[支援活動レポート]
[フィリピン]クリオン島歴史資料保存プロジェクト

期間 2004~2006年度
対象地域 クリオン島
協力先 クリオン療養所・総合病院クリオンハンセン病コントロール・リハビリプログラム






1899年より開始されたアメリカによるフィリピンの統治下では、ハンセン病対策が保健問題の最優先事項のひとつに挙げられていました。アメリカでの隔離政策にならい、フィリピンでも隔離政策がとられることとなりました。隔離島としてあげられたのは、フィリピンがスペイン統治下にあった際に、フィリピン人の犯罪者や反乱分子が送り込まれたパラワン諸島やミンダナオ諸島でしたが、この中から選ばれたのは、パラワン諸島の北部にある、通商ルートから外れたクリオン島でした。1906年にはクリオン療養所が完成し、患者のほかに400人の職員のための居住区、道路、映画館、市役所、学校、水道、貯水池、下水道などが完備され、同年7月には約800人がクリオン島に収容されました。

1907年にはハンセン病隔離政策が法的に認められ、各地域で保健検査官が積極的にハンセン病患者を見つけるべく活動を開始しています。毎年500人から1,500人が収容され、1920年ごろには、入所者5,000人を超える世界最大規模のハンセン病療養所となりました。

1964年には解放法令が採択され、ハンセン病の初期段階での療養所入所は禁止されるようになりました。同時にクリオン島も一般社会に開放され、患者・回復者の家族や親族も移住してくるようになりました。

1987年にはクリオン療養所にMDTが導入され、同島の患者数は激減しました。1992年にはクリオン島を一般の地方自治体として認定する法令が採択され、1995年の初の市長選挙が行われ、療養所としてのクリオンの役割は終結しました。

ハンセン病隔離政策のモデルとして世界各地に多大な影響を与えたクリオン島は、保健省直轄のハンセン病療養所から一地方自治体として歩み出しましたが、隔離と苦難を乗り越えてきたクリオン島やそこに住む人々の歴史を保存する活動はほとんどされていませんでした。このため、当財団では資料館の整備、必要機材の購入、回復者や医療担当者の聞き取り調査、資料、写真、台帳その他の補修とデジタル化、展示室の充実に協力をしました。2006年5月にはクリオン療養所開所100周年の記念式典が行われ、その場で新資料館の開館式が行われました。

またクリオン島を実際に訪れることができない人たちも、その歴史を知ることができるようにと、クリオン市のウェブサイト開設も支援し、隔離政策と根強い偏見差別のために一般社会から隔離されてきたクリオン島が、特異な歴史を残しつつも、一地方自治体としての着実な一歩を踏み出していくための協力をしてきました。

クリオン島ウェブサイト