[活動レポート]
ヘルシー・ソサエティー賞を受賞しました

3月13日、第15回「ヘルシー・ソサエティー賞」授賞式が東京都千代田区のパレスホテル東京にて晴れがましく盛大に執り行われました。
授賞式には皇太子殿下、同妃殿下のご臨席のもと600名以上が参列しました。
5部門5名の授賞が行われ、会長喜多は教育者部門で授賞しました。

壇上に上がる会長喜多悦子

ヘルシー・ソサエティー賞は健康な社会と地域社会、そして国民のクオリティ・オブ・ライフの向上に貢献した人々を称える目的で、ジョンソン・エンド・ジョンソンと日本看護協会によって平成16年に創設された賞です。

会長喜多は長年の国際医療保健経験を日本の地域医療に還元し、地域保健の中核となる看護専門家の育成に取り組んできたことが評価され今回の受賞に至りました。

授賞式には「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業の1期生5名が各地より駆けつけてくださいました。

1期生5名

談笑を楽しむ

喜多は国際支援をしていた際に、病院も医師もいない紛争地で看護師が人々の健康を守っている姿を目にしました。そこにいた看護師は、日本の看護師のような高度な教育は受けてはいませんでしたが、そのような人がいると、その地域の人々の健康状態が違うこと、安心感があることを実感していました。

帰国後、日本赤十字九州国際看護大学の学長になり、看護教育を行う上で、日本における過疎化、高齢化といった様々な問題は、看護の力で変えられると思う一方、発展途上国の看護師に比べ、高度な教育を受けているにも関わらず、日本の看護がうまく活用されていないというもどかしさを感じていました。

そんな時、笹川記念保健協力財団で働く機会を得たことで、看護師の力で社会を変えたい想いは日本財団の資金提供を受け、現在の看護師の自立を図る活動が実現しています。

スピーチの最後には、今回の授賞は、8ヶ月の研修を受け全国で起業をしている修了生と、恵まれない地域で頑張っている世界の看護師達へエールとして頂いたと述べました。

日本財団笹川会長

旧知のメンバーに再開

▼スピーチ本文

本日、皇太子殿下、妃殿下がお揃いのところで、この晴れの賞を頂きましたことを大変光栄に存じます。

私はご紹介頂きましたように小児科医から国際に入りました。わが国初の紛争地支援ということでアフガンに行ったことがきっかけになって、たくさんの紛争地で働きました。そういう所では病院はありません。医師はいません。しかし人は生まれ育ちます。

そういうところで人々の健康を誰が守っているかと言いますと看護師でした。しかし日本の看護師のように、きちっと教育を受けている人はほとんどいないわけですけども、脈が取れる、足に浮腫があるということがわかる人が一人でもいるだけでその地域の健康状態は違いました。

そのようなことから、看護師の力ということに目覚めた訳で、その後看護教育に入りました。日本の地域をその時に、調べてみますと、もうすでに過疎化、高齢化が始まっていて、人々が健康について心配しているというのは実は途上国と似たり寄ったりだと気づきました。それで是非看護師の力を使って地域の健康を守りたいという風に考えましたけれども、看護大学の在学中はその余力がございませんでした。

そしてその終わりの頃に、今の、笹川記念保健協力財団に招いていただきまして、今のような看護師の力で地域をなんとかしたいという考えを述べました所、親財団である日本財団から資金の提供を受けまして、8ヶ月の在宅看護センター起業家育成事業と言うコースをはじめました。

今日もその仲間が5人来てくれていますけれども、8ヶ月の研修の後、日本財団在宅看護センターという名において開業している者は今50カ所程あります。4年間でございます。

日本財団在宅看護センターは、多職間連携を進め、地域の人々を守ることができると思います。日本の保健医療は規則がたくさんございまして、中々看護師は自立し難い状態にございます。すこーしそれを緩めて看護師の自立を進めることが、日本の地域の医療を楽にすることであろうと思っております。

今回のこの栄誉はその仲間達そして世界の恵まれないところで頑張っている看護師達へのエールとして頂いたと思っております。
本日はありがとうございました。

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[活動レポート ― ハンセン病]
エチオピアで初等教育支援を行いました

エチオピアは2000年に国レベルでハンセン病の制圧を達成しているものの、この10年は毎年3000~4000人程度の新たな患者が出ており、世界でも5,6番目にハンセン病患者の多い国です。まだまだエチオピアではハンセン病当事者に対する偏見や差別も根強く残っており、多くの患者・回復者が仕事に就けず、貧困状況にあります。
また、エチオピアは世界の国々と比べても識字率が最近でも49%と低く、国民の半数以上が読み書きができません。エチオピアでは6歳から13歳までの義務教育期間は、学校の授業料は無料なのですが、文房具や制服などの諸費用が発生するために、特にハンセン病患者・回復者たちのような貧困家庭では、親たちはそのような費用を捻出することができず、子どもたちを学校に通わせることができません。よって子どもたちは学校に行けずに貧しい家計を支えるために、農作業、子守り、水汲み、料理といった家事手伝いに追われています。そのような子供たちは、大人になってからも、教育を受けていないがゆえに職に就くことができず、貧困から抜け出せません。そしてまたその子どもたちも貧困となり、負の連鎖が続く状況にあります。

このような状況を踏まえて、当財団は2017年9月から2018年8月にエチオピアの4州、1特別自治区の16の村の合計366名の小中高生(1年生~12年生)に対して、文房具、問題集、学校登録料、靴、制服をエチオピアのハンセン病回復者団体であるENAPAL(エナパル)(注1)を通して支給しました。加えて各村で3名の優秀な学生に参考書を贈呈しました。

あたらしい制服を着る子供たち

孫の文房具を受け取る祖父

注1:ENAPAL(エナパル)は、1996年に設立され、ハンセン病患者や回復者の諸権利の保護、社会に対する啓発活動、社会的・経済的自立の支援を主目的として精力的な活動を続けています。現在は7地域に66の定着村支部を持ち、15,000人を超える会員を有する全国組織となっています。ENAPALは、当事者によるハンセン病サービスの積極的参加を促す活動においても世界的にもモデル的な活動を見せています。

[活動レポート ― ハンセン病]
インドネシアでハンセン病回復者の子どもたちに教育支援を行っています

インドネシアは2000年に国レベルでハンセン病の制圧(人口1万人当たり患者数が1人未満となること)を達成しているものの、毎年約1万7千人の新たな患者が出ており、世界で3番目にハンセン病患者の多い国です。この国では、ハンセン病回復者の多くは一般社会で暮らしているものの、社会における差別や偏見は依然として根強く、回復者とその子どもたちの多くは、教育を十分に受けられないことから職に就けず、貧困から抜け出すことができません。
インドネシアでは、公立の小・中学校へは無料で行けるのですが制服や文房具などの支給はありません。そのため、貧しさゆえに必要な物が買えず、多くのハンセン病回復者の子どもたちは継続して学校へ行くことができません。

奨学金を受けた中学生の男の子とその母親です。

奨学金を受けた中学生の男の子とその母親です。

このような状況を踏まえて、当財団は、2017年から2019年の2年間かけてインドネシアの東ジャワ州、南スラウェシ州、南スマトラ州、東ヌサ・トゥンガラ州の4州で合計314名の小中学生への教育支援を現地の回復者支援団体であるPerMaTa(ペルマータ)(注)1を通して行っています。具体的には、学校で必要な物品を購入するために290名の小学生に一人当たり100万ルピア(日本円で約7,500円)を、24名の中学生に150万ルピア(日本円で約11,300円)の奨学金をPermataの4州26支部を通して付与しています。
これまでの1年間で小学生140名、中学生10名の合計150名への奨学金が支給され、その生徒たちの名簿が送られてきました。今回支援を受けた子供たちは、学校で使用する物が買えるようになり、積極的に継続して学校へ行くことが出来るようになりました。

奨学金を受けた小学生とその両親と祖父です

奨学金を受けた小学生の両親と祖父です

ただし、インドネシアは広く、そしてハンセン病患者・回復者が数多いため、まだまだハンセン病患者・回復者の子どもたちへの支援が行き届いているわけではありません。今後1年間でさらに小学生150名、中学生14名へ奨学金が支給される予定です。

注1:回復者支援団体PerMaTa(ペルマータ):Perhimpunan Mandiri Kustaは、2007 年2月に広大な国土に住む回復者とその家族の連携と団結のプラットフォームとして誕生し、現在東ジャワ州、南スラウェシ州、南スマトラ州、東ヌサ・トゥンガラ州の4州において総勢3,700名のメンバーを擁するまでに拡大してきました。昨今は新リーダーシップの下で新たに政府と連携した活動を行ったり、活動地を拡げる試みがなされたりしています

[活動レポート ― 在宅看護センター]
在宅の仲間12 産業の街、学術の街に在宅看護を!!  日本財団在宅看護センター 「在宅看護センター北九州」

Image-45法人名:一般社団法人 在宅看護センター北九州
事業所名:訪問看護・リハビリステーション 在宅看護センター北九州
所在地:福岡県北九州市若松区小敷ひびきの3丁目4-13クレイントータス102

HP:https://nurse-kitakyu.com/

E-mail:vn-ss@nurse-kitakyu.com
電話:093-742-6006(事業所固定)
090-8568-0035(代表会社携帯)
FAX: 093-742-6036
開業:2018年6月1日
代表理事:坂下 聡美  研修4期生

「真剣になることと深刻になることは違う・・・」
2018年6月――間もなく1年前になりますが、北九州学術研究都市「学研ひびきの(北九州市若松区)」に「在宅看護センター北九州」を開設しました。 それから半年が過ぎ、年が改まって、やっと、ふと目を閉じると、慌ただしい中に何かやっと小さな軌跡を感じられる日々となりました。

法人設立、挨拶回り、営業活動、人材リクルートそしてこれというスタッフを確保する。何もかも初めての、今までしたことも、考えたこともない仕事の数々でした。やっと開業。しかし、月末近く、毎月の収支計算のときには、不安と焦りと、そしてちょっと期待が交錯します。「本当に、これでいいのだろうか?大丈夫か?」「経営するということはこういうことなのかな・・・」一日を終えて布団に臥すと、このような思いが頭の中をぐるぐると飛び交う日々、今も。

坂下さん

不意に沸く不安、暗い気持ち・・・ そんな時、私は、あの希望に満ち溢れていた「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」第4期生の門をくぐった頃を思い出します。

初めての東京暮らしも興奮させられましたが、何よりも触れるほどすぐ傍で、本当に、あの先生がここにおいでなる!! 私たちのために講義下さっている・・・夢かとも思う日々、高名な先生方が、ご研究ご経験のすべてを凝集された、言葉にはあらわせないほど、濃密な講義をして下さいました。そして、先輩の苦労の現場を実感させられる実務研修、厳しい課題や宿題もありましたが、本当に、充実した、夢のような8か月間でした。人生最大の貴重な経験でした。それが、今もワタシを支えています。
会議

「あの頃の自分と今では、一体、何が違うのだろうか。」
研修の終盤には、事業計画書や事業モデルをもとに、5年、10年後をも考えました。しかし、現実は全く予測とは異なります。判っているようで、見つからない答え・・・「ジグソーパズル」で、当てはまるパーツの納まり処が何となく判っている場合と見当もつかない場合のような。「これは、絶対必要だ。けど、どうすれば・・・見当がつかない・・・」 膨大なパーツはある。けど、たったひとつ、当てはまるものを探すのが至難の業でした。当てはまらないパーツを無理に押し込もうとすると、やっぱり何だか変・・・当たり前ですが。一からやり直し。再度、膨大なパーツと「にらめっこ」が続きます。

今、私たちは、「在宅看護」を拓き、「在宅看護センター」というジグソーパズルを、ここ北九州市若松地区でつくりつつあります。縦横平面ではなく、立体的なマトリクスのジグソーパズルです。髙さや奥行、そして時間という軸もある複雑で、困難で、しかし挑戦するに値する価値あるジグソーパズルです。
北九州市について
北九州

私たちの本拠がある北九州市について、少し説明します。
北九州といえば、何を想われますか?
1963(昭和38)年、5つの市(門司・小倉・戸畑・八幡・若松)が合併して誕生した政令指定都市で、四大工業地帯(京浜、中京、阪神、北九州)の一翼でもありました。九州北部には、有数の炭鉱をありましたが、1901(明治34)年に、官営八幡製鉄所が設置されて以降、北九州は、日本の近代化を支えました。第二次世界大戦後も、鉄鋼・金属など重工業を中心に、高度経済成長の原動力でした。しかし、産業構造の変化に伴い、日本の近代化を支えたこれらの古典的重工業に代わり、現在は自動車、ロボットなど近代産業とともに、かつての環境汚染の経験をばねに生まれたエコ産業が売りでもあります。現在の人口は約95万人で、全国13番目、九州地方では福岡市に次ぐ規模ですが、人口減少と高齢化・・・は進んでいます。

続いて、地元若松区です。
北九州市若松区東部には、大正時代の近代港湾都市の姿を肌で感じられる旧市内が、洞海湾に沿って広がり、かつて日本一の石炭積出港として栄えた歴史を伝えています。その洞海湾は、かつて死の海とよばれるほどの汚染を経験しましたが、今はその昔の美しい海を取り戻しています。しかし、当地区の高齢化率は30%を超え、そして人口流失が激しいのです。

他方、若松区西部は、豊かな自然環境や都市環境を活かし、大規模で良好な住宅供給が続いています。先端技術の教育・研究機関(九州工業大学大学院・早稲田大学大学院など)との連携も進み、北九州学術研究都市「学研ひびきの」が整備されています。そして、近隣の産業医科大学とともに、豊かな未来を築くための知的基盤(教育インフラ)の発展が期待されています。いま、若松区は、人・自然・産業が共存する街へ大きく生まれ変わろうとしています。

密接なボートレース場について  
テーブル
「在宅看護センター北九州」の活動エリア内に、ボートレース若松とボートレース芦屋があります。両ボートレース場は、全国24ヶ所のボートレース場のうち、本場間の直線距離がたった約10kmの近い位置にあります。そして、われらが「日本財団在宅看護センター北九州」は、その真ん中にあって、ボートレース場は身近なご近所さまなのです。日本財団や笹川記念保健協力財団の助成を受けた施設として、その社会的役割を十分に発揮して参りたいと思います。

スタッフ、人材について
スタッフ
訪問看護経験の豊かなスタッフら看護師6名  (うち非常勤2名)、理学療法士1名 事務2名計9名体制で活動しています。

産業医科大学付属病院、北九州市療育センター、北九州各区医師会などのご指導ご協力を得ながら、神経内科(認知症・神経難病)や精神科との連携の下、ターミナル期の利用者や医療的ケアの必要な子どもたちの支援が主な活動です。

 

「いかに質の高い看護を持続的に提供し続けていくのか。」

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このことについては、常にスタッフ間で議論します。
関係機関の皆さまの信頼を確保し、連携を強化するためには、私達が、常によりレベルの高い看護を目指してゆかねばなりません。

もう一つの課題は人材確保と育成です。
地域の看護師等の「再活」支援を中心とするretraining center活動にも取り組んでまいります。

ご自宅で最期をとの希望に必ずしも応えられていないことは低い自宅看取り率が示しています。高齢化が著しく進展しているにもかかわらず、地域主体の在宅/訪問看護に従事する看護師の数は増えているとは云いながらも微々たるものです。人材確保と育成は、いつも頭の中にあり、常に頭を悩ましている問題でもあります。

未来に向けて
開所から4カ月、スタッフの努力と関係者のご支援により、目標とする月訪問件数を達成できました。私たちは、地域社会という静かな水面に、在宅看護という小石を投げたような気がしています。水面に拡がる同心円状の波動が美しい模様を広げています。

「高ぶる意識をさらに高め、それを如何に広く伝えていくべきか。」
社会の潜在的な看護力を呼び起し、相互に意識を高めあい、社会問題に取り組んでいく・・・・。このことは、きっと「看護師が社会を変える」という、研修事業の目標に繋がると信じています。

喜多先生と

[活動レポート ― ハンセン病]
インドのハンセン病コロニーでワークキャンプが実施されています

インドは2005年に国レベルでハンセン病の制圧(人口1万人当たり患者数が1人未満となること)を達成しているものの、毎年12万人強の新たな患者が出ており、世界で1番ハンセン病患者の多い国です。現在では世界全体で新規患者数が21万人なのでその半分強がインドから出ているのです。
そのインドで、2011年から日本人学生によるハンセン病コロニーでのワークキャンプ(注1)が「わぴねす」(注2)によって実施されています。当財団はこのワークキャンプを開始時から支援しています。

家屋修理前(雨漏りを防ぐために拾ってきたビニール袋や古着で凌いでいました)

家屋修理前

今年度は、インドウエストベンガル州バンクラ県ビシュナプールハンセン病コロニーで、老朽化によって倒壊の恐れやひどい雨漏りにさらされていた8家庭の家屋の修繕のために日本人学生ボランティアキャンパー9名によるワークキャンプが9月に実施されました。(雨漏りを防ぐために拾ってきたビニール袋や古着で凌いでいました)

このワークキャンプでは、修繕後でもコロニーの人々に家屋を大切に扱ってもらうために、全ての工程を外部から雇用したプロのワーカーにやってもらうのではなく、その家屋に在住する家族を中心としたコロニーの人々と日本人学生ボランティアキャンパーとで協力して行われました。その結果、コロニーの人々が家屋を「無償で修繕してもらった家屋」ではなく「キャンプ参加者と共に自らが修繕した家屋」と意識するようになり、今後はできるだけ大切に扱い、長持ちさせようという維持管理の気持ちが芽生えるようになりました。また、コロニーの人々が修繕工程に参加することにより、小さな修繕が必要になった際の修繕方法をキャンパーから伝授され、簡単な修繕ができるようになりました。

屋根の張替え中(キャンパーとコロニーの若者)

修繕後(新たに設置されたトタン屋根の外観からの様子)

今年度は「わぴねす」によってインドのボルドワン県チャクドラコロニーとプルリア県マニプールコロニーでのインフラ整備ワークキャンプが2019年2月、3月に実施される予定です。

注1:ボランティアがハンセン病定着村に数週間暮らしながら(キャンプ)、村の清掃活動や道路整備などの環境改善活動(ワーク)を行うことをワークキャンプといいます。
注2:わぴねす:https://wappiness.org/
「わぴねす」の前身であるワークキャンプ運営団体「Namaste!」は2011年よりウェストベンガル州ビシュナプール定着村においてワークキャンプを開始し、2013年からは同州マニプール定着村でもワークキャンプを開始しました。2016年にはNPO法人「わぴねす」となり、ワークキャンプも主要事業の一つとして継続しています。2016年からはマニプール定着村とビシュナプール定着村の両村において日本人学生と定着村の村人との共同ワークキャンプを実施し、井戸やハンドポンプの設置や家屋の修繕、ゴミ集積所の整備などを行ってきています。今年度はインド人の大学生も参加出来るように積極的にインド国内の大学にてワークキャンプに関してPRしています。

[活動レポート ― ホスピス緩和ケア]
語りつくそう!理想のホスピス医にとって大切なこと~第14回ホスピスドクター研修ネットワーク情報交換会開催

2019年2月9日、笹川記念保健協力財団の支援で、ホスピス・緩和ケアを研修された29名のドクターが、北は北海道、南は九州 熊本県から参集下さいました。小雪の舞う寒い一日、熱い議論が交わされました。

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ホスピス・緩和ケアドクター研修は、2001年、この分野の医師の拡充を目指し、当財団が開始したもので、既に緩和ケア専門医資格を有される指導医の指導の下、1年間の実践研修ができるコースで、これまでに計110名が研修を修了され、全国各地でご活躍です。
当初、100名を目指して始まった本研修は、すでにその目的を達したこともあり、財団では、ひとまず現行の研修プログラムは2018年度で終了させていただきます。

今回のような研修受講生とそのご指導に当たられた先生方の情報交換会は、財団事業とは別個の位置づけであり、今後、関係者各位がどのように継続をお考えになるかにより、財団のかかわりも変わってまります。今回、修了生110名中30%に近い方々のご参集を得たことは、財団としても、次を考える良い機会となりました。

この、いわば研修OBOG医の集まりは、先生方の自発的な活動として続けられてまいりました。財団は、事務局としてお手伝いの立場ですが、研修に関し、また、各地各所の現場での気づきや新たな知見を共有し、真にホスピス緩和ケアの専門医を目指された原点に立ち返えられる機会を拝見させていただいておりました。

今回は、午前中は聖路加国際病院緩和ケア病棟を見学、ご担当の林章敏先生をはじめ、関連の諸先生方とスタッフの方々と交流させていただきました。ご承知のことですが、聖路加病院には、チャペルはじめ、歴史的スポットがございます。そのいくつかをめぐりました。また診察室、病棟とも眺めが良く明るい雰囲気に加え、ストレッチャーのまま屋外に出られるテラスでは、木々や季節の花、青空を楽しめる構造で、病院全体の緩和ケアムードを感じました。

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午後は、東京駅近くの会場で、例年通り、参加者の近況を報告、今年度研修中の4名の中間報告に続き、「語りつくそう!理想のホスピス医~ホスピス医にとって大切なこと~」をテーマに、グループディスカッションが行われました。

大変活発な質疑応答が続き、時間切れもありましたが、日々の疑問や気づきにつき、喧々諤々でした。研修支援が終わることもあって、参加者全員の緩和ケアに対する篤い思いを確認する機会となりました。修了後は、小時間の交流会となりましたが、議論が続きました。

今回、そしてこれまでご指導、ご尽力下さいました関係者の皆様、研修に関与いただきました先生方に深甚の謝意を申し上げます。

[活動レポート]
在宅看護と災害に関する研修会を行いました

2月23日(土)渋谷の看護協会ビルにて「在宅看護と災害」の研修会が行われました。
講義①では笹川記念保健協力財団 会長喜多悦子より災害には自然災害と人為災害があること、また、国が異なると災害が異なる等、グローバルな視点から災害とは何かの概論説明がありました。

笹川記念保健協力財団 会長喜多悦子

会場の様子

講義②では神戸常盤大学の畑吉節未先生より「在宅の特性を踏まえた訪問看護ステーションの備えをデザインする」というテーマのもと、災害時に在宅療養者が直面するリスクから平時の備えを考えるという、災害時在宅看護の概念の講義がありました。

会場の様子

神戸常盤大学 畑吉節未先生

講義③では熊本地震時に訪問看護ステーションの管理者をしていた訪問看護ステーション清雅苑の管理者 木村浩美様より、実体験をもとにした講義がありました。災害直後、子供の学校が休みで職員が仕事に出られないといった問題から、災害直後に在宅看護実習の受け入れをしていた大学の学生にボランティアの要請をしたところ述べ110人の学生が手伝いに来てくれて助かったなど、経験をもとにした有益な情報の共有をしていただきました。

訪問看護ステーション清雅苑の管理者 木村浩美様

昨年の広島・岡山での水害で笹川記念保健協力財団は初めて、被災された在宅/訪問看護センターへの支援をさせていただきました。
講義④ではその支援先であるそーる訪問看護ステーションの理事長 片岡奈津子氏より、発災前後のステーションの様子を時間ごとに説明がされました。また訪問看護師として避難先を訪問しながら高齢者のケアを提供する中で見えてきた、支援される側、支援する側の課題解決で行政との連携の重要性が説かれました。

会場の様子

そーる訪問看護ステーションの理事長 片岡奈津子氏

最終講義では、厚生労働省健康局健康課長の武井貞治氏より、災害時健康危機管理支援チーム DHEAT(Disaster Health Emergency Assistance Team)の概況説明がありました。
DHEATとは災害時に陥る指揮調整部門の機能不全に対して、専門的研修・訓練を受けた職員により組織された組織で、被災自治体による災害時の指揮調整を補佐していく役割を担っていると説明がされました。

厚生労働省健康局健康課長 武井貞治氏

会場の様子

研修会の最後に、日本看護協会 会長 福井トシ子氏より、病院から在宅へ看護を提供していく時代になっていると在宅看護の重要性を述べた上で、在宅看護と災害に特化した研修会は珍しく貴重な会であったと評価を頂きました。

日本看護協会会長 福井トシ子

[活動レポート ― ハンセン病]
ネパールの貧しい村での栄養教育を支援しました

ネパールは2009年に国レベルではハンセン病の制圧は達成しているものの、いまだに毎年3000人強の新規患者が出ています。(世界で6番目に多い)特にネパール南部のインドとの国境地帯の多くは郡レベルでは制圧が達成されていません。免疫力はハンセン病の発症に関わる要因の一つですが、その免疫力は、人々の栄養状態に大きく左右されます。そのため、ネパール国内のハンセン病基幹病院の1つであるNLTラルガーハンセン病病院&サービスセンター(注1)から、ハンセン病蔓延地の中でも特に栄養状態が低いとされる2地域においてハンセン病の発症と拡がりを抑えるために、栄養教育プログラムを実施したいとの要請があり、当財団は、2017年8月から2018年7月の期間でこのNLTを通して支援を実施いたしました。

各家庭で野菜が栽培されるようになりました

ラジコール村でのセミナーの様子      

対象地は、Dalits(ダリッツ)と呼ばれるカースト制度の最下層民が総人口の90%を占めるネパールマホトリ郡のRajkhor(ラジコール)村とサラヒ郡のKhoriya(コリヤ)村で、生まれながらに土地をもつことが許されず、多くの人が季節労働により収入を得ているような貧しい生活を送っている地域です。この地域は各家庭にトイレも殆どなく衛生状態は劣悪な状況でした。また、女性の地位は低く、若年での婚姻・出産が多く、それが低栄養児の出産の主な原因となっており、今回の栄養教育プログラムを実施する前は、この地域では5歳以下の子どもの58%が低栄養状態でした。

低栄養児には栄養補給のオートミールが配給されました

低栄養児には栄養補給のオートミールが配給されました

そこで、①妊婦、母親、子供が健康を保つために栄養の重要性を認識させること、②妊婦と母親に保健所で産前産後ケアを受けるように教育すること、③栄養・衛生教育グループを設立して家庭菜園やトイレを各家庭に設置するように推奨すること、を目的に本事業は実施されました。その結果、2村で合計18回の栄養・保健教育セミナー(幼児の栄養・妊婦の栄養・適切な調理・適切な食品保存・衛生・定期的駆虫・予防接種・家族計画、家庭菜園)が実施され、130名が受講しました。また、11の家庭菜園支援、低栄養7人の子供支援、90家族への衛生キットの配布、2つの共同給水所(手漕ぎ井戸)の補修、83の簡易トイレ設置支援も同時に行われました。

子どもがいる家庭には衛生キットが配給されました

衛生キットの中身(石鹸、歯ブラシセット、爪切り、耳かき、舌汚れクリーナー)

この栄養プログラムのおかげで、多くの母親たちが栄養や健康に関してめざましく意識が高まり、二つの村の全ての妊婦が産前産後ケアを受けるようになりました。また、全ての子供たちが学校で予防接種を確実に受けられるようになりました。そして、母親からその子供たちまで将来的にも適切な栄養と衛生状態を保ち健康を維持することが可能となりました。

栄養教育を受けた母親から生まれた赤ちゃんたち

栄養教育を受けた母親から生まれた赤ちゃんたち

注1:NLTは1972年に設立され、ネパール中部カトマンズ及びジャナクプール県の4郡(Dhanusha, Mahottari, Sarlahi, Sinduli,)において政府との合意の下でハンセン病対策活動への協力を行うと共に、回復者の社会的経済的自立を促進する活動を行っています。特にジャナクプール県では、ラルガーハンセン病サービスセンター(Lalgadh Leprosy Service Center: LLSC)を1992年に開設しました(現在名は、ラルガーハンセン病病院&サービスセンターLalgadh Leprosy Hospital and Services Centre)。同地域は、インド国境(ビハール州)に隣接する南東タライ地域に位置し、インド人の流入の影響も受けて未だネパールで最も新患率の高い地域の一つで、当該病院・サービスセンターは同地域のハンセン病制圧活動やハンセン病回復者支援に主要な役割を果たすと共に、地域の保健医療を支える総合病院としても重要な役割を果たしています。

[活動レポート ― 在宅看護センター]
「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業 5期生の修了式を行いました

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▲笹川会長、喜多会長、5期生

2019年1月25日「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業 5期生17名の修了式が晴れがましく行われました。式典には、日本財団の笹川会長をはじめ、日本看護協会の荒木暁子常任理事、日本訪問看護財団の清水嘉与子理事長、そして本事業の講師の先生方、1~4期までのOBの皆様、5期生のご家族、スタッフの方など約50名がお祝いに駆けつけてくださいました。

 

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▲日本財団 笹川会長

笹川会長は、人間いくら華やかなすばらしい人生を送ったとしても、終末のわずかな時間に心残りがあったとしたらその人の人生はばら色とは言えない。シェイクスピアではないけれど終わりよければすべてよし。「大事な人生の終末を皆様のお力を借りて心やすらかに旅立つということができれば、と死ぬようなことを言っていますが(笑)」とユーモアを交えながら、「人間絶対平等で、全員死ぬことになっているので皆さんがいなかったらうまくいかないんです」と在宅看護の重要性を説かれ、これから開業する修了生を奮い立す祝辞を述べられました。

 

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▲日本看護協会 荒木常任理事

日本看護協会 福井トシ子会長の代理としてご参列くださった荒木常任理事は、看護協会が実施してきた訪問看護の拡充・大規模化の推進、泊まりや通い、相談などの看護小規模多機能型居宅介護等の制度化を実現してきたという看護の変遷を述べた上で、修了生にも政策化の視点を持って活動してもらいたいと期待を寄せられました。

また、Apple創業者のスティーブ・ジョブス氏の言葉「やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやること。そして、偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛すること。」と引用した上で、仕事を愛し、やり抜き、地域を支える一人の「経営者」になってほしいと述べられました。

 

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▲日本訪問看護財団 清水理事長

日本訪問看護財団 清水理事長は、昭和の時代は病院で看護師不足が大変な問題だったが、平成になり看護師の働く場所が変わってきた。病気の人達の看護だけでなく、病気にならない為の予防や、何かあったら相談に行きたいと思えるような街のナースステーションになってほしい、と熱のこもったメッセージを修了生に送ってくださいました。

 

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▲1期生 沼崎美津子様

1~4期の修了生を代表して福島県で起業している「在宅看護センター結の学校」の所長である沼崎様からは、起業するということは自分自身に責任を持つということ、弱音は吐かず、自ら光を取り入れ、共に働くスタッフを守り、道を切り開くこととですと、同じ立場だからこそ言える厳しい言葉を述べた上で、「1~4期までの修了生や、笹川会長や喜多会長という最強の味方がいます。看護師が社会を変えていきましょう!」と笑顔でエールを送られた。

 

これらのエールに対して、修了生の挨拶では、5期生で最初に開業をする野田真由美氏より「(本事業で得た学びについて)これからは究極の人間学として、私どもの中に蓄積し、長くふつふつと煮えたぎり続けます。そして、私どもは、看護の持つ力に加え、個々で修得した起業家力を行使し、社会を変えるべく、それぞれの地域で活動し続けることをお約束します」という決意表明が行われました。

▲御礼の言葉を述べる修了生と喜多会長

▲御礼の言葉に涙ぐむ修了生

今後、修了生17名は、各地へ戻り1年以内に起業を目指します。開業地は、神奈川2名、東京5名、大阪1名、愛知1名、広島2名、福岡1名、佐賀2名、鹿児島1名、沖縄1名、熊本1名の予定です。

5期生の皆様のご活躍を、財団職員一同心よりお祈り申し上げます。

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▲修了生と喜多会長

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▲修了証書をもらう修了生

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▲式典前にリラックスしている修了生

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▲沢山の祝電を頂きました

[活動レポート ― ハンセン病]
ガーナでハンセン病回復者たちの家が建てられました

ガーナは1998年に国レベルでハンセン病制圧目標(人口1万人当たり患者数が1人未満となること)を達成して以来、制圧レベルを維持していますが、北部ではハンセン病の有病率がいまだに高い地域も残されています。それらの地域では、ハンセン病に対する偏見や差別が根強く残り、医療面・社会面の双方の活動が必要不可欠でした。IDEAガーナ(注1)は、その北部を中心にガーナ社会で非常に重要な役割を担うチーフの協力を得て、定着村とその周辺でハンセン病の啓発活動を行った結果、数年でガーナの偏見と差別の問題は急速な進展を見せました。そして、過去数十年にわたってハンセン病定着村で暮らしていた回復者の約800人が帰郷を果たし、現在でも故郷で家族と暮らしています。

IDEAガーナのメンバーは、9人の故郷の村のすべてを巡回し、村長、村チーフ、村民、地区/州チーフを交えての啓発集会を行いました。その結果、住む家さえあれば、村での生活には不自由がないようにすることが約束されました。
現在、ガーナではハンセン病は外来での治療が可能であり、偏見や差別の問題もほぼ解決しており、ハンセン病問題は、この9人の帰郷でほぼ解決するものと言えます。そこで当財団では、ガーナのハンセン病問題の最終解決のために、9人の家屋を建築して帰郷を支援することにしました。2017年度は5名、2018年度は4名の家屋建築を支援しました。

建築中の家屋

建築中の家屋

すでに2017年に家が完成し、故郷での暮らすようになったEkua Ketsiwa(エクア)さんからは、「お金がないために家を建てられなかったので、これまで37年もハンセン病回復者キャンプ(回復者村)に住んでいました。村のほとんどの家は土でできている中、セメントレンガ建ての立派な家を造っていただいたおかげで、村の重要人物とみてもらえ、人々が尊敬してくれるようになりました。このような家に住めて本当に幸せです。」との報告がありました。

コンクリート造りの立派な家ができました

エクアさんに新築の家の鍵が手渡されました


注1:
IDEAガーナは、2003年に設立され、ハンセン病回復者やその家族の尊厳の回復や社会復帰を目指して活動を開始し、ハンセン病回復者のために主に井戸やマーケット建設などの生活環境改善や啓発活動を積極的に行っています。これまではハンセン病に対する正しい知識と理解がなかったことから、エチオピア社会では回復者に対する偏見や差別が厳しかったものが、IDEAガーナのメンバーによって病気や障がいに関する正しい知識の伝達や回復者の尊厳ある人生の語りの会を開催するに従って、人々のハンセン病に対する見方や回復者に対する接し方が急速に変化しました。


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