笹川チェルノブイリ医療協力

ソ連から世界唯一の原爆体験国 日本へ協力依頼

1986年にソビエト連邦ウクライナで起きた人類史上最悪のチェルノブイリ原子力発電所事故で、放射能汚染は広範に及び(地球被曝と形容されるほどで、一部は風に乗り日本へも達したと言われている)、とくに影響の大きい地域(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア)の住民に健康障がいが懸念され、1990年に当時のソ連政府から医療協力の要請がありました。当財団は原爆医療の知識と経験をもつ広島・長崎の放射線医学・医療の専門家を早速現地に派遣し、ソ連保健省と協議を重ねました。

5センターの設置と児童検診

チェルノブイリ原発事故が起こったのはソ連の時代でした。私たちが医療協力活動を始めた時は、ソ連のなかでも特に放射能汚染が強い5カ所で協力するという形で始まったのです。つまりひとつの国の5カ所で、という考えでした。そしてソ連(その内のロシア、ウクライナ、ベラルーシ3構成国)の5つの医療施設を基幹センターとして(「5センター」)、放射線の影響を受けやすい児童(事故当時0~10歳)を中心とした地域住民の検診に着手し、1991年~2001年にかけて、約20万人の子どもたちの検診を行いました。
しかし約1年の準備期間を経て、実際に現地で協力活動を始めた数ヵ月後、ソ連は崩壊、連邦を構成していた国々が独立を宣言し、チェルノブイリ医療協力実施国が3国となったのです。

検診の仕組み

検診車贈呈式(モスクワ・赤の広場)
検診車贈呈式(モスクワ・赤の広場)

検診は、広島・長崎の被ばく医療の経験から、1.被曝線量、2.甲状腺検査、3.血液検査を主検査項目として、1.甲状腺用超音波診断装置・チェアタイプ線量計(ホールボディカウンター)・血液分析装置を搭載した検診車で近くの町村の学校へ赴き児童を検診する、2.検診車に搭載したものと同じ機材を各センターにも設置して、バスで児童をセンターへ運んできてセンターで検診する、という2本立てで実施しました。
国境を超えた5センターには同一の医療機材と試薬を供給しました。検診車、送迎用バス、ミニバスに加え、主な医療機材としては、甲状腺用超音波診断装置(設置型および携帯型)、チェアタイプ人体測定線量計、環境測定用ガンマ線サーベイメーター、自動血球分析装置、顕微鏡、コンピューター、保冷庫、超低温冷凍庫などから、採血器具などの消耗品、種々の試薬を提供しました。

検診活動

検診車と検診を受ける子どもたち
検診車と検診を受ける子どもたち

検診活動をスムーズに行うために、開始時は3カ月間ほど日本の医師、臨床検査技師、放射線技師が各センターに滞在し、現地の担当者と共に検診に従事し技術移転を図りました。その後は、検診業務は現地医師、検査技師が担い、日本からは年数回専門家が5センターを訪れ指導を行いました。また現地の医師、技師に対し、現地や日本で研修を実施しました。
毎年5センターの担当者が検診のデータを持ち寄り、日本人専門家も参加してモスクワなどでワークショップを開き、それぞれの問題点を協議し検診活動の統一性を図りました。その結果は報告書として英語・ロシア語でまとめられています。さらに5年間各センター所在地でシンポジウムを開催しました。
人道的支援としてスタートしましたが、3カ国5センターで同じ機材を用い、同じ方法で検診を進めたことで、結果として貴重な科学的データが蓄積されました。それによって、チェルノブイリ原発事故後大気中に大量放出された放射性ヨウ素による内部被ばくの影響により、小児甲状腺がんが多発していることが、科学的に証明されたのです。これら子どもたちに生涯続く発がんリスクに、どう国際社会が対応するかが大きな問題となっています。

検診活動からの発展

1999年には、ベラルーシのゴメリ州立診断センターと日本の長崎大学医学部とを結ぶ通信衛星を使った画像送受信システムをたちあげました。このシステムを用い、ゴメリから甲状腺超音波診断画像を長崎大学へ送り、受信した長崎大学では専門医のコメントをつけてゴメリへ返送し、甲状腺がんの確定診断に大きな役割を果たしました。
この成功を受け、財団はWHO(世界保健機関)と協力し、2000年5月ベラルーシの遠隔医療のパイロット・プロジェクトに着手しました。2004年にはミンスク医科大学とゴメリ医科大学との間で遠隔講義も始まり、日本との通信以外でも地域ネットが拡大され、これによって、ベラルーシ国内の甲状腺診断を中心とした医療格差や、医学教育の格差の是正に大きく貢献することができました。

影のサポーター

10年余りの支援活動を支えてくれたものは「モスクワ事務所」の存在と、いつも日本人に同行してくれた通訳の方々でした。通訳は日本人より美しい日本語を話したViktor Kimさんのようなプロの方ばかりでなく、モスクワ大学の日本語の先生、そして学生たちでした。モスクワ事務所のロシア人スタッフは日本の事務局と5センターとを結ぶ連絡係として、日本から派遣する専門家受け入れと旅程の調整、日本から頻繁に送らなければならない検診に必要な試薬や消耗品の受け取り(通関手続き)と5センターへの配送など、など…彼らなしには活動がこれほどスムーズにできたかどうか定かではありません。

検診期間 1991年5月~2001年3月
検診児童数 約20万人
検診実施地域(州)
および「5センター」
ロシア ブリヤンスク州(クリンシィセンター)
ウクライナ キエフ州(キエフセンター)
ジトミール州(コロステンセンター)
ベラルーシ ゴメリ州(ゴメリセンター)
モギリョフ州(モギリョフセンター)
ロシア、ウクライナ、ベラルーシ人
医師の日本での研修
延べ115名
ロシア、ウクライナ、ベラルーシ人
医師のこれら3国での研修
延べ110名
技術協力のため日本人医師の
現地への派遣
延べ441名

国際共同事業として

現在は、ECやWHOなどの国際組織や米国の国立癌研究所(NCI)、当事国のロシア、ウクライナ、ベラルーシ3国の政府と協力し、チェルノブイリ甲状腺組織バンク(Chernobyl Tissue Bank CTB)を1998年に立ち上げ、運営する事業に取り組んでいます。(現在ベラルーシは参加を一時停止している。)日本あるいは民間の組織としては唯一当財団が参加していますが、これはこれまでの地道な現地での検診活動が国際的に認められ、当初の人道支援の成果が幅広く科学研究の推進へと発展していることを意味しています。CTBは、手術によって摘出された貴重な甲状腺癌組織の散逸や拡散を防止し、全世界的な研究を促進するため、それぞれの当事国が責任を持って試料を管理できる制度を完備しようというものです。この甲状腺組織は手術をうけた患者の今後の予後判定や治療に大切なことはいうまでもありませんが、さらに研究成果は放射線被曝と甲状腺障がいとの関係の解明にも役立つと期待されています。チェルノブイリを支援できる科学プロジェクトは、他にアメリカが二国間契約で推進している放射線影響調査などがあります。その中でもCTB は特に生体試料収集保存、解析は世界一と目されており、日本人専門家の協力が大きな力となっています。原子力防災や放射線安全防護に益するリスク評価や科学研究の推進には、日本からの継続した関与が益々重要となっています。

笹川チェルノブイリ医療協力事業を振り返って(PDF)
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支援している国々:ウクライナ
支援している国々:ベラルーシ
支援している国々:ロシア