[活動レポート ― ハンセン病]
ネパールの貧しい村での栄養教育を支援しました

ネパールは2009年に国レベルではハンセン病の制圧は達成しているものの、いまだに毎年3000人強の新規患者が出ています。(世界で6番目に多い)特にネパール南部のインドとの国境地帯の多くは郡レベルでは制圧が達成されていません。免疫力はハンセン病の発症に関わる要因の一つですが、その免疫力は、人々の栄養状態に大きく左右されます。そのため、ネパール国内のハンセン病基幹病院の1つであるNLTラルガーハンセン病病院&サービスセンター(注1)から、ハンセン病蔓延地の中でも特に栄養状態が低いとされる2地域においてハンセン病の発症と拡がりを抑えるために、栄養教育プログラムを実施したいとの要請があり、当財団は、2017年8月から2018年7月の期間でこのNLTを通して支援を実施いたしました。

各家庭で野菜が栽培されるようになりました

ラジコール村でのセミナーの様子      

対象地は、Dalits(ダリッツ)と呼ばれるカースト制度の最下層民が総人口の90%を占めるネパールマホトリ郡のRajkhor(ラジコール)村とサラヒ郡のKhoriya(コリヤ)村で、生まれながらに土地をもつことが許されず、多くの人が季節労働により収入を得ているような貧しい生活を送っている地域です。この地域は各家庭にトイレも殆どなく衛生状態は劣悪な状況でした。また、女性の地位は低く、若年での婚姻・出産が多く、それが低栄養児の出産の主な原因となっており、今回の栄養教育プログラムを実施する前は、この地域では5歳以下の子どもの58%が低栄養状態でした。

低栄養児には栄養補給のオートミールが配給されました

低栄養児には栄養補給のオートミールが配給されました

そこで、①妊婦、母親、子供が健康を保つために栄養の重要性を認識させること、②妊婦と母親に保健所で産前産後ケアを受けるように教育すること、③栄養・衛生教育グループを設立して家庭菜園やトイレを各家庭に設置するように推奨すること、を目的に本事業は実施されました。その結果、2村で合計18回の栄養・保健教育セミナー(幼児の栄養・妊婦の栄養・適切な調理・適切な食品保存・衛生・定期的駆虫・予防接種・家族計画、家庭菜園)が実施され、130名が受講しました。また、11の家庭菜園支援、低栄養7人の子供支援、90家族への衛生キットの配布、2つの共同給水所(手漕ぎ井戸)の補修、83の簡易トイレ設置支援も同時に行われました。

子どもがいる家庭には衛生キットが配給されました

衛生キットの中身(石鹸、歯ブラシセット、爪切り、耳かき、舌汚れクリーナー)

この栄養プログラムのおかげで、多くの母親たちが栄養や健康に関してめざましく意識が高まり、二つの村の全ての妊婦が産前産後ケアを受けるようになりました。また、全ての子供たちが学校で予防接種を確実に受けられるようになりました。そして、母親からその子供たちまで将来的にも適切な栄養と衛生状態を保ち健康を維持することが可能となりました。

栄養教育を受けた母親から生まれた赤ちゃんたち

栄養教育を受けた母親から生まれた赤ちゃんたち

注1:NLTは1972年に設立され、ネパール中部カトマンズ及びジャナクプール県の4郡(Dhanusha, Mahottari, Sarlahi, Sinduli,)において政府との合意の下でハンセン病対策活動への協力を行うと共に、回復者の社会的経済的自立を促進する活動を行っています。特にジャナクプール県では、ラルガーハンセン病サービスセンター(Lalgadh Leprosy Service Center: LLSC)を1992年に開設しました(現在名は、ラルガーハンセン病病院&サービスセンターLalgadh Leprosy Hospital and Services Centre)。同地域は、インド国境(ビハール州)に隣接する南東タライ地域に位置し、インド人の流入の影響も受けて未だネパールで最も新患率の高い地域の一つで、当該病院・サービスセンターは同地域のハンセン病制圧活動やハンセン病回復者支援に主要な役割を果たすと共に、地域の保健医療を支える総合病院としても重要な役割を果たしています。

[活動レポート ― ハンセン病]
ガーナでハンセン病回復者たちの家が建てられました

ガーナは1998年に国レベルでハンセン病制圧目標(人口1万人当たり患者数が1人未満となること)を達成して以来、制圧レベルを維持していますが、北部ではハンセン病の有病率がいまだに高い地域も残されています。それらの地域では、ハンセン病に対する偏見や差別が根強く残り、医療面・社会面の双方の活動が必要不可欠でした。IDEAガーナ(注1)は、その北部を中心にガーナ社会で非常に重要な役割を担うチーフの協力を得て、定着村とその周辺でハンセン病の啓発活動を行った結果、数年でガーナの偏見と差別の問題は急速な進展を見せました。そして、過去数十年にわたってハンセン病定着村で暮らしていた回復者の約800人が帰郷を果たし、現在でも故郷で家族と暮らしています。

IDEAガーナのメンバーは、9人の故郷の村のすべてを巡回し、村長、村チーフ、村民、地区/州チーフを交えての啓発集会を行いました。その結果、住む家さえあれば、村での生活には不自由がないようにすることが約束されました。
現在、ガーナではハンセン病は外来での治療が可能であり、偏見や差別の問題もほぼ解決しており、ハンセン病問題は、この9人の帰郷でほぼ解決するものと言えます。そこで当財団では、ガーナのハンセン病問題の最終解決のために、9人の家屋を建築して帰郷を支援することにしました。2017年度は5名、2018年度は4名の家屋建築を支援しました。

建築中の家屋

建築中の家屋

すでに2017年に家が完成し、故郷での暮らすようになったEkua Ketsiwa(エクア)さんからは、「お金がないために家を建てられなかったので、これまで37年もハンセン病回復者キャンプ(回復者村)に住んでいました。村のほとんどの家は土でできている中、セメントレンガ建ての立派な家を造っていただいたおかげで、村の重要人物とみてもらえ、人々が尊敬してくれるようになりました。このような家に住めて本当に幸せです。」との報告がありました。

コンクリート造りの立派な家ができました

エクアさんに新築の家の鍵が手渡されました


注1:
IDEAガーナは、2003年に設立され、ハンセン病回復者やその家族の尊厳の回復や社会復帰を目指して活動を開始し、ハンセン病回復者のために主に井戸やマーケット建設などの生活環境改善や啓発活動を積極的に行っています。これまではハンセン病に対する正しい知識と理解がなかったことから、エチオピア社会では回復者に対する偏見や差別が厳しかったものが、IDEAガーナのメンバーによって病気や障がいに関する正しい知識の伝達や回復者の尊厳ある人生の語りの会を開催するに従って、人々のハンセン病に対する見方や回復者に対する接し方が急速に変化しました。

[活動レポート ― ハンセン病]
フィリピンでハンセン病回復者やその子女たちに対して職業技能習得支援を行っています。

フィリピンでは1906年のクリオン島ハンセン病療養所の開設に始まって全国に8国立ハンセン病療養所が設立されました。1998年にフィリピンは公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧を達成しましたが、現在でも毎年2000人弱の新たな患者が出ています。一方でフィリピンでは教育は地域的なばらつきが大きく、平均として38%程度が小学校も卒業していません。各療養所に近い地域はさらに悪い状況で、特にムスリム・ミンダナオ自治区(スールー療養所付近)では6割が小学校も卒業していません。また、ミマロパ(クリオン療養所付近)、ビコール(ビコール療養所付近)、サンボアンガ(ミンダナオ中央療養所付近)、西ヴィサヤ(西ヴィサヤ療養所付近)、中央ヴィサヤ(エバースレイ・チャイルズ療養所付近)、ソクサージェン(コタバト療養所付近)でも小学校卒業以降に学校教育を受けていない人口が5割から6割強と、最終学歴が相対的に低くなっています。ましてや高等教育や職業技能の機会は地理的、金銭的に多くのハンセン病回復者やその子女には手に入れがたい状況になっています。

縫製業の訓練の様子

縫製業の訓練の様子

このような状況を踏まえて、当財団は、2017年9月から2019年3月までの1年半でフィリピン国内の療養所付近のコミュニティで暮らす回復者やその子女たちに対して、ハンセン病による偏見や貧困の連鎖を断ち切ることを目的に、一般社会で安定した職業につく手段としての高等教育や政府認定の資格がある職業技能の習得支援をフィリピンの各地域で活動しているハンセン病回復者団体とそれらを統括しているハンセン病当事者ネットワーク団体のCLAP(クラップ)を通して行うことにしました。

まだ足踏みミシンも現役で使われています

まだ足踏みミシンも現役で使われています

2017年9月から2018年8月は、訓練費のみならず、訓練に伴う交通費や諸経費を賄うための支援をマニラの2団体、西ヴィサヤの1団体、ミンダナオの1団体、コタバトの1団体を通して合計72名に1人当たりおおよそ日本円で5000円から2万円程度の奨学金が付与されました。これらの訓練生は、主に、紳士服仕立て業、婦人服仕立て業、高速縫製業、美容業、家事代行業、そして洗剤製造技能の訓練を行いました。
2018年9月から2019年3月にかけては、さらに80名程度のハンセン病回復者やその子女たちの支援を行う予定です。

洗剤製造技能養成講座受講者たち

洗剤製造技能養成講座受講者たち

[活動レポート ― ハンセン病]
中国雲南省のハンセン病回復者村の衛生環境が改善されました!

  雲南省の毛王洞(マオワンドン)村と螺線管村(ラオシャンガン)村は、1950年代にできたハンセン病定着村で、毛王洞村には老若男女21家族96名が住んでいます。一方で螺線管村には男性11名、女性9名の計20人しか住んでいないのですが、平均年齢は70才以上と高齢で半数の人は脚が不自由です。これらの村の村民が健康で安全に生活が出来るように、当財団は、中国のハンセン病回復者支援団体であるHANDA(ハンダ:広東省漢達康福協会)(注1)を通して、2017年後半から2018年前半にかけて衛生教育ならびに衛生環境整備等を行いました。

衛生教育を指導している様子

衛生教育を指導している様子

歯磨き指導を受けている様子

歯磨き指導を受けている様子

  まず、毛王洞村では主に女性と子供を対象に衛生教育が行われました。以前、この村では教育水準の低さから健康に関する意識が低く、特に女性たちは自分自身を清潔にする知識やシャワーを浴びて毎日して身体をきれいに保つという意識がないため、95%が婦人科の病気を持っていました。今回、多くの村民が衛生教育を受けることにより、意識が高くなり病気を防ぐことができるようになりました。また子供たちへの公衆衛生教育によって子供たちは将来的にも健康を維持することが可能となりました。
  次に、毛王洞村内の二つの集落をつなぐ道路の修復・舗装が行われました。道幅3メートル、長さ500メートルの道路を全21家族が助け合って修復、舗装しました。これまでは雨が降ると道がぬかるみ、人のみならず家畜さえも通行ができませんでしたが、現在は舗装され村の人々の安全が確保されるようになりました。

道路の工事前

道路の工事前

工事後

工事後

  さらに、毛王洞村にて、11の浴室設置工事が行われました。これまでこの村では浴室がある家はなく、薪を焚いてお湯を沸かし、そのお湯で身体を洗っていましたが、今回太陽光熱発電によりすぐに温水が出るようにソーラーパネル付きの浴室が設置されました。これにより村民はいつでもシャワーを浴びることが出来るようになり、身体を清潔に保てるようになりました。

新設された浴室とソーラーパネル

新設された浴室とソーラーパネル

  螺線管(ラオシャンガン)村では環境整備を行いました。螺線管村は高齢者が多いため、まず高齢者が安全に暮らせるようにいくつかの坂道やスロープに手すりを設置しました。また、皆が毎日顔を合わせて談笑できる場所を設置して、椅子とテーブルを置きました。

何もなくて滑り落ちそうな坂道

何もなくて滑り落ちそうな坂道

手すりがついた坂道

手すりがついた坂道

村民が集う場所が出来て互いを思いやるようになりました

村民が集う場所が出来て互いを思いやるようになりました

注1:
HANDA(Guangdong HANDA Rehabilitation and Welfare Association:広東省漢達康福協会)は1996年に設立された中国の広西省、広東省、雲南省で活動しているハンセン病回復者支援団体です。回復者の経済自立支援、回復者やその子どもたちの初等教育から高等教育までの教育支援、生活環境向上、職業訓練、啓発冊子の制作まで、幅広い活動を行い、5000人強の回復者やその家族たちを毎年支援しています。
HANDAのホームページ

[活動レポート ― ハンセン病]
島の命を守る救急船

世界第2の島数を有するフィリピンでは、経済的・地理的な理由で、命に関わる病気やけがをしても、病院に行けない人たちがいます。パラワン州北部で、島に住んでいても、障がいがあっても、貧しくても、天気が悪くても、緊急時に必要な医療にアクセスするための取り組みを支援しました。
病院に行けないのはなぜ?
かつて世界最大のハンセン病隔離施設であったクリオン療養所ならびに総合病院は、現在ではパラワン州北部を管轄する地域中核病院です。その管轄地域で暮らす約25万5 千人の健康を守る上で課題となっているのが、貧困と医療施設へのアクセスです。
同地域で暮らす約3 割は貧困層です。病院までの交通費や治療費が払えない、仕事を休めば家族の暮らしが成り立たないなど、さまざまな理由から、なかなか病院に行くことはできません。明らかに重篤な状態になって初めて病院に行きますが、すでに手遅れのことも少なくありません。もう1つの課題は、医療施設へのアクセスです。病院管轄地域には中小の島が点在していて、病院のあるクリオン島までモーター付きの船でも6時間以上かかるところもあります。天候が悪く海が荒れると、船は出せませんし、サンゴ礁の浅瀬が多い同地域は、夜間の船やボートの航行はできません。一刻を争う緊急時に、適切な医療を提供できる病院まで患者を搬送することができず、救える命が失われてきました。どうしたらパラワン州北部の人たちの命を守ることができるのか。出された結論が救急船でした。たとえ夜でも、天候が悪くても、モーター付きの船を借りるお金がなくても、必要であれば誰もが病院にアクセスを確保するための救急船。フィリピンには、これまで急病人やけが人を搬送するスピードボートはありましたが、搬送中に医療行為を行える救急船はありませんでした。度重なる協議の末、船内で必要な救命行為が行える救急船の供与が合意されました。造船は2014 年末に始まり、2016 年7月にクリオンに届けられました。
パラワン州北部に届いた日比友好の救急船
今回の救急船を可能としたのは、日本のボートレースチャリティ基金です。2002年に作られた同基金は、モーターボート選手からのご寄付や、選手の私物をオークションにかけた入札金をもとに、これまでフィリピンの他、世界各国のハンセン病対策に役立てられています。2016 年8月、救急船が配備されるクリオン総合病院で、進水式が行われました。式典には、ボートレースチャリティ基金の委員である日本モーターボート選手会、日本レジャーチャンネル、日本財団、笹川記念保健協力財団の他、ミマロパ地域保健局長、救急船がカバーする4市の市長や市会議員、クリオン総合病院職員、ハンセン病回復者など多数が集まりました。多くのメディアも駆けつけ、テレビ、新聞でも大々的に報じられました。日比友好の救急船が、パラワン州北部の健康を守ることを、そして救急船の使用がフィリピンの他地域でも広がっていくことを期待します。

救急船

救急船

[活動レポート ― ハンセン病]
ネパール大地震緊急支援(ボートレースチャリティ基金から)

~ハンセン病患者・回復者とその家族たちへの支援~
2015 年4月25日にネパール東部でM7.4規模の大地震が起きました。この地震による死者は約8,800人、負傷者は2 万人以上です。
この地震直後にハンセン病回復者団体であるIDEA ネパールは被災地を巡回し、ハンセン病患者・回復者やその家族がこの地震により生活に困難を窮しているという状況を確認しました。彼/彼女らは、もともと差別のために、少人数でかたまって村や町から離れた非常に不便な場所で暮らしているために、地震直後に各地で被災者支援が始められていても支援は届いていなかったのです。よって、IDEAネパールは、彼/彼女らのために当財団へ緊急支援を要請してきました。この要請を受けて、当財団ではボートレースチャリティ基金からの緊急支援として被害の大きかった震源地近辺5 郡のハンセン病患者・回復者とその家族100 世帯に対して1世帯当たり約16,000 円の支援金供与を実施しました。
IDEAネパールは早速この支援金を届けに各地を回り、支援金を受け取った人々の感謝の気持ちを伝えてきてくれています。支援金供与は、復興期に入るまでの緊急支援で、家屋や家財等を失った人たちが当面必要な食糧や飲料水などを買うために使われています。

IDEAネパールを通じて支援金が供与さ れている様子

IDEAネパールを通じて支援金が供与さ れている様子

[活動レポート ― ハンセン病]
フィリピン台風被害緊急復興支援 Part 2

台風被害復興進むクリオンフィリピンパラワン州北部クリオン。2013年11月の超大型台風で大きな被害を受けました。当財団の支援で、家屋や公共施設の復旧、生活の糧を失った人たちの生活再建などの復興が着々と進んでいます。

クリオンはマニラの南西、パラワン州の北部に位置する

クリオンはマニラの南西、パラワン州の北部に位置する

2013 年後半、さまざまな困難がフィリピンを襲いました。9月には諸民族解放戦線の一部のグループが南部サンボアンガ市侵攻。当財団が立ち上げ準備から支援をしている全国ハンセン病回復者と支援者ネットワーク(CLAP)に全面的に協力をしてくれてきた、スールー療養所の所長も人質となり負傷しました。多くの死傷者と避難民を出す事態へと発展しました。10月には中部ボホール島を中心としてマグニチュード7.2の直下型大地震が発生しました。
そして続く11月には観測史上例を見ない勢力となった超大型台風30号(現地名ヨランダ)がレイテ島やサマール島を中心に広範囲にわたって襲い、1,600 万人を超える被災者を出しました。被害の最も大きかったレイテ島の状況はフィリピン内外でも連日報道されましたが、その他の地域の状況が伝えられることはありませんでした。クリオンの台風被害台風ヨランダは、かつて世界最大のハンセン病隔離施設があったクリオン行政区でも猛威をふるい、住民の75%が被災しました。台風の通り道から外れることが多いクリオンで、ヨランダの前に台風被害が出たのは、 約25年前のことです。その25 年前もヨランダよりはるかに規模の小さいものでした。台風が過ぎ去った翌朝、クリオン療養所ならびに総合病院には多くの人がやってきました。家が壊れた、漁業用ボートが壊れた、屋根が飛んだ…。自身も被災している病院職員たちが調べたクリオンの被害状況は想像を絶するものでした。天候不順のため電話もつながらず、停電と断水が続く中、雨風を防ぐ屋根も壁も失った人たちは、沿岸に建っていた避難センターに身を寄せましたが、住む場所も家財道具も生活の糧も失い、先行きの見えない日々でした。

沿岸に建っていた家屋跡

沿岸に建っていた家屋跡

病院がまず手掛けたのは、被害状況把握と支援優先順位付けでした。当財団は病院との協議を重ねた結果、多くの個人、団体のみなさまからのご寄付を受け、まず緊急支援として、米を始めとした食料や毛布の入った緊急支援パックを1,570家族に配布すると共に、クリオン島周辺の島での巡回医療の支援を行いました。クリオンにもNGOや政府機関から被害状況把握のために、人が派遣されてきましたが、いずれも被害状況を視察するに終わり、支援にはつながりませんでした。人々の焦燥と不満が高まる中で、フィリピン内外の団体・機関による支援活動に先駆けて行われた当財団の緊急支援は、長い復興への道のりを歩き始める気力と希望となったとのことです。復興の第一歩初期の混乱が収束しつつあった、台風襲来から1カ月半後、病院と当財団は、復興に向けての協議を始めました。フィリピン政府の復興予算も視野に入れ、支援優先順位が高く、なおかつ予算確保が非常に困難だと見込まれるものとして、数多くの要請やニーズの中から病院側が挙げたのは、完全に倒壊した回復者男性寮、 住民家屋、教育施設、歴史ミュージアムと100周年記念碑の修繕、生活の糧を失った人に対する生計復活支援でした。協議を重ねながら現地の状況確認をし、2014年3月に復興支援を決定しました。これまでに35 軒の家屋修繕、小学校2校と中高学校1校の修繕・建設、歴史ミュージ アム修繕、100 周年記念碑修復が行われ、回復者男性寮の修繕、そして中高学校1校の水施設整備も行われる予定です。家屋も教育施設も地域住民が積極的に修 繕や建築に労働力を提供してくれました。また、台風により漁業に必要なボートや網、農作物や果樹、豚や鶏 を失った人々が生計を立てていけるよう、ボートや網、農作物の種、家畜、雑貨販売のための自転車を提供しました。そして今みなさまからのご寄付を受けて行われた、クリオンにおける台風被害緊急支援・復興支援に続き、現在では小規模ながら家屋修繕やボートの供与を行う団体も出てきました。また政府による病院施設の被害支援の動き もあり、クリオンの復興も第一段階を終えました。クリオン療養所ならびに総合病院のクナナン院長からは、クリオンが台風直後の混乱から立ち直り、復興の道をたどり始めるために、最も支援を必要としていた時期に、最も必要な支援を提供したことに対する感謝が伝えられました。今後は地方行政が中心となって計画を立て、復興をめざすことを期待するという前向きな言葉をもらい、当財団のフィリピン台風被害復興支援は、現在進行中の男性回復者寮の修繕と、中高学校の水設備整備をもち、完了いたします。みなさまからの温かいご支援に心より感謝いたします。

修繕された家屋

修繕された家屋

[活動レポート ― ハンセン病]
フィリピン台風被害緊急復興支援 Part 1

フィリピン台風被害緊急復興支援へのご協力ありがとうございました。2013 年11月8日にフィリピンを襲った大型台風ハイエン。パラワン州北部のクリオン島の被害の報告を受け、当財団では同地への支援を決定しました。同時に財団のホームページなどを通して、広く寄付を呼びかけました。5月末日までという短期の募集期間にもかかわらず総額¥1,342,900のご寄付を頂戴しました。ご寄付は全額、復興支援のために活用させていただきます。ご賛同をいただいた皆さまの温かいご支援に改めて感謝申し上げます。クリオン島への支援の実施にあたっては、クリオン療養所所長兼総合病院院長のクナナン医師が、被害状況の確認や緊急状況評価、ニーズ判断を行い、昨年12月にはまず緊急支援(食料品や医薬品、燃料、家屋の応急処置的修繕資材等)を1,570 世帯に届けました。この3月には、中長期的復興計画への支援として、家屋や学校など建物の改修と台風によって生活の術を失った人々への経済自立支援を実施し、現在、現地では着々と工事が進められています。
クリオン修復工事中の学校