当な権力は被支配者の同意に基づいていなければならない。もし、どんな形であれ政府がこれらの目的を破壊するものとなった時には、それを改め、または廃止し、新たな政府を設立し、人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える方法で、新しい政府を設けることは人民の権利である。」ともあります。被支配者の同意は民主主義の基本ですが、その政府が持つべき権力は被支配者の同意に委ねられ、それがまっとうされなければ政府を改める・・・ともあります。

聴衆の数を気にされ、democracyでは重要な役割を持っているメディアとけんか腰に対決される大統領は庶民性があるのだと思いますが、英語にも“Agree, for the law is costly.(直訳は、「和解せよ。法を頼る=訴訟はお金がかかる」)とのことわざがあります、つまり金持ち喧嘩せず・・・民主的に話し合ってほしいものですが、もう相当にこじれています、ね。4年間、どうなるのでしょうか?

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「日本財団在宅看護センター」の開業計画発表会 ~絵に描いた餅~

1月ももう終わりが見えました。お正月休みと3連休、ペースが落ちたまま、時間だけが過ぎてゆきます。とは申せ、厳しい寒さの中、また、久しぶりの大雪報道の中、センター試験も終わりました。次は、入学試験…外では、イギリスのBrexit、アメリカの大統領の交代・・・何か、すっきりしない感ありですが、きちんと筋を通して動くべきが動くことは成熟社会の証でしょう。

毎年、この時期は、私どもの長期研修プログラム「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」の終盤です。長かった講義と実習の最後に、大学の卒業研究や大学院の修士論文発表に相当する開業計画の発表があります。

前後期あわせて4か月の講義は広範です。難しいよりは、実践家だった看護師諸氏には、ほとんどなじみのない本格的管理学、経営学、法律や労務に関する学問が、毎年、多数受講生にアレルギーをきたします。が、8ヵ月後、それがなぜ必要なのか、「眼からウロコ」の域に達して下さいます。研修生諸氏の納得は、第一線医療者による循環器、呼吸器、消化器、脳神経系、皮膚科、整形外科、メンタルなどなどの解説、おさえておくべき基礎医学知識も含みつつ、目前の超高齢社会にむけた高齢者の健康と疾患つまり不健康状態、さらに人生の最終過程の諸状況は、多数専門家の懇切丁寧な講義で繰り返されます。

病院とは、病気との闘いでは重装備の城でもありますが、在宅看護の場は、個々人のお住まいであり、機材資財同僚がそろった病院に比すれば、徒手空拳の戦いかもしれません。だからこそ、如何に看護知識を活用するかとともに地域での援軍が必要です。何よりも在宅看護を利用する人のお考え、そしてリハビリテーション、栄養、薬剤、検査、歯科口腔ケア、その他諸々の専門家とどう連携するか、地域の保健医療の継続性を担保するために、行政や地域の医療施設とどう協力するか・・・広範にして深淵な講義の数々は、何千片ものジグソーパズルを完成する過程であり、十分以上の頭の体操でもありました。が、起業家になるという意思が固まってくるにつて、ある人は徐々に、またある人は、ある時、急激にお顔付きが変化します。この研修は、意識改革が目的だとの理解が進みます。

実習は、昨年から、本研修終了後開業した先輩、ほやほや起業家の苦労の実感、他の先達の厳しい叱声もありました。老舗的組織や地域の取り組み、行政の認可の在り方、また、支援の受け方も学びました。

一昨日からの開業計画発表は、何故、在宅看護センターを開業するのか、開業予定地はどんな状況か、スタッフその他の準備状態は?どんなリスク要因があり、どんな対応を考えているのか?資金はいくらで、どのような手当が可能か、また、実践しているか。

きちんと詰められていない計画は、絵に描いた餅にすぎません。今年はお餅が少ない・・・上々の成果と思っています。

発表と意見交換は1時間半、しかし、終わればホッではありません。これからが個人の真剣勝負。予定の開業日に向けた、さらなる活動が、一人の責務が始まります。

週末の修了式では、本物のお餅が頂けますように。

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ジェンダーと適性

「性別」などというと、それ自体がいささか扱いにくいものになっているような気がする昨今ですが、私が、おや?と思った二つ三つの事例です。

現職として初めて広島を訪問され、わが国の現職首相初のパールハーバー慰霊にも同行されたバラク・オバマ大統領の任期が間もなく終ります。大統領よりも人気が高いミッシェル・オバマ ファーストレディの役割も終わりますが、その公的な最終スピーチが現地時間1月6日、ホワイトハウスイーストルームでありました。2017年度学校カウンセラーの表彰式でした。私はファーストレディのフォロワーではありませんが、ヒラリー・クリントンの応援のための演説のいくつかを聞いたり読んだりした限りですが、この方は知性や教養、殊に人間としての品性やモラルを大事になさっていると理解しています。最後のスピーチは、「勇気をもって挑戦しなさい!」と、若者に語り掛けるものでしたが、教育に熱を入れてこられたこともあって、さすがに感極まった風でありました。お人柄を感じた最終スピーチに、周囲の方も涙でしたが、私が、おやまあと思ったのはファーストレディの後ろに並んだ2017年の表彰者です。40数名中男性がたった一人、ちょっと冷やかされるシーンもありました。逆に男40名に女性一人だったら許されるのだろうか・・・と、深読みし過ぎでしょうか?

次は、医師の性別と入院1カ月内死亡と再入院の差に関する論文。有名な医学雑誌JAMA Intern Med.の2016年12月19日号の論文(doi:10.1001/jamainternmed.2016.7883)は、入院患者1,583,028人(平均年齢80.2歳、男性621,412人、女性961,616人)の入院後1カ月間の死亡と再入院数を分析しています。よくある病状や重症度を考慮しても、女性医師担当の方が、患者の1カ月内死亡は男性医師担当より少なく、また、再入院も少ない・・・高齢者の入院は女性医師による治療の方が良い結果につながるとしています。ただし、一方では、女性医師は、男性同様に昇進していないし、同じ程度の収入も保証されていないとの報告もあります。

最後はかなり前の情報です。「医学界新聞」という業界紙があります。ビビッドな情報が多く、私は何十年も愛読しています。その2014年11月10日(第3100号)-2015年11月16日(第3150号)の間、11回連載された川越正平先生(青空診療所院長・理事長)と澤憲明先生(英国・スチュアートロード診療所General Practitioner。連載当時)のクロストーク『日英地域医療』という長い対談の連載です。その第2回([連載] クロストーク 日英地域医療(終了)(2))第3回([連載] クロストーク 日英地域医療(終了)(3))は、地域医療における看護師の役割でしたが、家庭医制度が整備されている英国では、糖尿病や高血圧症の安定期には訓練を受けたナースプラクティショナーと呼ばれる看護師が対応するそうで、地域の診療所には、沢山の看護師外来診察室があること、そして患者の満足度は時に医師を凌駕するとの澤先生の言葉がありました。医師はオトコ、看護師はオンナ・・・などという時代ではありませんが、イスラム圏を除いて、まだ、看護師は女性優位の仕事である国や地域は多いと思います。その看護師の診察管理が医師よりも評判が良いとのこと。

真理やsomething unknown(未知)を探求すべき学問の府である大学は別として、基礎知識の習得、考える力の涵養とともに、人間としての基本的品性を獲得すべき時期である小中学校の子どもや思春期前の若者のカウンセラー、つまりこどもの心身のケアや高齢者あるいは長きにわたる病的状態と共生しなければならない人々の心身のケアは、(誓って申しますが、毛頭、男性を排除する気はありませんが)あるいは女性に適した仕事なのかなと思いました。

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謹賀新年

新しい年が始まりました。

本年も、何卒よろしくご交誼の上、引き続き、ご指導ご支援下さいますよう、お願い申し上げます。

さて、昨今、幼稚園や小学1,2年の若い知り合い?から動画入り年賀やクリスマスカードがメイルされて参ります。どんなのを返すのか、苦労します。

世界の郵便制度の最初は神聖ローマ帝国(800-1806)に生まれたとされています。
神聖ローマ帝国のルーツは古代ローマ帝国で、それが東西に分裂(395年)した後、諸々の名前の帝国を経て、最後に現在のドイツに続く「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」となりました。郵便制度は、1490年頃、皇帝マクシミリアン一世が、現在の中南部ヨーロッパに広がる領地内の親族に信書を送るために設立されたそうです。現在なら、国際郵便から始まったのですが、当時は馬車輸送、あくまで皇帝の一族内の便りのやり取りでした。誰でも、一定のお金を出せば便りを送ることが保障される制度、つまり切手制度は、1840年、イギリスで始まっています。その時の世界初の切手は、黒字にビクトリア女王の横顔が印刷された有名な1ペニー切手、「ペニーブラック」です。翌年には背景が褐色(ペニーレッド)に代わっています。

日本の正式な郵便制度の開始は明治時代の初め1871(明治4)年ですが、ある人が他の人に便りを送るということなら、随分古くに遡れます。不勉強ですが、源氏物語などには、沢山の文<フミ>が行き来していますし、就中、ラブレターの類を和歌にして往き交わすなどという高尚な術は、11,12世紀当時のどれほどの国で可能だったでしょうか?貴族社会に限られたとしても、女性が文字を書き読むことが可能だったし、そもそも何か情報を他の地域に送る飛脚便関連の最初の命令は、史実ではないと指摘もありますが、大化の改新(646)前後、聖徳太子らによる改革によって設立された制度ではなかったでしょうか。

わが国では、戦国、武家時代にも伝馬、飛脚が活躍していますが、近代国家の設立にあわせ、それらが国の制度となったと考えれば、あまり奇異な、びっくりする制度ではなかったかも知れません。ただ、それ以来、わが国の郵便が確実に届くことへの信頼度は抜きん出ていますし、災害時の直後の避難所や仮設住宅への配送のち密さも、日本独特・・・と云えば、他の国から文句が出るでしょうか?

国際郵便は、1858年日米修好通商条約締結国が、わが国の港に領事館を置いて、公文書を本国に送り出したことが最初のようです。国際郵便と云えば、60年以上も前、中学生頃、海外のペンパル交流が流行りました。私は、スウェーデンの2,3歳年長の女学生と何年も交流しました。

年賀状・・・年賀はがきが特別扱いされるようになったのは、1905(明38)年ですが、第二次世界大戦中には、祝い事を慎むために中止されたこともあります。いずれにせよ、現在の賞品着きお年玉付き年賀はがきが生まれたのは1949(昭24)年です。約70年の歴史を有する年賀状ですが、来年は、どうしようか・・・と。

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さよなら2016年

ああ、一年が終わる、あれもこれもできていなぁ~ィ!!と焦っておられるならば、あなたは、多分、まだお若いのです。何十回も年の暮れを経ると、いささかマンネリ的で、マ、こんなモンだろう、来年もあるし・・・などと、怠惰の言い訳が当たり前になる、そしてそれらは加齢の所為とここでも言い訳できる、それは年寄り、と私は思います。が、実は本当に来年が丸々一年365日あるのかしらん、などとの想いもないわけではありません。

さて、あなたにとって、どんな良いこと悪いことがあったでしょうか? 良いことを五つ、悪いことは三つ程度思い出して、来年は良いことを八つ、悪いことは二つにしようと、私はそんな風に思っています。何が良いこと?悪いこと?それは内緒です。

公益財団法人笹川記念保健協力財団の2016年は、5月に満42年目を終え、只今43年目を走っております。人生の最も充実した時期にあたります。

まずは、ハンセン病です。わが国では、数年来、2,3名以下の発症にすぎず、しかも初期に診断されますので、かつてのような障害をきたすには至らない、つまり、ほぼ医学的には制圧された病気ではあります。しかし、世界では、毎年20数万の新患が見つかる上、実数はもっと多いかもしれず、私どもは、WHOハンセン病制圧大使である日本財団笹川陽平会長のご指導の下、WHOを中心に、世界各地での対策への協力を強化しています。うまく行っているところもあります。が、さはさりながら、語弊を恐れずに申せば、これほど興味深い疾患はないというほど、為さねばならないことが山積しています。ご関心の向きは、是非私どものホームページと、常に協働している私どもの親財団でもある公益財団法人日本財団のハンセン関連ホームページを、ぜひ、ご覧下さい。

次いで、ホスピス緩和ケア、在宅看護です。看護師が社会を変える、と大げさなプロパガンダ!!を掲げていますが、今や地域包括医療が適切に稼働しなければ、高齢者のみならず、すべての住民の健康保持が困難なことは自明です。その中で、施設内医療看護から地域での在宅看護へと機能の拡大発展を目指しています。私ども企画の8ヵ月のインテンシブ研修を終えた仲間が、各地で現在20カ所の「日本財団在宅看護センター」を開業しています。ご近所に、そんな看板がお目に留まるところが増えてゆくことを期待しています。

そして、その他のパブリックヘルス、つまり集団の健康を護る活動がありますが、その中心は、人々の健康維持、向上にかかわる人材育成と総括できると思っています。

私どもの2016年は、激しく忙しい日々ながら、働き甲斐のある一年でした。
皆さまからのご指導ご協力を心から感謝致しますと共に、来年も、一層のご交誼をお願い致します。

皆さまのご健勝とご発展、そして来る年が健やかであることを祈念致します。ありがとうございました。

[会長ブログ ― ネコの目]
Pokemon Go, Pokemon Gone ポケモンゴー, ポケモンゴーン(ポケモンは行く、ポケモンは去った)

しばらくの間、ポケモン・ゴーが、大人も含む多数者の注意を引きましたが、お試しになりましたか?

通常、BMJで通じる、英国の伝統ある医学雑誌British Medical Journal(英国医学雑誌)に、ハーバードの研究者による面白い論文が出ていました。私もその一人ですが、あなたも・・・

ゲーム「ポケモン・ゴー」は、2016年7月に発表されたスマートフォンでプレイする地域密着型ゲームです。仮想キャラクター「ポケモン」を捕まえ、段階的に難しいレベルに上がります。「ポケモン」をゲットするには、それが居そうな場所に出かけてうろつかねばなりません。実は、私が捕まえた最初の一匹?は、事務所のビルの中に居ました。

公衆衛生専門家たちは、仮想キャラクター「ポケモン」を捕まえるために、人々はそれが居そうな場所に出かけるため、実際に、人々がもっと身体を動かすのではないかと予測していました。

何でも研究の対象になるのですが、ホント、ポケモンも公衆衛生学者が料理すると・・・

ハーバード大学の研究者は、ゲーム発表後の2016年8月中、18から35歳の約1,200人のスマートフォン使用者に対してオンライン調査しました。回答者の47%は初心者向けの「トレーナーレベル」でゲームし、約2時間は歩き回ったことが判りました。ポケモンを始めた最初の1週目は毎日11分間余分に歩き(1週間で77分)、歩数は毎日955歩増だったそうです。が、この数字は世界保健機関(WHO)が勧告している健康のための週間歩行時間を150分以上に増やすことの半分でしかなく、しかも、以後5週目までに歩行数は徐々に減少し、6週目に元に戻っています。私は、途切れ途切れに1ヵ月半やりましたが、ほとんど歩行数は増えませんでした。乗り物待ちとか人との待ち合わせ時間でしたので。

つまり、研究者は、バーチャルリアリティーゲームは成人の身体活動を短時間、わずかなに増やしたが持続的ではなかったと結論付けています。

グラフの左端はゲーム前、ついで1週目以降6週までで、元に戻っている。

グラフ左端はゲーム前、ついで1週目以降6週までで元に戻っている