[活動レポート ― ハンセン病]
マレーシア発「家族の絆」を取り戻そう

子どもを産むことは許しても、育てることは許さなかったマレーシアのハンセン病療養所。出生後まもなく、生まれた子供は、園外の親族や国内外に養子に出されました。高齢化が進む入所者の一目でいいから我が子を見たいという思いと、実の親を探したいという第2世代の思いをつなげる取り組みが進んでいます。
スンゲイブローの子どもたち
英国植民地下最大であり、世界でもフィリピンのクリオン療養所に次いで2 番目の規模であったマレーシアのスンゲイブロー療養所の入所者は、子どもを産むことは許されていましたが、育てることは許されていませんでした。誕生直後から所内の乳児院で育てられた子どもは6カ月になる前に園外の親族に、それが叶わない場合には国内外に養子に出され、時には宗教、言語、文化も異なる家族のもとで成長し、多くが結婚し、新しい家族と暮らしています。高齢化が進む入所者の最大の願いは、出生後まもなく連れ去られた我が子との再会。近年になり、第2世代の中から、第3世代にあたる子どもも成人し、ひと段落したところで、実の親を探したいという人が出てくるようになりました。
私の親を探して
ノラエニさんは、生後半年でスンゲイブローから養子に出された1人です。スルタンの運転手だった養父をはじめ、温かい家族に恵まれ、宮殿で過ごした少女時代は幸福なものでした。自分が養子であることは知っていましたが、養父母への配慮から、実の親の所在は探しませんでした。手がかりが出てきたのは、養母の死の翌日でした。遺品から養子縁組の書類が出てきたのです。そこには、イスラム教徒として育てられた自分の実の両親は華僑であり、しかもスンゲイブロー療養所の住人である、という驚きの事実が記載されていました。 夫や子どもたちの全面的応援を受け、ノラエニさんの実の親探しの旅が始まりました。スンゲイブローの引き裂かれた親子の絆を取り戻すための活動をするイーニー・タンさんと出会い、療養所の記録、州で保管される誕生記録などさまざまな記録をたどった結果、自分には姉がいること、父はすでに退所していること、母はすでに死亡していることが分かりました。姉と父の所在は、今でも分かりません。イーニー・タンさんは、せめて母の眠る墓を見せたいと、療養所の墓地で、母親の名前の刻まれた墓を探し歩きました。ノラエニさんの母との再会は墓前でしたが、その横には、ノラエニさんを信じ、支えてくれる家族が立っていました。
あなたは1人ではない
ノラエニさんはイーニー・タンさんと書き上げた「墓地での再会」についてこう語ります。「この本にはハンセン病についての情報もありますが、私たちはこの本を通して、親から引き離され、まだ親を探す勇気のない第2世代に、こう伝えたいのです。『あなたは捨てられたのではない。養子に出されたのは、愛されていなかったからではなく、隔離政策のため。希望を持って生きてほしい。あなたは1人ではない』」親子の絆を修復するためには、親と子の双方の気持ち、家族の理解と応援、そしてハンセン病に対する社会の理解が必要です。 当財団は 2013 年度より、子どもに会いたい、親を探したいという気持ちをつなげながら、ドキュメンタリーフィルムの制作や、さまざまなイベント、ブログやフェイスブックなどを使い、第2世代、その家族、社会のハンセン病に対する考えを変えるための取り組みを支援しています。

家族の絆を取り戻す活動を続けるノラエニさん(中央右)、イー ニー・タンさん(中央左)と、ノラエニさんの息子(両端)

家族の絆を取り戻す活動を続けるノラエニさん(中央右)、イー ニー・タンさん(中央左)と、ノラエニさんの息子(両端)