[活動レポート ― ハンセン病]
ハンセン病の歴史を人類の遺産として語り継ぐ

長く人類を苦しめてきたハンセン病は治る病気となり、患者数も大きく減少しました。過去の病として見られるようになったハンセン病の記録や記憶は、現在、急速に失われようとしています。その中で、本人だけではなく家族や親族さえも厳しい差別の対象となったハンセン病の歴史を語り継ぐ試みが、世界各地で始まっています。
人類の遺産として
ハンセン病が治る病気となり、半世紀以上が経ちます。特に、特効薬である多剤併用療法(MDT)が使われるようになった1980 年代以降は、世界各地でハンセン病の対策活動が大きく進展しました。その結果、各国の保健政策におけるハンセン病の優先順位は低くなり、予算も人材も縮小しています。それに伴い、ハンセン病施設も閉鎖や縮小に追い込まれ、これまで蓄積されてきた貴重な記録や知識は急速に失われています。ハンセン病は医学的な疾病の一つであると同時に、極めて厳しい偏見と差別を伴う、社会の病の一つでもあります。世界各地でハンセン病を生き抜いた人々は、名前、故郷、家族、友人を失い、過去から切り離され、社会とのかかわりを断たれました。しかしそうした中でも、人間として、内から強い光を放ちながら生き抜こうとした軌跡は、人間の持つ計り知れない力と可能性を表しています。ハンセン病の歴史は、長い差別と苦難の「負の遺産」というだけではなく、現在、そして将来へと語り継がれなくてはならない、「人類の遺産」でもあります。
歴史を語り継ぐフィリピン
残念ながら、ハンセン病関連事業の予算が大きく減少する近年、歴史保存に取り組む団体や機関は、極めて限られています。笹川記念保健協力財団は2000 年代前半から、自らの歴史を残そうという地域の歴史保存の取り組みを支援してきました。その一つが、フィリピンのクリオン島です。クリオンは世界最大のハンセン病患者収容施設として、国内のみならず、各国のハンセン病隔離政策に多大な影響を与えました。そのクリオンが、ハンセン病の歴史だけには縛られず、一般地方自治体としての道を歩むという選択をしたのは1990年代のことです。当時は、「生ける死者の島」と呼ばれ、全国から恐れられていた過酷な歴史とは一線を画したい、という想いもなかったわけではありません。しかし、2000 年代に入り、現在や将来を考えるために、過去をなかったことにはできないと、ごく小規模ながら歴史保存の取り組みを始めました。2006年に、クリオン療養所開所100 周年を記念して開館したミュージアムでは、苦難の歴史と、それを生き抜いた人々、それらの人と共に歩んできた人たちの歴史が語られています。
過去と直面し、これを語り継ぐことを通して、当事者は未来への希望を育み、自らのルーツを再確認したクリオンの若い世代は、島の歴史や祖先の来し方に誇りを持つようになりました。ハンセン病の歴史と共に生きてきた一人一人の生きた証しを通し、ハンセン病だけではなく、偏見や差別、あるべき社会の姿、人間の誇り、そして可能性について考える場所とし、近年ではミュージアム目当てにクリオンまで来る観光客が増えています。ハンセン病の歴史を保存し、語り継ごうとする取り組みは、クリオンから他の療養所にも広がり、現在はフィリピンの全8国立療養所で保存活動が行われ、当財団はその支援をしています。
笹川記念保健協力財団は、自分たちの歴史を語り継ぐという取り組みの支援とあわせ、世界的に歴史保存と語り継ぎの機運を高めるための取り組みを支援していきます。

当事者による語り部活動が始まったクリオン

当事者による語り部活動が始まったクリオン