[財団ブログ ― ハンセン病]
台風ヨランダから2か月 クリオンはいま

2013年11月7日夜から8日朝にかけ、瞬間最大風速90メートルにも達したという超大型台風ヨランダがフィリピンのクリオンを直撃しました。
クリオンは台風の通り道から外れることが多く、ヨランダの前にある程度の被害が出た台風は
約25年前。
その25年前の台風も、ヨランダと比較することはできない規模でした。
台風一過の8日には、クリオン療養所ならびに総合病院に多くの人がやってきました。
屋根が飛んだ、家が倒壊した、魚釣りのボートが壊れた・・・
多くの人の訴えを聞き、クナナン院長は、病院として被害状況の把握をすることとしました。
自身も被災している職員が、がれきや倒木で道がふさがれているなか、被害実態調査を始めました。
同時に療養所に家屋修繕を求めてやってくる人たちのもとに、別途ソーシャルワーカーを派遣し、
修理の必要状況を確認し、優先順位をつけていきました。回復者、そして特に被害の程度が大きい人に優先順位を置き、これまでに20家屋の簡易修繕が完了しています。
その中の1人、ヘルミディア・コンセプションさんの話です。
 両親も回復者で、私はこの島で生まれました。私もハンセン病を発症しましたが、子供に恵まれ、いまは穏やかな老後を過ごしています。子供はいま、クリオンを離れて家族と暮らしています。実は私の家は25年前の台風の際にも被害を受けたのですが、子供たちが少しずつためたお金を送ってくれたおかげで、空洞コンクリートブロックの壁を作ることができました。
 でも子供たちも、自分の子供の教育にお金がかかるので、これ以上は無理を言えません。
 11月7日、7時ごろから風が強くなってきました。私の家はコンクリートの壁なので安心だと、友達が1人避難しに来ていました。彼女は義足なので、安全な場所で台風が通り過ぎるのを待ちたいと言っていました。
 8時ごろにはものすごい風になっていました。外で木の倒れる音や、いろんなものが飛んでいく音が聞こえました。すさまじい風でした。早々に電気も通らなくなり、真っ暗な中、ただ台風が通り過ぎるのを待っていました。
 風は弱まることを知らず、吹き荒れていました。すると何時頃でしょうか。メリメリっと音がして屋根が飛ばされていったのです。恐ろしさで声も出ませんでした。すさまじい風に加え、降り注ぐ雨。雨粒が体に叩きつけますが、それから身を隠すこともできません。
 外ではいまだにいろんなものが飛ばされていますから、逃げることもできず、友達と2人
抱き合って泣きながら祈り、数時間を過ごしました。
 台風が去っていったのは、次の日の朝、7時ごろだったでしょうか。風がおさまっても
私たちは震えを抑えることができませんでした。
 台風が過ぎ去り、太陽が昇り、ようやく震えが止まったあと、クナナン院長のところに
助けを求めに行ったのです。
 療養所のソーシャルワーカーがやってきて、家の状況を見て、家屋の修繕はできる限り早くに始めたいと考えていること、修繕が可能となった場合には、私の家は早い段階で修繕を行ってくれることを聞き、どれほど安心したことか。
 それからしばらくして、笹川記念保健協力財団が緊急支援をしてくれること、その中に家屋修繕も含まれていること、私の家の屋根の修繕も行えることを聞きました。感謝しても感謝してもしつくせません。本当にありがとうございました。
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新しいトタン屋根がついた
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まだ家屋修繕を必要としている人が、多く残っています。
これからも温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
(星野)

[会長ブログ ― ネコの目]
神谷美恵子生誕100周年記念の集い

2014年1月11日、岡山市民会館での「ハンセン病者の心に寄り添い生きた医師-神谷美恵子生誕100周年記念の集い」に参加しました。国立療養所長島愛生園ならびに長濤会主催、長島愛生園入所者自治会、長島愛生園歴史館、あ岡山県、岡山市と瀬戸内市に私ども笹川記念保健協力財団が共催、さらにハンセンボランティア「ゆいの会」他7諸団体が後援した本集いには1600名がご参加、ロビーの長島愛生園歴史資料展示や神谷先生そしてハンセン病関連書籍の売り場も人の山でした。
山陽高校放送部の2女生徒の司会、藤田愛生園園長の挨拶の後、昨年、102歳をお迎えになられた弊財団名誉会長日野原重明先生の「人生の生き方の選択」と題する講演がありました。神谷、日野原両先生は同世代人ですが、直接のご面識はなく、結びつきは、一冊の哲学書でした。英仏語は申すまでもなく、ラテン、ギリシャ語に通暁され、若くして原語で古典に親しまれていた神谷先生のご翻訳にマルクス・アウレリウス・アントニヌスの「自省録」があります。ストア派哲学者でもあったこのローマ5賢帝のひとりがギリシャ語で書き遺した内省の書は、日野原先生が敬愛される近代臨床医学の先達ウイリアム・オスラーが、医学を学ぶものは日々眠る前に読むべき書があるとしてあげており、日野原先生は神谷訳を読まれたそうです。
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講演中の日野原名誉会長
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自省録
その神谷先生は、1930年代の津田英学塾在学中に訪問した多摩全生園で、ハンセン病者をケアする若いナースに感動されたこともあって医療を志し、後にこの病気に侵された人々のために働くことを天命と感じられたことは良く知られています。医学を目指された時、文部大臣を歴任した父前田多門に反対されたそうですが、それでも初志貫徹して女子医大をご卒業になられ、1957~72年の間、長島愛生園に勤務されました。
日野原先生のご講演後は、愛生園で「神谷美恵子記念がん哲学外来カフェin長島愛生園(略称愛カフェ)」を開催されている樋野興夫順天堂大学教授、長島愛生園入所者自治会石田雅男副会長と神谷先生ご令息神谷徹氏の鼎談でした。医師としての神谷先生について、石田氏は、苦脳から自殺を企てた後、「死ななかったことで、あなたは生きなければならない」と諭された。「今、こうして生きていて良かったと思うと生き方こそ、あの世の先生に一番喜んでもらえることではないか」と仰せでした。また、ご令息さまは、「母が神谷美恵子と意識したのは、ずいぶん後」とされ、ご家庭では、決して偉い人ではなく、優しい母であったとされました。どちらのお言葉からも、在りし日の先生のお姿が彷彿されました。岡山も厳しい寒さでしたが、暖かい気持ちで会館を後にしました。

[財団ブログ ― ホスピス緩和ケア]
スピリチュアルケアコース開設のご案内

高野山大学のスピリチュアルケアコース開設のご案内です。
ご興味のある方は、下記問い合わせ先へご連絡ください。
高野山大学別科スピリチュアルケアコース開設
大阪サテライトキャンパス (大阪大学中ノ島センター内)
出願期間: 平成26年2月10日~3月7日
選考:①書類審査、②志望動機書(1200字程度)、③面接
募集定員: 30名
面接日:平成26年3月16日
会場: 高野山大学大阪サテライトキャンパス
問い合わせ先:高野山大学入学願書受付係
〒648-0280和歌山県伊都郡高野町高野山385
Tel: 0736-56-2921
趣旨: 高野山大学別科スピリチュアルケアコースでは、スピリチュアルケアを苦しみの渦中にある人々に寄り添い共感的に見守る環境を提供することであると幅広く捉え、仏教・密教の教えを背景として自他のいのちのために自己を活かすことのできる智慧と技を身につけることを目標といたします。そのための具体的な取り組みとして、①仏教瞑想に起源をもつマインドフルネスを自己覚知の基盤として子育て、看取り、グリーフケアが一連の営みとして循環してゆくケアのあり方を模索すること、②心理療法の智慧と技をケアの基盤として身につけること、③日常生活におけるケア活動が非常時の災害ケアにシフトしてゆく流れを作り出して共同体のレジリエンスを高めること、④直観的で神秘的でもあるいのちの不可思議な働きを受けとめてクライアントと家族のために使いこなすことのできる包容力を養うこと、⑤卒業生が現場に立った時に人間関係の荒波を乗りこなすことのできるサバイバル能力を涵養することを目指して人材育成をしてゆきます。

[財団ブログ ― ホスピス緩和ケア]
排泄ケア研修会(2014年2月8日(土))申込延長いたしました。

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
さて、2014年2月8日(土)10:00~18:30 (懇親会17:00~18:30)
イイノホール&カンファレンスセンターにて
排泄ケア研修会
排泄ケアを通して「尊厳」を守る~エキスパートと学ぶ!排泄ケア~
参加費 1,000円
まだ、お席に余裕がございますので申し込みを1月20日(月)まで延長致します。
お申込みがまだの方は、下記URLよりお申込み下さい。

https://system.smhf.or.jp/smn/con/form.cgi

※ただし、200名に達し次第、申し込みを締め切りますのでご注意下さい。

[会長ブログ ― ネコの目]
ビッグデータ

明けましておめでとうございます。
毎年のことですが、新しい年が、より健やかで、より平和でありますようにと、いくつかの初詣した神社で祈りながら、世界は、何故、そうならないのかとも思いました。
弊笹川記念保健協力財団は、旧年にもまして、各種の活動に励みます。
いっそうのご支援とご鞭撻をこころからお願い申し上げます。
いつになく長かった年末年始のお休み、皆様は如何お過ごしでしたでしょうか?私は、数十年ぶりの中学時代の同級生夫妻と旧交を温めたり、前職看護大学の卒業生集団に襲撃されたりの間、積読していた本を斜め読みしつつ、ビッグデータ資料を渉猟しました。
大抵のノートパソコンには「intel」マークが添付されていますが、この世界第一位半導体メーカー「インテル(Intel=Integrated Electronics)」のHPに、「革新的テクノロジーの登場により、企業の IT 部門はビッグデータ分析で、ビジネスに関わる、非常に高度な知見・洞察を導き出すことが可能になり、競争力の大幅な強化に貢献できるようになった。」とあります。また、知恵蔵2013には、ビッグデータとは、「インターネットの普及や、コンピューターの処理速度の向上などに伴い生成される、大容量のデジタルデータを指す。」とあります。
ビッグデータとは、通常、収集・取捨選択・管理および許容時間内のデータ処理に使用される一般的ソフトウェアツールの能力を超えたサイズのデータ集合で、2012年現在、単一データ集合ですら、数十テラバイトから数ペタバイトという途方もない規模に到っているそうです。つまり、ビッグデータとは、私どもが、入手可能なデータベース管理ツールやデータ処理アプリケーションでは対処できない巨大かつ複雑さなので、個人的には、特に私は「ヘェーッ」でおしまい、あまり食指が動く対象でもありません。しかし、この活用で、ビジネスや研究の方向や品質決定だけでなく、疾病予防にも使える・・のです。事実、過去数カ月のメディアでも、いくつかビッグデータがらみの記事1,2,3,4が出ていました。意識するとしないに関わらず、私たちは各種の調査に関わっており、一方、いわゆる個人情報ではありませんが、他の人々からの情報を無意識に使用する時代に生きているのだと思いました。
記事1: 飲む・貼る病気センサー東芝などデーター活用
記事2: 住民向け健康調査施設 東北大、ビッグデータ構築 
記事3: ビッグデータで予防医療 健診・運動履歴を分析 総務・厚労省 2014年度から
記事4: 日立製作所、ビッグデータで糖尿病予防 英医療機関とシステム  

[財団ブログ ― ハンセン病]
Renewing Commitment to a World without Leprosy

As 2013 draws to a close, we’d like to recall an important event that took place in July. That month, a three-day International Leprosy Summit was held in Bangkok, Thailand.
Jointly sponsored by the WHO and The Nippon Foundation, the summit brought together health ministers and health ministry officials from 17 countries that report more than 1,000 new cases of leprosy each year, as well as representatives of the WHO, NGOs and people affected by leprosy. The goal of the summit was to secure renewed political commitment to leprosy control at a time when efforts to tackle the disease appear to have lost momentum.
Thanks to the widespread implementation of multidrug therapy and other leprosy prevention and control approaches implemented over the past 25 years, great strides have been made in reducing the global burden of leprosy in the world. Yet the ongoing occurrence of new cases and the continued existence of hyper-endemic areas of the disease within countries has contributed to the stagnation of leprosy control in recent years.
Added to this has been a growing sense of complacency that comes from seeing leprosy problems as relatively small, resulting in reduced political commitment and relegated priority for leprosy control, as well as decreased resources for dealing effectively with the disease.
These and other points were noted by the ministers of health in the “Bangkok Declaration towards a Leprosy-free World,” which they endorsed with relevant stakeholders and the WHO on July 24, 2013.
In reaffirming their commitment to achieve a leprosy-free world, the participants urged governments to take various actions and pursue specific goals. These include:
- apply special focus on high-endemic geographic areas within countries through vigorous and innovative approaches towards timely case detection and treatment completion aiming to achieve leprosy elimination as a public health problem (a prevalence rate of less than 1 case per 10,000 population) at sub-national levels;
- achieve the global target of reducing the occurrence of new cases with visible deformity (grade 2 disability) to less than one case per million population by the year 2020;
- prevent occurrence of disability through early detection as well as limiting disabilities among already disabled persons;
- involve communities and forums of persons affected by leprosy in the process of strategy formulation and implementation of leprosy care, including physical, social and economic rehabilitation and social integration, as per WHO guidelines; and
- monitor the progress toward attainment of targets through a mechanism at the national level with technical support from the WHO and other relevant partners.
The Bangkok Declaration is a clear statement of intent. In years to come, we hope to look back on it as representing an important milestone on the road to a world without leprosy and its consequences.
See the full text of the Bangkok Declaration here.

[会長ブログ ― ネコの目]
さよなら2013

また、1年が去ってゆきます。私事、
東京に戻り、新しい職場笹川記念保健協力財団の新しい仲間とともに、これまでの財団活動とさらに新しい取り組みに追われた9カ月が済みました。
責任ある仕事は楽しいというよりは、むしろ苦しく気が重いことも多いものです。ただ、仕事を通じての人々と社会と繋がっていること、仕事の向こうに見える成果や学びから、充実感を得ること、それが仕事甲斐であり生甲斐であるのだと、少々遅ればせながら、やっと判ったような気がする年でした。
皆様のご交誼を心から感謝し、来る年が、
皆様にとって、健やかで、穏やかで、生甲斐のあるものでありますように、そして
次世代に、少しでもよい未来を贈れますように念じて、この年の最後のブログとさせて頂きます。ありがとうございました。

[財団ブログ ― ハンセン病]
フィリピン クリオン島の復興活動状況~家屋修繕計画

クリオンには現在600名のハンセン病の回復者とハンセン病患者の方がいますが、中でも、現在も治療中、または、補助を受けている方々は160名です。台風で家屋に被害を受けた72家族の内、21戸が特に深刻な被害を受けており、まずは、この21戸の修繕から、修繕用の資材の確保を始めています。
ただし、この21戸の住民のうち、たとえ資材があっても、障がいがあったり、修繕をしてくれる家族がいなかったりと、自力での修繕が難しい方々もおり、そのための人力の確保も必要となっています。

被災した家屋

屋根が吹き飛ばされてしまった
一戸の家屋の修繕にかかる費用は、その家屋によって大体5万円~15万円です。
年内にも、まずはこの21戸の家屋の修繕を完成させられればというところです。
ある女性はこう語りました。”The moon is now our light. Having no roof over our heads, we see the moon and stars when we go to sleep, and the sun when we wake up.” ~今は月が私たちの電燈の代わり。屋根がないので、夜、休む時には月と星を見て、朝、目覚めると太陽が見える~
“Many stories, many tears but big hope.” ~それぞれの物語り、たくさんの涙、でも希望がある~
雨が降らないことを祈りつつ生活する人々の姿があります。

[財団ブログ ― ハンセン病]
コロンビア アグア・デ・ディオスの歴史を語る

南米コロンビアにある2つの療養所の1つであるアグア・デ・ディオスの滞在も
いよいよ明日までとなりました。
クリスマスの9日前から始まるそうですが、毎朝5時と7時にそれぞれ15分から30分
教会から恐ろしい音量でクリスマスキャロルが流れてきます。
クリスマスキャロルも陽気で南米的です。
また昨日、コロンビアを代表する非常に有名な歌手が急死したということで
町中をこの歌手の歌う陽気な音楽が流れています。
さてこのアグア・デ・ディオス、人口は約13,000人の小さな市ですが、
実は市の中心地に4つもミュージアムがあります。
一つは回復者のハイメ・モリーナ・ギャルソンさんを中心としてハンセン病啓発活動や
回復者の支援などを行う団体Corsohansen(コルソハンセン)ミュージアム。
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もう一つは療養所の中にあるハンセン病医療ミュージアム。
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もう一つはアグア・デ・ディオスで住民のための活動を続け、カソリックの「福者」と認められた、修道院の中にあるルイス・ヴァリアラ神父ミュージアム。
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最後はコロンビアの著名な作曲家でアグア・デ・ディオスに入所したルイス・L. A. カルヴォ ミュージアム。
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それぞれのミュージアムが、この歴史を大切に思う人たちによって作られたことが
よく分かる、温かみのあるミュージアムです。
4つもミュージアムがあることからも分かるとおり、この町には、
歴史を残していかなくてはならない、それもただ悲惨な歴史ではなく、
その中にきらめくものがあったこと、そしてそれが現在につながっていることを
残したいと思っている人が何人もいます。
その中の一人、両親がハンセン病にかかっていた第2世代の
アンヘル・マリア・ククニャメ。エチェヴェリさんの言葉です。
「ハンセン病の問題はなくなったか?とんでもありません。
今でもアグア・デ・ディオスに住んでいるというだけで、白い目で見られることも
あります。
でも、ハンセン病が今よりももっと恐ろしい病気だと思われていた時代がありました。
その時代には、私たち、一人ひとりが罪を犯していたと思うのです。
医療従事者は、患者を使って人体実験に近いことをやった。
宗教関係者は、乳児院や幼児院で養育する子供の数で、政府からの補助金が出るため
家の中を捜索して無理矢理に乳児を親から引き離して連れ去ることもした。
警察は、医師がハンセン病と診断した人を、そのまま家族のもとから引き離し
療養所に収容するなど、人権を踏みにじった。
そして社会は、これが起こることを容認していた。
私はそのことを忘れたくないのです。
でもそれだけではありません。
罪をとがめるだけでは、前には進めません。
この歴史から何を学んだのか。そしてこの歴史から何を作るあげられるのか。
それは私たちにかかっていると思いませんか?
私は長い歴史を持つアグア・デ・ディオスが、ハンセン病の町として覚えられるのではなく
ハンセン病の歴史も持つ町として生まれ変わることを夢見ています」
(星野)

[財団ブログ ― ハンセン病]
コロンビア ハンセン病の歴史

コロンビアで最初のハンセン病特別病院であるサン・ラザロ病院ができたのは1608年のことです。
場所はカルタヘナ。
1790年に、南米初のハンセン病療養所であるカニョ・デル・オロが同じくカルタヘナにできると
サン・ラザロ病院に入院していた人たちは、カニョ・デル・オロに移されました。
カルタヘナはカリブ海沿岸に位置するボリーバル県の首府であり、コロンビアで最も観光客の多い観光都市です。
一大観光都市にハンセン病療養所があるのはいかがなものか、と考えた政府は
カニョ・デル・オロを閉鎖することにしました。
時は1950年。
1790年にはサン・ラザロからカニョ・デル・オロへ、
そして1950年にはカニョ・デル・オロから
現在も残るコロンビアの療養所であるコントラタシオンとアグア・デ・ディオスへと
入所者は移送されました。
カニョ・デル・オロは閉鎖直後、「汚染」を避けるために、爆撃されました。
現在でも旧療養所には、爆撃され、崩れ落ちた建物の残骸が放置されたままです。
カニョ・デル・オロからアグア・デ・ディオスに移り住んだ人たちはすでに亡くなったそうですが、その子孫から話を聞いたものがいくつか残されているそうです。
ここコロンビアには、胸のざわめくような記録や記憶が多く残されています。
が、多くは外に開かれていません。
これをどうやって外の世界からアクセスできるようにするのか、
大きなチャレンジです。
(星野)