[活動レポート ― ハンセン病]
宮崎駿監督が語る「全生園で出会ったこと」

ハンセン病関連のイベントが続けて行われた1月、当財団は、「ハンセン病の歴史を語る―人類遺産世界会議」を開催しました。オープニングでは、世界的に著名なアニメーション映画監督であり、東京都にある国立療養所多磨全生園の人権の森構想を支援している宮崎駿氏に、ハンセン病問題に関する想いを語っていただきました。

「ハンセン病の歴史を語る 人類遺産世界会議」 にて講演する宮崎駿監督

「ハンセン病の歴史を語る 人類遺産世界会議」 にて講演する宮崎駿監督


おろそかに生きてはいけない
宮崎監督が初めて、ハンセン病に正面から向き合ったのは、いまから20数年前のこと。のちに「もののけ姫」となった作品の構想中に、自宅からほど近い全生園に足を運んだのが、始まりでした。全生園に隣接するハンセン病資料館も訪れ、そこで全国から集められた、療養所の園内通貨や、生活を送る上で使われてきた品々と出会った監督は、大変な苦しみの中で人が生き抜いてきた証に衝撃を受けました。訪れるたびに、「おろそかに生きてはいけない。・・・自分が今ぶつかっている作品をどう作るかということを、真正面からきちんとやらなければいけないと思った」そうです。「もののけ姫」には、ハンセン病を患った人からヒントを得た人たちも登場しましたが、完成した作品を見た全生園自治会会長の佐川修氏や、ハンセン病資料館で佐川氏と共に語り部活動を続ける平沢保治氏をはじめ皆さんは大変に喜ばれたそうです。
人権の森構想
現在、多磨全生園をはじめ、療養所の入所者数は減少しています。各園とも将来構想に基づき、保育所や特別養護老人ホームなど、地域のニーズに合った施設の設置を始め、隔離から地域開放へ、療養所は変わりつつあります。多磨全生園では、1940 年代に緑化運動が、1980 年代にふるさとの森造り計画が始まりました。入所者がいなくなった後に、この地に豊かな緑の地を残したいという思いで始まったものです。2002年には、緑と共に、歴史的建造物や史跡を「人権の森」として残すため、「人権の森構想」が立ち上がりました。この「人権の森構想」のもとを作ったのが、宮崎監督でした。療養所には、使われなくなった建物が残されています。老朽化が進む建物の一つに戦前から残る男子独身寮「山吹舎」がありました。「山吹寮」を残したい、そのために協力する、という宮崎監督の言葉が、「人権の森構想」につながったのです。「全生園の緑と建物を残す『人権の森構想』に協力しているのは、友人が先頭でやっているからです。・・・大きな緑を残したということもいいことだと思いますが、同時に、生きるということの苦しさと、それに負けずに生きてきた人たちの、巨大な記念碑をずっと残しておきたい」という宮崎監督。世界には多くの問題がある。その全てに自分が関わっていくことはできない。だから、皆が少しずつ手分けをしていくしかない。そして、「資料館や人権の森が、人間というのは間違えるものなんだ。絶対間違えないと思って間違えるのが人間なんだ、という教訓になればいいと思う。我が身をかえりみて、謙虚でいなければいけない」と言います。講演後半では、佐川氏と平沢氏も登壇しました。講演活動をめったにされない宮崎監督が、今回の講演を引き受けられた背景には、監督と深い交流を持つ両氏の存在がありました。「負の遺産」としてのみ捉えられることが多いハンセン病の歴史は、両氏をはじめとする、人間の持てる計り知れない力と可能性を示す歴史でもありました。宮崎監督が全生園で出会われた、生きる苦しさに負けずに、内から強い光を放ちながら生きてきた人たちの歴史を、人類の遺産として残し続ける努力はこれからも続きます。
講演後半に全生園の友人である佐川修さん、平沢保治さんと

講演後半に全生園の友人である佐川修さん、平沢保治さんと